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薫と没原稿

ー/ー



 家柄の呪縛に囚われ続けるのが、吸血鬼として生きる私の一生かと、自問自答したことがあった。きっと流浪の旅烏になったのはそれがきっかけと振り返る。

 四十余年も前の話。家族に黙って家を抜け出した私は、初めて一人で目にした外の世界に眼を輝かせた。何十台も往来する車と人、渋滞に並走する華奢な路面電車、飛び込む物全てが新鮮で、普段は眼も暮れないような大衆食堂の味に舌鼓を打った。

 アルタリィの名を継ぐ定めを捨て、名誉と家業に縛られない生き方を選ぼうとした。その私を冷めた目で見る者が大半なのは必然だった。

 全てを得た者達は奇異な眼で、何も持たざる者達は嫉妬の眼で、加速度的に心を喰い尽くそうと蝕んでいった。

 先代の当主、父も私の生き方には猛反発した。幸せだの、将来だのを口々に拘束しようと強い言葉で迫る。自己満足に付き合わされる道理はないと一蹴してやったけれど、それから互いに気まずさを抱いたまま、顔を合わせては無言で終わってしまう関係が続いている。

 そんな自由を探求した人生の岐路から四十年余り。すれ違い続けたまま、私は中途半端に家の名を借りて生きている。奔放に、ないがしろにされているように。

 しかしそれもいずれ終焉が訪れる。遠からずして。



 全長40キロ超の海底トンネルを抜けたら、そこは一面の雪景色でした。個室寝台の部屋に戻った私達は、各々が食後の自由時間を過ごしていた最中、列車はトンネルを抜けきって北海道に入ります。

 春先の気配などカレンダーからは微塵も感じられない真冬の北海道。当然の事ながら外は雪がしんしん——なんて可愛らしい擬音ではなく、濁音まみれのドカドカに近いような、そんな降り方です。その豪雪を難なく弾き飛ばして列車は足並みを進めていました。

 クリスカさんは私達に宛がわれた部屋へ戻るなり、ベットの一段目に転がって本を開くとやがて誘われるように眠ります。

 出発前に買った彼女お気に入りのシリーズのライトノベル。タイトルは『凛としてイブキ』、田舎の学園を舞台にした恋愛物だそう。

 曰く、著者の『黛 キエル』先生のキャラクターの心情が繊細で、脆く打たれ弱い主人公がヒロインやクラスメイト達と波乱万丈な日常を過ごしながら恋をするというストーリーに撃たれたと、出発前に熱く語っていました。しかし完結してから新作を出していないから気掛かりではあるとも漏らします。

 大半の吸血鬼と人間の時間軸は真逆。朝に寝て、夕方頃から活動を始めるのが彼女にとっては常なのです。

 人間らしく生きようとするのは、きっと私への気遣いなのでしょう。勿論、想像の範疇は超えないのですが。

 私はその寝顔を少し拝見してから、探検とばかりに部屋を出ます。退屈していた訳ではないのですが、ちょっとした好奇心からでした。

 今いるのが八号車、A寝台の個室が立ち並ぶ車両を最後尾の方へ抜け、朝食時間帯よりまだ少し早い食堂車を通りつつ、そのさらに奥へ。昨晩、事案が発生しそうだった六号車ロビーカーの自動ドアを通ると、窓際に配された薄い小豆色のソファーに腰を掛けました。

 打鍵音に気が付いたのは、相変わらず吹雪く車窓にちょっとだけ飽きてきた頃です。その音に気が付き、振り向いた拍子、背後に座る人と目が合います。

「あ?」
「えっと」

 ちょっと威圧的でしどろもどろになってしまった。もう何やってるんだ私。怪訝な表情をすると、睨むような視線が和らいで、

「あぁすまん。少し神経質なだけだ。怖がらせるつもりはないよ」

 と、勇ましい顔立ちの彼女が宥めました。

「こちらこそ、作業中にじっと覗くようなことして、申し訳ないです」
「あぁ気にしなくていい。どうせ没だ」
「没?」
「没原稿。あたし、売れない作家だから」

 きょとんとします。それも口をあんぐり開けて、行儀悪く。

「聞いてないって顔だね」
「作家さんですか……取材か何かでこの列車に?」
「夜行列車なら少しは静かで書けると思ったんだけど、やれ床下から音は響くし、個室でもお構いなしに車掌は尋ねてくるしで、当てが外れたよ」

 参ったと、遠回しにはそう聞こえます。彼女にとって風情がさぞ仕事の障害になったのでしょう。肩を竦めて答えてくれました。

「私も夜行列車って初めてで、ベットの固さに驚かされました。環境を選ぶって難しいですよね」
「本当、苦労するよな。人がどう足掻いたって、変えられるのは今立ってる足元ぐらいなのに」
「足元?」
「今すぐにどうこうできるのなんて床の色くらいだろう? 次の駅で降りて、また別を目指すか、乗り続けて終点まで居座るか、はたまたここで窓を突き破って吹雪の中に飛び込んで死ぬか。三つに一つってところかな」

 流石に最後の選択肢はないにしても、裏付けされた理屈に私は首肯します。

「えっと、仮に決めるとしたらどうするんですか?」
「三番かな」

 本当にやる気ですか? 辺りを見渡して誰か一緒に止められる人を探していると、

「冗談さ。次の駅で降りるかな。一人旅だし、気まぐれで動くのもありだろう」
「旅の醍醐味ですよね」
「そういえば、君もかい? 一人旅」
「私は二人旅です。夜逃げと言いますか、そのー」
「夜逃げ?」
「シチュエーションとしてはそうかも知れなんですが、なんと言いましょうか……連れ出して頂いたというのが正しいかも、です」

 事の成り行きはどうあれ、今の私は付き人でしかありません。使用人と名乗りたい心を抑えて、正直に言いました。

「なるほど良くわからん」
「口下手ですいません」

 謝る必要はないような気がしましたが、口先からはすでに出てしまっています。

「でも旅してるのは事実です。気まぐれに目的地を変えてって流浪の旅」
「ふーん。タフなことしてるねぇ。今日で何回目?」
「初めてです」

 思わずこけてしまった彼女に茶目っ気たっぷりの笑みを浮かべました。でも気まぐれで北の方角に目を向けたのは本当です。

「いいじゃん。そういう、目的のない旅って」
「そうでしょうか?」
「あたしも何か目標とか目的とか、雁字搦めにならず生きてみたかったよ」

 懐古に溺れながら遠くを仰いで彼女は言います。何故かその瞳は鬱蒼としていましたが、立ち上がって通路を去ろうとしていました。

「あの! パソコン!」

 あろうことかノートパソコンを置きっ放しで。大事な商売道具でしょうに。

 私が折りたたんで渡そうとしますが、液晶へ刻まれた文字に視線が吸い込まれました。

「悪いね。近頃は物忘れが多くて、歳かな」

 薫さんは頭一つ分高かった目線を見下ろすように合わせると空返事を呟きました。

「まだお若く見えますけど」

 気さくに応じますが、奪うような手つきと顔の動揺は隠せてませんでした。何か見られてはマズい物だったらしいです。それも赤の他人に。

「礼を言うよ。ありがとう」
「でも、ありがとうじゃ足りませんね。んー」
「借りを作ったって言いたいのかい?」
「まぁ、そんなところですね。お名前を教えてください。それで手を打ちましょう」

 目を眇め、嘆息されてしまいましたが間を開けて、

「佐伯だよ。佐伯 薫」
「さえきかおるさん——ですね? 覚えました。七見 光莉です」
「まぁ、もう会うこともないだろうけどさ」

 薫さんは去り際に捨て台詞を吐いて行ってしまいました。

「没原稿なんて、とてもな嘘じゃないですか」

 私は誰もいないそこで列車の疾走の音色へ被せるように呟きました。


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 四十余年も前の話。家族に黙って家を抜け出した私は、初めて一人で目にした外の世界に眼を輝かせた。何十台も往来する車と人、渋滞に並走する華奢な路面電車、飛び込む物全てが新鮮で、普段は眼も暮れないような大衆食堂の味に舌鼓を打った。
 アルタリィの名を継ぐ定めを捨て、名誉と家業に縛られない生き方を選ぼうとした。その私を冷めた目で見る者が大半なのは必然だった。
 全てを得た者達は奇異な眼で、何も持たざる者達は嫉妬の眼で、加速度的に心を喰い尽くそうと蝕んでいった。
 先代の当主、父も私の生き方には猛反発した。幸せだの、将来だのを口々に拘束しようと強い言葉で迫る。自己満足に付き合わされる道理はないと一蹴してやったけれど、それから互いに気まずさを抱いたまま、顔を合わせては無言で終わってしまう関係が続いている。
 そんな自由を探求した人生の岐路から四十年余り。すれ違い続けたまま、私は中途半端に家の名を借りて生きている。奔放に、ないがしろにされているように。
 しかしそれもいずれ終焉が訪れる。遠からずして。
 全長40キロ超の海底トンネルを抜けたら、そこは一面の雪景色でした。個室寝台の部屋に戻った私達は、各々が食後の自由時間を過ごしていた最中、列車はトンネルを抜けきって北海道に入ります。
 春先の気配などカレンダーからは微塵も感じられない真冬の北海道。当然の事ながら外は雪がしんしん——なんて可愛らしい擬音ではなく、濁音まみれのドカドカに近いような、そんな降り方です。その豪雪を難なく弾き飛ばして列車は足並みを進めていました。
 クリスカさんは私達に宛がわれた部屋へ戻るなり、ベットの一段目に転がって本を開くとやがて誘われるように眠ります。
 出発前に買った彼女お気に入りのシリーズのライトノベル。タイトルは『凛としてイブキ』、田舎の学園を舞台にした恋愛物だそう。
 曰く、著者の『黛 キエル』先生のキャラクターの心情が繊細で、脆く打たれ弱い主人公がヒロインやクラスメイト達と波乱万丈な日常を過ごしながら恋をするというストーリーに撃たれたと、出発前に熱く語っていました。しかし完結してから新作を出していないから気掛かりではあるとも漏らします。
 大半の吸血鬼と人間の時間軸は真逆。朝に寝て、夕方頃から活動を始めるのが彼女にとっては常なのです。
 人間らしく生きようとするのは、きっと私への気遣いなのでしょう。勿論、想像の範疇は超えないのですが。
 私はその寝顔を少し拝見してから、探検とばかりに部屋を出ます。退屈していた訳ではないのですが、ちょっとした好奇心からでした。
 今いるのが八号車、A寝台の個室が立ち並ぶ車両を最後尾の方へ抜け、朝食時間帯よりまだ少し早い食堂車を通りつつ、そのさらに奥へ。昨晩、事案が発生しそうだった六号車ロビーカーの自動ドアを通ると、窓際に配された薄い小豆色のソファーに腰を掛けました。
 打鍵音に気が付いたのは、相変わらず吹雪く車窓にちょっとだけ飽きてきた頃です。その音に気が付き、振り向いた拍子、背後に座る人と目が合います。
「あ?」
「えっと」
 ちょっと威圧的でしどろもどろになってしまった。もう何やってるんだ私。怪訝な表情をすると、睨むような視線が和らいで、
「あぁすまん。少し神経質なだけだ。怖がらせるつもりはないよ」
 と、勇ましい顔立ちの彼女が宥めました。
「こちらこそ、作業中にじっと覗くようなことして、申し訳ないです」
「あぁ気にしなくていい。どうせ没だ」
「没?」
「没原稿。あたし、売れない作家だから」
 きょとんとします。それも口をあんぐり開けて、行儀悪く。
「聞いてないって顔だね」
「作家さんですか……取材か何かでこの列車に?」
「夜行列車なら少しは静かで書けると思ったんだけど、やれ床下から音は響くし、個室でもお構いなしに車掌は尋ねてくるしで、当てが外れたよ」
 参ったと、遠回しにはそう聞こえます。彼女にとって風情がさぞ仕事の障害になったのでしょう。肩を竦めて答えてくれました。
「私も夜行列車って初めてで、ベットの固さに驚かされました。環境を選ぶって難しいですよね」
「本当、苦労するよな。人がどう足掻いたって、変えられるのは今立ってる足元ぐらいなのに」
「足元?」
「今すぐにどうこうできるのなんて床の色くらいだろう? 次の駅で降りて、また別を目指すか、乗り続けて終点まで居座るか、はたまたここで窓を突き破って吹雪の中に飛び込んで死ぬか。三つに一つってところかな」
 流石に最後の選択肢はないにしても、裏付けされた理屈に私は首肯します。
「えっと、仮に決めるとしたらどうするんですか?」
「三番かな」
 本当にやる気ですか? 辺りを見渡して誰か一緒に止められる人を探していると、
「冗談さ。次の駅で降りるかな。一人旅だし、気まぐれで動くのもありだろう」
「旅の醍醐味ですよね」
「そういえば、君もかい? 一人旅」
「私は二人旅です。夜逃げと言いますか、そのー」
「夜逃げ?」
「シチュエーションとしてはそうかも知れなんですが、なんと言いましょうか……連れ出して頂いたというのが正しいかも、です」
 事の成り行きはどうあれ、今の私は付き人でしかありません。使用人と名乗りたい心を抑えて、正直に言いました。
「なるほど良くわからん」
「口下手ですいません」
 謝る必要はないような気がしましたが、口先からはすでに出てしまっています。
「でも旅してるのは事実です。気まぐれに目的地を変えてって流浪の旅」
「ふーん。タフなことしてるねぇ。今日で何回目?」
「初めてです」
 思わずこけてしまった彼女に茶目っ気たっぷりの笑みを浮かべました。でも気まぐれで北の方角に目を向けたのは本当です。
「いいじゃん。そういう、目的のない旅って」
「そうでしょうか?」
「あたしも何か目標とか目的とか、雁字搦めにならず生きてみたかったよ」
 懐古に溺れながら遠くを仰いで彼女は言います。何故かその瞳は鬱蒼としていましたが、立ち上がって通路を去ろうとしていました。
「あの! パソコン!」
 あろうことかノートパソコンを置きっ放しで。大事な商売道具でしょうに。
 私が折りたたんで渡そうとしますが、液晶へ刻まれた文字に視線が吸い込まれました。
「悪いね。近頃は物忘れが多くて、歳かな」
 薫さんは頭一つ分高かった目線を見下ろすように合わせると空返事を呟きました。
「まだお若く見えますけど」
 気さくに応じますが、奪うような手つきと顔の動揺は隠せてませんでした。何か見られてはマズい物だったらしいです。それも赤の他人に。
「礼を言うよ。ありがとう」
「でも、ありがとうじゃ足りませんね。んー」
「借りを作ったって言いたいのかい?」
「まぁ、そんなところですね。お名前を教えてください。それで手を打ちましょう」
 目を眇め、嘆息されてしまいましたが間を開けて、
「佐伯だよ。佐伯 薫」
「さえきかおるさん——ですね? 覚えました。七見 光莉です」
「まぁ、もう会うこともないだろうけどさ」
 薫さんは去り際に捨て台詞を吐いて行ってしまいました。
「没原稿なんて、とてもな嘘じゃないですか」
 私は誰もいないそこで列車の疾走の音色へ被せるように呟きました。