稲荷小学校の校長の伊藤先生は女性で、児童の間では人気のある先生だ。
藤城皐月が校長に挨拶をするといつも嬉しそうに対応してくれる。稲荷小学校の児童は校内で校長に会った時は全員挨拶をしているが、皐月は挨拶だけでなく、いつも自分から言葉をかけて、少しでも話すようにしている。
校長は50代だが、いつもお洒落をしていてすごく若々しい。皐月は伊藤先生のファッションを見るのが楽しみで、そんな校長のことが大好きだ。
会うたびに校長を褒めているせいか、皐月は伊藤先生にとてもかわいがられている。髪を染めた時はさすがに怒られるかと思ったが、伊藤先生は「素敵な色ね」と褒めてくれた。だから皐月は何かあっても伊藤先生は絶対に自分の味方をしてくれると信じている。
「もういい。座れ。今から委員長と副委員長の選出をする。立候補するものはいないか?」
北川が急に不機嫌になったのでみんな委縮してしまい、誰も立候補しなかった。皐月は委員会が始まるまでは児童会長の
江嶋華鈴が真っ先に委員長に立候補すると思っていたが、華鈴が一番北川を怖がっていて、関わりを避けようとしている。
「俺がやります」
皐月は沈黙の中、堂々と手を挙げた。本当はそんなつもりはなかったが、北川をイラつかせているのは自分の存在そのものだ。皐月も北川には腹が立っていたが、他に誰も委員長をやりたがらなかったので、自分が委員長をやるしかないと思った。
北川を怒らせていなかったら華鈴が委員長に指名されていたかもしれない。だが北川の暗黒面が表に出てくると、華鈴はただの怖がりの気の弱い少女になってしまう。そんな華鈴の姿を皐月は五年生の時に何度も見てきた。だから華鈴を北川から少しでも離してやりたいと思った。
「他に誰かいないのか?」
北川が険しい顔で実行委員たちを見まわしたので、誰も目を合わせようとはせず俯いていた。北川の子供を威嚇する態度は昨年と何も変わっていない。
「じゃあ、しかたがない。藤城、お前がやれ。次、副委員長」
やはり誰も手を挙げない。北川のイライラが増しているせいか、みんな指名されないように身を潜めている。無理もない。去年の5年3組の時もそうだった。
「先生、副委員長はいなくてもいいです。俺が副委員長の仕事もやりますから」
「そういうわけにはいかん。お前が思っている以上に、実行委員は大変なんだ」
「大丈夫ですって。何とかします」
本当に仕事が大変だったらみんなに割り振ればいいし、副委員長がいない方が独断で決められる。皐月は一人で何もかもやる方がかえって楽だと思っている。
「何とかするだと? お前、実行委員のこと何もわかってないだろ? 軽々しく『何とかなります』なんて言うな」
「軽々しくなんて言ってません。委員長に立候補した時、最悪全部自分一人でやってもいいって、覚悟してましたから」
「生意気なこと言うな!」
北川が声を荒げた。皐月は立候補した時に一人でやる覚悟をしていたと言ったが、これはこの場で勢いに任せて啖呵を切っただけだ。だが覚悟を決めていることは嘘ではない。
「副委員長は華鈴、君がやってくれ。藤城じゃ頼りにならん」
「えっ、私が……」
恐らくいろいろな感情が混じり合っているのだろう、華鈴は明らかに動揺していた。
「先生、江嶋は児童会長やってますよ。修学旅行実行委員がそんなに大変なら、江嶋に負担かけ過ぎなんじゃないですか?」
「修学旅行期間中に児童会の仕事はない。今までも児童会が修学旅行実行委員を兼任してきたから大丈夫だ。それにお前には有能なサポートがいないと、安心して任せきれん」
「なんだよ、人のこと無能扱いしやがって……」
北川に聞かれても構わないと思い、皐月は心の中をあえて声に出した。
皐月は五年生の時、一度だけ喧嘩で同級生を殴ったことがある。日常生活では提出物の忘れ物が多かったり、授業中に隣の女子とおしゃべりをしてうるさかったので、北川から目をつけられていた。それなのに、テストの点だけはクラスで一番良かったので、余計に嫌われていたのかもしれない。
「先生、私、副委員長やります」
「そうか。華鈴、やってくれるか。じゃあ頼んだぞ。君に任せたら安心だ」
北川は少し機嫌が良くなったようだ。みんなの顔を見回すと、他の実行委員たちはほっとした表情を浮かべていた。
この時、皐月は実行委員たちの自己紹介を思い出した。3組の
田中優史と
中澤花桜里は実行委員に立候補したと言っていたが、きっと華鈴が副委員長に立候補させられたように、3組の二人も指名されたんだろう。そう考えると、本気で修学旅行実行委員に立候補したのは江嶋華鈴ただ一人ということになる。
何はともあれこれで場が落ち着いた。
修学旅行の担当の先生が誰であれ、皐月の修学旅行を最高のものにしたいという考えは変わっていない。華鈴が副委員長になったことで、対北川の雑用を全て華鈴に任せられる。皐月は委員長に立候補した時より気持ちが軽くなり、やる気が出てきた。