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第7話 もう俺はネオジム磁石じゃない

ー/ー



名字を捨てる。
言葉にすれば簡単だが、二十年以上「大府」として、あるいは「大不幸」として生きてきた俺にとって、それは自分の半身を削ぎ落とすような感覚だった。
門をくぐって街の大通りを歩きながら、俺は何度も自分の感覚を確認してしまう。

「……なんか、変な感じだ。スースーする」

「いいじゃない、通気性が良くなったのよ。おめでとう、コウ君。今日からあなたは、ただの幸せな男の子ね」

頭の中に響くサティアの声は、お気楽モードに戻っていた。
幸せな男の子、ね。
そんなお花畑で異世界を生き抜けるとは思えない。
俺のダイフコウ・クオリティーがそんなに簡単に消えていくわけはない。

そんなことを考えながら角を曲がった、その時だった。

ガギィィィン!!

頭上で嫌な金属音が響いた。
見上げれば、俺の真横の建物の古びたでかい看板が、片方の鎖を引きちぎって自由落下を開始していた。
直撃コースだ。
俺は反射的に身をすくめ、次に訪れるであろう衝撃と激痛を覚悟した。
ああ、やっぱりだ。名字を捨てたところで、俺の頭上には常に何かが降ってくるようにできているんだ。

だが。

ドォォォォン!!

「……え?」

すぐ近くで大きな音がしたが、痛みはない。
恐る恐る目を開けると、巨大な鉄製の看板が建物の壁に穴を開け、俺の鼻先数センチのところで揺れていた。
看板を留めていたもう片方の鎖が、奇跡的に、本当にギリギリのところで繋ぎ止められていたのだ。
看板はブラブラと虚空で揺れ、俺の鼻先をかすめるように風を切っている。

「うわっ、危ねえ! おい、兄ちゃん大丈夫か!?」
「すげえな、あれで当たらないなんて。あいつ、めちゃくちゃ運がいいぞ!」

通りかかった街の人たちが口々に叫ぶ。
運がいい?
俺が?
看板が落ちてきて、死にかけたこの俺が、運がいいだと?

「ね? 言ったでしょ。不幸を呼びよせる力が弱まったのよ。今までのあなたなら、鎖は両方千切れて、看板はあなたの脳天を正確に粉砕してたわ。でも今は、ほら。ギリギリで回避できる『余地』が生まれてるの」

サティアが誇らしげに言う。
不運そのものが消えたわけではないが、致命傷を避ける隙間ができた。
それを運がいいと形容されるのは違和感がある。

ネオジム磁石が普通の磁石に変わっても鉄を引き付けることは変わらないじゃないか。

実際、ちょうど俺がそばを通るタイミングを見計らって留め具が外れて、重い看板が落ちて来たじゃないか。当たらないのは、全ての金具が同じように劣化するわけではないという、非常に高い確率の結果だ。運が良くなったわけじゃない。そう簡単に俺の不運確率は変わらないということだろ。

「……とにかく、まずは金だ。このままじゃ今夜の宿も探せない」

俺は揺れている看板を横目に、気を取り直して歩き出した。
目指すは、この手のファンタジー世界の定番、冒険者ギルドだ。

「そうね。じゃあコウ君、歩きながら練習しましょうよ。ちゃんとお金を手に入れることをイメージして。イノシシを倒した時みたいに、ビジュアライゼーションよ!」

サティアが無邪気に提案してくるが、俺は即座に眉をひそめた。

「無茶を言うな。俺はこの世界のお金なんて見たこともないんだぞ。円なのかドルなのか、はたまた金貨なのか銀貨なのか。形も重さも質感も分からないものの解像度をどうやって上げろって言うんだ」

「そこはフィーリングよ! キラキラしてて、チャリンって音がして、持ってるとワクワクする感じ!」

「物理的な定義が一つもないじゃないか! サティアの言うビジュアライゼーションは、俺に言わせれば脳内シミュレーションなんだぞ。入力データがゼロの状態で、どうやって演算結果を出せと? 想像で補完した偽データでシミュレーションしたら、それこそ何が起こるか分かったもんじゃない。金色の石ころが頭に直撃して死ぬ未来しか見えないぞ」

俺の正論に、サティアは「相変わらず可愛くない理屈ねえ」と溜息をついた。
だが、俺には確信があった。
ギルドという場所に行けば、俺は確実に荒くれ者に絡まれる。それは異世界のギルドという方程式の変数に俺という値を入れれば、当然に導き出される答えだ。

それがわかっていて、なぜ俺はギルドへ向かうのか?
もちろん金が欲しいというのはあるが、これは通過儀礼でもある。絡んでくるところまでは確定だが、それは大半の転生者が通る道だ。そこでの出会いなどを通じて異世界へと受け入れられていくのがお決まりだ。

…さて俺の場合、絡まれた後どうする? 俺は何とか無事にお金を手に入れるためのシミュレーションを開始した。
しかし何故か、無事に事態が収まって、にこやかに依頼を受けるような可能性は想像できない。そんな都合の良いストーリーを俺の理性は許さないのだ。

「もう…おかしな想像ばかりしないで…いい感じのストーリーが想像できないなら、そんなのすっ飛ばして、金貨を手にするところだけ想像して。金貨なら何でもいいから。金色に光ってる丸いお金よ。わかるでしょ」

サティアが俺のシミュレーションにケチをつける。勝手に覗くなよな、まだランダムに可能性を探っているだけなんだから。

とはいえ、シミュレーションの方向が定まらないのも事実だ。俺は諦めて金貨の事を想像した。

木の板の上でクルクル回っている金貨だ。何故回しているかって? それは模様を想定しなくて済むようにだ。金貨ってのは回転していればどれも同じに見えるんだ。

頭の中で金貨を回しながらギルドに到着した俺を待ち受けていたのは……



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名字を捨てる。
言葉にすれば簡単だが、二十年以上「大府」として、あるいは「大不幸」として生きてきた俺にとって、それは自分の半身を削ぎ落とすような感覚だった。
門をくぐって街の大通りを歩きながら、俺は何度も自分の感覚を確認してしまう。
「……なんか、変な感じだ。スースーする」
「いいじゃない、通気性が良くなったのよ。おめでとう、コウ君。今日からあなたは、ただの幸せな男の子ね」
頭の中に響くサティアの声は、お気楽モードに戻っていた。
幸せな男の子、ね。
そんなお花畑で異世界を生き抜けるとは思えない。
俺のダイフコウ・クオリティーがそんなに簡単に消えていくわけはない。
そんなことを考えながら角を曲がった、その時だった。
ガギィィィン!!
頭上で嫌な金属音が響いた。
見上げれば、俺の真横の建物の古びたでかい看板が、片方の鎖を引きちぎって自由落下を開始していた。
直撃コースだ。
俺は反射的に身をすくめ、次に訪れるであろう衝撃と激痛を覚悟した。
ああ、やっぱりだ。名字を捨てたところで、俺の頭上には常に何かが降ってくるようにできているんだ。
だが。
ドォォォォン!!
「……え?」
すぐ近くで大きな音がしたが、痛みはない。
恐る恐る目を開けると、巨大な鉄製の看板が建物の壁に穴を開け、俺の鼻先数センチのところで揺れていた。
看板を留めていたもう片方の鎖が、奇跡的に、本当にギリギリのところで繋ぎ止められていたのだ。
看板はブラブラと虚空で揺れ、俺の鼻先をかすめるように風を切っている。
「うわっ、危ねえ! おい、兄ちゃん大丈夫か!?」
「すげえな、あれで当たらないなんて。あいつ、めちゃくちゃ運がいいぞ!」
通りかかった街の人たちが口々に叫ぶ。
運がいい?
俺が?
看板が落ちてきて、死にかけたこの俺が、運がいいだと?
「ね? 言ったでしょ。不幸を呼びよせる力が弱まったのよ。今までのあなたなら、鎖は両方千切れて、看板はあなたの脳天を正確に粉砕してたわ。でも今は、ほら。ギリギリで回避できる『余地』が生まれてるの」
サティアが誇らしげに言う。
不運そのものが消えたわけではないが、致命傷を避ける隙間ができた。
それを運がいいと形容されるのは違和感がある。
ネオジム磁石が普通の磁石に変わっても鉄を引き付けることは変わらないじゃないか。
実際、ちょうど俺がそばを通るタイミングを見計らって留め具が外れて、重い看板が落ちて来たじゃないか。当たらないのは、全ての金具が同じように劣化するわけではないという、非常に高い確率の結果だ。運が良くなったわけじゃない。そう簡単に俺の不運確率は変わらないということだろ。
「……とにかく、まずは金だ。このままじゃ今夜の宿も探せない」
俺は揺れている看板を横目に、気を取り直して歩き出した。
目指すは、この手のファンタジー世界の定番、冒険者ギルドだ。
「そうね。じゃあコウ君、歩きながら練習しましょうよ。ちゃんとお金を手に入れることをイメージして。イノシシを倒した時みたいに、ビジュアライゼーションよ!」
サティアが無邪気に提案してくるが、俺は即座に眉をひそめた。
「無茶を言うな。俺はこの世界のお金なんて見たこともないんだぞ。円なのかドルなのか、はたまた金貨なのか銀貨なのか。形も重さも質感も分からないものの解像度をどうやって上げろって言うんだ」
「そこはフィーリングよ! キラキラしてて、チャリンって音がして、持ってるとワクワクする感じ!」
「物理的な定義が一つもないじゃないか! サティアの言うビジュアライゼーションは、俺に言わせれば脳内シミュレーションなんだぞ。入力データがゼロの状態で、どうやって演算結果を出せと? 想像で補完した偽データでシミュレーションしたら、それこそ何が起こるか分かったもんじゃない。金色の石ころが頭に直撃して死ぬ未来しか見えないぞ」
俺の正論に、サティアは「相変わらず可愛くない理屈ねえ」と溜息をついた。
だが、俺には確信があった。
ギルドという場所に行けば、俺は確実に荒くれ者に絡まれる。それは異世界のギルドという方程式の変数に俺という値を入れれば、当然に導き出される答えだ。
それがわかっていて、なぜ俺はギルドへ向かうのか?
もちろん金が欲しいというのはあるが、これは通過儀礼でもある。絡んでくるところまでは確定だが、それは大半の転生者が通る道だ。そこでの出会いなどを通じて異世界へと受け入れられていくのがお決まりだ。
…さて俺の場合、絡まれた後どうする? 俺は何とか無事にお金を手に入れるためのシミュレーションを開始した。
しかし何故か、無事に事態が収まって、にこやかに依頼を受けるような可能性は想像できない。そんな都合の良いストーリーを俺の理性は許さないのだ。
「もう…おかしな想像ばかりしないで…いい感じのストーリーが想像できないなら、そんなのすっ飛ばして、金貨を手にするところだけ想像して。金貨なら何でもいいから。金色に光ってる丸いお金よ。わかるでしょ」
サティアが俺のシミュレーションにケチをつける。勝手に覗くなよな、まだランダムに可能性を探っているだけなんだから。
とはいえ、シミュレーションの方向が定まらないのも事実だ。俺は諦めて金貨の事を想像した。
木の板の上でクルクル回っている金貨だ。何故回しているかって? それは模様を想定しなくて済むようにだ。金貨ってのは回転していればどれも同じに見えるんだ。
頭の中で金貨を回しながらギルドに到着した俺を待ち受けていたのは……