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章末一 もう歩いていける

ー/ー



 中学の教室に立っている。
 朦朧とした意識の中でそれだけがはっきりと分かった。
 鳴り響く蝉の声。窓から差し込む暑苦しい日差し。全てがあの時のままだ。

 中心に、菊池がいた。

 野暮ったいおさげの黒髪に黒縁眼鏡。忘れるはずも無い。
 菊池は佇んで俺を見ている。

「よ」と俺は近づいていった。菊池は笑顔で迎えてくれる。
 懐かしいな。
 どこまでも真っ直ぐで、心地良くて、ずっとここに居たいと思ってしまう。

 けど、それは叶わない。

 立っていたはずの教室がそのまま俺を残して遠ざかっていった。

 遥か遠くへ、見えなくなって。
 残ったのは暗闇。

 でも、悲しくはなかった。

 だって俺は――


 # # #


 インターホンの音で目を覚ました。

 床の上から身体を起こす。眠い。暑い。そして頭が痛い。
 窓の外を見ると、まだ明るかった。網戸から漏れる熱気と蝉の声、傍らに置いた扇風機の機械音が周囲を満たしている。少しの間自分が今どこにいるのかわからなくなったが、そういえば俺は一人暮らしになったんだったなと朧げな思考で再確認。まだ住んでから数週間しかたっていないからだろう、寝起きだとたまにこういう事が起きる。
 背の低い丸テーブルの上にある小柄な置き時計は13時を指していた。いつ寝たのか、寝る直前は何をしていたのかが思い出せない。多分スマホを弄っている内に寝落ちという王道のパターンなんだろうけど。

「いてて」

 床で寝た代償で軋むように痛む身体を引きずるようにして立ち上がり、玄関の前へ。
 向かう途中でもう一度インターホンが鳴ったので小声で「はいはい」と返事しながらドアスコープを覗く。するとそこには――

「………………」

 開けたくなかったけど後々面倒な事になるのも嫌だったので渋々ドアのロックを外して開ける。

「こんにちは、アキ君」

 まばゆい陽の光を背にそこに立っていたのは淡い水色のワンピースを身に纏った絶世の美女……の皮を被った魔女だった。

「あら、凄い顔。頭痛いの?」
「赤坂さんは寝起きに見るもんじゃないですね」
「どういう意味?」
「あと何回するんだこのやり取り……」
「緊張しちゃうとか?」
「……ある意味合ってますね」
「やったぁ♪」

 何がやったぁなんだよ
 クスクスと笑う赤坂さんに軽く辟易(へきえき)。最近よく顔を合わせていたし、色々とあったから嫌悪感や恐怖は以前より薄いが、それでも数年間で刷り込まれたイメージを完全に払拭するというのは難しい。

「で、何の用ですか」
「会いたかったから会いに来ちゃったわ」

 うぜぇ。
 意味も無いのに一々煙に巻く物言いをするの、マジで面倒臭い。さっさと要件言え。

「また凄い顔」
「赤坂さんがウザすぎるせいでございますね」
「あら」

 可笑しそうに口に上品に手を当てて赤坂さんは笑う。
 笑える要素どこにあったよ。ホント、破綻してやがる。
 まあいいや、俺もこの人に言いたい事があったし、手間が省けたとポジティブに考えよう。

「中、入ってもいいかしら」
「すぐ済むならここで終わらせたいのですが」
「済まないわ」

 笑顔の圧。
 俺は盛大にため息をつき、迷惑だと全力のアピールを赤坂さんに叩きつけてから部屋へと招き入れた。
 赤坂さんの家と違って至って普通のワンルームなので玄関から部屋は直通。

 家の中に入った赤坂さんは周囲を目で撫でるように眺め、

「よく片付いてるわね」

 俺を見上げて笑顔。

「住んで間も無いだけですよ」
「本当だ、ダンボール積んだまま」

 部屋の隅に積んである二つのダンボール箱を指差すと、赤坂さんはそれに近付いていく。

「わぁ、これ高校の卒業アルバム?」
「ちょっと、何勝手に中漁ってるんですか」

 半開きになっていたダンボール箱の中から取り出された高校の卒アル。そういえば一番上に置いてあったけど、自由かこいつは。

「ふふふ、少しくらいいいでしょう?……あら?後ろのページにお友達のメッセージが書かれてないわ。どうして?」
「そこが同級生のメッセージで埋まるのを一般常識のように語らないで下さい。ていうかもう見るのやめろ」
「えぇ、こんなにアキ君可愛いのに。すっごく楽しそうよ?メイド服とか着ちゃって」

 勝手にパラパラとページをめくって、よりにもよってわざわざ俺の黒歴史を晒してくる。
 高三の文化祭の時の写真だ。クラスでジュースを売るだけの店を出店したのに何故か悪ノリで着させられ、その上写真まで撮られたという最悪な一枚。恥だ。咲季に見つかったら一生馬鹿にされるだろう。

「いや、目ちゃんと見えてます?すっごく嫌そうな顔してますからね?」
「けど生き生きしてるわ。いつも一緒に写ってる男の子のお陰かしら」

 一緒に写っている男子というのは高校に入って新しく出来た友人。あいつがいなければ俺の高校生活は完全にぼっち生活だった。
 だから、生き生きしているように見えたのならあいつのお陰なのだろう。

「……そうですね」
「そう、いい友達なのね」

 赤坂さんが郷愁に駆られたように遠い目をしている。誰を思い出しているかは言わずとも分かった。

「で、本当に何の用です?」

 いい加減にしろと赤坂さんの手から卒アルを回収しつつ、逸れていた話の軌道を無理矢理所定位置へ戻した。
 赤坂さんはまだ無駄話に花を咲かせたかったのか、不満げにぷいっと顔を逸らして拗ねたような態度。芝居だと分かっていても言葉に詰まってしまうくらいの威力があるのが凄い。

 無言で睨み続けていると観念したのか、

「これ」

 淡い緑のポーチから折りたたまれたコピー用紙を取り出し、広げた。
 広げたその紙は何かが印刷されていた。写真だ。
 それが何なのかすぐに分かった。この前大学中に貼られた、俺が赤坂さんに掴みかかっている画像の張り紙だった。
 見た瞬間、苦い記憶が呼び起こされて顔を顰める。

「…………あんたがやったんだろ。今更なんだよ」
「え、私がやったと思っていたの?」
「違うのかよ」
「酷い、違うわ」

 酷いって、普段の行いを振り返ってから言ってくれ。

 とはいえ、赤坂さんが関係している+俺への嫌がらせとなれば反射的に犯人=赤坂さんという法則が頭の中に出来上がっていたから自然と犯人だと思っていた。けどこの反応は本当に違うっぽいな。
 じゃあ誰だよ。

「犯人を特定して、もうこういうのは止めるように言ったわ。今後は怖い人に絡まれないと思うから安心して」

 ああ、けど確かに、冷静に考えれば写真撮った第三者がいるわけだし、そいつがやったと考えるのが自然か。
 しかし俺は大学で薄い繋がりしか作っていないから恨まれる可能性はほぼ無いと思うんだけどな。赤坂さんの親衛隊みたいなのが居て、そいつらの逆鱗に触れたんだろうか。

 それとこの人、サラッと言ってるが犯人特定できたのかよ。まあ、犯人は赤坂さんを被害者としているわけだから本人に対して口が軽くなるのは当たり前か。

「あー……そうですか」
「気になる?犯人のこと」

 丸テーブルの側の床に横座りをして俺を見上げる赤坂さん。子供がお菓子を期待するような目。何だよその目やめろこっち見んな。

「気になるならないで言ったらなるけど、いいですよもう。知っても不愉快になるだけだし。それよりも何で赤坂さんが犯人突き止めたのか聞きたいけど。今までなら嬉々として乗っかって俺を追い詰めるくらいやってのけたでしょ」

 窓と薄いカーテンを閉め、部屋の隅に置いてあったエアコンのリモコンを取り、電源をつける。
 蝉の声が和らぎ、代わりに独特の「ごおおお」という音が部屋に響く。冷気が一気に流れていき、茹だっていた身体に染みた。

 そうやってる間、赤坂さんは俺の返答に満足そうに「やっぱりアキ君だね」とか意味不明な言葉を呟いていた。おまけにエンドレスでクスクス笑っている。不気味だ。

「あの、勝手に自己完結しないでくれます?自分の世界から帰って来い?」
「ふふふふふ、ごめんなさい、アキ君が本当にキレイでつい。ええと、何で私がアキ君に意地悪しないかだったかしら?」

 上に視線を向けて考えるような仕草。

「そうね……執着し続けるのって楽だけど、同じくらい辛いの」
「なんですかそのなぞなぞみたいな文は」

 少し距離を置いて地面にあぐらをかきつつ、赤坂さんを横目で眇めた。
 またはぐらかしてるんだろうか。

「誰かを恨まずにいられなかった。誰かに恨んで欲しかった。私の中にあったのはそれだけ。けど、霞ちゃんの手紙を見たら恨むなんて出来なくなっちゃった。だからやめたの」
「…………よくわからないけど、もう嫌がらせはやめたって事でいいんです?」
「ええ。私はアキ君の味方よ」
「胡散臭ぇ……」
「ふふ」

 だからその微笑ましげな笑みやめろっての。腹が立ってを言う気が失せる。
 感謝というのは今回の大学での騒動の件ではなく、俺達家族の騒動の件について。
 一昨日、父さんと対峙した時の事と、もう一つ。

 ちょうど程よく会話が途切れた。おそらく赤坂さんの要件が済んだからだ。
 今しかタイミングは無いだろう。この人に感謝するのは気が引けるが恩は恩だ。

「ありがとう」

 きょとんと赤坂さんが首を傾げた。
 突然だったからか本当に分かっていない様子。

「咲季の退院はあんたがいないと成り立たなかったと思う。あと過去の――中学の時の誤解を解いてくれただろ」

 咲季の退院を父さんが認めたのまでは良かったが、懸念があった。母さんだ。いくら父さんが退院を認めたと言っても心の中では快諾してくれるはずがなかった。最悪の場合、俺が父さんまでもそそのかしたなんて刃物を持ち出して錯乱し、咲季まで巻き込まれるくらいは予想出来る。
 それを防ぐため、すぐに俺の心証を良くしておく必要があった。だから父さんに退院を認めさせてすぐ、赤坂さんに過去本当にあった事を母さんに話して欲しいと頼んだ。それには菊池の弟――雄仁(ゆうじん)までも参加してくれて、数時間に及びつつも母さんを納得させてくれたのである。
 ……俺がいたらややこしくなりそうだからと当の本人はその場にはいなかったんだけど。
 それを含めて雄仁とこの人にはかなりの申し訳無さと感謝があった。

「……その事。それなら最初からやろうって話してたじゃない」

 赤坂さんは珍しく二の句が継げないような困惑の表情を一瞬だけ見せたが、すぐにいつもの調子で微笑む。

「そりゃそうだけど、赤坂さん達に任せっきりだったし……お礼を言わないのは違うでしょ」
「本当にいいのに。面白かったもの。みっともなく否定してたおばさんに新聞記事やネットの記事を見せて理詰めして追い詰めるの」

 うわぁ、本当に愉しそうに笑ってるよ怖ぇ。
 だけどそのおかげで咲季が退院した今も落ち着いて……というか意気消沈しているから良かったのかも知れないな。

 しかし、新聞か。その発想は抜けていた。そういえば当時援交をしていた教師が捕まって過去の事件が明るみに出たと雄仁が言っていた。ならばどこかしらで記事になっていても不思議じゃない。俺達が気づかなかっただけで。
 けどそんな証拠品の用意があったなんて聞いてなかったな。

 思っていると赤坂さんは思考を読んだみたいに、

「新聞記事は櫻井さんが用意してくれたのよ」
「櫻井さんが?」
「ええ。なんでも甥っ子に記者の人に伝手(つて)のある子がいるらしくって」

 どんな甥っ子だ。
 多分櫻井さんが自分で調べてくれたんだろう。恥ずかしいからって適当なでまかせ言ってるんだろう。

「なんにしても、咲季ちゃんが無事退院できて良かったわ」
「………………うん、そう、だね、うん」
「どうしてそんなに歯切れが悪いのかしら」
「いや、あんたが綺麗なこと言ってると裏があるって勘ぐるんだよ」
「えぇ、何よそれ」

 微笑むばかりの赤坂さんは本心を言っているのか全くもって読めない。
 けど少なからず本音が混じっている気がした。
 だって元々咲季に退院するよう仕向けたのはこの人だ。今までは俺達を引っ掻き回して愉しんでるだけだと思っていたが、よくよく考えてみると自分と同じような境遇にいる俺達への同情があったんだと思わざるを得ない。そうでもなければ咲季のためになるような事をわざわざ提案しないだろうから。

 どんなに破綻してねじ曲がろうが心根の部分が優しかったのは幼馴染の俺がよく知っている。

「そう思うのは、都合良すぎるかな」

 直接訊いたってはぐらかされるだけ。
 それなら都合のいい解釈を信じていた方がいくらか健全だろう。

 こういう積み重ねが、いつかこの人を許せる時に繋がると信じる。

「笑ってる?」
「は?笑ってませんが」
「そうかなぁ?」
「……もう要件終わったでしょ。帰ってください」
「照れてるアキ君、可愛い」

 とびきりの笑顔が向けられる。
 照れてねぇよ。むしろその笑顔で鳥肌立ったわ。

 やっぱりこの人許すとか一生無理。
 今までの嫌がらせに対する謝罪が先だこの野郎。

「ともかく帰ってください。俺はそろそろ用事がある事を思い出したんです」
「用事?」

「今日は荷物持ち頼まれてるんで」

 あんたと過ごすよりは人使いの荒い妹のお供の方が優先事項なんでね。






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 中学の教室に立っている。
 朦朧とした意識の中でそれだけがはっきりと分かった。
 鳴り響く蝉の声。窓から差し込む暑苦しい日差し。全てがあの時のままだ。
 中心に、菊池がいた。
 野暮ったいおさげの黒髪に黒縁眼鏡。忘れるはずも無い。
 菊池は佇んで俺を見ている。
「よ」と俺は近づいていった。菊池は笑顔で迎えてくれる。
 懐かしいな。
 どこまでも真っ直ぐで、心地良くて、ずっとここに居たいと思ってしまう。
 けど、それは叶わない。
 立っていたはずの教室がそのまま俺を残して遠ざかっていった。
 遥か遠くへ、見えなくなって。
 残ったのは暗闇。
 でも、悲しくはなかった。
 だって俺は――
 # # #
 インターホンの音で目を覚ました。
 床の上から身体を起こす。眠い。暑い。そして頭が痛い。
 窓の外を見ると、まだ明るかった。網戸から漏れる熱気と蝉の声、傍らに置いた扇風機の機械音が周囲を満たしている。少しの間自分が今どこにいるのかわからなくなったが、そういえば俺は一人暮らしになったんだったなと朧げな思考で再確認。まだ住んでから数週間しかたっていないからだろう、寝起きだとたまにこういう事が起きる。
 背の低い丸テーブルの上にある小柄な置き時計は13時を指していた。いつ寝たのか、寝る直前は何をしていたのかが思い出せない。多分スマホを弄っている内に寝落ちという王道のパターンなんだろうけど。
「いてて」
 床で寝た代償で軋むように痛む身体を引きずるようにして立ち上がり、玄関の前へ。
 向かう途中でもう一度インターホンが鳴ったので小声で「はいはい」と返事しながらドアスコープを覗く。するとそこには――
「………………」
 開けたくなかったけど後々面倒な事になるのも嫌だったので渋々ドアのロックを外して開ける。
「こんにちは、アキ君」
 まばゆい陽の光を背にそこに立っていたのは淡い水色のワンピースを身に纏った絶世の美女……の皮を被った魔女だった。
「あら、凄い顔。頭痛いの?」
「赤坂さんは寝起きに見るもんじゃないですね」
「どういう意味?」
「あと何回するんだこのやり取り……」
「緊張しちゃうとか?」
「……ある意味合ってますね」
「やったぁ♪」
 何がやったぁなんだよ
 クスクスと笑う赤坂さんに軽く辟易《へきえき》。最近よく顔を合わせていたし、色々とあったから嫌悪感や恐怖は以前より薄いが、それでも数年間で刷り込まれたイメージを完全に払拭するというのは難しい。
「で、何の用ですか」
「会いたかったから会いに来ちゃったわ」
 うぜぇ。
 意味も無いのに一々煙に巻く物言いをするの、マジで面倒臭い。さっさと要件言え。
「また凄い顔」
「赤坂さんがウザすぎるせいでございますね」
「あら」
 可笑しそうに口に上品に手を当てて赤坂さんは笑う。
 笑える要素どこにあったよ。ホント、破綻してやがる。
 まあいいや、俺もこの人に言いたい事があったし、手間が省けたとポジティブに考えよう。
「中、入ってもいいかしら」
「すぐ済むならここで終わらせたいのですが」
「済まないわ」
 笑顔の圧。
 俺は盛大にため息をつき、迷惑だと全力のアピールを赤坂さんに叩きつけてから部屋へと招き入れた。
 赤坂さんの家と違って至って普通のワンルームなので玄関から部屋は直通。
 家の中に入った赤坂さんは周囲を目で撫でるように眺め、
「よく片付いてるわね」
 俺を見上げて笑顔。
「住んで間も無いだけですよ」
「本当だ、ダンボール積んだまま」
 部屋の隅に積んである二つのダンボール箱を指差すと、赤坂さんはそれに近付いていく。
「わぁ、これ高校の卒業アルバム?」
「ちょっと、何勝手に中漁ってるんですか」
 半開きになっていたダンボール箱の中から取り出された高校の卒アル。そういえば一番上に置いてあったけど、自由かこいつは。
「ふふふ、少しくらいいいでしょう?……あら?後ろのページにお友達のメッセージが書かれてないわ。どうして?」
「そこが同級生のメッセージで埋まるのを一般常識のように語らないで下さい。ていうかもう見るのやめろ」
「えぇ、こんなにアキ君可愛いのに。すっごく楽しそうよ?メイド服とか着ちゃって」
 勝手にパラパラとページをめくって、よりにもよってわざわざ俺の黒歴史を晒してくる。
 高三の文化祭の時の写真だ。クラスでジュースを売るだけの店を出店したのに何故か悪ノリで着させられ、その上写真まで撮られたという最悪な一枚。恥だ。咲季に見つかったら一生馬鹿にされるだろう。
「いや、目ちゃんと見えてます?すっごく嫌そうな顔してますからね?」
「けど生き生きしてるわ。いつも一緒に写ってる男の子のお陰かしら」
 一緒に写っている男子というのは高校に入って新しく出来た友人。あいつがいなければ俺の高校生活は完全にぼっち生活だった。
 だから、生き生きしているように見えたのならあいつのお陰なのだろう。
「……そうですね」
「そう、いい友達なのね」
 赤坂さんが郷愁に駆られたように遠い目をしている。誰を思い出しているかは言わずとも分かった。
「で、本当に何の用です?」
 いい加減にしろと赤坂さんの手から卒アルを回収しつつ、逸れていた話の軌道を無理矢理所定位置へ戻した。
 赤坂さんはまだ無駄話に花を咲かせたかったのか、不満げにぷいっと顔を逸らして拗ねたような態度。芝居だと分かっていても言葉に詰まってしまうくらいの威力があるのが凄い。
 無言で睨み続けていると観念したのか、
「これ」
 淡い緑のポーチから折りたたまれたコピー用紙を取り出し、広げた。
 広げたその紙は何かが印刷されていた。写真だ。
 それが何なのかすぐに分かった。この前大学中に貼られた、俺が赤坂さんに掴みかかっている画像の張り紙だった。
 見た瞬間、苦い記憶が呼び起こされて顔を顰める。
「…………あんたがやったんだろ。今更なんだよ」
「え、私がやったと思っていたの?」
「違うのかよ」
「酷い、違うわ」
 酷いって、普段の行いを振り返ってから言ってくれ。
 とはいえ、赤坂さんが関係している+俺への嫌がらせとなれば反射的に犯人=赤坂さんという法則が頭の中に出来上がっていたから自然と犯人だと思っていた。けどこの反応は本当に違うっぽいな。
 じゃあ誰だよ。
「犯人を特定して、もうこういうのは止めるように言ったわ。今後は怖い人に絡まれないと思うから安心して」
 ああ、けど確かに、冷静に考えれば写真撮った第三者がいるわけだし、そいつがやったと考えるのが自然か。
 しかし俺は大学で薄い繋がりしか作っていないから恨まれる可能性はほぼ無いと思うんだけどな。赤坂さんの親衛隊みたいなのが居て、そいつらの逆鱗に触れたんだろうか。
 それとこの人、サラッと言ってるが犯人特定できたのかよ。まあ、犯人は赤坂さんを被害者としているわけだから本人に対して口が軽くなるのは当たり前か。
「あー……そうですか」
「気になる?犯人のこと」
 丸テーブルの側の床に横座りをして俺を見上げる赤坂さん。子供がお菓子を期待するような目。何だよその目やめろこっち見んな。
「気になるならないで言ったらなるけど、いいですよもう。知っても不愉快になるだけだし。それよりも何で赤坂さんが犯人突き止めたのか聞きたいけど。今までなら嬉々として乗っかって俺を追い詰めるくらいやってのけたでしょ」
 窓と薄いカーテンを閉め、部屋の隅に置いてあったエアコンのリモコンを取り、電源をつける。
 蝉の声が和らぎ、代わりに独特の「ごおおお」という音が部屋に響く。冷気が一気に流れていき、茹だっていた身体に染みた。
 そうやってる間、赤坂さんは俺の返答に満足そうに「やっぱりアキ君だね」とか意味不明な言葉を呟いていた。おまけにエンドレスでクスクス笑っている。不気味だ。
「あの、勝手に自己完結しないでくれます?自分の世界から帰って来い?」
「ふふふふふ、ごめんなさい、アキ君が本当にキレイでつい。ええと、何で私がアキ君に意地悪しないかだったかしら?」
 上に視線を向けて考えるような仕草。
「そうね……執着し続けるのって楽だけど、同じくらい辛いの」
「なんですかそのなぞなぞみたいな文は」
 少し距離を置いて地面にあぐらをかきつつ、赤坂さんを横目で眇めた。
 またはぐらかしてるんだろうか。
「誰かを恨まずにいられなかった。誰かに恨んで欲しかった。私の中にあったのはそれだけ。けど、霞ちゃんの手紙を見たら恨むなんて出来なくなっちゃった。だからやめたの」
「…………よくわからないけど、もう嫌がらせはやめたって事でいいんです?」
「ええ。私はアキ君の味方よ」
「胡散臭ぇ……」
「ふふ」
 だからその微笑ましげな笑みやめろっての。腹が立って《《感謝の言葉》》を言う気が失せる。
 感謝というのは今回の大学での騒動の件ではなく、俺達家族の騒動の件について。
 一昨日、父さんと対峙した時の事と、もう一つ。
 ちょうど程よく会話が途切れた。おそらく赤坂さんの要件が済んだからだ。
 今しかタイミングは無いだろう。この人に感謝するのは気が引けるが恩は恩だ。
「ありがとう」
 きょとんと赤坂さんが首を傾げた。
 突然だったからか本当に分かっていない様子。
「咲季の退院はあんたがいないと成り立たなかったと思う。あと過去の――中学の時の誤解を解いてくれただろ」
 咲季の退院を父さんが認めたのまでは良かったが、懸念があった。母さんだ。いくら父さんが退院を認めたと言っても心の中では快諾してくれるはずがなかった。最悪の場合、俺が父さんまでもそそのかしたなんて刃物を持ち出して錯乱し、咲季まで巻き込まれるくらいは予想出来る。
 それを防ぐため、すぐに俺の心証を良くしておく必要があった。だから父さんに退院を認めさせてすぐ、赤坂さんに過去本当にあった事を母さんに話して欲しいと頼んだ。それには菊池の弟――雄仁《ゆうじん》までも参加してくれて、数時間に及びつつも母さんを納得させてくれたのである。
 ……俺がいたらややこしくなりそうだからと当の本人はその場にはいなかったんだけど。
 それを含めて雄仁とこの人にはかなりの申し訳無さと感謝があった。
「……その事。それなら最初からやろうって話してたじゃない」
 赤坂さんは珍しく二の句が継げないような困惑の表情を一瞬だけ見せたが、すぐにいつもの調子で微笑む。
「そりゃそうだけど、赤坂さん達に任せっきりだったし……お礼を言わないのは違うでしょ」
「本当にいいのに。面白かったもの。みっともなく否定してたおばさんに新聞記事やネットの記事を見せて理詰めして追い詰めるの」
 うわぁ、本当に愉しそうに笑ってるよ怖ぇ。
 だけどそのおかげで咲季が退院した今も落ち着いて……というか意気消沈しているから良かったのかも知れないな。
 しかし、新聞か。その発想は抜けていた。そういえば当時援交をしていた教師が捕まって過去の事件が明るみに出たと雄仁が言っていた。ならばどこかしらで記事になっていても不思議じゃない。俺達が気づかなかっただけで。
 けどそんな証拠品の用意があったなんて聞いてなかったな。
 思っていると赤坂さんは思考を読んだみたいに、
「新聞記事は櫻井さんが用意してくれたのよ」
「櫻井さんが?」
「ええ。なんでも甥っ子に記者の人に伝手《つて》のある子がいるらしくって」
 どんな甥っ子だ。
 多分櫻井さんが自分で調べてくれたんだろう。恥ずかしいからって適当なでまかせ言ってるんだろう。
「なんにしても、咲季ちゃんが無事退院できて良かったわ」
「………………うん、そう、だね、うん」
「どうしてそんなに歯切れが悪いのかしら」
「いや、あんたが綺麗なこと言ってると裏があるって勘ぐるんだよ」
「えぇ、何よそれ」
 微笑むばかりの赤坂さんは本心を言っているのか全くもって読めない。
 けど少なからず本音が混じっている気がした。
 だって元々咲季に退院するよう仕向けたのはこの人だ。今までは俺達を引っ掻き回して愉しんでるだけだと思っていたが、よくよく考えてみると自分と同じような境遇にいる俺達への同情があったんだと思わざるを得ない。そうでもなければ咲季のためになるような事をわざわざ提案しないだろうから。
 どんなに破綻してねじ曲がろうが心根の部分が優しかったのは幼馴染の俺がよく知っている。
「そう思うのは、都合良すぎるかな」
 直接訊いたってはぐらかされるだけ。
 それなら都合のいい解釈を信じていた方がいくらか健全だろう。
 こういう積み重ねが、いつかこの人を許せる時に繋がると信じる。
「笑ってる?」
「は?笑ってませんが」
「そうかなぁ?」
「……もう要件終わったでしょ。帰ってください」
「照れてるアキ君、可愛い」
 とびきりの笑顔が向けられる。
 照れてねぇよ。むしろその笑顔で鳥肌立ったわ。
 やっぱりこの人許すとか一生無理。
 今までの嫌がらせに対する謝罪が先だこの野郎。
「ともかく帰ってください。俺はそろそろ用事がある事を思い出したんです」
「用事?」
「今日は荷物持ち頼まれてるんで」
 あんたと過ごすよりは人使いの荒い妹のお供の方が優先事項なんでね。