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fragment6 結愛の章(5)

ー/ー



「赤坂さーん、ここ教えて」
「うん。えっとここはこの前習った公式を途中で使って数値を代入して……」
「結愛ちゃん私にもー!」
「ちょっと待っててね」

 昼休みの教室。
 私はクラスメイトに囲まれてちょっとした勉強会を開いていた。
 直前にやった数学の授業で出た問題の解き方が分からないとクラスメイトから声をかけられ、それに対応していたらいつの間にかぞろぞろと私の周りに人が集まりだしたという具合。なので勉強会というかは(はなは)だ疑問だけれど、皆が楽しそうにしているからこれは〝良い行動〟なんだろう。それなら良いかな。

「赤坂勉強教えてんの?俺も混ぜてくれよ」
「カイダくんはノリで言ってるだけでしょう?駄目」
「あ、バレた?」

 クラスメイトのヤスダくんの冗談を軽くいなすと瞬間、どっと私の周囲が笑いに包まれた。
 私も笑顔でそれに応える。

 私は中学三年生になった。
 一、二年生の時のクラスメイト達はほとんどが別のクラスになり、心機一転の三年生。学園生活はとても順調だった。
 一年生の時に節操無く築いた人脈のおかげで、〝知り合い〟程度の間柄の人ならクラスメイト以外にも沢山いたからだ。
 関係値が少なからずあるのならば、取り入るのは凄く簡単。既に私はクラスの中心に立っている。

〝三年一組の教室は和気藹々(わきあいあい)としていて雰囲気が良い〟。

 そんな事を担任の先生が言っていた。
 当たり前だ。私がそういう雰囲気を作っているのだから。クラスメイトのほとんどが私の事を好いている。だから私の嫌な事は出来ない、したくない。そういう仕組み。

 学校内のカーストは椅子取りゲーム。いかに素早く、空振りせずに上の席に座れるかが重要。コツさえ掴めればこうも簡単に教室を掌握できる。
 ……それに成功したというのに、やっぱりつまらない、物足りないと思うのは欲が強すぎるのかな。
 ずっと炎天下で歩き続けているみたいな恒常的な渇きが私の中にあった。

「ていうか赤坂達さ、休み時間に勉強とかまじでイカれてるっしょ」
「イカれてて結構ですー!ウチらと結愛ちゃんとで楽しんでるんで甲斐田君はさっさとお家に帰って遊んでテストで悪い点とりなー!」

 また笑いに包まれる教室。
 私もつられた笑う。頬が少し痛い。
 笑う場面だから笑わなければいけない。場の空気を乱してしまうから。
 茶番だ。予定調和じみていて酷く無為に感じる。
 感情と表情が乖離していって本来の自分がどうだったか分からなくなっていた。

 止めたらいいのにと自分で思う。
 でも呪いのようにまとわりついた強迫観念が私を縛るのだ。
 私は完璧でいたい。いなくてはいけない。
 汚い私にはそれしか取り柄なんて無いのだから。

 # #

「〝アキ君〟」
「え?」
「そう呼んでるんだね。片桐さんの事」

 放課後、私と霞ちゃんは公園のベンチで座っておしゃべりをしていた。
 ゲームセンターに遊びに行った帰り、遊びで(たかぶ)った気持ちが冷めぬまま別れるのも気が乗らず、目についた公園で話してから帰宅しようという話になったのだ。

 春の陽気と心地良い風が清々しい空気を運んで鼻孔をくすぐる。
 そろそろ五月の半ば。周囲は青々しく茂った木の匂いが充満していた。他の誰もいない公園は世界から切り取られた箱庭のようで、少し不思議な気分になれる。

「うん、幼馴染。というかアキ君の事どうして知ってるの?」
「知ってるもなにも、有名人だよ片桐さん。全てを暴力で解決するクラシックヤンキーが現れた!とかなんとかで、私のクラスではよく話題に出てるもん」

「クラシック……」

 ちょっと面白い言われようだった。

「けど私許せない。暴力なんて絶対駄目!暴力で解決したらだめなんだよ!」
「〝それを()とする世の中は闘争を多く生み、世界を破滅に導く〟から?」
「そうそう……あ」

 私が(そら)んじると少し顔を赤らめる霞ちゃん。
 いつだったかに霞ちゃんにおすすめされたファンタジーライトノベルの主人公のセリフだ。

「う、結愛ちゃん覚えてたんだ」
「私も読み込んだからね」
「うぅ、看破されると凄く恥ずかしい……」

 看破も何もいつもの事だからなぁ。
 何回か同じやり取りをした事がある。

「いいじゃない。悪い事言ってるわけじゃ無いんだし。それに小説のセリフを言ってみたくなったり、その考えに影響されてしまうのは私にもあるわ。読書家なら普通よ」
「そうかな」
「人生の教科書みたいなものだし」

 霞ちゃんはその言葉に激しく頷いて、

「うん。うん!分かる!すっごく分かるよ結愛ちゃん!本は人生の教科書!うんうん!」

 目を輝かせて私の手を取った。

 苦笑する。
 読書家なら普通なんて言ったけれど、実際はそうは思っていない。霞ちゃんが小説から影響を受ける度合いは尋常ではないからだ。
 だって本当に価値観や考え方が、おすすめされた小説の登場人物に寄り過ぎている。まるで登場人物の心をインストールしたみたいにトレースしている。例えば今の〝暴力は駄目だ〟と言うのは霞ちゃんからおすすめされたライトノベルの登場人物の考えだ。それを本当に自分の考えとして話していた。
 他にも〝輝かしい誰かのために生きたい〟だとかロマンチックな事を言っていたけれど、それも霞ちゃんが読んでいた恋愛小説の登場人物のセリフだった。

 曖昧な仮説だけれど、理由の予想はつく。
 霞ちゃんの家は日々の生活を続けて行くのに精一杯で家族の交流は少ないそうだ。
 お金が無いから遊びに行けず、今まで友達も出来なかった。だから霞ちゃんの価値観を広げるものはお金がかからない、尚且(なおか)つ一人で完結するもの――図書室や図書館の本しかなかったのだ。
 なまじ霞ちゃんは純粋だからその影響が顕著に出ている。

 継ぎ接ぎのマスクを被って自分だって言っているみたいだ。
 けれどそのマスクはとっても綺麗で憧れる。

「だからこんなにも居心地が良いのかな……」
「うん?何か言った?」

 首を傾げた霞ちゃんに手を振り、私は強引に話題を逸らす。

「話は戻るけれど、アキ君はそんなに悪い子じゃ無いわ。確かに暴力は良くないけれど、誰かのために本気で怒れる良い子なの。それだけは分かってね」
「……そうなの?」
「ええ」
「怖くないの?」
「元はといえば喧嘩ばかりしてるのは私が上級生に絡まれてるのを助けてくれたのが原因だし、素直な良い子だから怖いなんてこと無いわ」
「……そっか、結愛ちゃんがそう言うならそうなのかなぁ」
「なにそれ?」
「だって結愛ちゃんは今まで会った事無いくらい良い人だもん」

 良い人?
 私が良い人?

「可愛くて何でも出来て、それでいて私なんかとも仲良くしてくれて、」

 そんなわけ無い。
 思わず唇を噛んだ。握った手が痛い。
 

「私、結愛ちゃんと出会えて本当に良かった」
「っ」

 だって私は知っている。
 二年生になってから今日まで、霞ちゃんが虐められている事を知っている。
 教科書を捨てられたり、破かれたりしているのを知っている。教室で悪口言われてるのを知っている。
 皆それを見て見ぬ振りをしてる。先生も、そして私も。
 霞ちゃんは私が違うクラスだから気付いていないって思ってるんだろう。だけど別のクラスで酷い虐めがあるっていうのは有名なのだ。それが霞ちゃんの話だって事はすぐに分かった。
 分かった上で、私は何もしていない。
 怖くてとても霞ちゃんを庇おうなんて思えないから。
 私は完璧でなくてはいけない。虐めなんて二度とごめんだ。だから関わりたくない。

 なのに、そう思ってるのに私は霞ちゃんとこうして関わっている。楽しいから、一緒に居ると安らぐから。
 自分の都合を押し付けてる。こんなのが良い人なんて言えるのだろうか。
 ……言えるはずがない。

「結愛ちゃん?」
「えっ?な、何?」

 霞ちゃんが私の顔を覗きこんだ。心配そうな表情で。

「どうしたの?具合悪い?」

 止めて。
 私はあなたにそんな表情(かお)をされる資格なんて無い。
 こんな醜い私に優しさを向けないで。

「大丈夫。ちょっと目眩がしただけ……」
「そっか。何かあったら言ってね!力になれるか分からないけど……」

 照れ臭そうに笑う顔。
 純粋な気持ちが窺えた。
 虐められて日々追い詰められているだろうに、どうしてこんなに他人のことを想えるのだろう。どうして綺麗なままでいられるのだろう。


「お、居た居た。」

 考えていると、どこからか声が聞こえた。
 低い声。

 辺りをぐるりと見渡すと、正面。公園の外に一人の男の子が立っていた。
 ベリーショートの髪の毛に肉食獣を思わせるような鋭い目をした、背の高い子。
 私は彼を知っていた。

「ツジドウ……くん?」

 確かそんな名前だった。
 去年クラスメイトに部活の後輩だと紹介された事があった。
 最近はアキ君と交流があるみたいで印象が強い。一つ下だから二年生だ。
 そんな彼が私達に何の用だろう。
 ふと隣を見ると、霞ちゃんが目を何度も瞬かせて動揺しているのが分かった。
 知り合いなのだろうか。

「辻堂さん、どうして」

 霞ちゃんが声をあげて応えた。
 ツジドウくんは後ろ髪をガシガシと乱暴に掻きながら私達のベンチへと歩いて来て、

「ゲーセン行ったら姿見かけたんで、丁度いーなって。今時間もらっていいっスか?」
「…………」

 良くないという雰囲気。

「霞ちゃん?」
「菊池センパイスマホ持ってねーから用事は会った時に伝えときたいんスよね」

 心配で声をかけるとツジドウくんがやれやれといった風に肩をすくめて見せた。
 霞ちゃんはやはり身体を強張らせたまま何も言わない。
 嫌な感じがする。
 数秒の沈黙の後、霞ちゃんは立ち上がった。

「分かりました。結愛ちゃん、ちょっと話してくるから先に帰っててくれる?」
「え、でも」
「辻堂さんとは同じ美化委員なんだ。明日お仕事が何かあるんじゃないかな。長くなると思うから、ね」

 今、私と霞ちゃんは同じ図書委員会ではない。霞ちゃんは図書委員を希望したけど無理矢理蹴落とされた。本人はそうは思ってないみたいだけれど、聞く限り虐めの一環なんだろうと思う。
 だから私は霞ちゃんの委員会の仕事には全く関係が無いわけで、そう言われたら立ち去るしか無い。
 けれどなんだか気になって食い下がってしまう。

「大丈夫?」
「何が?」

 霞ちゃんの反応は自然だ。
 いきなり「大丈夫?」だなんて言われたら首を傾げてしまうのは当然だと思う。私はただ第六感で何かを感じ取っただけ。

「菊池センパイ話終わった?」
「うん。今行きます」

「じゃあね」と手を振って霞ちゃんはツジドウくんと一緒に公園の外に行ってしまう。
 それがひどく心細くて、霞ちゃんがどこか遠くへ行ってしまうのではないかと、恐怖すら感じた。


 ――そしてそれは現実のものとなる。













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「ちょっと待っててね」
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 私はクラスメイトに囲まれてちょっとした勉強会を開いていた。
 直前にやった数学の授業で出た問題の解き方が分からないとクラスメイトから声をかけられ、それに対応していたらいつの間にかぞろぞろと私の周りに人が集まりだしたという具合。なので勉強会というかは甚《はなは》だ疑問だけれど、皆が楽しそうにしているからこれは〝良い行動〟なんだろう。それなら良いかな。
「赤坂勉強教えてんの?俺も混ぜてくれよ」
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「あ、バレた?」
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 私は中学三年生になった。
 一、二年生の時のクラスメイト達はほとんどが別のクラスになり、心機一転の三年生。学園生活はとても順調だった。
 一年生の時に節操無く築いた人脈のおかげで、〝知り合い〟程度の間柄の人ならクラスメイト以外にも沢山いたからだ。
 関係値が少なからずあるのならば、取り入るのは凄く簡単。既に私はクラスの中心に立っている。
〝三年一組の教室は和気藹々《わきあいあい》としていて雰囲気が良い〟。
 そんな事を担任の先生が言っていた。
 当たり前だ。私がそういう雰囲気を作っているのだから。クラスメイトのほとんどが私の事を好いている。だから私の嫌な事は出来ない、したくない。そういう仕組み。
 学校内のカーストは椅子取りゲーム。いかに素早く、空振りせずに上の席に座れるかが重要。コツさえ掴めればこうも簡単に教室を掌握できる。
 ……それに成功したというのに、やっぱりつまらない、物足りないと思うのは欲が強すぎるのかな。
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「ていうか赤坂達さ、休み時間に勉強とかまじでイカれてるっしょ」
「イカれてて結構ですー!ウチらと結愛ちゃんとで楽しんでるんで甲斐田君はさっさとお家に帰って遊んでテストで悪い点とりなー!」
 また笑いに包まれる教室。
 私もつられた《《ように》》笑う。頬が少し痛い。
 笑う場面だから笑わなければいけない。場の空気を乱してしまうから。
 茶番だ。予定調和じみていて酷く無為に感じる。
 感情と表情が乖離していって本来の自分がどうだったか分からなくなっていた。
 止めたらいいのにと自分で思う。
 でも呪いのようにまとわりついた強迫観念が私を縛るのだ。
 私は完璧でいたい。いなくてはいけない。
 汚い私にはそれしか取り柄なんて無いのだから。
 # #
「〝アキ君〟」
「え?」
「そう呼んでるんだね。片桐さんの事」
 放課後、私と霞ちゃんは公園のベンチで座っておしゃべりをしていた。
 ゲームセンターに遊びに行った帰り、遊びで昂《たかぶ》った気持ちが冷めぬまま別れるのも気が乗らず、目についた公園で話してから帰宅しようという話になったのだ。
 春の陽気と心地良い風が清々しい空気を運んで鼻孔をくすぐる。
 そろそろ五月の半ば。周囲は青々しく茂った木の匂いが充満していた。他の誰もいない公園は世界から切り取られた箱庭のようで、少し不思議な気分になれる。
「うん、幼馴染。というかアキ君の事どうして知ってるの?」
「知ってるもなにも、有名人だよ片桐さん。全てを暴力で解決するクラシックヤンキーが現れた!とかなんとかで、私のクラスではよく話題に出てるもん」
「クラシック……」
 ちょっと面白い言われようだった。
「けど私許せない。暴力なんて絶対駄目!暴力で解決したらだめなんだよ!」
「〝それを是《ぜ》とする世の中は闘争を多く生み、世界を破滅に導く〟から?」
「そうそう……あ」
 私が諳《そら》んじると少し顔を赤らめる霞ちゃん。
 いつだったかに霞ちゃんにおすすめされたファンタジーライトノベルの主人公のセリフだ。
「う、結愛ちゃん覚えてたんだ」
「私も読み込んだからね」
「うぅ、看破されると凄く恥ずかしい……」
 看破も何もいつもの事だからなぁ。
 何回か同じやり取りをした事がある。
「いいじゃない。悪い事言ってるわけじゃ無いんだし。それに小説のセリフを言ってみたくなったり、その考えに影響されてしまうのは私にもあるわ。読書家なら普通よ」
「そうかな」
「人生の教科書みたいなものだし」
 霞ちゃんはその言葉に激しく頷いて、
「うん。うん!分かる!すっごく分かるよ結愛ちゃん!本は人生の教科書!うんうん!」
 目を輝かせて私の手を取った。
 苦笑する。
 読書家なら普通なんて言ったけれど、実際はそうは思っていない。霞ちゃんが小説から影響を受ける度合いは尋常ではないからだ。
 だって本当に価値観や考え方が、おすすめされた小説の登場人物に寄り過ぎている。まるで登場人物の心をインストールしたみたいにトレースしている。例えば今の〝暴力は駄目だ〟と言うのは霞ちゃんからおすすめされたライトノベルの登場人物の考えだ。それを本当に自分の考えとして話していた。
 他にも〝輝かしい誰かのために生きたい〟だとかロマンチックな事を言っていたけれど、それも霞ちゃんが読んでいた恋愛小説の登場人物のセリフだった。
 曖昧な仮説だけれど、理由の予想はつく。
 霞ちゃんの家は日々の生活を続けて行くのに精一杯で家族の交流は少ないそうだ。
 お金が無いから遊びに行けず、今まで友達も出来なかった。だから霞ちゃんの価値観を広げるものはお金がかからない、尚且《なおか》つ一人で完結するもの――図書室や図書館の本しかなかったのだ。
 なまじ霞ちゃんは純粋だからその影響が顕著に出ている。
 継ぎ接ぎのマスクを被って自分だって言っているみたいだ。
 けれどそのマスクはとっても綺麗で憧れる。
「だからこんなにも居心地が良いのかな……」
「うん?何か言った?」
 首を傾げた霞ちゃんに手を振り、私は強引に話題を逸らす。
「話は戻るけれど、アキ君はそんなに悪い子じゃ無いわ。確かに暴力は良くないけれど、誰かのために本気で怒れる良い子なの。それだけは分かってね」
「……そうなの?」
「ええ」
「怖くないの?」
「元はといえば喧嘩ばかりしてるのは私が上級生に絡まれてるのを助けてくれたのが原因だし、素直な良い子だから怖いなんてこと無いわ」
「……そっか、結愛ちゃんがそう言うならそうなのかなぁ」
「なにそれ?」
「だって結愛ちゃんは今まで会った事無いくらい良い人だもん」
 良い人?
 私が良い人?
「可愛くて何でも出来て、それでいて私なんかとも仲良くしてくれて、」
 そんなわけ無い。
 思わず唇を噛んだ。握った手が痛い。
「私、結愛ちゃんと出会えて本当に良かった」
「っ」
 だって私は知っている。
 二年生になってから今日まで、霞ちゃんが虐められている事を知っている。
 教科書を捨てられたり、破かれたりしているのを知っている。教室で悪口言われてるのを知っている。
 皆それを見て見ぬ振りをしてる。先生も、そして私も。
 霞ちゃんは私が違うクラスだから気付いていないって思ってるんだろう。だけど別のクラスで酷い虐めがあるっていうのは有名なのだ。それが霞ちゃんの話だって事はすぐに分かった。
 分かった上で、私は何もしていない。
 怖くてとても霞ちゃんを庇おうなんて思えないから。
 私は完璧でなくてはいけない。虐めなんて二度とごめんだ。だから関わりたくない。
 なのに、そう思ってるのに私は霞ちゃんとこうして関わっている。楽しいから、一緒に居ると安らぐから。
 自分の都合を押し付けてる。こんなのが良い人なんて言えるのだろうか。
 ……言えるはずがない。
「結愛ちゃん?」
「えっ?な、何?」
 霞ちゃんが私の顔を覗きこんだ。心配そうな表情で。
「どうしたの?具合悪い?」
 止めて。
 私はあなたにそんな表情《かお》をされる資格なんて無い。
 こんな醜い私に優しさを向けないで。
「大丈夫。ちょっと目眩がしただけ……」
「そっか。何かあったら言ってね!力になれるか分からないけど……」
 照れ臭そうに笑う顔。
 純粋な気持ちが窺えた。
 虐められて日々追い詰められているだろうに、どうしてこんなに他人のことを想えるのだろう。どうして綺麗なままでいられるのだろう。
「お、居た居た。」
 考えていると、どこからか声が聞こえた。
 低い声。
 辺りをぐるりと見渡すと、正面。公園の外に一人の男の子が立っていた。
 ベリーショートの髪の毛に肉食獣を思わせるような鋭い目をした、背の高い子。
 私は彼を知っていた。
「ツジドウ……くん?」
 確かそんな名前だった。
 去年クラスメイトに部活の後輩だと紹介された事があった。
 最近はアキ君と交流があるみたいで印象が強い。一つ下だから二年生だ。
 そんな彼が私達に何の用だろう。
 ふと隣を見ると、霞ちゃんが目を何度も瞬かせて動揺しているのが分かった。
 知り合いなのだろうか。
「辻堂さん、どうして」
 霞ちゃんが声をあげて応えた。
 ツジドウくんは後ろ髪をガシガシと乱暴に掻きながら私達のベンチへと歩いて来て、
「ゲーセン行ったら姿見かけたんで、丁度いーなって。今時間もらっていいっスか?」
「…………」
 良くないという雰囲気。
「霞ちゃん?」
「菊池センパイスマホ持ってねーから用事は会った時に伝えときたいんスよね」
 心配で声をかけるとツジドウくんがやれやれといった風に肩をすくめて見せた。
 霞ちゃんはやはり身体を強張らせたまま何も言わない。
 嫌な感じがする。
 数秒の沈黙の後、霞ちゃんは立ち上がった。
「分かりました。結愛ちゃん、ちょっと話してくるから先に帰っててくれる?」
「え、でも」
「辻堂さんとは同じ美化委員なんだ。明日お仕事が何かあるんじゃないかな。長くなると思うから、ね」
 今、私と霞ちゃんは同じ図書委員会ではない。霞ちゃんは図書委員を希望したけど無理矢理蹴落とされた。本人はそうは思ってないみたいだけれど、聞く限り虐めの一環なんだろうと思う。
 だから私は霞ちゃんの委員会の仕事には全く関係が無いわけで、そう言われたら立ち去るしか無い。
 けれどなんだか気になって食い下がってしまう。
「大丈夫?」
「何が?」
 霞ちゃんの反応は自然だ。
 いきなり「大丈夫?」だなんて言われたら首を傾げてしまうのは当然だと思う。私はただ第六感で何かを感じ取っただけ。
「菊池センパイ話終わった?」
「うん。今行きます」
「じゃあね」と手を振って霞ちゃんはツジドウくんと一緒に公園の外に行ってしまう。
 それがひどく心細くて、霞ちゃんがどこか遠くへ行ってしまうのではないかと、恐怖すら感じた。
 ――そしてそれは現実のものとなる。