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163 優等生のベールの奥

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 藤城皐月(ふじしろさつき)栄町(さかえまち)商店街を避けて、文具店の手前の細い路地へ江嶋華鈴(えじまかりん)を誘導した。
 この通りは車が通れないほど細く、夜の飲食店の居酒屋が2件、バーが1件、料亭が1件、軒を連ねている。小規模でうらぶれているが、ちょっとした飲み屋街になっている。華鈴はこの道を通ったことがなかったらしく、物珍しそうにキョロキョロしながら歩いていた。
 路地を抜けると豊川稲荷の表参道に出る。皐月はここで右に曲がるのかと思ったが、華鈴は豊川進雄(とよかわすさのお)神社方面に直進したいと言った。この先に小さな食料品店があるので、卵を買って帰りたいと言う。華鈴は学校帰りに時々買い物をして帰るらしい。
「ねえ、さっきの綺麗な人って藤城君のお母さん?」
「いや、違うよ。あの人はママの芸妓(げいこ)のお弟子さんで、家に住み込みで働いている人。でも芸妓というよりは、ほとんどお手伝いさんみたいに家事をしてくれているかな」
「へ〜、藤城君の家って芸妓さんと一緒に住んでるんだ。家に芸妓さんがいるって、お父さん的にはどうなんだろう? 私のお父さんなら絶対に喜んじゃうだろうな、綺麗な人がいつも家にいるなんて」
「俺ん()って、父親いないんだ」
「あっ……ごめん」
「いいよ、全然気にしていないから。オヤジなんていない方がいいし」
 人に母子家庭だということを言うと、いつも微妙な空気になる。皐月は自分に父親がいないことは母にはいいことだと思っている。母には自分のために辛い思いを我慢してまで、父と一緒に暮らしてほしいとは思わない。それに、自分も父親とは一緒に暮らしたくない。
「さっき会った女性はね、俺のママの高校の同級生で、親友なんだ。あの人も離婚していてね、それで今は友達同士で一緒に暮らしているんだ。二人ともすごく楽しそうだよ」

 華鈴が買い物に立ち寄った食料品店は青果を中心に一般食品や卵を少し売っているだけの店だった。かつては賑わっていそうな店構えだが、老夫婦が切り盛りをしているためか、今は商売の規模を縮小している。
 この食料品店は品ぞろえが絞られていて、店舗の半分くらいしか活用されていないので寂れているように見える。だが車で買い物ができない人が多いこの地域には、なくてはならない大切な店だ。
 皐月は華鈴の買い物が終わるまで店の外で待っていた。華鈴は店のおばあちゃんと少し会話をした後、ランドセルから買い物袋を取りだして買った卵を入れていた。会計を済ませ、おばあちゃんに手を振ってから華鈴は店から出てきた。
「いつもお金と買い物袋を持ってるの?」
「帰りに買い物に寄りたい時はね。本当は学校にお金を持ってく時は紛失や盗難防止のために職員室に預けなければいけないんだけど、面倒だからランドセルの奥にお金を隠してるの」
 華鈴が楽しそうに笑っている。クソ真面目な印象だった華鈴が密かに校則を破っていたことは、皐月の華鈴への好感度を上げた。もともと皐月は華鈴に対してはいい感情しかなかったが、この時初めて華鈴にときめいた。

「卵を買ってたみたいだけど、今日の晩ご飯は卵料理?」
「うん。家に鶏の胸肉があるから、親子丼でも作ろうかなって」
「江嶋って自分でご飯作ってるんだ」
 皐月は華鈴の家庭的な一面を知り、ますます好きになった。
「親が二人とも仕事の時はね。でも毎日ってわけじゃないよ。うちの両親は飲食店で働いているから、二人とも家にいない日だけは自分でご飯を作ってる」
「そうか……お前、偉いな。うちの親も夜の仕事だから、さっき会った頼子さんが家に来るまでは、自炊することもあったよ。でも、片付けが面倒だな」
「藤城君も料理するんだ」
「五年生の時の家庭科の授業で調理実習があっただろ。あれで俺も家で料理してみようと思ったんだ。しばらくはバカみたいに、授業で習ったほうれん草炒めと野菜サラダばかり食ってたよ」
「五年生の時はさっきの女の人はいなかったんだ」
「うん。でもその頃はまだおばあちゃんが生きていたから、ご飯は作ってもらえたんだ。でも、死んじゃってからは自分でやるしかないかなって思って、自炊してた」
「そんなことがあったんだ……」

 うっかり自分のことを言い過ぎてしまった。皐月は人から同情されることが好きではない。憐れみを受けるくらいなら揶揄(やゆ)される方がマシだと思っている。
「自炊はたまにしかしなかったけどね。お金をもらって外食したり、コンビニ飯だったりすることの方が多かったし」
「それでも自分でご飯を作ることもあったんでしょ? そんなの、小学生はなかなかできないよ。私も自分でご飯作ることがあるから、わかってる」
「まあご飯っていっても、自分の好きなものしか作ったことがないけどね。毎日カレー食ってた時もあったから、ひどいよな」
「私も自分の好きなものしか作らないし、簡単なもので済ませちゃうよ」
「授業で栄養のバランスとか教えてもらったけど、そんなの全然考えてなかったな」
「そんなの当たり前じゃない。自炊は自分の好きなものだけを食べられるからいいんだよ」
 五年生の時に華鈴と席が隣同士だった頃、二人でいろいろなことを話してはいたが、お互いの私生活のことは何も話していなかった。皐月も家の事情を隠していたので気付かなかったが、どうやら華鈴は自分と境遇が似ているようだ。優等生のベールの奥には、家庭的で親しみやすい顔が隠れていた。



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 |藤城皐月《ふじしろさつき》は|栄町《さかえまち》商店街を避けて、文具店の手前の細い路地へ|江嶋華鈴《えじまかりん》を誘導した。
 この通りは車が通れないほど細く、夜の飲食店の居酒屋が2件、バーが1件、料亭が1件、軒を連ねている。小規模でうらぶれているが、ちょっとした飲み屋街になっている。華鈴はこの道を通ったことがなかったらしく、物珍しそうにキョロキョロしながら歩いていた。
 路地を抜けると豊川稲荷の表参道に出る。皐月はここで右に曲がるのかと思ったが、華鈴は|豊川進雄《とよかわすさのお》神社方面に直進したいと言った。この先に小さな食料品店があるので、卵を買って帰りたいと言う。華鈴は学校帰りに時々買い物をして帰るらしい。
「ねえ、さっきの綺麗な人って藤城君のお母さん?」
「いや、違うよ。あの人はママの|芸妓《げいこ》のお弟子さんで、家に住み込みで働いている人。でも芸妓というよりは、ほとんどお手伝いさんみたいに家事をしてくれているかな」
「へ〜、藤城君の家って芸妓さんと一緒に住んでるんだ。家に芸妓さんがいるって、お父さん的にはどうなんだろう? 私のお父さんなら絶対に喜んじゃうだろうな、綺麗な人がいつも家にいるなんて」
「俺ん|家《ち》って、父親いないんだ」
「あっ……ごめん」
「いいよ、全然気にしていないから。オヤジなんていない方がいいし」
 人に母子家庭だということを言うと、いつも微妙な空気になる。皐月は自分に父親がいないことは母にはいいことだと思っている。母には自分のために辛い思いを我慢してまで、父と一緒に暮らしてほしいとは思わない。それに、自分も父親とは一緒に暮らしたくない。
「さっき会った女性はね、俺のママの高校の同級生で、親友なんだ。あの人も離婚していてね、それで今は友達同士で一緒に暮らしているんだ。二人ともすごく楽しそうだよ」
 華鈴が買い物に立ち寄った食料品店は青果を中心に一般食品や卵を少し売っているだけの店だった。かつては賑わっていそうな店構えだが、老夫婦が切り盛りをしているためか、今は商売の規模を縮小している。
 この食料品店は品ぞろえが絞られていて、店舗の半分くらいしか活用されていないので寂れているように見える。だが車で買い物ができない人が多いこの地域には、なくてはならない大切な店だ。
 皐月は華鈴の買い物が終わるまで店の外で待っていた。華鈴は店のおばあちゃんと少し会話をした後、ランドセルから買い物袋を取りだして買った卵を入れていた。会計を済ませ、おばあちゃんに手を振ってから華鈴は店から出てきた。
「いつもお金と買い物袋を持ってるの?」
「帰りに買い物に寄りたい時はね。本当は学校にお金を持ってく時は紛失や盗難防止のために職員室に預けなければいけないんだけど、面倒だからランドセルの奥にお金を隠してるの」
 華鈴が楽しそうに笑っている。クソ真面目な印象だった華鈴が密かに校則を破っていたことは、皐月の華鈴への好感度を上げた。もともと皐月は華鈴に対してはいい感情しかなかったが、この時初めて華鈴にときめいた。
「卵を買ってたみたいだけど、今日の晩ご飯は卵料理?」
「うん。家に鶏の胸肉があるから、親子丼でも作ろうかなって」
「江嶋って自分でご飯作ってるんだ」
 皐月は華鈴の家庭的な一面を知り、ますます好きになった。
「親が二人とも仕事の時はね。でも毎日ってわけじゃないよ。うちの両親は飲食店で働いているから、二人とも家にいない日だけは自分でご飯を作ってる」
「そうか……お前、偉いな。うちの親も夜の仕事だから、さっき会った頼子さんが家に来るまでは、自炊することもあったよ。でも、片付けが面倒だな」
「藤城君も料理するんだ」
「五年生の時の家庭科の授業で調理実習があっただろ。あれで俺も家で料理してみようと思ったんだ。しばらくはバカみたいに、授業で習ったほうれん草炒めと野菜サラダばかり食ってたよ」
「五年生の時はさっきの女の人はいなかったんだ」
「うん。でもその頃はまだおばあちゃんが生きていたから、ご飯は作ってもらえたんだ。でも、死んじゃってからは自分でやるしかないかなって思って、自炊してた」
「そんなことがあったんだ……」
 うっかり自分のことを言い過ぎてしまった。皐月は人から同情されることが好きではない。憐れみを受けるくらいなら|揶揄《やゆ》される方がマシだと思っている。
「自炊はたまにしかしなかったけどね。お金をもらって外食したり、コンビニ飯だったりすることの方が多かったし」
「それでも自分でご飯を作ることもあったんでしょ? そんなの、小学生はなかなかできないよ。私も自分でご飯作ることがあるから、わかってる」
「まあご飯っていっても、自分の好きなものしか作ったことがないけどね。毎日カレー食ってた時もあったから、ひどいよな」
「私も自分の好きなものしか作らないし、簡単なもので済ませちゃうよ」
「授業で栄養のバランスとか教えてもらったけど、そんなの全然考えてなかったな」
「そんなの当たり前じゃない。自炊は自分の好きなものだけを食べられるからいいんだよ」
 五年生の時に華鈴と席が隣同士だった頃、二人でいろいろなことを話してはいたが、お互いの私生活のことは何も話していなかった。皐月も家の事情を隠していたので気付かなかったが、どうやら華鈴は自分と境遇が似ているようだ。優等生のベールの奥には、家庭的で親しみやすい顔が隠れていた。