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第1話 ふぇへへほ

ー/ー



 妹が壊れた。

 夏真っ盛りの8月。外は38℃、湿度77%なんて狂気の数字を叩きだし、熱中症で倒れる人が続出しているくらいの終わっている気候だ。
 その影響なのか何なのか、最近咲季の様子がおかしいのである。

 おかしいと思ったのは数日前の7月の暮れ。引っ越しの日雇いバイトを終わらせてひとり暮らしの家に帰宅後、これ続けるの辛過ぎるなと頭を悩ませていた時だった。

 電源を切っていたスマホ(弄る暇がないので切っていた)の電源を入れると、目に入る通知10件のメッセージアプリのアイコン。送り主は全部咲季。
 なにかあったのかと内容を見てみる。
 以下、内容。


〈やっほー!〉
〈(おもしろ動画っぽいののURL)〉
〈めちゃ笑った〉
〈(どっかのカフェのサイトURL)〉
〈かわいい!食べたい!〉
〈さみしいー〉
〈めちゃさみしー〉
〈今日いつ帰ってくるの?〉
〈バイトのお昼休みって12時とか?〉
〈(不在着信)〉


「……………………」

 バイトに行くとは言ってあったし、そういう時にこんなにしつこくメッセージを送る事はしない奴だったからちょっと驚いた。
 まあ、暇だったんだろうと電話をかけるといつも通り元気だったからそこまで気にしなかった。

 本格的に「どうした?」と思い始めたのは昨日。実家に帰り、咲季と一緒にリビングで過ごしていた時である。
 帰ってきて母さんと一緒に俺を玄関へ迎えに来てくれた時からなんかやたらと見つめてくるなと思っていた(その時は母さんが迎えに来た事にビビり過ぎてほとんど気にしてなかったが)。
 しかしリビングで料理を振る舞ってもらったり、その後適当にまったり過ごしている時でも、やたらとずーっと俺を見てくるのだ。

 そして、俺が自室に行こうとすると後ろをトテトテとついてきて、手を洗うために洗面台に寄っても何もせずただ後ろをついてきて、終いにはトイレに行っても扉の前に立っているなんてこともあった。

「なに?なんなの?」

 戸惑いながら聞いてみても返ってくるのは「別に……」とか「どうもしないけど」と歯切れの悪い返事。
 まあ、ここまでならまだ、まだ「いつもの奇行の延長かな?」とか無理矢理納得できた。

 しかし、問題は今。現在進行系。実家の自室での今の状況である。

 最近はほとんどひとり暮らしの家に泊まらず実家に泊まる流れが多い。昼間にバイトをしていたりする分、それ以外は咲季と一緒の時間を過ごしたかったからだ。
 今日も例に漏れず実家に泊まる事となったのだが、ここで事件が起きた。
 夜11時50分。そろそろ寝ようかと思っていたら部屋がノックされ、

「お兄ちゃん」

 と、咲季の声。
 いつもは「入りまーす!」とか言って遠慮無しで入って来るだろと思いつつドアを開けると、パジャマ姿の咲季が枕を持って立っていた。
 そして一言。


「今日、一緒に寝てもいい?」


 #

 最初、妹が何を言ってるのか分からなかった。

「ごめん、今なんて?」

 聞き間違いかと思って聞き返すと、咲季は少し寂しそうにして、

「だめ……?」

 上目遣いでそう返した。
 暗い廊下で頼りなげに佇む姿は強制的に庇護欲を駆り立てるほどの力がある。
 普通なら冗談だろと笑うくらいの非現実的な提案。冗談でなかったとしても突っぱねるべきもの。
 だが、その潤んだ瞳には普段とは違う暗い色が覗いている気がした。

「えー……、と。同じ部屋でってこと?俺床で寝る?」

 首を横に振られた。

「……ベッドで、一緒にってこと?」

 首を縦に振られた。

 どうしよう。俺は顔を斜め上に上げて唸った。
 咲季のこの感じ、冗談ではないっぽい。
 とりあえずこのまま廊下で立たせるのもなんなので部屋へ通す。すると咲季はちょこちょことした動きで真っ直ぐに俺のベッドへと歩いていき、座った。

「あの、俺まだ良いとは言ってないんだけど」
「うん。座っただけ」

 言いながら横に倒れてベッドに寝そべる咲季。

「寝てますが?」
「うん。寝ただけ」

 こいつさては話し合う気無いな。
 仕方ないので腹を決めて咲季の頭のそばへ腰掛ける。
 すると咲季の頭が俺の膝によじ登ってきた。完全にべた甘えモードである。

「なんかあったの」
「別に……」
「またそれか」
「またって、そんなに言ってないもん」
「言ってた」
「言ってない」
「言ってたろ。最近様子が変だからどうしたのかって聞いても微妙な反応ばっかしてたろ」
「うるさーい」
「のわっ!」

 急に起き上がった咲季に抱き着かれて……というか上からのしかかるようにされてそのまま一緒にベッドに倒れる。

 頬と頬とが密着するほどの超至近距離。
 少しの沈黙。
 段々と伝わってきた咲季の鼓動は予想に反して落ち着いていた。自分でやっておいて照れているパターンかと思っていたけど、やはり今日はいつもとは違うらしい。

「……どした」
「少しこのままでいい?」
「いいけど代わりに質問に答えろ」
「なに?」
「あなたの赤ちゃん返りの真相はなんですか」
「ばぶー」
「答えろボケ」
「ひどい」

 言い合いつつ、咲季の頭を撫でる。すると気持ちよさそうに喉を鳴らして頬を擦りつけてきた。猫かお前。
 頭の中で突っ込んでいると、ぽつりと咲季が口を開いた。

「お兄ちゃんにしばらく会えなかった時あったでしょ?」

 父さんと母さんから家を出るように言われ、俺の精神状態がおかしくなっていた時の事だろう。苦い記憶だ。自分が弱ってた時の事を思い出すのは羞恥心がつつかれて非常に恥ずい。

「それをさ、なんか、その、時々思い出しちゃって。最近は夢にまで見て……お兄ちゃんを視界に入れてないと不安になっちゃって。どっか行っちゃうんじゃないかって」

 その時の事を思い出しているのか、小刻みな震えが伝わってくる。

「だから寝る時も起きた時も、お兄ちゃんを感じられたら安心するなぁって考えたの」

 なるほどね。完全に俺が悪いやつね。俺が居なかった時の分の反動が今来たわけね。
 ……これで断るなんて兄貴失格だろ。

「……いいよ」


「ま!!?」


 咲季のガン開きした目が俺へ向けられた。
 明らかな過剰反応にギョッとしてしまう。どうした。
 思ってると今度は口がアヒルみたいに尖って隠しきれないだらし無い笑みがこぼれ出し、目が右往左往。

「え?……へへ、その、へへ、良いって、事はぁ……その、OKサイン……みたいな……?ふぇへへほ」

 そしてこのキモい笑いである。

「…………………やっぱ無理」

「なんでよ!」
「いや、なんか怖い」
「怖くないでしょ! こーんなぷりちー清楚な笑顔ができる女の子が怖いわけないでしょ!」

 そんな歪んだ作り笑顔を見せられても。

「下心がさぁ、透けてんだよなぁ。なんかしてきそうなんだよなぁ」
「しないしない!何もしない!大丈夫だいじょうぶ!」

 不安しか生まれない返し止めろ。

「さっきから枕の裏にスマホ隠し持ってるのもなんかなぁ……」
「うぇっ!?し、心外ですな秋春殿。これは……、そ、そう!スマホにて私の好きなミュージックを流す事により私の快適な睡眠を幇助(ほうじょ)するために持っていたわけでございましてねぇ」
「じゃあコソコソせず堂々と持ってろ。やましい気持ちがあるから隠してたんだろ」
「そんな人聞きの悪い。寝顔とかうなじとかお腹とか撮るなんてものはねぇ、ありえませんよ。そういうのは卒業しましたから。 ねえ!」

 誰に同意求めてんだよ。

「じゃあ俺がお前の好きな音楽流してやる。だからスマホ自分の部屋に置いてけ」
「お、お兄ちゃん私の最近のハマり曲知らないでしょ!」
「どうせ『あんすりうむ』の曲だろ」
「どうせとかゆーな!当たってるけどぉ!」

『あんすりうむ』とは咲季が好きな女性のシンガーソングライターだ。mytubeという動画投稿サイトで主に活動している。世間からすればマイナーだが、チャンネル登録者は三万人と人気。
「顔出しはしてないけど声からして絶対可愛いよ!身長140cm台の妖精みたいな子にきまってるんだよなぁ!」とは咲季の談。確かに可愛らしいウィスパーボイスではあるが、完全に痛いオタクの妄想のそれである。

 まあそれはさておき、咲季が「コレクションがぁ」とか言いながら渋々スマホを部屋に置いてきて戻ってきたので、こっちも誠意を見せてベッドへ上がって端に寄り、「どうぞ」と隣のスペースを叩く。
 すると咲季は神妙な顔でベッドの前で立ち止まり、

「えっち過ぎない……?」

 と、わけの分からん事をのたまった。

「は?」
「そんな、それはちょっと……なに?は?」
「いや、なんでキレてんだよ。どういう情緒だよ」
「天然でやってるのもなぁ、もぅ、えちちのち!お兄ちゃんえっち!略しておちんっ――」
「出ていってくださいます?」
「ごめんなさい。興奮しすぎました自重致します」

 気を取り直して、咲季がベッドへ潜りこんでくる。
 俺はいつものアホ会話にため息をつきつつリモコンで部屋の電気を消した。


「……………………………」


 そして、沈黙。
 さっきまでの元気はどこへやら、壁に向いた俺の背中に控えめにくっつくだけの咲季。
 数分経っても起きてる気配がするだけだったので咲季の望み通りMytubeで『あんすりうむ』の曲の検索をする。
 と、すぐに沈黙が破られた。

「……起きてる?」
「うん。『あんすりうむ』の曲検索してる」
「そっか」

 そしてまた沈黙。
 数秒後にまた声。

「お兄ちゃん」
「なに?」
「ぎゅーしていい?」
「『あんすりうむ』Mytube更新一年前なんだけど、去年から新曲出してないの?結構曲出すスパン短いイメージだったけど」
「あ、それはね、実は『あんすりうむ』名義では活動休止してて今はVTuberかつど……って違う違う。それ置いといて今。もう曲いいからぎゅーしたいです私」
「VTuberってあの絵が動いてるやつ?ゲーム実況とかしてるやつだろ?なんて名前?」
「なにそのおじさん臭い反応。大学生の兄がVTuberに対してその認識って悲しいよわた……じゃなくて!今それはいいって言ってんでしょーが!キサマ!話逸らすなあほ!」

 ち。誤魔化せなかったか。
 身体を捩って寝返りを打ち、咲季へと顔を向ける。

「態度で察して欲しいんだけど」
「お兄ちゃんツンデレだから」
「じゃあはっきり言う。暑苦しいから嫌だ」
「ふ、素直じゃないんだから♡」

 咲季は俺の枕の上にあったエアコンのリモコンをぶん取って、

 ピピピピピピピピピっ。(エアコンの温度を下げる音)

 元の場所にリモコンを放り投げ、聖母のような微笑みで腕を広げた。

「さ、お膳立ては済んだわ。おいでなさい」
「電気代もったい無いので止めてください」

 ピピピピピピピピピっ。(エアコンの温度を上げる音)

「えぇ……?お兄ちゃんの気持ちが分からない……」
「気持ちはただ一つ。快適に寝たいだけだ」
「だって、だって!この前言ってくれたじゃん!宇宙一ラブって!つまりそういう事でしょねえ!?」
「い、いやあれは……」
「おざなりに言ったんじゃないって言ってくれたでしょー!!」
「それは、まあ、言いましたが……」

 本当に痛い所を突いてきやがる。

「…………………もしかして、冗談だった?」

 トドメの一撃、萎らしい上目遣い。
 こんなのハメ技以外の何物でも無い。
 答えは一つだけ。

「お好きにどうぞ」

「やたっ」

 こいつ絶対わざと断れない空気作り出してるだろ。

「じゃーさっそく。えい」

 もぞもぞと互いに体勢を整えつつゆっくりと正面から抱き着かれる。
 俺の肩に咲季の顎が当たって少しくすぐったかった。あと胸の圧迫強い。

「えへへ、おにーちゃーん」

 脚と脚とを絡ませ、完全にロック。
 さっきまで気付かなかったが、ふわりと甘い匂いが仄かに感じられて一瞬どきりとしてしまう。
 シャンプーなのかコンディショナーなのか知らないけど、〝女の子〟の部分を感じて動揺してしまったのはお高いものを使ってるからだと思いたい。俺と同じの使ってたら絶対何も思わない。うん。そのはず。

「ね」
「うん?」
「恋人っぽいね」
「まあ、ぽいかもな」
「ちょっと、そこは「〝ぽい〟じゃねぇだろ」ガバッ!って抱き寄せる所ですよお兄様」
「そうでしょうかねーそうかもですねー」
「うざ。なにそのしゃくれ顔」

 正直言うと照れ隠しだよ。ていうかお前もこの前やってただろうが。

「ねー」
「いい加減寝ろ」
「もう、居なくならないでね」

 ぎゅ、と、抱きしめる力が強まった。
 真剣な声色。
 何も言わず咲季の頭に手を回して優しく抱き寄せる。もう寂しい思いなんてさせない。そう想いを込めて。

 咲季の身体が強く押し付けられた。自分と俺との境界線が邪魔だと言わんばかりに。

「だいすき」





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 夏真っ盛りの8月。外は38℃、湿度77%なんて狂気の数字を叩きだし、熱中症で倒れる人が続出しているくらいの終わっている気候だ。
 その影響なのか何なのか、最近咲季の様子がおかしいのである。
 おかしいと思ったのは数日前の7月の暮れ。引っ越しの日雇いバイトを終わらせてひとり暮らしの家に帰宅後、これ続けるの辛過ぎるなと頭を悩ませていた時だった。
 電源を切っていたスマホ(弄る暇がないので切っていた)の電源を入れると、目に入る通知10件のメッセージアプリのアイコン。送り主は全部咲季。
 なにかあったのかと内容を見てみる。
 以下、内容。
〈やっほー!〉
〈(おもしろ動画っぽいののURL)〉
〈めちゃ笑った〉
〈(どっかのカフェのサイトURL)〉
〈かわいい!食べたい!〉
〈さみしいー〉
〈めちゃさみしー〉
〈今日いつ帰ってくるの?〉
〈バイトのお昼休みって12時とか?〉
〈(不在着信)〉
「……………………」
 バイトに行くとは言ってあったし、そういう時にこんなにしつこくメッセージを送る事はしない奴だったからちょっと驚いた。
 まあ、暇だったんだろうと電話をかけるといつも通り元気だったからそこまで気にしなかった。
 本格的に「どうした?」と思い始めたのは昨日。実家に帰り、咲季と一緒にリビングで過ごしていた時である。
 帰ってきて母さんと一緒に俺を玄関へ迎えに来てくれた時からなんかやたらと見つめてくるなと思っていた(その時は母さんが迎えに来た事にビビり過ぎてほとんど気にしてなかったが)。
 しかしリビングで料理を振る舞ってもらったり、その後適当にまったり過ごしている時でも、やたらとずーっと俺を見てくるのだ。
 そして、俺が自室に行こうとすると後ろをトテトテとついてきて、手を洗うために洗面台に寄っても何もせずただ後ろをついてきて、終いにはトイレに行っても扉の前に立っているなんてこともあった。
「なに?なんなの?」
 戸惑いながら聞いてみても返ってくるのは「別に……」とか「どうもしないけど」と歯切れの悪い返事。
 まあ、ここまでならまだ、まだ「いつもの奇行の延長かな?」とか無理矢理納得できた。
 しかし、問題は今。現在進行系。実家の自室での今の状況である。
 最近はほとんどひとり暮らしの家に泊まらず実家に泊まる流れが多い。昼間にバイトをしていたりする分、それ以外は咲季と一緒の時間を過ごしたかったからだ。
 今日も例に漏れず実家に泊まる事となったのだが、ここで事件が起きた。
 夜11時50分。そろそろ寝ようかと思っていたら部屋がノックされ、
「お兄ちゃん」
 と、咲季の声。
 いつもは「入りまーす!」とか言って遠慮無しで入って来るだろと思いつつドアを開けると、パジャマ姿の咲季が枕を持って立っていた。
 そして一言。
「今日、一緒に寝てもいい?」
 #
 最初、妹が何を言ってるのか分からなかった。
「ごめん、今なんて?」
 聞き間違いかと思って聞き返すと、咲季は少し寂しそうにして、
「だめ……?」
 上目遣いでそう返した。
 暗い廊下で頼りなげに佇む姿は強制的に庇護欲を駆り立てるほどの力がある。
 普通なら冗談だろと笑うくらいの非現実的な提案。冗談でなかったとしても突っぱねるべきもの。
 だが、その潤んだ瞳には普段とは違う暗い色が覗いている気がした。
「えー……、と。同じ部屋でってこと?俺床で寝る?」
 首を横に振られた。
「……ベッドで、一緒にってこと?」
 首を縦に振られた。
 どうしよう。俺は顔を斜め上に上げて唸った。
 咲季のこの感じ、冗談ではないっぽい。
 とりあえずこのまま廊下で立たせるのもなんなので部屋へ通す。すると咲季はちょこちょことした動きで真っ直ぐに俺のベッドへと歩いていき、座った。
「あの、俺まだ良いとは言ってないんだけど」
「うん。座っただけ」
 言いながら横に倒れてベッドに寝そべる咲季。
「寝てますが?」
「うん。寝ただけ」
 こいつさては話し合う気無いな。
 仕方ないので腹を決めて咲季の頭のそばへ腰掛ける。
 すると咲季の頭が俺の膝によじ登ってきた。完全にべた甘えモードである。
「なんかあったの」
「別に……」
「またそれか」
「またって、そんなに言ってないもん」
「言ってた」
「言ってない」
「言ってたろ。最近様子が変だからどうしたのかって聞いても微妙な反応ばっかしてたろ」
「うるさーい」
「のわっ!」
 急に起き上がった咲季に抱き着かれて……というか上からのしかかるようにされてそのまま一緒にベッドに倒れる。
 頬と頬とが密着するほどの超至近距離。
 少しの沈黙。
 段々と伝わってきた咲季の鼓動は予想に反して落ち着いていた。自分でやっておいて照れているパターンかと思っていたけど、やはり今日はいつもとは違うらしい。
「……どした」
「少しこのままでいい?」
「いいけど代わりに質問に答えろ」
「なに?」
「あなたの赤ちゃん返りの真相はなんですか」
「ばぶー」
「答えろボケ」
「ひどい」
 言い合いつつ、咲季の頭を撫でる。すると気持ちよさそうに喉を鳴らして頬を擦りつけてきた。猫かお前。
 頭の中で突っ込んでいると、ぽつりと咲季が口を開いた。
「お兄ちゃんにしばらく会えなかった時あったでしょ?」
 父さんと母さんから家を出るように言われ、俺の精神状態がおかしくなっていた時の事だろう。苦い記憶だ。自分が弱ってた時の事を思い出すのは羞恥心がつつかれて非常に恥ずい。
「それをさ、なんか、その、時々思い出しちゃって。最近は夢にまで見て……お兄ちゃんを視界に入れてないと不安になっちゃって。どっか行っちゃうんじゃないかって」
 その時の事を思い出しているのか、小刻みな震えが伝わってくる。
「だから寝る時も起きた時も、お兄ちゃんを感じられたら安心するなぁって考えたの」
 なるほどね。完全に俺が悪いやつね。俺が居なかった時の分の反動が今来たわけね。
 ……これで断るなんて兄貴失格だろ。
「……いいよ」
「ま!!?」
 咲季のガン開きした目が俺へ向けられた。
 明らかな過剰反応にギョッとしてしまう。どうした。
 思ってると今度は口がアヒルみたいに尖って隠しきれないだらし無い笑みがこぼれ出し、目が右往左往。
「え?……へへ、その、へへ、良いって、事はぁ……その、OKサイン……みたいな……?ふぇへへほ」
 そしてこのキモい笑いである。
「…………………やっぱ無理」
「なんでよ!」
「いや、なんか怖い」
「怖くないでしょ! こーんなぷりちー清楚な笑顔ができる女の子が怖いわけないでしょ!」
 そんな歪んだ作り笑顔を見せられても。
「下心がさぁ、透けてんだよなぁ。なんかしてきそうなんだよなぁ」
「しないしない!何もしない!大丈夫だいじょうぶ!」
 不安しか生まれない返し止めろ。
「さっきから枕の裏にスマホ隠し持ってるのもなんかなぁ……」
「うぇっ!?し、心外ですな秋春殿。これは……、そ、そう!スマホにて私の好きなミュージックを流す事により私の快適な睡眠を幇助《ほうじょ》するために持っていたわけでございましてねぇ」
「じゃあコソコソせず堂々と持ってろ。やましい気持ちがあるから隠してたんだろ」
「そんな人聞きの悪い。寝顔とかうなじとかお腹とか撮るなんてものはねぇ、ありえませんよ。そういうのは卒業しましたから。 ねえ!」
 誰に同意求めてんだよ。
「じゃあ俺がお前の好きな音楽流してやる。だからスマホ自分の部屋に置いてけ」
「お、お兄ちゃん私の最近のハマり曲知らないでしょ!」
「どうせ『あんすりうむ』の曲だろ」
「どうせとかゆーな!当たってるけどぉ!」
『あんすりうむ』とは咲季が好きな女性のシンガーソングライターだ。mytubeという動画投稿サイトで主に活動している。世間からすればマイナーだが、チャンネル登録者は三万人と人気。
「顔出しはしてないけど声からして絶対可愛いよ!身長140cm台の妖精みたいな子にきまってるんだよなぁ!」とは咲季の談。確かに可愛らしいウィスパーボイスではあるが、完全に痛いオタクの妄想のそれである。
 まあそれはさておき、咲季が「コレクションがぁ」とか言いながら渋々スマホを部屋に置いてきて戻ってきたので、こっちも誠意を見せてベッドへ上がって端に寄り、「どうぞ」と隣のスペースを叩く。
 すると咲季は神妙な顔でベッドの前で立ち止まり、
「えっち過ぎない……?」
 と、わけの分からん事をのたまった。
「は?」
「そんな、それはちょっと……なに?は?」
「いや、なんでキレてんだよ。どういう情緒だよ」
「天然でやってるのもなぁ、もぅ、えちちのち!お兄ちゃんえっち!略しておちんっ――」
「出ていってくださいます?」
「ごめんなさい。興奮しすぎました自重致します」
 気を取り直して、咲季がベッドへ潜りこんでくる。
 俺はいつものアホ会話にため息をつきつつリモコンで部屋の電気を消した。
「……………………………」
 そして、沈黙。
 さっきまでの元気はどこへやら、壁に向いた俺の背中に控えめにくっつくだけの咲季。
 数分経っても起きてる気配がするだけだったので咲季の望み通りMytubeで『あんすりうむ』の曲の検索をする。
 と、すぐに沈黙が破られた。
「……起きてる?」
「うん。『あんすりうむ』の曲検索してる」
「そっか」
 そしてまた沈黙。
 数秒後にまた声。
「お兄ちゃん」
「なに?」
「ぎゅーしていい?」
「『あんすりうむ』Mytube更新一年前なんだけど、去年から新曲出してないの?結構曲出すスパン短いイメージだったけど」
「あ、それはね、実は『あんすりうむ』名義では活動休止してて今はVTuberかつど……って違う違う。それ置いといて今。もう曲いいからぎゅーしたいです私」
「VTuberってあの絵が動いてるやつ?ゲーム実況とかしてるやつだろ?なんて名前?」
「なにそのおじさん臭い反応。大学生の兄がVTuberに対してその認識って悲しいよわた……じゃなくて!今それはいいって言ってんでしょーが!キサマ!話逸らすなあほ!」
 ち。誤魔化せなかったか。
 身体を捩って寝返りを打ち、咲季へと顔を向ける。
「態度で察して欲しいんだけど」
「お兄ちゃんツンデレだから」
「じゃあはっきり言う。暑苦しいから嫌だ」
「ふ、素直じゃないんだから♡」
 咲季は俺の枕の上にあったエアコンのリモコンをぶん取って、
 ピピピピピピピピピっ。(エアコンの温度を下げる音)
 元の場所にリモコンを放り投げ、聖母のような微笑みで腕を広げた。
「さ、お膳立ては済んだわ。おいでなさい」
「電気代もったい無いので止めてください」
 ピピピピピピピピピっ。(エアコンの温度を上げる音)
「えぇ……?お兄ちゃんの気持ちが分からない……」
「気持ちはただ一つ。快適に寝たいだけだ」
「だって、だって!この前言ってくれたじゃん!宇宙一ラブって!つまりそういう事でしょねえ!?」
「い、いやあれは……」
「おざなりに言ったんじゃないって言ってくれたでしょー!!」
「それは、まあ、言いましたが……」
 本当に痛い所を突いてきやがる。
「…………………もしかして、冗談だった?」
 トドメの一撃、萎らしい上目遣い。
 こんなのハメ技以外の何物でも無い。
 答えは一つだけ。
「お好きにどうぞ」
「やたっ」
 こいつ絶対わざと断れない空気作り出してるだろ。
「じゃーさっそく。えい」
 もぞもぞと互いに体勢を整えつつゆっくりと正面から抱き着かれる。
 俺の肩に咲季の顎が当たって少しくすぐったかった。あと胸の圧迫強い。
「えへへ、おにーちゃーん」
 脚と脚とを絡ませ、完全にロック。
 さっきまで気付かなかったが、ふわりと甘い匂いが仄かに感じられて一瞬どきりとしてしまう。
 シャンプーなのかコンディショナーなのか知らないけど、〝女の子〟の部分を感じて動揺してしまったのはお高いものを使ってるからだと思いたい。俺と同じの使ってたら絶対何も思わない。うん。そのはず。
「ね」
「うん?」
「恋人っぽいね」
「まあ、ぽいかもな」
「ちょっと、そこは「〝ぽい〟じゃねぇだろ」ガバッ!って抱き寄せる所ですよお兄様」
「そうでしょうかねーそうかもですねー」
「うざ。なにそのしゃくれ顔」
 正直言うと照れ隠しだよ。ていうかお前もこの前やってただろうが。
「ねー」
「いい加減寝ろ」
「もう、居なくならないでね」
 ぎゅ、と、抱きしめる力が強まった。
 真剣な声色。
 何も言わず咲季の頭に手を回して優しく抱き寄せる。もう寂しい思いなんてさせない。そう想いを込めて。
 咲季の身体が強く押し付けられた。自分と俺との境界線が邪魔だと言わんばかりに。
「だいすき」