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お尻と魔窟ときゅっきゅっきゅっ(後編)

ー/ー



 貴族のお屋敷というのは、本がたくさんある。
 書斎や図書室があることも珍しくない。

 だが、このグランシュタイン家にあるのは『図書館』だ。
 独立した建物になっているし、個人が所有するにしては規模があまりにも大きい。

 なぜこれほど巨大なのか。
 グランシュタイン家が代々受け継いできた、貴重な本がたくさんあるから……というのは少しだけ正解。

 本当の理由は、この屋敷の現当主である奥様、ヴェネルシア様にある。


「よっこらしょいっと」

 モチコはかけ声とともに、ロビーのテーブルに無造作に置かれていた本を両手で抱えた。
 その大きくて重い本を持ったまま、書庫へと入る。

 書庫には、ぎっしりと本が詰まった本棚が、果てしなく並んでいた。
 入ってすぐのところには、床から本が積みあげられて、本の塔ができている。
 モチコは抱えていた本を、その塔のてっぺんに重ねて置いた。

「よーし、やるぞぉ」

 まずは掃除だ。雑巾とモップを使って、本棚や床を磨いていく。
 湿気が残るとカビの原因になったりして本によくないので、洗剤は最小限にして、乾拭きを念入りに。
 もちろん、窓ガラスをきゅきゅっと磨くことも忘れない。

 掃除が終わったら、次は本の管理だ。
 新しい本の目録をつくったり、図書館のあちこちに散らばった本を、適切な本棚に戻したりする。


 この図書館は基本的に奥様専用だ。
 奥様はとにかく大量に本を読む。
 そして本をしまう時間も惜しいのか、読んだ先から本をそこらに放り出したまま、次の本を読み続ける。
 そのため、図書館にはいつも、大量の本が散らばっているのだ。

 魔法学校時代は学校一の読書家であったと自負しているモチコだが、それでも奥様の読書量の多さには驚かされる。

「今日も、たくさん散らばってますなあ」

 モチコは、床から高く積まれた本の塔を見てつぶやいた。
 この塔の上にある本から片付けていくことにしよう。
 この作業が、モチコにとって一番の腕の見せどころだ。


 本を適切に分類して、本棚に収める、という作業。
 適切に分類する、というのが結構難しい。

 本の中身をざっと確認して、なるべくテーマが近い本棚のところに収める。
 簡単な作業に思えるが、これがなかなかセンスがいる。

 まず、本の内容をなるべく正確に理解しないといけない。
 さらに、それが何というジャンルなのかを、知っていなければならない。

「これは魔法学の本だな。基礎魔法学と応用魔法学だと、どっちだ……?」

 魔法について書かれているのに、テーマとしては哲学や宗教学という本もあったりするので、油断ならない。
 余談だが、前に『大魔法時代における夜伽の秘技・基礎編』なんて本もあって、まだまだ知らない世界があると痛感したこともあった。(とても勉強になりました)

 そんなわけで、モチコは持っている知識を総動員して、本の分類に精を出していた。
 奥様が『本の置き方が美しい』と褒めて下さったのは、本がきれいに並んでいるという意味ではなく、本棚の分類の仕方を気に入って頂けたのだと思う。
 これはモチコにとってかなり嬉しいことだった。

 魔法学校時代に魔法が使えない分、座学だけでも頑張った甲斐があったというものだ。


 しばらく本の分類作業に没頭していると、今日の分の仕事がすべて完了した。
 いよいよお待ちかねの時間だ。
 モチコは仕事のやり残しがないことを確認すると、魔窟の鍵を持って書庫の奥へと向かう。
 広い書庫のいちばん奥に、その扉はあった。

 妙な光沢のある金属で出来た重厚な扉。
 持ってきた鍵を、鍵穴に差し込んで回してみる。
 すると、拍子抜けなほど、ほとんど力を入れずとも軽やかに回った。

 だがその直後、その軽さに不釣り合いなドゴォーンという重低音が響いて、大きな扉全体が不規則に震えだす。

「うわぁ……」

 目の前の扉が、意思があるかのように口を開いた。
 まるで、空腹の魔物が獲物を招き入れるために、自ら大きく口を開けたみたいだった。
 扉が不規則にきしむ音が、腹の虫を鳴り響かせているようにも聞こえる。
 奥からは、深い暗闇のにおいが漂ってきた。

 モチコは魔窟の怪談めいた噂話を思い出して、入るのを躊躇した。
 が、悩んだ末に好奇心が勝ち、魔物の口に飛び込んだ。


 部屋に踏み込んだモチコが最初に感じたのは、ひんやりとした冷気だった。
 よく言えば涼しいが、長時間いたら寒いほどの冷たさだ。

 魔窟の中は真っ暗だった。
 照明がどこかにあるはずだと思い、扉の近くを探っていると、ガチャリと音がする。
 気がつくと、触れてもいないのに扉がひとりでに――。
 閉まっていた。

「ひぃぃっ!!」

 モチコが慌てて扉に駆け寄ると、扉は問題なくふたたび開いてくれた。
 閉じ込められたりはしていないらしい。

 ふう、と大きく息を吐きながら、落ち着きを取り戻す。
 おでこと背中が、冷や汗でぐっちょり濡れていた。

 半開きの扉を見上げると、扉の魔窟側の部分に、手持ちの魔導ランプが吊り下げてあるのを見つけた。
 モチコは魔導ランプを手に取って灯りをつけると、今度は自分で扉を閉めてから、魔窟の中へと踏み込んでいった。


 灯りを得て見えるようになった魔窟の中は、ぐちゃぐちゃだった。
 本が増えるたびに増改築を繰り返したというこの部屋は、迷路のように入り組んでいる。
 どこもかしこも本だらけで、そこが本棚なのか、床に本が積んであるだけなのかも分からない。
 窓はひとつもなく、ひんやりした空気はどこへも流れずに、永い時間ここへ留まっているようだった。

 今日はあまり奥へはいかないでおこうと心に誓いつつ、入口付近の本棚を見る。
 並んだ本の背表紙をざっと見ただけでも、興味をそそられるタイトルが山ほどあった。

「聞いたことのない魔法の本だらけだ……」

 ほかにも、名著と言われているが高価で買えなかった本、魔法学校の図書館にもないような古い時代の魔法書なんかもある。
 モチコは先ほどの冷や汗をすっかり忘れ、お宝の山を見つけた興奮でいっぱいになっていた。

 宝が山盛りすぎて、どこから手を付けたらよいか分からなくなり、今日は本棚ひとつ分の背表紙だけチェックすることにする。
 入口のすぐ近くに、割ときれいに整理されている本棚があった。
 モチコはその本棚を上から順番に眺めていく。

 すると、重厚な魔法書が並んでいる中に、ひとつだけ毛色の違う本があることに気づいた。

「お? なんだろこれ?」

 その本だけ、周りに比べて薄くて小さいサイズで、背表紙にはタイトルが書かれていなかった。
 本棚から抜き出して手に取ってみると、表紙には小さな魔女と子供のドラゴンらしき絵が描かれている。
 タイトルはそのまま『魔女子(まじょこ)とコドモドラゴン』とあった。
 パラパラと本をめくって見ると、子供向けの絵本のようだ。

「幼少期の魔法学習につかう本、とかかな? ……ん、何か不思議なにおいがする」

 その本の古びた紙の上から、深い森林を思わせるような香りが漂ってくる。
 森の中に煙っている霧のようでいて、わずかに香辛料のような刺激と甘さも感じる独特な香り。
 モチコはこの神秘的な香りをしばし確かめたあと、絵本をそっと閉じて本棚へ戻した。

 この絵本がいったいどういう意味を持つ本なのかは分からない。
 だが、魔窟の本棚にある以上、大切な本であることは間違いないだろう。
 いつかはこの絵本の謎も解明してみたいものだ。

「よし、今日はここまでにしますか」

 そろそろ時間が近づいてきたので、モチコは魔窟を出て扉の鍵を閉め、図書館を後にした。

 外に出ると、魔窟のひんやりした空気とは打って変わって、夏の暑さが身体を包む。
 魔窟の中にいたあの短い時間が、まるで別の世界のことだったように感じた。


 今日の仕事を終え、私服に着替えたモチコは、魔導トロッコに乗って家路につく。
 トロッコの椅子で揺られながら本を読んでいると、開いたページの上に夕日が差し込んできた。
 顔を上げると、トロッコの線路が海沿いに出たところで、ガラス窓の向こうに夕日に輝く海が見える。

 モチコは本を閉じ、来ていた服の裾をつまんで、窓ガラスを磨いてみた。
 海沿いを走るトロッコのなかに、きゅっ、といい音が響いた。


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 貴族のお屋敷というのは、本がたくさんある。
 書斎や図書室があることも珍しくない。
 だが、このグランシュタイン家にあるのは『図書館』だ。
 独立した建物になっているし、個人が所有するにしては規模があまりにも大きい。
 なぜこれほど巨大なのか。
 グランシュタイン家が代々受け継いできた、貴重な本がたくさんあるから……というのは少しだけ正解。
 本当の理由は、この屋敷の現当主である奥様、ヴェネルシア様にある。
「よっこらしょいっと」
 モチコはかけ声とともに、ロビーのテーブルに無造作に置かれていた本を両手で抱えた。
 その大きくて重い本を持ったまま、書庫へと入る。
 書庫には、ぎっしりと本が詰まった本棚が、果てしなく並んでいた。
 入ってすぐのところには、床から本が積みあげられて、本の塔ができている。
 モチコは抱えていた本を、その塔のてっぺんに重ねて置いた。
「よーし、やるぞぉ」
 まずは掃除だ。雑巾とモップを使って、本棚や床を磨いていく。
 湿気が残るとカビの原因になったりして本によくないので、洗剤は最小限にして、乾拭きを念入りに。
 もちろん、窓ガラスをきゅきゅっと磨くことも忘れない。
 掃除が終わったら、次は本の管理だ。
 新しい本の目録をつくったり、図書館のあちこちに散らばった本を、適切な本棚に戻したりする。
 この図書館は基本的に奥様専用だ。
 奥様はとにかく大量に本を読む。
 そして本をしまう時間も惜しいのか、読んだ先から本をそこらに放り出したまま、次の本を読み続ける。
 そのため、図書館にはいつも、大量の本が散らばっているのだ。
 魔法学校時代は学校一の読書家であったと自負しているモチコだが、それでも奥様の読書量の多さには驚かされる。
「今日も、たくさん散らばってますなあ」
 モチコは、床から高く積まれた本の塔を見てつぶやいた。
 この塔の上にある本から片付けていくことにしよう。
 この作業が、モチコにとって一番の腕の見せどころだ。
 本を適切に分類して、本棚に収める、という作業。
 適切に分類する、というのが結構難しい。
 本の中身をざっと確認して、なるべくテーマが近い本棚のところに収める。
 簡単な作業に思えるが、これがなかなかセンスがいる。
 まず、本の内容をなるべく正確に理解しないといけない。
 さらに、それが何というジャンルなのかを、知っていなければならない。
「これは魔法学の本だな。基礎魔法学と応用魔法学だと、どっちだ……?」
 魔法について書かれているのに、テーマとしては哲学や宗教学という本もあったりするので、油断ならない。
 余談だが、前に『大魔法時代における夜伽の秘技・基礎編』なんて本もあって、まだまだ知らない世界があると痛感したこともあった。(とても勉強になりました)
 そんなわけで、モチコは持っている知識を総動員して、本の分類に精を出していた。
 奥様が『本の置き方が美しい』と褒めて下さったのは、本がきれいに並んでいるという意味ではなく、本棚の分類の仕方を気に入って頂けたのだと思う。
 これはモチコにとってかなり嬉しいことだった。
 魔法学校時代に魔法が使えない分、座学だけでも頑張った甲斐があったというものだ。
 しばらく本の分類作業に没頭していると、今日の分の仕事がすべて完了した。
 いよいよお待ちかねの時間だ。
 モチコは仕事のやり残しがないことを確認すると、魔窟の鍵を持って書庫の奥へと向かう。
 広い書庫のいちばん奥に、その扉はあった。
 妙な光沢のある金属で出来た重厚な扉。
 持ってきた鍵を、鍵穴に差し込んで回してみる。
 すると、拍子抜けなほど、ほとんど力を入れずとも軽やかに回った。
 だがその直後、その軽さに不釣り合いなドゴォーンという重低音が響いて、大きな扉全体が不規則に震えだす。
「うわぁ……」
 目の前の扉が、意思があるかのように口を開いた。
 まるで、空腹の魔物が獲物を招き入れるために、自ら大きく口を開けたみたいだった。
 扉が不規則にきしむ音が、腹の虫を鳴り響かせているようにも聞こえる。
 奥からは、深い暗闇のにおいが漂ってきた。
 モチコは魔窟の怪談めいた噂話を思い出して、入るのを躊躇した。
 が、悩んだ末に好奇心が勝ち、魔物の口に飛び込んだ。
 部屋に踏み込んだモチコが最初に感じたのは、ひんやりとした冷気だった。
 よく言えば涼しいが、長時間いたら寒いほどの冷たさだ。
 魔窟の中は真っ暗だった。
 照明がどこかにあるはずだと思い、扉の近くを探っていると、ガチャリと音がする。
 気がつくと、触れてもいないのに扉がひとりでに――。
 閉まっていた。
「ひぃぃっ!!」
 モチコが慌てて扉に駆け寄ると、扉は問題なくふたたび開いてくれた。
 閉じ込められたりはしていないらしい。
 ふう、と大きく息を吐きながら、落ち着きを取り戻す。
 おでこと背中が、冷や汗でぐっちょり濡れていた。
 半開きの扉を見上げると、扉の魔窟側の部分に、手持ちの魔導ランプが吊り下げてあるのを見つけた。
 モチコは魔導ランプを手に取って灯りをつけると、今度は自分で扉を閉めてから、魔窟の中へと踏み込んでいった。
 灯りを得て見えるようになった魔窟の中は、ぐちゃぐちゃだった。
 本が増えるたびに増改築を繰り返したというこの部屋は、迷路のように入り組んでいる。
 どこもかしこも本だらけで、そこが本棚なのか、床に本が積んであるだけなのかも分からない。
 窓はひとつもなく、ひんやりした空気はどこへも流れずに、永い時間ここへ留まっているようだった。
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 並んだ本の背表紙をざっと見ただけでも、興味をそそられるタイトルが山ほどあった。
「聞いたことのない魔法の本だらけだ……」
 ほかにも、名著と言われているが高価で買えなかった本、魔法学校の図書館にもないような古い時代の魔法書なんかもある。
 モチコは先ほどの冷や汗をすっかり忘れ、お宝の山を見つけた興奮でいっぱいになっていた。
 宝が山盛りすぎて、どこから手を付けたらよいか分からなくなり、今日は本棚ひとつ分の背表紙だけチェックすることにする。
 入口のすぐ近くに、割ときれいに整理されている本棚があった。
 モチコはその本棚を上から順番に眺めていく。
 すると、重厚な魔法書が並んでいる中に、ひとつだけ毛色の違う本があることに気づいた。
「お? なんだろこれ?」
 その本だけ、周りに比べて薄くて小さいサイズで、背表紙にはタイトルが書かれていなかった。
 本棚から抜き出して手に取ってみると、表紙には小さな魔女と子供のドラゴンらしき絵が描かれている。
 タイトルはそのまま『|魔女子《まじょこ》とコドモドラゴン』とあった。
 パラパラと本をめくって見ると、子供向けの絵本のようだ。
「幼少期の魔法学習につかう本、とかかな? ……ん、何か不思議なにおいがする」
 その本の古びた紙の上から、深い森林を思わせるような香りが漂ってくる。
 森の中に煙っている霧のようでいて、わずかに香辛料のような刺激と甘さも感じる独特な香り。
 モチコはこの神秘的な香りをしばし確かめたあと、絵本をそっと閉じて本棚へ戻した。
 この絵本がいったいどういう意味を持つ本なのかは分からない。
 だが、魔窟の本棚にある以上、大切な本であることは間違いないだろう。
 いつかはこの絵本の謎も解明してみたいものだ。
「よし、今日はここまでにしますか」
 そろそろ時間が近づいてきたので、モチコは魔窟を出て扉の鍵を閉め、図書館を後にした。
 外に出ると、魔窟のひんやりした空気とは打って変わって、夏の暑さが身体を包む。
 魔窟の中にいたあの短い時間が、まるで別の世界のことだったように感じた。
 今日の仕事を終え、私服に着替えたモチコは、魔導トロッコに乗って家路につく。
 トロッコの椅子で揺られながら本を読んでいると、開いたページの上に夕日が差し込んできた。
 顔を上げると、トロッコの線路が海沿いに出たところで、ガラス窓の向こうに夕日に輝く海が見える。
 モチコは本を閉じ、来ていた服の裾をつまんで、窓ガラスを磨いてみた。
 海沿いを走るトロッコのなかに、きゅっ、といい音が響いた。