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第1回

ー/ー



●帰  還

 幻聖宮・南館の屋根飾りをかすめた強い西陽が2人の背を射貫くように差していた。

 足元には、長い長い漆黒の影。幻聖宮を囲うようにあるサキスの町と幻聖宮とを隔てる白壁に設けられた壁門に触れている、縁どりのしっかりした濃い影や、壁に走った無数のひび割れを、白悧(はくり)はぼんやりと見つめていた。

「こんなの、タチの悪い冗談だ」

 ぽつり、つぶやく。

「あいつが帰ってくるなんてさ」

 そんなはずないんだ、との言葉は声に出さず、奥歯でじゃりじゃり噛みつぶす。
 はたして幾度目になるのか。白悧自身、このじめじめと肌に吸いつくような沈黙がうっとうしくて、顔をしかめてしまう。

 こういうのは超苦手だとぼやく彼の隣で、碧凌(みりょう)は無言で閉ざされた門を見ていた。

 周囲の白壁を反射して届く赤光(しゃっこう)すらいかほどのものかと言わんばかりに、深緑の瞳は真っ向からこれを弾く。
 その奥深い光。
 瞳と同じ、深緑の髪を風が吹き流さなければ、鳥たちですら彼が生きていることに気付けないかもしれない。呼吸しているかどうかも判断しかねる完全な静寂が、当然のように彼を包んでいる。

 終始おちつかず、銀色の瞳をあちらこちらへ飛ばしては腕組みした指を動かしたり、身をゆすったりしている白悧と拱手(こうしゅ)したきり身じろぎ一つしない碧凌。

 人の形をとりながら本性は魔断(まだん)という抜き身の剣である2人は、人ならぬ身であることを考慮した上でも到底この世に属するものとは思えないほど麗美な顔立ちをしていたが、その身にまとった色と同じく、態度・表情すら対照的である。

 もちろんそれは表に出ているかいないかの違いだけで、同じ目的でここにいる以上胸を占めているものに大差はないのだが。

「絶対、ありえない」

 沈黙という圧迫感に堪えきれず、またも白悧は胸のもやもやを吐き出す。

 旧友との久方ぶりの再会。それは本来心を明るくさせるものだ。
 感応式を経て操主(そうしゅ)を得た魔断は、ヒスミル大陸で百を超える『国』のいずれかに所属することになる。
 この地を離れたが最後、配属された地で人々を魅魎から守護するという役目を担う以上は、同じ国の同じ地域へ配属されるという軌跡でも起きない限りめったに会えなくなるだけに、顔をあわせる機会ができたなら、それは喜ばしいことだ。

 だが、任地守護の任を解かれた魔断が(ここ)へ戻る理由は、たった1つしかない。

「……っ」

 どうしても思考から排除できないその最悪論に、白悧は頭をかきむしった。

 彼が操主とともにここを離れて、まだ5年しかたっていない。
 魅魎と命がけで闘う退魔師という職は他に類を見ない激務で、もともと長く続けられるものではないが、それでも20年は任務にあたるのが通常。
 ましてや魅魎を唯一断てる剣と、それを操る人間は2人で1つ。互いが半身と言っておがしくない関係だ。愛想づかしされ、暇を言い渡されたと考えるにはかなり無理がある。

 だとすれば、あとはその操主を失ったとしか考えられないではないか。

 事実、任期半ばにそれ以外の理由で戻ってきた魔断を白悧は知らない。
 だから彼が戻ってくると煌綺(こうき)から聞かされたとき、白悧は真っ先にそれを連想して息を詰めた。
 その一瞬に体温がどこかへ引いてしまって、冷たいものが背を伝ったのをはっきりと覚えている。
 そしていまだその感覚は払拭しきれていなかった。

 思いすごしであればいいと思う。これは自分の早合点で、実はなんでもないことなのだと。
 戻ってくるとしても、それは数日休暇をもらっただけのことで、「伝達がどこかで間違って届いたんだね」と笑ってくれたなら。

 そうすればきっとこの腹の底にたまった鉛のようなつかえは跡形もなく消え失せて、「肝が冷えたぞ」と笑って背をたたいて、彼を迎えることができるだろうに。

 まさに夢だ。

「帰ろうぜ」

 門に背を向けて、腕を頭の後ろへ回す。

「もう閉門だ。見ろよ、門番だって(かんぬき)に手がけてるじゃないか。これ以上ここにいたって意味がない。
 だれも来るもんか。やっぱりうそっぱちだったんだよ、あいつが戻ってくるなんて。
 ったく、よりによってなんてうそをつきやがったんだ、煌綺のやつ! 冗談じゃすまないぞ! ここにいたら今すぐ殴ってやるのに!」

 めいっぱい、声を強めて言う。それ以外の言葉が聞こえてくるのを恐れるように。

「きっとあいつ、今ごろ自分のミスに気付いて、執務室で青い顔であたふたして、気をもみながらおれたちを待ってるだろうさ。だから――」

 一刻も早くこの場から立ち去ってしまおう。
 こんな、ざらざらと棒で胸の中をかきまぜられるような思いはもうたくさんだ。

 碧凌は異論を発しない。それは誤りであるととがめる声はどこからも聞こえてこない。
 カラ元気で口にした、この言葉が真実であると白悧も納得しかけた、まさにそのとき。

 祈らんばかりの願いをこなごなに打ち砕いて、門塔にいた門守が、閂を下ろしかけた門番に開門の指示を出した。「入宮を求める者が来た」と、そう告げて。

 まさかと振り返った白悧と碧凌の視線が集中した先で、重いきしみ音をたてながら分厚い門が引き開かれた。

 ちょうど人1人が通れるだけ開いた空間から強い向かい風が吹きこんで、人の形をした影が長く伸びる。
 まぶしい夕日を背に人の形にくり抜かれた影が、引き開かれた門扉の間でぼんやりと浮かびあがっていて……。

 斜陽に照らされた湖面のように光を弾く、ゆるやかなくだり坂を背に、そこに立った真夏の空色の髪をした青年は。

「やあ、2人とも。ひさしぶりだね」

 にこやかに、自分を出迎えに来てくれていると信じて疑わない、親友2人に向かってそう告げた。


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みんなのリアクション

●帰  還
 幻聖宮・南館の屋根飾りをかすめた強い西陽が2人の背を射貫くように差していた。
 足元には、長い長い漆黒の影。幻聖宮を囲うようにあるサキスの町と幻聖宮とを隔てる白壁に設けられた壁門に触れている、縁どりのしっかりした濃い影や、壁に走った無数のひび割れを、|白悧《はくり》はぼんやりと見つめていた。
「こんなの、タチの悪い冗談だ」
 ぽつり、つぶやく。
「あいつが帰ってくるなんてさ」
 そんなはずないんだ、との言葉は声に出さず、奥歯でじゃりじゃり噛みつぶす。
 はたして幾度目になるのか。白悧自身、このじめじめと肌に吸いつくような沈黙がうっとうしくて、顔をしかめてしまう。
 こういうのは超苦手だとぼやく彼の隣で、|碧凌《みりょう》は無言で閉ざされた門を見ていた。
 周囲の白壁を反射して届く|赤光《しゃっこう》すらいかほどのものかと言わんばかりに、深緑の瞳は真っ向からこれを弾く。
 その奥深い光。
 瞳と同じ、深緑の髪を風が吹き流さなければ、鳥たちですら彼が生きていることに気付けないかもしれない。呼吸しているかどうかも判断しかねる完全な静寂が、当然のように彼を包んでいる。
 終始おちつかず、銀色の瞳をあちらこちらへ飛ばしては腕組みした指を動かしたり、身をゆすったりしている白悧と|拱手《こうしゅ》したきり身じろぎ一つしない碧凌。
 人の形をとりながら本性は|魔断《まだん》という抜き身の剣である2人は、人ならぬ身であることを考慮した上でも到底この世に属するものとは思えないほど麗美な顔立ちをしていたが、その身にまとった色と同じく、態度・表情すら対照的である。
 もちろんそれは表に出ているかいないかの違いだけで、同じ目的でここにいる以上胸を占めているものに大差はないのだが。
「絶対、ありえない」
 沈黙という圧迫感に堪えきれず、またも白悧は胸のもやもやを吐き出す。
 旧友との久方ぶりの再会。それは本来心を明るくさせるものだ。
 感応式を経て|操主《そうしゅ》を得た魔断は、ヒスミル大陸で百を超える『国』のいずれかに所属することになる。
 この地を離れたが最後、配属された地で人々を魅魎から守護するという役目を担う以上は、同じ国の同じ地域へ配属されるという軌跡でも起きない限りめったに会えなくなるだけに、顔をあわせる機会ができたなら、それは喜ばしいことだ。
 だが、任地守護の任を解かれた魔断が|宮《ここ》へ戻る理由は、たった1つしかない。
「……っ」
 どうしても思考から排除できないその最悪論に、白悧は頭をかきむしった。
 彼が操主とともにここを離れて、まだ5年しかたっていない。
 魅魎と命がけで闘う退魔師という職は他に類を見ない激務で、もともと長く続けられるものではないが、それでも20年は任務にあたるのが通常。
 ましてや魅魎を唯一断てる剣と、それを操る人間は2人で1つ。互いが半身と言っておがしくない関係だ。愛想づかしされ、暇を言い渡されたと考えるにはかなり無理がある。
 だとすれば、あとはその操主を失ったとしか考えられないではないか。
 事実、任期半ばにそれ以外の理由で戻ってきた魔断を白悧は知らない。
 だから彼が戻ってくると|煌綺《こうき》から聞かされたとき、白悧は真っ先にそれを連想して息を詰めた。
 その一瞬に体温がどこかへ引いてしまって、冷たいものが背を伝ったのをはっきりと覚えている。
 そしていまだその感覚は払拭しきれていなかった。
 思いすごしであればいいと思う。これは自分の早合点で、実はなんでもないことなのだと。
 戻ってくるとしても、それは数日休暇をもらっただけのことで、「伝達がどこかで間違って届いたんだね」と笑ってくれたなら。
 そうすればきっとこの腹の底にたまった鉛のようなつかえは跡形もなく消え失せて、「肝が冷えたぞ」と笑って背をたたいて、彼を迎えることができるだろうに。
 まさに夢だ。
「帰ろうぜ」
 門に背を向けて、腕を頭の後ろへ回す。
「もう閉門だ。見ろよ、門番だって|閂《かんぬき》に手がけてるじゃないか。これ以上ここにいたって意味がない。
 だれも来るもんか。やっぱりうそっぱちだったんだよ、あいつが戻ってくるなんて。
 ったく、よりによってなんてうそをつきやがったんだ、煌綺のやつ! 冗談じゃすまないぞ! ここにいたら今すぐ殴ってやるのに!」
 めいっぱい、声を強めて言う。それ以外の言葉が聞こえてくるのを恐れるように。
「きっとあいつ、今ごろ自分のミスに気付いて、執務室で青い顔であたふたして、気をもみながらおれたちを待ってるだろうさ。だから――」
 一刻も早くこの場から立ち去ってしまおう。
 こんな、ざらざらと棒で胸の中をかきまぜられるような思いはもうたくさんだ。
 碧凌は異論を発しない。それは誤りであるととがめる声はどこからも聞こえてこない。
 カラ元気で口にした、この言葉が真実であると白悧も納得しかけた、まさにそのとき。
 祈らんばかりの願いをこなごなに打ち砕いて、門塔にいた門守が、閂を下ろしかけた門番に開門の指示を出した。「入宮を求める者が来た」と、そう告げて。
 まさかと振り返った白悧と碧凌の視線が集中した先で、重いきしみ音をたてながら分厚い門が引き開かれた。
 ちょうど人1人が通れるだけ開いた空間から強い向かい風が吹きこんで、人の形をした影が長く伸びる。
 まぶしい夕日を背に人の形にくり抜かれた影が、引き開かれた門扉の間でぼんやりと浮かびあがっていて……。
 斜陽に照らされた湖面のように光を弾く、ゆるやかなくだり坂を背に、そこに立った真夏の空色の髪をした青年は。
「やあ、2人とも。ひさしぶりだね」
 にこやかに、自分を出迎えに来てくれていると信じて疑わない、親友2人に向かってそう告げた。