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017

ー/ー



……もし自分なら。

 どんな嫌なことがあっても、自分に関することだけなら我慢してしまうのではないだろうか? いや、それは綺麗に言い過ぎか。

 同じグループの誰かが何か、大々的なメジャーデビューと引き換えに何事か我慢していたとしても、出来れば黙っていてほしい。公にしてほしくない、と思うだろう。

 自殺なんかもっての外だ。だってプロジェクトが無くなってしまうかもしれない。

 実際にそれを口に出すかどうかはわからないが。

 自分を意志が強い人間だと考えているわけではない。

 どちらかといえば感覚的には逆で、なにかドロリとしたヘドロのような欲望に、否応なく自分は突き動かされてしまうだろう、と予想出来る。

 だってあと少しだ。

 ほんのちょっと時が過ぎてしまえば、首を竦めてやりすごせば、あこがれに手が届くのだ。

 どうせ死ぬならそれからでも遅くないのでは?

 千代エージェンシーは、神々の社のような佇まいを見せる。夜を塗り込めた暗い壁面。対照的に日の光を浴び鏡のように輝く窓の列。

 縁遠い者には、手が届かない者には、内で何が行われているのかさっぱりわからない。

 伊代は考え続ける。

 ま、それはそれとして。

 視点を地上に移すと、思考も現世に戻ってくる。


 四季が表口も裏口も通ってないのなら……


『まだ中にいる、とか?』

未だ瞼の上下も合わぬうちに、伊代は思わず再度千代エービルを見上げた。

「ありえないことを除外していけば、どんなに奇妙に見えてもそれが真実……」

 ここは世界一有名な探偵の言葉に従うべきだろうか?

 いやいや、そんなわけはない。伊代の中の常識が頭をもたげる。だいたいどういう状態で〝居る〟んだ?

 真銀ではないが、死体をそのまま放置は無理がある。腐敗臭がすごいことになるだろう。

『冷凍してるとかミイラ化させてるとか……?』

 あまり楽しい想像ではないが一応考えてみる。しかし、それよりは?

『生きてる?』

 まだそちらの方が可能性がありそうに思える。

 当然千代エービルは警察が上から下まで調べているだろうから、隠し部屋のようなところにでも。

「ってことは」

 もしそうであれば誰かが匿っている、もしくは協力しているということになるだろう。

 飲食その他諸々、忍者か何かでなければ一人では解決出来そうにない問題は多い。もう事件発生から結構な日にちが経っている。

『それこそミステリー小説の世界だよね……』

 尾鷹じゃあるまいし。

 尾鷹葉子は今回の事件に関し何か突飛な仮説を披露したわけではないので、とんだとばっちりだが、伊代は特に頓着しなかった。

 〝あいつはそういうの好きそう〟ぐらいの雑な認識である。

『まあ……普通の出入口から普通の手順で出てないってだけで、窓とかなんとか考えるんなら別に不可能な状況! ってわけでもないんだよね』

 とめどなく流れていきそうだった想像も一旦止めてしまえばより現実的な、極めて散文的な思考に落ち着いていくのも自然の流れだった。

 以前数凪の指摘した通り、上の方の階の窓は落下防止のため開きにくくなっていたが一階二階はそうでもない。

 表と裏の玄関にしても、警備員だの監視カメラだのがあっても、そこまで厳戒態勢というわけではない。その気になれば隙もあるだろう。

『うん……いける。多分』

 伊代は想像してみる。あの日、あの時間帯。外はもう暗くなっている。

 一般的な会社の退社時間はもう過ぎている(芸能事務所は一般的な会社ではないが)。

 真希の落下死、というショッキングな出来事のあった直後。人の流れも完全に事件が中心になっているだろう。

 警備員のシフト、監視カメラの位置等把握していれば……。

 それほど、むずかしくはない。

 ビルから出られる。誰にも見られず。自分なら出来る。伊代はそう結論付けた。

 少の飛躍が含まれてはいるものの、そう突飛な結論ではないだろう。

 〝自分なら〟。海原伊代なら可能である。

『……そこがネックだよねぇ』

 伊代は四季ではなく、四季は伊代ではない。

 当然のことだが、伊代にとってはどうにも座りの悪い事実だった。


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……もし自分なら。
 どんな嫌なことがあっても、自分に関することだけなら我慢してしまうのではないだろうか? いや、それは綺麗に言い過ぎか。
 同じグループの誰かが何か、大々的なメジャーデビューと引き換えに何事か我慢していたとしても、出来れば黙っていてほしい。公にしてほしくない、と思うだろう。
 自殺なんかもっての外だ。だってプロジェクトが無くなってしまうかもしれない。
 実際にそれを口に出すかどうかはわからないが。
 自分を意志が強い人間だと考えているわけではない。
 どちらかといえば感覚的には逆で、なにかドロリとしたヘドロのような欲望に、否応なく自分は突き動かされてしまうだろう、と予想出来る。
 だってあと少しだ。
 ほんのちょっと時が過ぎてしまえば、首を竦めてやりすごせば、あこがれに手が届くのだ。
 どうせ死ぬならそれからでも遅くないのでは?
 千代エージェンシーは、神々の社のような佇まいを見せる。夜を塗り込めた暗い壁面。対照的に日の光を浴び鏡のように輝く窓の列。
 縁遠い者には、手が届かない者には、内で何が行われているのかさっぱりわからない。
 伊代は考え続ける。
 ま、それはそれとして。
 視点を地上に移すと、思考も現世に戻ってくる。
 四季が表口も裏口も通ってないのなら……
『まだ中にいる、とか?』
未だ瞼の上下も合わぬうちに、伊代は思わず再度千代エービルを見上げた。
「ありえないことを除外していけば、どんなに奇妙に見えてもそれが真実……」
 ここは世界一有名な探偵の言葉に従うべきだろうか?
 いやいや、そんなわけはない。伊代の中の常識が頭をもたげる。だいたいどういう状態で〝居る〟んだ?
 真銀ではないが、死体をそのまま放置は無理がある。腐敗臭がすごいことになるだろう。
『冷凍してるとかミイラ化させてるとか……?』
 あまり楽しい想像ではないが一応考えてみる。しかし、それよりは?
『生きてる?』
 まだそちらの方が可能性がありそうに思える。
 当然千代エービルは警察が上から下まで調べているだろうから、隠し部屋のようなところにでも。
「ってことは」
 もしそうであれば誰かが匿っている、もしくは協力しているということになるだろう。
 飲食その他諸々、忍者か何かでなければ一人では解決出来そうにない問題は多い。もう事件発生から結構な日にちが経っている。
『それこそミステリー小説の世界だよね……』
 尾鷹じゃあるまいし。
 尾鷹葉子は今回の事件に関し何か突飛な仮説を披露したわけではないので、とんだとばっちりだが、伊代は特に頓着しなかった。
 〝あいつはそういうの好きそう〟ぐらいの雑な認識である。
『まあ……普通の出入口から普通の手順で出てないってだけで、窓とかなんとか考えるんなら別に不可能な状況! ってわけでもないんだよね』
 とめどなく流れていきそうだった想像も一旦止めてしまえばより現実的な、極めて散文的な思考に落ち着いていくのも自然の流れだった。
 以前数凪の指摘した通り、上の方の階の窓は落下防止のため開きにくくなっていたが一階二階はそうでもない。
 表と裏の玄関にしても、警備員だの監視カメラだのがあっても、そこまで厳戒態勢というわけではない。その気になれば隙もあるだろう。
『うん……いける。多分』
 伊代は想像してみる。あの日、あの時間帯。外はもう暗くなっている。
 一般的な会社の退社時間はもう過ぎている(芸能事務所は一般的な会社ではないが)。
 真希の落下死、というショッキングな出来事のあった直後。人の流れも完全に事件が中心になっているだろう。
 警備員のシフト、監視カメラの位置等把握していれば……。
 それほど、むずかしくはない。
 ビルから出られる。誰にも見られず。自分なら出来る。伊代はそう結論付けた。
 少の飛躍が含まれてはいるものの、そう突飛な結論ではないだろう。
 〝自分なら〟。海原伊代なら可能である。
『……そこがネックだよねぇ』
 伊代は四季ではなく、四季は伊代ではない。
 当然のことだが、伊代にとってはどうにも座りの悪い事実だった。