次の日、学校が終わると
藤城皐月は誰よりも早く教室を出た。前の席にいる
栗林真理には不審を抱かれないように気をつけなければならい。真理のことを思うと、これから
芸妓の
明日美と会うことに罪悪感を覚える。
家に帰る途中で
検番に寄った。芸妓組合長の
京子に明日美の家に行った報告をし、家の中での様子を話した。
京子は明日美の暮らしぶりを知らなかったので、皐月の話を興味深く聞いていた。役割は無事に果たせたようで、これからも明日美を気にかけてほしいと頼まれた。一通り話し終わると、皐月はすぐに検番を出た。
家に帰ると、母の
小百合も住み込みの
及川頼子も一階にはいなかった。階段を上がっていると、二階の左手から頼子が顔を出した。
「皐月ちゃん、おかえり」
「ただいま。頼子さん、部屋にいたんだ」
皐月は階段の半ばで頼子を見上げた。
「小百合と二人でお茶をしながらお喋りしていたの」
「ママって頼子さんの部屋にいるの?」
「最近はよく私の部屋に遊びに来るのよ」
「検番にいなかったから家にいるのかと思ったけど、一階にもいなかったから、どうしたのかと思ったよ。ちょっと顔出してくる」
二階に上がり、部屋にランドセルを放り投げて、皐月は頼子と一緒に頼子の部屋に向かった。部屋の
炬燵の一角に小百合が座ってお茶を飲んでいた。
「おかえり、皐月」
「ただいま。何やってんの? ここで」
「何って、寛いでるんじゃない」
「頼子さんのプライベートの時間なんだから、少しは気ぃ使えよ」
「頼子の部屋って、高校時代とほとんど同じなのよね。だから居間にいるよりも楽しくて、つい来ちゃうの」
皐月も一度、頼子の部屋で友だちと
麻雀をして遊んだことがある。その時に感じたレトロな雰囲気は、高校時代の頼子の部屋の再現だからかと納得した。
「私の部屋にあるものって、テレビと新しく買ったもの以外は全て少女時代のものなののよ」
「へえ〜。物持ちがいいんだね」
「違うのよ。結婚した時に自分の持ち物を
豊橋の実家に置いてきたから、今はその時の物を使っているだけよ。結婚時代の家具は離婚した時に全部処分しちゃったから、この部屋のものは全部実家から持って来たの」
「だからタイムマシンで過去に戻ったような気持ちになるんだ」
頼子に招かれて、皐月も炬燵の席に着いた。
「そういえばママも若い時は豊橋に住んでたって言ってたね。頼子さんは豊橋の実家には戻ろうとは思わなかったの?」
「母が一人で住んでいたんだけれど、亡くなっちゃったからね。実家は借家だったし、戻っても仕方がなかったの。母が亡くなったから離婚を決意したのよ」
「そうだったんだ……」
小百合と頼子の母親は同時期に亡くなったようだ。小学生の皐月には重い話で、どう反応したらいいのかわからず、顔が
強張ってきた。
「あんた、その格好で服を買いに行くの? もうちょっとちゃんとした格好をしていきなさいよ。もう10月だから、半袖Tシャツなんてやめなさい」
「え〜っ、まだ暑いじゃん」
「季節に合わせた服を着ないと明日美が恥をかくんだから、言うことを聞きなさい。私が買ってあげた服があるでしょ?」
小百合の言うことはもっともだが、どうにも気が進まない。見た目が陰キャっぽくなるからだ。
「ママが買ったのって春だったよね。俺、あれからだいぶ背が伸びたよ。サイズが合わないんじゃない?」
「少しオーバーサイズのシャツを買ったから大丈夫よ。下も体操服の短パンなんかじゃなくて、チノパン穿いて行きなさいよ」
「あの青っぽいチェックのシャツにベージュのチノパン?
チー牛丸出しじゃん」
「何? そのチー牛って?」
「地味ってこと。いいよ。ちゃんとママのコーデで行くから」
「
箪笥から出しておくからね」
小百合は立ち上がって、一人で先に一階に下りていった。
「皐月ちゃん、今日は夕食、明日美さんと食べるんだよね。何を食べるか決めてるの?」
「う〜ん。まだ決まってないけど、チーズ牛丼でも食べようかな。牛丼に3種のチーズがトッピングされているんだよ」
「まあ、美味しそうね、そのチーズ牛丼って。どこで食べられるのかしら?」
「学校の近くの『すき家』で食べられるよ。一人で晩飯を食べていた時は時々すき家まで食べに行ってた」
「へえ〜。じゃあまた私たちを『すき家』に連れてってよ。チーズ牛丼、食べてみたいわ」
頼子は新城の山奥に住んでいたので、牛丼チェーンの店には入ったことがないのかもしれない。
「いいよ。ママがお座敷の時に祐希と三人で食べに行こうか。チーズ牛丼以外にも安くて美味しいものがいっぱいあるから。でも今日は『五十鈴川』で焼肉食べて来てね。すっごく美味しいから」
「ありがとう。焼肉なんて久しぶりだから、楽しみだわ。皐月ちゃんも美味しいもの食べて来てね」
皐月は明日美がいつも何を食べているのか想像がつかない。頼子の話を聞いていると、皐月も焼き肉が食べたくなってきた。