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掟と黒魔術

ー/ー



「出ていってくれないか」

 夫にそう言われたのは、薬を盛り始めてから五日目の、ある日の夜だった。ロウソクの向こう側で揺れて見える彼の顔は、心なしか苦しそうだった。

 書斎の机の上には、私が使っていた薬が置かれていた。さっき自分の部屋の引き出しにしまったはずの薬は、何故か目の前の机の上に置かれていた。

 目をしばたかせていると、夫である西園寺リュウは机の上に手を置いて言った。

「今まで、ありがとう。もう限界なんだ、私も……」

「仰っている意味が……」

「意味って──君の不貞だよ」

「不貞?」

「しているだろう? 庭師の羽田と」

「庭師? 羽田?」

「しらばっくれなくてもいい。子供は、羽田との子だろう? 流石に庭師の子に、西園寺家の地位を譲り渡す訳にはいかないよ」

「あの、私は浮気などは……」

 そう言われて初めて気がついた。ここ一年くらい、記憶が無くなる現象が増えていることを……。疲れていて、思い出せないだけなのかもしれないと思っていたが、違ったのかもしれない。

「どうしたんだ?」

「いえ。少し前から、記憶が抜け落ちることがあったのです。疲れているだけだろうと思っていたのですが……」

「マリア、君は西園寺家の掟の事は聞いているかい?」

「え? ええ……」

「例え病気でも、君には出て行ってもらわなければならない。それが西園寺家の掟だからね」

「もしかして、噂されている黒魔術のことですか?」

 今まで黒魔術なんて信じていなかった。でも、西園寺家の執事の話を聞いている内に、それが疑いようのない事実だと、気づかされてしまった。西園寺家で不正や不倫をした人間は、必ずと言っていいほど殺されるか、殺されかけている。

「そうだ。黒魔術の効果は、西園寺家当主や家族だけでなく、使用人や料理人までその範囲が及ぶ。有名な祓い屋に、お祓いをしてもらったが、あまり効果は無かったんだ。この家を出なければ、近い内に君は死んでしまうだろう」

 私は自分自身の指先を見つめた。今まで気がつかなかったが、私は痩せてしまったようだ。痩せて皺が寄った指先に涙を落としながら、私は顔を上げた。

「君を愛していた。変わってしまった君も愛そうと努力したが、私には無理だったんだ」

「……」

 私も貴方を愛していました──喉元まで言葉が出かかったが、口を(つぐ)んだ。私に愛していたなんて言う資格は無い。

 部屋のドアが開き、見知らぬ男性が入ってきた。手を差し出され、私は見知らぬ男性の手を握った。手のひらは温かく、肩の力が抜けたが、知らない男性についていくのは、正直怖かった。

 本当に愛していたのは、貴方だけ──そんな思いは、墓場まで持って行くしかない。本当のことを言えなかった私は、彼への想いと思い出を心の奥深くにしまい、心の内に鍵をかけた。

 私は涙を拭うと家の門をくぐり、娘を抱いて、屋敷の外へ出たのだった。




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「出ていってくれないか」
 夫にそう言われたのは、薬を盛り始めてから五日目の、ある日の夜だった。ロウソクの向こう側で揺れて見える彼の顔は、心なしか苦しそうだった。
 書斎の机の上には、私が使っていた薬が置かれていた。さっき自分の部屋の引き出しにしまったはずの薬は、何故か目の前の机の上に置かれていた。
 目をしばたかせていると、夫である西園寺リュウは机の上に手を置いて言った。
「今まで、ありがとう。もう限界なんだ、私も……」
「仰っている意味が……」
「意味って──君の不貞だよ」
「不貞?」
「しているだろう? 庭師の羽田と」
「庭師? 羽田?」
「しらばっくれなくてもいい。子供は、羽田との子だろう? 流石に庭師の子に、西園寺家の地位を譲り渡す訳にはいかないよ」
「あの、私は浮気などは……」
 そう言われて初めて気がついた。ここ一年くらい、記憶が無くなる現象が増えていることを……。疲れていて、思い出せないだけなのかもしれないと思っていたが、違ったのかもしれない。
「どうしたんだ?」
「いえ。少し前から、記憶が抜け落ちることがあったのです。疲れているだけだろうと思っていたのですが……」
「マリア、君は西園寺家の掟の事は聞いているかい?」
「え? ええ……」
「例え病気でも、君には出て行ってもらわなければならない。それが西園寺家の掟だからね」
「もしかして、噂されている黒魔術のことですか?」
 今まで黒魔術なんて信じていなかった。でも、西園寺家の執事の話を聞いている内に、それが疑いようのない事実だと、気づかされてしまった。西園寺家で不正や不倫をした人間は、必ずと言っていいほど殺されるか、殺されかけている。
「そうだ。黒魔術の効果は、西園寺家当主や家族だけでなく、使用人や料理人までその範囲が及ぶ。有名な祓い屋に、お祓いをしてもらったが、あまり効果は無かったんだ。この家を出なければ、近い内に君は死んでしまうだろう」
 私は自分自身の指先を見つめた。今まで気がつかなかったが、私は痩せてしまったようだ。痩せて皺が寄った指先に涙を落としながら、私は顔を上げた。
「君を愛していた。変わってしまった君も愛そうと努力したが、私には無理だったんだ」
「……」
 私も貴方を愛していました──喉元まで言葉が出かかったが、口を|噤《つぐ》んだ。私に愛していたなんて言う資格は無い。
 部屋のドアが開き、見知らぬ男性が入ってきた。手を差し出され、私は見知らぬ男性の手を握った。手のひらは温かく、肩の力が抜けたが、知らない男性についていくのは、正直怖かった。
 本当に愛していたのは、貴方だけ──そんな思いは、墓場まで持って行くしかない。本当のことを言えなかった私は、彼への想いと思い出を心の奥深くにしまい、心の内に鍵をかけた。
 私は涙を拭うと家の門をくぐり、娘を抱いて、屋敷の外へ出たのだった。