第55話

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 そして、柚希の一家が引っ越しする日を迎えた。
 いつもと同じ時刻に目が覚め、カーテンを開ける。
 まだ夜明け前といった感じで、辺りは薄暗く感じる。今日はあいにくの曇り空で、昨日の天気予報では時折雨が降るだろうとのことだった。果たしてこんな天気で引っ越しをやるのか、ちょっと心配になる。
 パジャマを畳んでから薄手のシャツとチノパン姿に着替えると、柚希の部屋を覗き見する。

「……引っ越し当日だというのに、寝ているんだな」

 それもそのはず、柚希は土日になると朝八時まで目を覚まさない。土日であっても生活習慣が変わらない僕とは対照的だ。
 充電器からスマホを外し手に取ると、親に気付かれないよう玄関へ向かう。
 小泉さんが朝練をしているという期待感から、家を出るとまだ夜が明けたばかりの住宅街を駆け抜ける。

「確か、この辺だったはずだ」

 息を切らしながら中学校の時の通学路を走り抜けると、見覚えのあるジャングルジムが目に飛び込んだ。そこには、こないだと同じチアのユニフォームを身に着けて一人で練習をしている小泉さんの姿があった。
 彼女の姿を見て嬉しく思ったのか、僕はすぐさま公園の中に入った。

「小泉さん、おはよう」

 朝の挨拶を交わすと、小泉さんは「おはよう」と僕に声を掛けてから僕のもとへ近づいた。彼女の顔は何も言わずにやってきた僕を見て、ちょっと驚いているようにも見えた。

「ユータ、今日は呼び出しをしていないのに来たのね」
「ちょっと気になってね」

 そう答えると、小泉さんは腕を組んで何度もうなずいてから僕の顔を眺める。

「分かっているわ。幼なじみのことでしょ」
「そうだけど」
「……ちょっといい?」

 小泉さんは甘いムスクの香りと汗の臭いを漂わせながら僕の傍に近寄ると、耳元でこう囁いた。

「アタシね、幼なじみの前でエールを送ってみようと思うの。いいでしょ?」
「えっ?」

 その言葉を聞いて、一瞬だけ目が点になった。
 仮にも球技大会で「ぶっ潰す」と言った柚希の目の前でエールを送るなんて、まずいのではないだろうか。

「ダメかしら?」
「良いと思うけど、ちょっと心配だな」
「どうして?」
「昨日あれだけやりあったんだろ? 果たして柚希が小泉さんのことを見てくれるか……」
Don’t worry(心配ご無用)! 昨日の敵は今日の友って言うでしょう? きっと幼なじみも笑って許してくれるわよ」

 暗くどんよりとした曇り空の中、小泉さんは僕の前で晴れ渡るような笑顔を見せた。誰よりも眩しくて、過ぎ去った夏の日を思い出しそうだ。

「それにね、これはアタシの考えだけど、幼なじみはそんなに悪い子じゃないと思うの。ユータに聞くけど、幼なじみのお母さんってどんな人?」
「世間体を気にしているんだ。別れた日に柚希が『仲を良さそうにしておかないと不仲を疑われてうるさく言われる』って言っていたくらいだから」
「ふむ……」
「だから、僕たちが見送りに行っても逆効果になりそうだけど……」

 不安を露わにして小泉さんに話すと、首を横に振ってからこう話す。

「だからよ。ユータって幼なじみ以外の友達が居なくて、スポーツが得意じゃなかったんでしょう?」
「そうだけど……」

 今までのことを言い表した小泉さんの言葉が突き刺さる。だけど、小泉さんは僕が傷つくことを覚悟して言葉を紡ぎ続ける。

「だけど今はスポーツが得意だということが分かったし、部活内で友達……というよりは仲間が出来た。違わないかしら?」

 小泉さんの言う通りだった。
 ここ一カ月間でチアリーディング部の活動を通して仲間が出来た。お互いの立場は違うけれども、同じ部員同士としての仲間意識が生まれた。もちろん、その前に高橋さんという恋人が出来たのは言うまでもない。
 小泉さんはさらに言葉を紡ぐ。

「仲間の幼なじみが遠くに行くなら、せめて笑顔で送り出したい。たとえ昨日戦ったライバルであっても、よ」
「小泉さん……」

 そう話すと、小泉さんはこないだと同じようにバッグがあるベンチへ駆け寄り、何かを取り出してこちらに持ってきた。

「はい、これ」
「これって、こないだ使ったワイヤレススピーカーとスマホか?」
「そうよ。曲はセットしてあるから、再生ボタンを押せばすぐに再生されるわ。それに、一時的にロックは解除してあるから心配しないで」

 そう話すと、小泉さんはまたベンチへ駆け寄る。そこでポンポンを取って、僕から離れた位置でスターティングポジションを取る。

「それで、今日選んだ曲って何?」
「ブルーハーツの『人にやさしく』よ。その気になればフルで踊れるわ」
「なるほど。どうしてこの曲を選んだんだ?」
「最初にキッズチアの先生から振付けを教わった曲なの。どこかで聞いたことがあるはずよ」

 その一言を聞いた途端、僕は小学校の運動会での創作ダンスを思い出した。
 児童たちがぎこちない動きで踊っているのに対して、一人だけやたらきびきびした動きを見せていた。まさかとは思い、小泉さんに問いかける。

「……ひょっとして、小学校の応援合戦で三年連続応援合戦に参加していたのって小泉さん?」
「That’s right! クラスが違うのに、よく覚えていたわね」
「曲名を聞いたらふと思い出したんだよ。小学校五年生の時の応援合戦でこの曲のカバーを流していたから……」

 照れくさそうに笑いを浮かべると、小泉さんはポンポンを持っている手を口に当てて笑顔を浮かべる。

「そういうところは覚えているのね。じゃあ、お願いね」

 小泉さんは少し離れた位置に立つと、片目を閉じて僕に合図を送った。
 スマホの再生ボタンをタップすると同時に、小泉さんは「Let’s go!」と掛け声をかけてスターティングポジションからダイナミックに踊りだす。この前流した曲よりもテンポは早い一方で、解釈なんて必要ない歌詞は胸を熱くさせる。
 間奏に入ると、こないだ僕にかけたのと同じ掛け声を何度も繰り返す。またヴォーカルが歌いだすと、それに合わせて小泉さんも掛け声をかける。やがて曲が終わりを迎えると、少しためてから飛び上がり、そこから大きく開脚させて着地し、片腕を高く上げた。
 土の上というコンディションの悪さをものともしない締めの動きに、僕はただ拍手せざるを得なかった。

「凄いな」
「でしょ? せっかくだから、これをあの子の前で踊ってみようと思うの。悪くないでしょ?」

 小泉さんの一言を聞いて、僕は目が覚めた。
 気まずいまま柚希と別れるよりも、笑顔で別れたほうが良いだろう。これから柚希が新しい街で頑張るためにも、この曲とダンスはうってつけだろう。

「そうだね。引っ越しする柚希へのプレゼントにしよう」

 笑顔で答えると、小泉さんはいつものような悪戯心溢れる笑顔を見せた。

「じゃあ、決まりね。そうと決まれば、いったん家に戻りましょう」
「おいおい、家に集合してそこで見送りか?」
「そうよ。引っ越し前の挨拶に伺うかもしれないから、そこでサプライズをかますのよ」
「サプライズって……大丈夫なのか? 音楽を流したら迷惑がかかるんじゃないのか?」
「ワイヤレスイヤホンを使えば大丈夫よ」

 そういえば、休み時間や部室から帰ってきた時に小泉さんがイヤホンをしているのを目にしたことがある。それならば音楽を流しても文句はないだろう。

「だけど、ダンスをしたときに外れやしないのか?」
「大丈夫よ。そのためのイヤホンよ。後で見せてあげるわ」

 そう話して踵を返すと、小泉さんはスマホなどをバッグにしまい込んで帰り支度を始めた。
 小泉さんが一体何をやろうとしているのか気にしながら、僕も家に戻る支度をした。



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 そして、柚希の一家が引っ越しする日を迎えた。
 いつもと同じ時刻に目が覚め、カーテンを開ける。
 まだ夜明け前といった感じで、辺りは薄暗く感じる。今日はあいにくの曇り空で、昨日の天気予報では時折雨が降るだろうとのことだった。果たしてこんな天気で引っ越しをやるのか、ちょっと心配になる。
 パジャマを畳んでから薄手のシャツとチノパン姿に着替えると、柚希の部屋を覗き見する。
「……引っ越し当日だというのに、寝ているんだな」
 それもそのはず、柚希は土日になると朝八時まで目を覚まさない。土日であっても生活習慣が変わらない僕とは対照的だ。
 充電器からスマホを外し手に取ると、親に気付かれないよう玄関へ向かう。
 小泉さんが朝練をしているという期待感から、家を出るとまだ夜が明けたばかりの住宅街を駆け抜ける。
「確か、この辺だったはずだ」
 息を切らしながら中学校の時の通学路を走り抜けると、見覚えのあるジャングルジムが目に飛び込んだ。そこには、こないだと同じチアのユニフォームを身に着けて一人で練習をしている小泉さんの姿があった。
 彼女の姿を見て嬉しく思ったのか、僕はすぐさま公園の中に入った。
「小泉さん、おはよう」
 朝の挨拶を交わすと、小泉さんは「おはよう」と僕に声を掛けてから僕のもとへ近づいた。彼女の顔は何も言わずにやってきた僕を見て、ちょっと驚いているようにも見えた。
「ユータ、今日は呼び出しをしていないのに来たのね」
「ちょっと気になってね」
 そう答えると、小泉さんは腕を組んで何度もうなずいてから僕の顔を眺める。
「分かっているわ。幼なじみのことでしょ」
「そうだけど」
「……ちょっといい?」
 小泉さんは甘いムスクの香りと汗の臭いを漂わせながら僕の傍に近寄ると、耳元でこう囁いた。
「アタシね、幼なじみの前でエールを送ってみようと思うの。いいでしょ?」
「えっ?」
 その言葉を聞いて、一瞬だけ目が点になった。
 仮にも球技大会で「ぶっ潰す」と言った柚希の目の前でエールを送るなんて、まずいのではないだろうか。
「ダメかしら?」
「良いと思うけど、ちょっと心配だな」
「どうして?」
「昨日あれだけやりあったんだろ? 果たして柚希が小泉さんのことを見てくれるか……」
「|Don’t worry《心配ご無用》! 昨日の敵は今日の友って言うでしょう? きっと幼なじみも笑って許してくれるわよ」
 暗くどんよりとした曇り空の中、小泉さんは僕の前で晴れ渡るような笑顔を見せた。誰よりも眩しくて、過ぎ去った夏の日を思い出しそうだ。
「それにね、これはアタシの考えだけど、幼なじみはそんなに悪い子じゃないと思うの。ユータに聞くけど、幼なじみのお母さんってどんな人?」
「世間体を気にしているんだ。別れた日に柚希が『仲を良さそうにしておかないと不仲を疑われてうるさく言われる』って言っていたくらいだから」
「ふむ……」
「だから、僕たちが見送りに行っても逆効果になりそうだけど……」
 不安を露わにして小泉さんに話すと、首を横に振ってからこう話す。
「だからよ。ユータって幼なじみ以外の友達が居なくて、スポーツが得意じゃなかったんでしょう?」
「そうだけど……」
 今までのことを言い表した小泉さんの言葉が突き刺さる。だけど、小泉さんは僕が傷つくことを覚悟して言葉を紡ぎ続ける。
「だけど今はスポーツが得意だということが分かったし、部活内で友達……というよりは仲間が出来た。違わないかしら?」
 小泉さんの言う通りだった。
 ここ一カ月間でチアリーディング部の活動を通して仲間が出来た。お互いの立場は違うけれども、同じ部員同士としての仲間意識が生まれた。もちろん、その前に高橋さんという恋人が出来たのは言うまでもない。
 小泉さんはさらに言葉を紡ぐ。
「仲間の幼なじみが遠くに行くなら、せめて笑顔で送り出したい。たとえ昨日戦ったライバルであっても、よ」
「小泉さん……」
 そう話すと、小泉さんはこないだと同じようにバッグがあるベンチへ駆け寄り、何かを取り出してこちらに持ってきた。
「はい、これ」
「これって、こないだ使ったワイヤレススピーカーとスマホか?」
「そうよ。曲はセットしてあるから、再生ボタンを押せばすぐに再生されるわ。それに、一時的にロックは解除してあるから心配しないで」
 そう話すと、小泉さんはまたベンチへ駆け寄る。そこでポンポンを取って、僕から離れた位置でスターティングポジションを取る。
「それで、今日選んだ曲って何?」
「ブルーハーツの『人にやさしく』よ。その気になればフルで踊れるわ」
「なるほど。どうしてこの曲を選んだんだ?」
「最初にキッズチアの先生から振付けを教わった曲なの。どこかで聞いたことがあるはずよ」
 その一言を聞いた途端、僕は小学校の運動会での創作ダンスを思い出した。
 児童たちがぎこちない動きで踊っているのに対して、一人だけやたらきびきびした動きを見せていた。まさかとは思い、小泉さんに問いかける。
「……ひょっとして、小学校の応援合戦で三年連続応援合戦に参加していたのって小泉さん?」
「That’s right! クラスが違うのに、よく覚えていたわね」
「曲名を聞いたらふと思い出したんだよ。小学校五年生の時の応援合戦でこの曲のカバーを流していたから……」
 照れくさそうに笑いを浮かべると、小泉さんはポンポンを持っている手を口に当てて笑顔を浮かべる。
「そういうところは覚えているのね。じゃあ、お願いね」
 小泉さんは少し離れた位置に立つと、片目を閉じて僕に合図を送った。
 スマホの再生ボタンをタップすると同時に、小泉さんは「Let’s go!」と掛け声をかけてスターティングポジションからダイナミックに踊りだす。この前流した曲よりもテンポは早い一方で、解釈なんて必要ない歌詞は胸を熱くさせる。
 間奏に入ると、こないだ僕にかけたのと同じ掛け声を何度も繰り返す。またヴォーカルが歌いだすと、それに合わせて小泉さんも掛け声をかける。やがて曲が終わりを迎えると、少しためてから飛び上がり、そこから大きく開脚させて着地し、片腕を高く上げた。
 土の上というコンディションの悪さをものともしない締めの動きに、僕はただ拍手せざるを得なかった。
「凄いな」
「でしょ? せっかくだから、これをあの子の前で踊ってみようと思うの。悪くないでしょ?」
 小泉さんの一言を聞いて、僕は目が覚めた。
 気まずいまま柚希と別れるよりも、笑顔で別れたほうが良いだろう。これから柚希が新しい街で頑張るためにも、この曲とダンスはうってつけだろう。
「そうだね。引っ越しする柚希へのプレゼントにしよう」
 笑顔で答えると、小泉さんはいつものような悪戯心溢れる笑顔を見せた。
「じゃあ、決まりね。そうと決まれば、いったん家に戻りましょう」
「おいおい、家に集合してそこで見送りか?」
「そうよ。引っ越し前の挨拶に伺うかもしれないから、そこでサプライズをかますのよ」
「サプライズって……大丈夫なのか? 音楽を流したら迷惑がかかるんじゃないのか?」
「ワイヤレスイヤホンを使えば大丈夫よ」
 そういえば、休み時間や部室から帰ってきた時に小泉さんがイヤホンをしているのを目にしたことがある。それならば音楽を流しても文句はないだろう。
「だけど、ダンスをしたときに外れやしないのか?」
「大丈夫よ。そのためのイヤホンよ。後で見せてあげるわ」
 そう話して踵を返すと、小泉さんはスマホなどをバッグにしまい込んで帰り支度を始めた。
 小泉さんが一体何をやろうとしているのか気にしながら、僕も家に戻る支度をした。