インド料理のディナーを堪能した
明日美と
藤城皐月は夜の街を少しドライブした後、明日美の家に帰って来た。マンションの前の道は豊川稲荷の樹々に音を吸収されているかのように静かだった。
明日美は駐車場へ車を入れるのに苦労していた。自分の車室の両隣に住人の車が止まっていることを気にしているようだ。レジェンド・クーペにはバックモニターがない。スムーズに車室の真ん中に入れるのは難しいのか、何度もやり直していた。車を駐車し終わると、明日美は少しぐったりとしていた。
「私、車庫入れって苦手なのよね……。こんなに苦労するのなら、新車の軽にしておけばよかった」
「でもさ、車庫入れってなんか面白そうじゃん。一発で決まったら、気持ちいいよね」
「失敗できないっていうのはプレッシャーなのよ。隣の車にぶつけると迷惑かけちゃうでしょ? 車が自動で車庫入れしてくれるとありがたいんだけど……」
実際に車を運転することと、ゲームで車を操ることは全く別物なのだろう。現実世界では絶対に失敗が許されない。社会経験の浅い皐月はバーチャルとリアルの違いを過小評価しているものが多い。
車を下りると、皐月は駐車場から部屋に着くまでは無言でいようと思った。夜は話し声が響く。明日美とは禁断の関係なので、目立つわけにはいかない。
エレベーターを降り、明日美の部屋の前まで来た。ドアの鍵を開けている明日美を見て、皐月は緊張が高まった。前にこの部屋に来たときは自分一人だった。女の住む部屋に二人で入るこの状況は大人のロマンスのようだ。
部屋に入ると、明日美は一人で先に奥へ行ってしまった。取り残された皐月が遅れてリビングへ行くと、明日美は衣裳部屋で上着を脱いでいた。
「ねえ、部屋着に着替えてもいい?」
「うん」
「ありがとう。恥ずかしいから、ここ閉めるね」
明日美は開け放されていた戸を閉めた。皐月は荷物を床に置き、ラグマットの上に座って明日美の着替え終わるのを待つことにした。
皐月が明日美の部屋に来るのはこれで二度目だ。今はもう、最初にこの部屋に入った時のような驚きはない。皐月はすでにこの何もない部屋にもう馴染んでいた。
無機質に見えるリビングも、よく見ると生活の痕跡がたくさんある。いつも座っている場所は端っこよりも少しだけマットがくたびれていたり、テーブルの向きが部屋の壁と少しだけ平行がずれている。
気が付くことが多くなるほど、明日美が確かにここで生活をしているということを実感できる。
引き戸が静かに開き、部屋着に着替えた明日美が衣裳部屋から出てきた。
「待たせちゃって、ごめんね」
「えっ!」
明日美のラフな格好に皐月は思わず声を出してしまった。薄いピンクの無地の長袖Tシャツにグレーのスウェットパンツ、足は素足だ。
皐月には明日美が急に子供っぽくなったように見えた。それでもメイクは外出した時のままだったので、そのアンバランスさが妙に
艶めかしい。
「私ね……家ではいつもこんな感じなの」
前に明日美と家で会った時は稽古着だった。あの時はまだ外を歩けるコーデだったが、今の姿ではコンビニに行くのも恥ずかしいセットアップだ。
「くつろいだ格好してても、明日美って世界で一番かわいいよね」
本当はかわいいじゃなく、色っぽいと言いたかった。だが皐月は恥ずかしくて、性を連想させることを言えなかった。
「あれ? 皐月の世界で一番って、久しぶりに聞いたな……。最近は世界で一番きれいって言ってくれなくなったよね」
「それはさ……明日美が綺麗過ぎて言葉を失ってたんだよ。しょうがないじゃん」
皐月の言葉は半ば本心で、半ば嘘だった。
今は以前のように明日美を綺麗だと憧れる関係ではない。美しい明日美とは恋愛関係になったので、言葉よりも先に体に触れることができる。
だが、このことを正直に話すと性衝動を見透かされそうなので、適当なことを言ってごまかすしかない。
「しょうがないのか……。何も言ってもらえないのはちょっと寂しいけど、しょうがないんだね」
明日美が皐月のすぐ隣に座ってきた。
「でもさ……明日美だって俺が『世界で一番かわいい』って言ったのに、昔のようにムギュってして、チュッってしてくれないじゃん」
皐月はわざと拗ねた顔をして見せた。
「……だって、皐月って大きくなっちゃったでしょ? 子供の頃のようにかわいがることなんてできないよ」
「できるよっ!」
皐月は明日美に背中からぶつかるように体を預けた。倒れない程度に体重をかけると、明日美は皐月を抱いて受け止めた。
「俺、大きくなったって言っても、実際は数センチしか背が伸びていないよ。それに、子供の頃のようなことができないんだったら、大人がすることをしてくれればいい」
「大人がすることって言われても……」
明日美の言葉が止まった。続く言葉を待っていても、明日美は何も言おうとしなかった。明日美は皐月から体を離して、向き直った。
「ごめんね。……どうしたらいいのか、わからない」
明日美は弱々しく愛想笑いをした。
「また意地悪を言う……」
「そんなことないよ。本当にわからなくて……んんっ」
皐月は明日美の口をふさぐようにキスをした。
「大人ってこういうことをするんだろ?」
皐月はもう一度、いつも真理にするようなキスをした。祐希にした最後のキスのように、口をこじ開けて舌を入れてみた。
「っ……ちょっと……」
明日美に強く押しのけられた。祐希ですら一瞬でも応えてくれたのに、明日美には反射的に拒絶された。
皐月は激しく動揺した。血の気が引く思いで明日美を見ると、辛そうな顔をしていた。
「ごめんね。皐月の思いに応えてあげられなくて……」
どうして、と聞きたいところを皐月はぐっと我慢をした。もうこれ以上、明日美から子供扱いをされたくはない。
「俺の方こそ、ごめん」
明日美にこんな官能的なキスをするのは初めてだ。真理とは何度もこういう濃厚なキスをしてきたので、大人の明日美なら受け入れてくれるのかと思った。明日美のことを恋人だと思うのはまだ早いのかと思い、悲しくなった。