「んー?」
俺の呟きに男――辻堂が気づき、こちらに視線を向けた。俺の顔をよく見ようとしてか、ゆっくりと近づき、
「なにお前?オレの事知ってん……」
何かに気づいたように固まった。
「あァ、ハハッ!なんだ。…久しぶりだな片桐ィー」
「…覚えててくれてありがとう」
馴れ馴れしく傍まで寄ってきて俺の肩を叩いてくる辻堂。
最悪な気分だ。
「忘れるわけあるかよ。中2の頃まで一緒につるんでたんだし?」
「………………」
俺は答えず、視線だけを向ける。
本当に久々だ。この軽い態度。口調、低い声。全てが懐かしく、また、疎ましい。
ツンとした香水の匂いが鼻を過ぎた。
「不思議だよなぁ、楽しい思い出なんかほっとんど残ってねぇのに嫌ーな記憶ってのは中々抜けてかねーの」
静かに言うその表情は、笑み。肉食獣を思わせる犬歯がちらりと覗いた。
嫌な記憶ね。
思わず心中笑ってしまった。
「お互いな」
「うわ、怖い顔すんなよ。また殴られるかと思ったわ」
「……」
「おーおー、睨むねぇ。もしかしてまだ根に持ってんの?まあ、オレも割と根に持ってるんだけど」
部外者もいる場で軽い調子で過去を抉ってくるんじゃねぇよ。その銀髪全部白髪になってしまえ。
「うるさい黙れ。今そんな話をする気は無いんだよ」
いい加減暑苦しくなってきた腕を無理矢理剥がして押し返す。
すると事も無げに、
「ああ、そういやなんでこんなトコいんの?どっかビョーキした?」
「色々。それよりお前こそ病院で何してんだ」
「あー?オレも…ホラ、色々?」
「痴情のもつれで怪我して入院。今はナンパ中とか?」
「お、おぉ…オレの元カノレベルで察し良いな」
「あの頃から全然変わってなさそうだったからな。それくらい察しつく」
「今も昔もブレない男だからな」
「進歩がないって言ってんだよ馬鹿野郎」
「そういう片桐は随分変わったじゃねェの。雰囲気が」
ジロジロと眺めてくる辻堂にシッシと手を振ってやる。
「こっちはお前と違ってちゃんと日々進歩してんの」
「ハッ。退化の間違いだろ。険取れちゃってまー、ヘナヘナじゃん」
頭を軽く掴まれて揺らされる。
うざったい。
「……お兄ちゃん、知り合い?」
呼ばれて振り向く。
そこにはぽかんとした様子の咲季と凛の姿。
少し不安げに見えるのは、俺と辻堂の間に流れる不穏な空気を感じ取ってか。
しまったな。こいつらそっちのけで話してしまっていた。
出来れば紹介したくない事この上ないが、この状況ではそうもいかない。
俺は頭を掴んでいた辻堂の腕を思い切り振り払いつつ、
「あぁ、ごめん。えっと、残念ながら昔の知り合いにあたるクズ野郎だ」
「ひでぇ言いか…っておぉ!なになにその美少女!?」
咲季へ渋々紹介すると、辻堂は視線を咲季の方へ向け……向けるや否や、一瞬で俺を押し退けて咲季の目の前へ。
「あ、え、と、どうなんでしょ…」
「オレ辻堂明っての。よろしく〜」
人懐っこそうに犬歯を見せて笑う辻堂に、咲季は少し照れた様子で愛想笑う。
いやなに笑ってんの。
俺は間に割り込んで辻堂を押し返す。
「近づくな。触れるな。殴るぞ」
「うぉ、だから怖えーっつの。何?片桐の彼女なん?」
「か、かのじょ…!」
辻堂の馬鹿な発言に咲季の顔が赤らんだ。
いや、さっき「お兄ちゃん」って言ってただろうが。
……まあ、あながち間違いではないが。
思っていると服の袖を思いっきり掴まれて引かれる。
「聞きましたお兄様!彼女ですって!この人良い人!良い人!」
ぴょんぴょん跳ねて、しっぽでも幻視しそうなほど目を輝かせる咲季。
…何も知らないから仕方がないとはいえ、辻堂を「良い人」なんて言う咲季に、焦燥感に似た苛立ちを覚えた。
「良い人じゃねぇよ馬鹿。咲季、こいつとは今後一切喋るな。関わるな。いいな?」
「あ?んだよ片桐よォー!オレのワンナイトラブを邪魔する気か?お?」
頭を片手で掴まれる。
即座に叩き返した。
「黙れ。咲季に関わるな。それと今ストーキングしてる女の子にも一生関わるな。そして二度と姿を現すな」
敵意を込めて睨みつけるが、辻堂は罵倒の数々を完全に無視し、
「あァ、そういや今ナンパ中だったわ。え何?さっきのあの子も片桐の女なワケ?」
「違うけど手出ししたらぶっ飛ばす」
「あー分かった分かった。殴るのは勘弁」
両手を上げて降参のポーズ。
しかしこいつは過去に、人の恋人に平気で手を出して略奪したなんて事件を何件か起こした男だ。
そして、なんて事も無しに人を貶められるクズでもある。
だから俺はこいつが嫌いだし、警戒もする。
「ハッ、お前もさ、雰囲気は変わったけど、中身は全然昔のまんまじゃねぇか」
「は?」
嗜虐的に辻堂は笑った。
次いで、咲季を庇うような形の俺の肩に手をかけ、覗き込むように咲季へ顔を覗かせる。
「なァ、咲季ちゃん、だっけ?」
「え、はい」
「おい…!」
勝手に喋りかけてんじゃねぇと押し返そうとするが、今度は辻堂も抵抗してるらしく、ビクともしない。
「こいつは中学の時ね、人一人病院送りにしてんの。何発もぶん殴ってさ」
そして笑い混じりに吐かれた言葉は、俺に苦々しい記憶を呼び起こさせる最悪なものだった。
「…え…あ」
いつの日の話か、心当たりがあるんだろう。
目を見開いた咲季は、きっとあの日の出来事を思い返している。
「今はこんなだけどさァ、昔は気に入らねーやつ片っ端からぶん殴るド級の不良だったんだよ」
嫌らしい笑み。
俺と咲季の間に不和を生み出してやろうとでも思っているんだろう。
こいつは自分の敵だと判断したやつに対して、嫌がらせを嬉々として行う。ある意味人間的で分かりやすいやつ。
だがそれは意味の無い事だ。なぜなら咲季は、その事件をとっくに知っている。
そして俺があんな事件を起こしてなお、態度を変えずにいてくれた唯一の存在。
「こいつはキレたら何するか分からねぇイカレ野郎。だから早く縁切った方がいいぜ?」
咲季の顔から、好意的な表情が抜けた。
「な、片桐?」
「…………」
笑いかけるその顔を射殺す気持ちで睨みつける。
…と。
「……っだ!」
何かがぶつかる音と辻堂の苦鳴が鼓膜を揺らした。
地面見ると、黒色のバッグ(にしては少し小さいが)のような物が落ちていた。
「さっきからやかましいっ!」
叫び声。
苛烈で、切羽詰まっているようで、それでいて少女の可憐さを含んだ声。
その方向へ視線を向けると、女子トイレの入口で投擲した後のような姿勢で鋭い敵意をこちら――辻堂へ向けている背の低い少女がいた。
藍色のカットソーにワイドパンツといった姿で、ショートカットの茶髪をそのまま下ろしているかわいい系の見た目。
それが城ヶ崎と気づくのに、数秒の時間を要した。
「秋春君の事、悪く、言うな!」
敵意と恐怖が入り交じったアンバランスな様子で、城ヶ崎。男と対峙している恐怖からか、言葉は途切れ途切れで様子がおかしい。
その敵意に対し、やはり辻堂は敵意で返した。
「はァ?急に出てきてなに?ていうか悪く言うなって、実際悪いんだからしょうがねぇだろ?殴り倒して病院送りだぜ?」
「そんなの、知らない!」
助けに入ろうと動こうとした瞬間、一喝。
「過去の事、なんて知らない…。秋春君は、優しくてかっこいいんだよ!あ、あんた、
みたいな、低脳とは、違う!」
思わず立ち止まる。
まさかこうやって庇ってくれるとは思わなかったから、単純に嬉しかった。
「…………………」
しかし余韻に浸る間もなく、隣の辻堂が城ヶ崎へ向かって動いた。
その意図がすぐに読めたので、腕を掴んで止める。
「辻堂」
「あァ?」
「やめろ」
「何が」
「暴力だったら俺へどうぞ。クソ野郎」
「…」
数瞬の沈黙。
睨み合った末に、辻堂は目を逸らして舌打ちし、
「んだよ、ちょっと口の利き方教えてやろうとしただけじゃん」
小馬鹿にするように片手で俺の頭を掴み、揺らしてくる。
「あーァ、シラケたわ。なんかすげェ注目浴びてるし、かーえろ」
「そうしてくれクソ野郎」
確かに、不穏過ぎる空気に誰もが迷惑そうに視線を俺たちに向けていた。
大事になるのは時間の問題だ。ただでさえ俺はこの病院関係者に迷惑をかけまくってるから、これ以上はかけたくなかった。
「なァ片桐」
「あ?」
まだ消えて無かったのか。
辻堂は俺の耳元に顔を寄せ、
「咲季ちゃん、いつかオトしてやるよ」
「っ!!」
「ハハッ、やっぱ、一番はあのコか!」
「てめっ…」
胸ぐらを掴もうとするが、怪我人とは思えない軽いステップで躱され、あっという間に離れていく。
「冗談だよ。冗談。ハハ」
そのまま背を向け、ひらひらと手を振って離れていった。
「あの野郎…」
その背中を睨みつける。
冗談なんて言っていたが、信用出来るはずもない。
何かしらちょっかいをかけてくると考えた方がいいだろう。
「お兄ちゃん」
「ん……」
袖を軽く引かれた。
振り向くと、いくらか厳しい表情をした咲季が俺を見上げていた。
「今のって、もしかしてさ…」
躊躇いがちに上目遣い。
「……………」
言いたい事それだけで分かった。
観念して息を吐く。
「ああ。後でちゃんと話すよ」
今まで話してこなかった中学の頃の話。
俺が両親から見放された経緯。
そして、赤坂結愛が変わってしまった事件。
咲季に話す時が来たのかもしれない。
咲季は俺の返事を聞き、薄く笑って頷いた。
「舞花、大丈夫?」
そのやり取り終えて、女子トイレの方へ向くと、凛が城ヶ崎に寄り添っているところだった。
「う、うん。アタシなら全然へいき」
「いや、そうじゃなくてさ」
凛が人差し指を俺たちの方へ向ける。
「メイクボックスぶん投げてたけど、壊れてないのアレ?」
「え?…あ!ああ!」
勢いでやってしまったのか、今気づいたように慌てた声を上げる城ヶ崎。
ああ、これメイクボックスだったのな。
思って、それを拾い上げる。
外の装飾が思いっきり欠けていた。
凄く申し訳ない気分になった。