明日美に笑顔が戻った。どうやら明日美は道順に自信がなくて心に余裕がなかったようだ。
藤城皐月は自分のスマホにケーブルを繋ぎ、音楽配信にある自分の好きな曲を集めたプレイリストの曲を流すことにした。
「自分の好きな曲を聴かせるのは、自分の心をさらけ出しているみたいで恥ずかしいな……」
「さらけ出せばいいじゃない。私はどんな恥ずかしい皐月でも好きよ」
「本当?」
明日美が口にした言葉は皐月が
入屋千智に告白した時と同じ構文だった。
明日美が自分のことをどのくらい好きなのか不安だったが、この言葉を聞いて安心した。自分が千智のことを好きだと思うくらいには、自分も明日美に愛されていることがわかったからだ。
皐月はプレイリストの中から暗示的な曲を選んだ。『
≠ME』の『君はこの夏、恋をする』だ。皐月はこの夏、たくさんの恋をした。
「明るい曲だね。流れるようなメロディーが心地いいな。私、この曲好きだよ」
プレイリストをシティーポップからアイドルに変え、皐月は寂しさから解放されたような気分になった。大人の音楽もいいけれど、自分はアイドルが似合うまだ子供だ。
「で、皐月はこの夏、恋をしたの?」
こういう質問をされることは、この曲を選ぶ時に覚悟をしていた。もしかしたら自分はきわどい会話を望んでいたのかもしれない……。
「したよ」
皐月は明日美と恋の話をすることで、自分のこれからの身の振り方をはっきりさせようと考えた。
「へぇ……よかったね」
肩透かしを食らったような気がした。皐月は明日美に恋の相手を追及されるのかと思っていた。
「俺、この夏は明日美に恋をしたんだからね」
「……ありがとう」
明日美はあまり嬉しそうではなかった。何か重大なミスをしたんじゃないかと不安になった。
「皐月の家には女子高生の
祐希ちゃんがいるよね。彼女には恋をしなかったの?」
試されてるな、と思った。なんて答えたらいいのか、すぐに答えを出さなければならない。見え透いたことを言っても、芸妓の明日美には即座に見抜かれるだろう。
「……少しは、したかな」
明日美の顔が晴れやかになった。
「やっぱりな〜。この前のビデオ通話でチラッと顔が見えた子がそうだよね。かわいい子だなって思ったんだ。皐月が恋しちゃっても仕方ないよね〜」
及川祐希の存在は明日美にはすでに知られている。祐希の母の頼子と明日美は芸妓繋がりで交流がある。
明日美は祐希のことで探りを入れたかったのかな、と皐月は考えた。それならば、いい感じに答えられたと思った。
「ときめきは衝動的だもんね。
疼く心は抑えられないよね」
「明日美、もう歌詞を覚えちゃったの?」
「印象的なフレーズしか覚えていないけどね。じゃあさ、この夏、皐月に恋をした女の子っていると思う?」
また明日美が試しにきた。今度は自分の気持ちを言う必要がないので、気が楽だ。それに皐月には明日美の聞きたいことの見当がついている。
「さあ? どうだろう?」
「前、一緒に帰ってた子なんて皐月に恋しているように見えたよ?」
「あいつが? それはねーよ」
やはり
江嶋華鈴のことだった。明日美は華鈴のことを気にしていたようだ。
「あの子、皐月に恋していると思うんだけどな……」
そうなんじゃないか、と皐月も感付いていた。だが確信はなかったし、自分の自惚れじゃないかとも思った。
それを明日美は一目で看破した。ただ見破られてはいけないのは、皐月が華鈴に対して抱いている仄かな恋心だ。
「あいつとはよく喧嘩するし、委員会でも怒られてばかりだ。恋愛とは程遠いよ」
「ふ〜ん」
皐月には明日美の考えていることがわからなかった。少なくとも嫉妬しているようには感じられなかったが、何らかの不満があることは感じられた。
「まあ、皐月が学校で楽しそうにしててよかった」
明日美のこの言葉によって緊張の続いた会話が終わった。釈然としない気持ちは残ったが、返答に苦しくなる前に会話を打ち切ってもらえたことに皐月は救われた。自分のこれからの身の振り方をはっきりさせるどころではなくなっていた。
車が中心街に近づくにつれて、路面に周囲の背の高い建物が影を落とし始めた。郊外を走っている時には気付かなかったが、すでに陽が傾きかけていた。レジェンド・クーペの車内も気付けばすっかり暗くなっていた。
薄暗がりの中、車の運転をしている明日美の顔が優しい大人の顔から妖艶な大人の顔に変わっていた。俺はこんな女と付き合えるのか……と、皐月はある種の戦慄を覚えた。
「明日美」
「……何?」
「暗くなってきたね」
「そうだね。そろそろライトをつけた方がいいかな」
ヘッドライトをつけている車とすれ違うことが多くなってきた。皐月はこのありきたりの会話にまた救われた。明日美はいつも通りの明日美だった。