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第三十七話 どうしてこんなに苦しいんだろう

ー/ー



 テスト前という事で講義は今までの復習が主だった。どんな所がテストに出るのか、覚えておいた方がいい公式などを紹介し、90分の講義は早めに切り上げられて60分で終わった。空いた時間をテスト勉強に使えという教授の気遣いか、それとも単に講義するのが面倒だったのか。
 ともかく時間に大きな空きが出来たわけだけど、どうしようか。

 思って席から立ち上がると、縦に長い教室内の一番後ろの席にいる数人の女が目に入った。
 恐らくは上級生。今回の講義は歴史学で、どの学年でも出れるものだったから上級生がいるのは別に不思議ではない。
 問題なのは彼女達が鋭い敵意に満ちた目でこちらを睨みつけている事だ。

 居心地が悪くて足早に教室を去ろうとすると、

「ねぇ」

 背後から肩を掴まれた。
 Ꭲシャツ越しに爪が食い込み、痛みが走る。
 振り向くとそこには一人の女。派手な見た目で、長い髪を真っ青に染めている。
 後ろの女子達と同じく俺に明らかな敵意を向けていた。

「ちょっと話あるんだけど」

 おそらくこの、周囲からまとわり付く視線の原因についての話なんだろう。教室の後ろにいた女子達も呼応するようにこちらへ歩き出した。
 嫌な予感しか無いが、ついていくしか選択肢は無さそうだった。


 #

 重い沈黙の中連れてこられたのは、大学の端にある校舎(確か9号館とか言ったか)の中の奥。普段人が全くと言っていいほど来ない旧化学実験室だった。今は新しく出来た実験室があるため講義で使われることが無いから近寄るやつはいない。夜になるとカップルがじゃれ合う場になるらしいが、今みたいな昼間には当然人気は無い。
 校舎の奥にあるため日当たりも悪く薄暗い。締め切った窓からわずかに漏れる弱い光がリノリウムの床にぼんやりと反射しているだけだ。
 実験室の扉の前で青髪の女が止まり、こちらを向く。すると視界の端の窓際に背をつけてスマホをいじっていた男がこちらへ近寄ってきた。多分この人達の仲間だろう。待ち合わせていたらしい。
 これで計5名。軽く囲まれるようにされた俺は自然と下がっていた視線を上げて目の前の青髪の女を見た。
 沈黙を切って先に切り出したのは女。

「コレ」

 突然スマホを目の前に突きつけられる。
 そこには大学の校内の至る所にある掲示板の内一つ――カフェテリアの壁にあるものだ――が映っていた。そしてその掲示板に貼り付けてあるのは……

「説明してくれる?」
「……なるほどね」

 思わず呟いた。
 吐息混じりだったのは諦めが無意識に出てしまったからだろう。

「何がなるほどなんだよ」

 青い髪の女の横に立っていたショートカットの女が剣呑とした態度で前に出た。

「いえ、別に……」

 力無く俯きがちに言うと、ショートカットの女が俺の肩を強く突っぱねた。

「ふざけてんのアンタ?」

 苛立ちを顕に迫る女。
 それに追随するように青い髪の女も俺に詰め寄った。

 次いで、俺の胸ぐらを掴む。力の入っていない身体は容易に壁に叩きつけられた。

「こうやって結愛の事も脅しつけたわけ?」
「ぐ……」

 さっき見せられた画像。
 そこに映っていたのは、俺と赤坂さんが大学で話していた瞬間を隠し撮りしたような写真。
 それだけでは大した問題にはならないが、問題はそれが先日、
 ここだけを切り取れば誰がどう見ても最悪な瞬間で、友達であれば激怒して然るべきだろう。

 どうやら偶然あの瞬間を見ていた誰かに丁度いいゴシップとして取り上げられてしまったらしい。
 ミスコン優勝者の有名人が暴行を受けていたなんて恰好のネタだ。

「黙ってないでなんか言えよ!」

 首を圧迫するように手を押し付けられる。
 苦しくて少し嘔吐いた。
 俺は少し気になって、震える口を動かした。

「……あなた達は、赤坂さんの友達ですか?」
「それがなに」
「いえ、別に」

 あの人は良い友達を持ってるんだなと思っただけだ。
 この人達が赤坂さんの本性を知ったらどう思うだろう。
 もしこの場で俺があの人の日頃の行いを暴露すれば、こんな不毛な(いさか)いは終わってくれるのだろうか。
 ……いや、言ったところでこの人達は信じない。あの外面は完璧で、俺以外の人間からすれば疑いようもない〝良い人〟なのだから。
 それに、俺があの人の態度に苛立ってつい手が出てしまったのは事実だ。責められたところで文句は言えないだろう。

「お前さぁ、こんだけの事してその態度はないんじゃねーの?」

 今まで静観していた男が前に出た。
 ガタイも良く、半袖から覗く腕には隆々とした筋肉がついている。もしも俺が暴れた場合の保険か。
 暴れたところですぐに取り押さえれるであろう自信がうかがえた。実際、一番この中で落ち着いた態度を取っている。

「こんだけの事って、どういう事ですか?」
「告ってフられた腹いせで赤坂に暴力を……って聞いてるんだが?」

 そういう話になっているのか。
 誰が流した噂か知らないが、出来の悪い嘘だ。

 ……ふと、昔見た光景が蘇った。

 菊池を虐めて自殺に追い込んだ犯人。
 そう言って俺を指差す周囲の人間。
 俺の言葉なんて聞く耳持たず、責め立てる教師。父さんと母さん。

「胸ぐら掴んだのは本当ですけど、告白とか腹いせとか、違いますよ」
「じゃあなんだってのよ!」
「あんなに良い子に手を上げる理由なんて逆恨み以外あり得ないし!」

 俺は知っている。
 人は信じたいものを信じる。盲目的と言えるほど他の意見を受け付けない。
 だから足掻いたところでどうしようもないんだ。


「それとあんた、中学生の時女の子虐めて自殺まで追い込んだんだろ!」

「え?」

 意図せず、声が出た。

「そんなやつの言う事信じらんないから!」

 左右から唾を飛ばして甲高い声を上げる女達。
 俺と全く関わりの無い人物が知るはずも無い情報が出てきて思考が一瞬凍った。
 だが、すぐに納得する。

 赤坂さんだ。

 あの人はそんな事まで話したのか。
 どこまでも俺に嫌がらせをしたいらしい。俺の苦しむ姿を見てほくそ笑んでいるのだろう。
 だけど、今回ばかりは彼女に対する悪意は湧いてこなかった。

「この人殺し!」

 ――代わりに、ぷつんと。

 何かが切れるような音が鳴って。
 そうしたら、目に映る全てが彩りを失って。
 身体から力が抜けたように頭が下がって、

「聞いてんのかよ人殺し!」

「よくものうのうと生きてられるよね」

 自分の周囲に深く影が射した。
 白くなった手が酷く穢らわしい。
 気持ち悪い。

「謝れよ!」
「土下座よ土下座!」

 この人達の言う通りだ。
 俺は生きている価値なんて無い。
 親にも認められないような人間なのだから。

「…………………」
「無視してないでさっさと謝れよクズ!」

 肩を突き飛ばされる。
 よろめいて、跪く身体。

 そうだ。俺は屑だ。
 そのまま手をついて頭を下げた。

「ごめん、なさい」

 菊池が自殺するほどに追い詰められてるなんて気付かなかった。
 辻堂のやっていた事を容認していた。
 そうか。だから、俺は父さんと母さんから見捨てられたんだ。
 人殺しだと言われても仕方の無いことだ。

「キャハハ!ほんとにやったんだけど!きっしょ!」
「ミク!ちゃんと動画撮っといてよ!」

 俺の頭を足蹴にしながら、女達が笑う。

「ほら、もっとちゃんと謝れよ!最低のクズ野郎!」

 当たり前の事を言われているだけ。その、はずなのに……どうしてこんなに苦しいんだろう。











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 ともかく時間に大きな空きが出来たわけだけど、どうしようか。
 思って席から立ち上がると、縦に長い教室内の一番後ろの席にいる数人の女が目に入った。
 恐らくは上級生。今回の講義は歴史学で、どの学年でも出れるものだったから上級生がいるのは別に不思議ではない。
 問題なのは彼女達が鋭い敵意に満ちた目でこちらを睨みつけている事だ。
 居心地が悪くて足早に教室を去ろうとすると、
「ねぇ」
 背後から肩を掴まれた。
 Ꭲシャツ越しに爪が食い込み、痛みが走る。
 振り向くとそこには一人の女。派手な見た目で、長い髪を真っ青に染めている。
 後ろの女子達と同じく俺に明らかな敵意を向けていた。
「ちょっと話あるんだけど」
 おそらくこの、周囲からまとわり付く視線の原因についての話なんだろう。教室の後ろにいた女子達も呼応するようにこちらへ歩き出した。
 嫌な予感しか無いが、ついていくしか選択肢は無さそうだった。
 #
 重い沈黙の中連れてこられたのは、大学の端にある校舎(確か9号館とか言ったか)の中の奥。普段人が全くと言っていいほど来ない旧化学実験室だった。今は新しく出来た実験室があるため講義で使われることが無いから近寄るやつはいない。夜になるとカップルがじゃれ合う場になるらしいが、今みたいな昼間には当然人気は無い。
 校舎の奥にあるため日当たりも悪く薄暗い。締め切った窓からわずかに漏れる弱い光がリノリウムの床にぼんやりと反射しているだけだ。
 実験室の扉の前で青髪の女が止まり、こちらを向く。すると視界の端の窓際に背をつけてスマホをいじっていた男がこちらへ近寄ってきた。多分この人達の仲間だろう。待ち合わせていたらしい。
 これで計5名。軽く囲まれるようにされた俺は自然と下がっていた視線を上げて目の前の青髪の女を見た。
 沈黙を切って先に切り出したのは女。
「コレ」
 突然スマホを目の前に突きつけられる。
 そこには大学の校内の至る所にある掲示板の内一つ――カフェテリアの壁にあるものだ――が映っていた。そしてその掲示板に貼り付けてあるのは……
「説明してくれる?」
「……なるほどね」
 思わず呟いた。
 吐息混じりだったのは諦めが無意識に出てしまったからだろう。
「何がなるほどなんだよ」
 青い髪の女の横に立っていたショートカットの女が剣呑とした態度で前に出た。
「いえ、別に……」
 力無く俯きがちに言うと、ショートカットの女が俺の肩を強く突っぱねた。
「ふざけてんのアンタ?」
 苛立ちを顕に迫る女。
 それに追随するように青い髪の女も俺に詰め寄った。
 次いで、俺の胸ぐらを掴む。力の入っていない身体は容易に壁に叩きつけられた。
「こうやって結愛の事も脅しつけたわけ?」
「ぐ……」
 さっき見せられた画像。
 そこに映っていたのは、俺と赤坂さんが大学で話していた瞬間を隠し撮りしたような写真。
 それだけでは大した問題にはならないが、問題はそれが先日、《《俺があの人の胸ぐらを掴み上げた場面だったという事》》。
 ここだけを切り取れば誰がどう見ても最悪な瞬間で、友達であれば激怒して然るべきだろう。
 どうやら偶然あの瞬間を見ていた誰かに丁度いいゴシップとして取り上げられてしまったらしい。
 ミスコン優勝者の有名人が暴行を受けていたなんて恰好のネタだ。
「黙ってないでなんか言えよ!」
 首を圧迫するように手を押し付けられる。
 苦しくて少し嘔吐いた。
 俺は少し気になって、震える口を動かした。
「……あなた達は、赤坂さんの友達ですか?」
「それがなに」
「いえ、別に」
 あの人は良い友達を持ってるんだなと思っただけだ。
 この人達が赤坂さんの本性を知ったらどう思うだろう。
 もしこの場で俺があの人の日頃の行いを暴露すれば、こんな不毛な諍《いさか》いは終わってくれるのだろうか。
 ……いや、言ったところでこの人達は信じない。あの外面は完璧で、俺以外の人間からすれば疑いようもない〝良い人〟なのだから。
 それに、俺があの人の態度に苛立ってつい手が出てしまったのは事実だ。責められたところで文句は言えないだろう。
「お前さぁ、こんだけの事してその態度はないんじゃねーの?」
 今まで静観していた男が前に出た。
 ガタイも良く、半袖から覗く腕には隆々とした筋肉がついている。もしも俺が暴れた場合の保険か。
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「こんだけの事って、どういう事ですか?」
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 ……ふと、昔見た光景が蘇った。
 菊池を虐めて自殺に追い込んだ犯人。
 そう言って俺を指差す周囲の人間。
 俺の言葉なんて聞く耳持たず、責め立てる教師。父さんと母さん。
「胸ぐら掴んだのは本当ですけど、告白とか腹いせとか、違いますよ」
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 俺は知っている。
 人は信じたいものを信じる。盲目的と言えるほど他の意見を受け付けない。
 だから足掻いたところでどうしようもないんだ。
「それとあんた、中学生の時女の子虐めて自殺まで追い込んだんだろ!」
「え?」
 意図せず、声が出た。
「そんなやつの言う事信じらんないから!」
 左右から唾を飛ばして甲高い声を上げる女達。
 俺と全く関わりの無い人物が知るはずも無い情報が出てきて思考が一瞬凍った。
 だが、すぐに納得する。
 赤坂さんだ。
 あの人はそんな事まで話したのか。
 どこまでも俺に嫌がらせをしたいらしい。俺の苦しむ姿を見てほくそ笑んでいるのだろう。
 だけど、今回ばかりは彼女に対する悪意は湧いてこなかった。
「この人殺し!」
 ――代わりに、ぷつんと。
 何かが切れるような音が鳴って。
 そうしたら、目に映る全てが彩りを失って。
 身体から力が抜けたように頭が下がって、
「聞いてんのかよ人殺し!」
「よくものうのうと生きてられるよね」
 自分の周囲に深く影が射した。
 白くなった手が酷く穢らわしい。
 気持ち悪い。
「謝れよ!」
「土下座よ土下座!」
 この人達の言う通りだ。
 俺は生きている価値なんて無い。
 親にも認められないような人間なのだから。
「…………………」
「無視してないでさっさと謝れよクズ!」
 肩を突き飛ばされる。
 よろめいて、跪く身体。
 そうだ。俺は屑だ。
 そのまま手をついて頭を下げた。
「ごめん、なさい」
 菊池が自殺するほどに追い詰められてるなんて気付かなかった。
 辻堂のやっていた事を容認していた。
 そうか。だから、俺は父さんと母さんから見捨てられたんだ。
 人殺しだと言われても仕方の無いことだ。
「キャハハ!ほんとにやったんだけど!きっしょ!」
「ミク!ちゃんと動画撮っといてよ!」
 俺の頭を足蹴にしながら、女達が笑う。
「ほら、もっとちゃんと謝れよ!最低のクズ野郎!」
 当たり前の事を言われているだけ。その、はずなのに……どうしてこんなに苦しいんだろう。