前
ー/ーオフィスを出ると蒸し暑い空気が肌に纏わりつき、私は反射的にネクタイを緩めた。
仕事の進め方のことで上司に叱責されていたら、いつの間にか外がすっかり暗くなっていた。
真っすぐ家に帰る気にもなれないが、こんなとき酒を飲んでしまうと嫌な酔い方をすると分かっているので、居酒屋に入る気にもなれない。
夏の夜特有の気だるい空気の中、目的もなく街を回遊魚のように漂っていたが、ふと足が止まった。
闇の帳が降りた中、オレンジ色のライトに照らされた看板は、スポットライトが当たっているようで、思わず目が吸い寄せられたのだ。
そこにはハムスターカフェと書かれている。
ハムスターカフェとは、猫カフェのハムスターバージョンだろうか。
小学生のときハムスターを家で飼っていて、死んでしまったときは泣いたことを思い出す。今は飼っていないが、ハムスターは相変わらず好きだ。
懐かしさに背中を押されて扉を開くと、女性の満面の笑みが出迎えた。
お辞儀と同時に、一つに束ねた長い黒髪が勢いよく揺れる。
胸元のネームプレートを見ると、彼女は店長のようだ。
「いらっしゃいませ! 当店は初めてですか?」
頷くと、メニュー表を手渡された。
「ご来店ありがとうございます。当店はワンドリンクオーダー制となっておりますので、ご注文お願いします。もしよろしければフードメニューもどうぞ」
アルコールもあるが、ここはソフトドリンクにしておこう。
フードメニューはひまわりの種、ペレットとやけにハムスター用のメニューであることに違和感を覚えたが、そういうコンセプトなのだろう。
「じゃあ、とりあえずコーラで」
「かしこまりました。当店に興味を持っていただいた理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「えっと、仕事で疲れたので……」
「ふむふむ。ハムスターと触れ合うことで癒やされたい、と。しかし、あなたが本当に求めているのはハムスターとの触れ合いですか?」
唐突に禅問答じみた会話が始まった。
厄介な店に迷い込んでしまったのかと思わず身構える。
「本当はハムスターをかわいがるのではなく、ペットのハムスターのように愛情を注がれ、お世話されたいと思っているのではないですか?」
論理の飛躍が大気圏を超えている。
「現代において不自由はぜいたく品です。その気になればスマホひとつで何でもできますからね。そんな何でも自由に出来る世の中で、敢えて不自由な状態になるという贅沢を味わってみませんか? お客様もそう望んでいるはずですよ」
日本語のはずなのに、意味が分からない。
「いや……思っていませんけど……」
そう返すのが精一杯だ。
「あなたの深層心理はどうでしょうね?」
「深層心理は自分でも分からないから深層心理なのでは?」
どうでもいいから、早くハムスターと触れ合わせてくれ。
そう言えば、この店では動物の匂いがしない。
ペットショップも猫カフェもそうだが、動物がいるところには動物の匂いがするはずだ。
それなのに、この店にはそれがない。
まさかハムスターが何かの隠語だったらどうしよう、と思い始めていた。
「あの、ハムスターはどちらに?」
「あなたがハムスターになるんですよ?」
店長は笑顔でそう言った。
ああ、ここは、やばい店だったのだ。
本能的な恐怖を感じて後ずさりすると、店長が踏み出して距離を詰めて来た。
「当店のリピート率は八十七パーセントです。体験していただければ、必ずご満足いただけるかと」
結婚相談所以外ならリピート率が高いのはいいことだが、得体の知れない恐怖を感じることに変わりはない。
「お客様、実際にどのような体験ができるか見学だけでもいかがですか?」
「見学?」
「ええ、常連のハムちゃんさんが、初めての方への公開を許可してくれていますので」
常連のハムちゃんさんという語感に、既に拒絶反応が出そうだ。
案内された部屋の中央には、ハムスターの飼育用のケージをそのまま巨大にしたようなものが鎮座していた。
プラスチックではなく、金網タイプのケージだ。
ケージの中には給水器とハウス、回し車まであり、全て人間が使えるような巨大なサイズになっている。
棚の上を見るとフォトフレームが飾られていて、リクルートスーツ姿で写る五人の男女の姿があった。
「これは飼い主が入社のときに同期と一緒に取った写真です」
私の視線に気づいて、店長が口をはさんだ。
「飼い主は、一人暮らしの会社員です。同期の中で最も早く出世した真面目で優秀な女性ですが、早く出世してしまったがゆえに同期の集まりに出づらく孤独感を覚えているんです。かわいそうですね」
しんみりとした空気になり、思わず口をはさんでしまう。
「そんなに忙しいのに、ここでも働いているんですか?」
「そういう設定をハムちゃんさんがご希望だったので」
全部設定だったのか。
さっきの妙にしんみりとした感じは何だったというのか。
やけに設定が細かいことに闇を感じるのは、私だけだろうか。
それらの言葉を発するのも面倒で、私は全て飲み込んだ。
「私たちはお邪魔にならないように、カーテンの中から見学しましょうね」
店長に言われるがまま、壁にかかっているグリーンのカーテンに包まりながら、部屋の中を見ている。
何なんだ、この状況は。
仕事帰りに時間を割いて、私がしたかったことは、本当にこんなことだったのだろうか。
しかし、どうせ時間を使うなら、楽しんだもの勝ちだという後ろ向きな前向きさが芽生え始めている。
「くるみちゃん、ただいま。遅くなっちゃってごめんね!」
くるみちゃんという名前のハムスターを飼っている設定なのだろう。
飼い主……という設定の女性が部屋のドアを開いてそう言ったのと同時に、ケージの中から何かが蠢く音がした。
どんぐりをかたどったハウスの入り口から、にゅっと男が顔を覗かせた。
どんぐりから虫が出てくることがあるが、こんなものが突然どんぐりから出て来たなら、私はどんぐりごと入念に踏みつけるだろう。
ハムスターの着ぐるみを纏い、木の棒をくわえた壮年の男が這い出してきて、その全貌が露わになった
顔以外の部分が着ぐるみで覆われていて体型は分からない。
牧草に塗れた顔の中で目だけが妙に爛々と強い光を放っている。
悲しきモンスターがそこに存在していた。
これがマッドサイエンティストの実験の結果なら、この世とお別れさせてあげた方が本人も楽になるのではないだろうか。
着ぐるみおじさんが口を開き、木の棒が牧草の上に落ちる。
「きゅーっ、きゅきゅきゅうっ」
汚い高音の奇声が聞こえた。
半径数メートル分の不快を凝縮したような声だった。
「クスリでもやってるんですかね?」
思わず正直な感想が零れた。
「脳内麻薬は合法だから大丈夫ですよ」
店長はそう言うが、脳内麻薬があんなに恐ろしいものならば、国はもっと規制すべきだと思う。
恐る恐る店長に視線をスライドすると、彼女は悠然と微笑んでいる。
「彼はメタモルフォーゼしたのです」
闇が深すぎるカフカだ。
「くるみちゃん、お腹空いたでしょ。今、ごはん用意するからね」
着ぐるみおじさんに、飼い主はまるで愛するペットに向けるような優しい笑顔を向けている。
彼女のプロ意識に対する感心を、恐ろしさが上回りそうなくらいだ。
飼い主はひまわりの種の殻を取って、ケージの金網の隙間から着ぐるみおじさんの口の中に運んでやっている。
着ぐるみおじさんは目を剝いて、必死にひまわりの種を頬張っている。
まるで親鳥がヒナに餌をやっているみたいだった。
いつから狂ったネイチャー番組の生放送が始まってしまったのだろう。
そう思いながら私はその光景を見ていた。
「おいしい? おいしいのかな、すごく食べてるし……良かった」
そう言いながらも、飼い主の表情は暗い。
目に光はなく、口角は下がっている。
「なんかさ……疲れちゃったな……」
そう呟く飼い主の手から、着ぐるみおじさんは一心不乱にひまわりの種を貪るだけだ。
「いや慰めろよ!」
思わず叫んでしまった。
目の前に疲れ果てた人間がいるのだから、慰めの一言くらいあってもいいのではないか?
店長は肩を竦めた。
「ハムスターが言葉を発するわけがないですよ。そもそも、脳みその小さいハムスターが飼い主の言葉の意味を理解できるはずがないです」
ハムスターへの風当たりが強い気がするが、それを言われてしまうと何も言えない。
それに、あまりにも真に迫っていて一瞬忘れていたが、そもそも飼い主の仕事疲れは設定だった。
「いいですか、ここはハムスターになろうカフェです。ハムスターになりきってください。それが権利であり義務ですよ」
教育を受けるのは日本国民の権利であり義務、みたいなニュアンスで言われても困る。
ここはハムスターになろうカフェだったのか。初耳である。
渡されたメニュー表をよく見ると、「ハムスター」と「カフェ」の間に小さすぎる文字で「になろう」と記載されていた。
気づけるわけがない。
そもそも、この部屋で目の当たりにしている出来事は、何らかの法律に抵触している気がする。
しかし悲しいかな、私は法律に詳しくない。
こんなことになるのだったら、法学部を出ておくべきだったかもしれない。
「いっぱい食べたね。食後の運動しようね、くるみちゃん」
着ぐるみおじさんは回し車の近くまで行くと寝転がり、片足で回し車を回し始めた。
休日の怠惰な親父のようなことをする着ぐるみおじさんに、飼い主は「くるみちゃん、かわいい」と言うだけだ。
本当にかわいく見えているのであれば、眼科に行った方がいい。
いや、脳神経外科の受診の方が必要かもしれない。
「おいで、くるみちゃん」
飼い主が名前を呼んでケージのドアを開くと、着ぐるみおじさんは見た目からは想像できない俊敏な動きで駆け寄った。
飼い主は慈愛に満ちた表情で頭を撫でてやっており、着ぐるみおじさんは撫でられて気持ちよさそうに目を細めている。
着ぐるみおじさんはもっと撫でろと言わんばかりに、飼い主の手のひらに頭を擦り付けている。
そんな着ぐるみおじさんに、飼い主は愛情のこもった眼差しを向けている。
無条件に甘やかされていることを羨む感情がふと沸き上がったとき、着ぐるみおじさんと目が合った。
「ようこそ同胞よ」
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
オフィスを出ると蒸し暑い空気が肌に纏わりつき、私は反射的にネクタイを緩めた。
仕事の進め方のことで上司に叱責されていたら、いつの間にか外がすっかり暗くなっていた。
真っすぐ家に帰る気にもなれないが、こんなとき酒を飲んでしまうと嫌な酔い方をすると分かっているので、居酒屋に入る気にもなれない。
夏の夜特有の気だるい空気の中、目的もなく街を回遊魚のように漂っていたが、ふと足が止まった。
闇の帳が降りた中、オレンジ色のライトに照らされた看板は、スポットライトが当たっているようで、思わず目が吸い寄せられたのだ。
そこにはハムスターカフェと書かれている。
ハムスターカフェとは、猫カフェのハムスターバージョンだろうか。
小学生のときハムスターを家で飼っていて、死んでしまったときは泣いたことを思い出す。今は飼っていないが、ハムスターは相変わらず好きだ。
懐かしさに背中を押されて扉を開くと、女性の満面の笑みが出迎えた。
お辞儀と同時に、一つに束ねた長い黒髪が勢いよく揺れる。
胸元のネームプレートを見ると、彼女は店長のようだ。
「いらっしゃいませ! 当店は初めてですか?」
頷くと、メニュー表を手渡された。
「ご来店ありがとうございます。当店はワンドリンクオーダー制となっておりますので、ご注文お願いします。もしよろしければフードメニューもどうぞ」
アルコールもあるが、ここはソフトドリンクにしておこう。
フードメニューはひまわりの種、ペレットとやけにハムスター用のメニューであることに違和感を覚えたが、そういうコンセプトなのだろう。
「じゃあ、とりあえずコーラで」
「かしこまりました。当店に興味を持っていただいた理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「えっと、仕事で疲れたので……」
「ふむふむ。ハムスターと触れ合うことで癒やされたい、と。しかし、あなたが本当に求めているのはハムスターとの触れ合いですか?」
唐突に禅問答じみた会話が始まった。
厄介な店に迷い込んでしまったのかと思わず身構える。
「本当はハムスターをかわいがるのではなく、ペットのハムスターのように愛情を注がれ、お世話されたいと思っているのではないですか?」
論理の飛躍が大気圏を超えている。
「現代において不自由はぜいたく品です。その気になればスマホひとつで何でもできますからね。そんな何でも自由に出来る世の中で、敢えて不自由な状態になるという贅沢を味わってみませんか? お客様もそう望んでいるはずですよ」
日本語のはずなのに、意味が分からない。
「いや……思っていませんけど……」
そう返すのが精一杯だ。
「あなたの深層心理はどうでしょうね?」
「深層心理は自分でも分からないから深層心理なのでは?」
どうでもいいから、早くハムスターと触れ合わせてくれ。
そう言えば、この店では動物の匂いがしない。
ペットショップも猫カフェもそうだが、動物がいるところには動物の匂いがするはずだ。
それなのに、この店にはそれがない。
まさかハムスターが何かの隠語だったらどうしよう、と思い始めていた。
「あの、ハムスターはどちらに?」
「あなたがハムスターになるんですよ?」
店長は笑顔でそう言った。
ああ、ここは、やばい店だったのだ。
本能的な恐怖を感じて後ずさりすると、店長が踏み出して距離を詰めて来た。
「当店のリピート率は八十七パーセントです。体験していただければ、必ずご満足いただけるかと」
結婚相談所以外ならリピート率が高いのはいいことだが、得体の知れない恐怖を感じることに変わりはない。
「お客様、実際にどのような体験ができるか見学だけでもいかがですか?」
「見学?」
「ええ、常連のハムちゃんさんが、初めての方への公開を許可してくれていますので」
常連のハムちゃんさんという語感に、既に拒絶反応が出そうだ。
案内された部屋の中央には、ハムスターの飼育用のケージをそのまま巨大にしたようなものが鎮座していた。
プラスチックではなく、金網タイプのケージだ。
ケージの中には給水器とハウス、回し車まであり、全て人間が使えるような巨大なサイズになっている。
棚の上を見るとフォトフレームが飾られていて、リクルートスーツ姿で写る五人の男女の姿があった。
「これは飼い主が入社のときに同期と一緒に取った写真です」
私の視線に気づいて、店長が口をはさんだ。
「飼い主は、一人暮らしの会社員です。同期の中で最も早く出世した真面目で優秀な女性ですが、早く出世してしまったがゆえに同期の集まりに出づらく孤独感を覚えているんです。かわいそうですね」
しんみりとした空気になり、思わず口をはさんでしまう。
「そんなに忙しいのに、ここでも働いているんですか?」
「そういう設定をハムちゃんさんがご希望だったので」
全部設定だったのか。
さっきの妙にしんみりとした感じは何だったというのか。
やけに設定が細かいことに闇を感じるのは、私だけだろうか。
それらの言葉を発するのも面倒で、私は全て飲み込んだ。
「私たちはお邪魔にならないように、カーテンの中から見学しましょうね」
店長に言われるがまま、壁にかかっているグリーンのカーテンに包まりながら、部屋の中を見ている。
何なんだ、この状況は。
仕事帰りに時間を割いて、私がしたかったことは、本当にこんなことだったのだろうか。
しかし、どうせ時間を使うなら、楽しんだもの勝ちだという後ろ向きな前向きさが芽生え始めている。
「くるみちゃん、ただいま。遅くなっちゃってごめんね!」
くるみちゃんという名前のハムスターを飼っている設定なのだろう。
飼い主……という設定の女性が部屋のドアを開いてそう言ったのと同時に、ケージの中から何かが蠢く音がした。
どんぐりをかたどったハウスの入り口から、にゅっと男が顔を覗かせた。
どんぐりから虫が出てくることがあるが、こんなものが突然どんぐりから出て来たなら、私はどんぐりごと入念に踏みつけるだろう。
ハムスターの着ぐるみを纏い、木の棒をくわえた壮年の男が這い出してきて、その全貌が露わになった
顔以外の部分が着ぐるみで覆われていて体型は分からない。
牧草に塗れた顔の中で目だけが妙に爛々と強い光を放っている。
悲しきモンスターがそこに存在していた。
これがマッドサイエンティストの実験の結果なら、この世とお別れさせてあげた方が本人も楽になるのではないだろうか。
着ぐるみおじさんが口を開き、木の棒が牧草の上に落ちる。
「きゅーっ、きゅきゅきゅうっ」
汚い高音の奇声が聞こえた。
半径数メートル分の不快を凝縮したような声だった。
「クスリでもやってるんですかね?」
思わず正直な感想が零れた。
「脳内麻薬は合法だから大丈夫ですよ」
店長はそう言うが、脳内麻薬があんなに恐ろしいものならば、国はもっと規制すべきだと思う。
恐る恐る店長に視線をスライドすると、彼女は悠然と微笑んでいる。
「彼はメタモルフォーゼしたのです」
闇が深すぎるカフカだ。
「くるみちゃん、お腹空いたでしょ。今、ごはん用意するからね」
着ぐるみおじさんに、飼い主はまるで愛するペットに向けるような優しい笑顔を向けている。
彼女のプロ意識に対する感心を、恐ろしさが上回りそうなくらいだ。
飼い主はひまわりの種の殻を取って、ケージの金網の隙間から着ぐるみおじさんの口の中に運んでやっている。
着ぐるみおじさんは目を剝いて、必死にひまわりの種を頬張っている。
まるで親鳥がヒナに餌をやっているみたいだった。
いつから狂ったネイチャー番組の生放送が始まってしまったのだろう。
そう思いながら私はその光景を見ていた。
「おいしい? おいしいのかな、すごく食べてるし……良かった」
そう言いながらも、飼い主の表情は暗い。
目に光はなく、口角は下がっている。
「なんかさ……疲れちゃったな……」
そう呟く飼い主の手から、着ぐるみおじさんは一心不乱にひまわりの種を貪るだけだ。
「いや慰めろよ!」
思わず叫んでしまった。
目の前に疲れ果てた人間がいるのだから、慰めの一言くらいあってもいいのではないか?
店長は肩を竦めた。
「ハムスターが言葉を発するわけがないですよ。そもそも、脳みその小さいハムスターが飼い主の言葉の意味を理解できるはずがないです」
ハムスターへの風当たりが強い気がするが、それを言われてしまうと何も言えない。
それに、あまりにも真に迫っていて一瞬忘れていたが、そもそも飼い主の仕事疲れは設定だった。
「いいですか、ここはハムスターになろうカフェです。ハムスターになりきってください。それが権利であり義務ですよ」
教育を受けるのは日本国民の権利であり義務、みたいなニュアンスで言われても困る。
ここはハムスターになろうカフェだったのか。初耳である。
渡されたメニュー表をよく見ると、「ハムスター」と「カフェ」の間に小さすぎる文字で「になろう」と記載されていた。
気づけるわけがない。
そもそも、この部屋で目の当たりにしている出来事は、何らかの法律に抵触している気がする。
しかし悲しいかな、私は法律に詳しくない。
こんなことになるのだったら、法学部を出ておくべきだったかもしれない。
「いっぱい食べたね。食後の運動しようね、くるみちゃん」
着ぐるみおじさんは回し車の近くまで行くと寝転がり、片足で回し車を回し始めた。
休日の怠惰な親父のようなことをする着ぐるみおじさんに、飼い主は「くるみちゃん、かわいい」と言うだけだ。
本当にかわいく見えているのであれば、眼科に行った方がいい。
いや、脳神経外科の受診の方が必要かもしれない。
「おいで、くるみちゃん」
飼い主が名前を呼んでケージのドアを開くと、着ぐるみおじさんは見た目からは想像できない俊敏な動きで駆け寄った。
飼い主は慈愛に満ちた表情で頭を撫でてやっており、着ぐるみおじさんは撫でられて気持ちよさそうに目を細めている。
着ぐるみおじさんはもっと撫でろと言わんばかりに、飼い主の手のひらに頭を擦り付けている。
そんな着ぐるみおじさんに、飼い主は愛情のこもった眼差しを向けている。
無条件に甘やかされていることを羨む感情がふと沸き上がったとき、着ぐるみおじさんと目が合った。
「ようこそ同胞よ」