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111 推薦図書

ー/ー



 神谷秀真(かみやしゅうま)岩原比呂志(いわはらひろし)が小テストの採点を終えて席に戻ってきた。
 この時はまだ、大半の児童が解き終わるか採点の列に並んでいていた。教室はさらにザワザワしてきたが、理科や社会のカラーテストの時はみんな早く解き終わるので、教室内はいつもこんな感じになる。あまり騒がしいと担任の前島先生に怒られるが、少しくらいの私語はいつも大目に見てくれる。
 教室のざわめきに促されるように、まだテストに向き合っていた児童たちも未解答のある答案用紙を持って採点の列に並び始めた。これで単元テストは終わる。
 あとは残り時間で先生がテストの解説をしてくれる。即座にテストの復習をすることで学習効果が高まるということらしい。授業時間内に採点と返却、解説を終わらせるのが前島先生のやり方だ。6年4組の児童たちはこのやり方を気に入っている。

 授業が終わったので、藤城皐月(ふじしろさつき)栗林真理(くりばやしまり)に何の本を読んでいたのか聞いてみた。
 真理は小説は読んでいなくて、植物学者・稲垣栄洋(いながきひでひろ)の『はずれ者が進化をつくる 生き物をめぐる個性の秘密』というノンフィクションを読んでいた。この作者の文章は中学受験で頻出だということで塾から読むように指示されているという。
「真理っていつも塾から読めって言われた本を読んでるの?」
「まあ受験生だし割り切ってるよ、そのへんは」
「この前貸してくれた『100%ガールズ』(吉野万理子著)も塾の推薦図書?」
「違う。あれは私が読みたくて買った本」
「そっか……。あの本は面白かったよ」
 真理が受験勉強以外のことをしているのが皐月には嬉しかった。根を詰めて勉強している真理のことが心配だったので、適度に息抜きをしていることを知って安心した。

「塾から薦められた本なんて読んでて面白い?」
「読んでみればそれなりに面白いよ。この本だってまあまあ面白いかな。でも好きじゃないところも多々ある」
「へぇ〜、どんなとこ?」
「私、植物じゃないし……。植物の話として読めば面白いけど、それを人に当てはめようとすると、道徳臭くてキモい。なんか読者を慰めようとする意図があるみたいなんだけど、私にはそれがちょっと息苦しいな」
「なるほど……」
 真理に本を借りて、目次と序文をさっと読んでみた。
「俺はちゃんと読んでいないから偉そうなことは言えないけど、個性とか、らしさとか、進化とか、エグい言葉のオンパレードだな。確かにキモい。でもちょっと面白そうな気もする」
「じゃあ読む? 貸してあげるよ」
「いや、今はいい。芥川龍之介を読んでから考えるわ」
「ふ〜ん。私はてっきり『雪国』を読むのかと思った」
 皐月はさっと周囲に気を配り、吉口千由紀(よしぐちちゆき)が近くにいないことを確認した。

「『雪国』はね……読んだことはないけど、内容は少しだけ知ってるんだ。芸者の描かれ方が気に入らないって和泉(いずみ)(皐月の母の師匠)が言ってた。だからちょっと読むのに抵抗があって……」
「それって男目線の偏見みたいなの?」
「俺もよくわかんないんだけど、多分そんなとこじゃないかな」
「そういうことだったら、私が読んでみたいかも、『雪国』」
「えっ、なんで? 読んでも気分が悪くなるだけだろ?」
「読んで吉口さんみたいに辛辣なことを言ってやりたい」
「さっきの話、聞いてたのか」
 皐月が自分の後ろの席の千由紀の方を向いていると、前の席の真理が皐月の背後になってしまうので、真理が皐月のことを見ていることに気付かなかった。
「吉口さんってノーベル文学賞作家を相手にボロクソ言ってたよね。聞いてて気持ちよかったな……」
「でもちゃんと褒めてたよ。文章表現が美しいって」
「私も塾の推薦図書なんか読むのやめて、面白そうな小説を読もうかな……」
「そうすればいいじゃん。どうせ読めって言われた本を読んでも、その本から入試問題が出るわけじゃないんだろ?」
「まあ、そうだね……学校にいる時くらいはそうしようかな」

 稲荷小学校では毎朝10分間の読書タイムがある。毎日の積み重ねなので気付けば案外たくさんの本を読めている。それに前島先生のクラスだと各教科の単元テストの余り時間でも本を読めるので、本好きには恵まれたクラスだ。
 千由紀が席に戻ってきたので、真理から千由紀に話しかけた。皐月はこの二人が話しているのを初めて見る。
「吉口さん、私も『雪国』読んでみようかなって思ったの。難しくて意味がわからないことがあったら教えてもらえないかな」
「そんな……私が栗林さんに教えられることなんてあるかな……」
「私、文学のことは疎いから、頼りになってもらえたら嬉しいんだけど。……ダメかな?」
「じゃあ、あまり力になれないかもしれないけど、私で良かったら……」
「ありがとう!」
 皐月の席を挟んで真理と千由紀が仲良くなった。二人とも対人関係に不器用で、特に千由紀は真理よりも人見知りに見える。そんな二人が友達になる瞬間を見られたのは、皐月にとって嬉しい出来事だった。
 まだ表情が硬い千由紀だが、嬉しそうな顔がかわいらしい。千由紀の眼鏡の奥の大きな一重瞼の瞳は吸い込まれるような魅力があり、真理の前なのに、皐月は千由紀にドキドキしてしまった。



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 |神谷秀真《かみやしゅうま》と|岩原比呂志《いわはらひろし》が小テストの採点を終えて席に戻ってきた。
 この時はまだ、大半の児童が解き終わるか採点の列に並んでいていた。教室はさらにザワザワしてきたが、理科や社会のカラーテストの時はみんな早く解き終わるので、教室内はいつもこんな感じになる。あまり騒がしいと担任の前島先生に怒られるが、少しくらいの私語はいつも大目に見てくれる。
 教室のざわめきに促されるように、まだテストに向き合っていた児童たちも未解答のある答案用紙を持って採点の列に並び始めた。これで単元テストは終わる。
 あとは残り時間で先生がテストの解説をしてくれる。即座にテストの復習をすることで学習効果が高まるということらしい。授業時間内に採点と返却、解説を終わらせるのが前島先生のやり方だ。6年4組の児童たちはこのやり方を気に入っている。
 授業が終わったので、|藤城皐月《ふじしろさつき》は|栗林真理《くりばやしまり》に何の本を読んでいたのか聞いてみた。
 真理は小説は読んでいなくて、植物学者・|稲垣栄洋《いながきひでひろ》の『はずれ者が進化をつくる 生き物をめぐる個性の秘密』というノンフィクションを読んでいた。この作者の文章は中学受験で頻出だということで塾から読むように指示されているという。
「真理っていつも塾から読めって言われた本を読んでるの?」
「まあ受験生だし割り切ってるよ、そのへんは」
「この前貸してくれた『100%ガールズ』(吉野万理子著)も塾の推薦図書?」
「違う。あれは私が読みたくて買った本」
「そっか……。あの本は面白かったよ」
 真理が受験勉強以外のことをしているのが皐月には嬉しかった。根を詰めて勉強している真理のことが心配だったので、適度に息抜きをしていることを知って安心した。
「塾から薦められた本なんて読んでて面白い?」
「読んでみればそれなりに面白いよ。この本だってまあまあ面白いかな。でも好きじゃないところも多々ある」
「へぇ〜、どんなとこ?」
「私、植物じゃないし……。植物の話として読めば面白いけど、それを人に当てはめようとすると、道徳臭くてキモい。なんか読者を慰めようとする意図があるみたいなんだけど、私にはそれがちょっと息苦しいな」
「なるほど……」
 真理に本を借りて、目次と序文をさっと読んでみた。
「俺はちゃんと読んでいないから偉そうなことは言えないけど、個性とか、らしさとか、進化とか、エグい言葉のオンパレードだな。確かにキモい。でもちょっと面白そうな気もする」
「じゃあ読む? 貸してあげるよ」
「いや、今はいい。芥川龍之介を読んでから考えるわ」
「ふ〜ん。私はてっきり『雪国』を読むのかと思った」
 皐月はさっと周囲に気を配り、|吉口千由紀《よしぐちちゆき》が近くにいないことを確認した。
「『雪国』はね……読んだことはないけど、内容は少しだけ知ってるんだ。芸者の描かれ方が気に入らないって|和泉《いずみ》(皐月の母の師匠)が言ってた。だからちょっと読むのに抵抗があって……」
「それって男目線の偏見みたいなの?」
「俺もよくわかんないんだけど、多分そんなとこじゃないかな」
「そういうことだったら、私が読んでみたいかも、『雪国』」
「えっ、なんで? 読んでも気分が悪くなるだけだろ?」
「読んで吉口さんみたいに辛辣なことを言ってやりたい」
「さっきの話、聞いてたのか」
 皐月が自分の後ろの席の千由紀の方を向いていると、前の席の真理が皐月の背後になってしまうので、真理が皐月のことを見ていることに気付かなかった。
「吉口さんってノーベル文学賞作家を相手にボロクソ言ってたよね。聞いてて気持ちよかったな……」
「でもちゃんと褒めてたよ。文章表現が美しいって」
「私も塾の推薦図書なんか読むのやめて、面白そうな小説を読もうかな……」
「そうすればいいじゃん。どうせ読めって言われた本を読んでも、その本から入試問題が出るわけじゃないんだろ?」
「まあ、そうだね……学校にいる時くらいはそうしようかな」
 稲荷小学校では毎朝10分間の読書タイムがある。毎日の積み重ねなので気付けば案外たくさんの本を読めている。それに前島先生のクラスだと各教科の単元テストの余り時間でも本を読めるので、本好きには恵まれたクラスだ。
 千由紀が席に戻ってきたので、真理から千由紀に話しかけた。皐月はこの二人が話しているのを初めて見る。
「吉口さん、私も『雪国』読んでみようかなって思ったの。難しくて意味がわからないことがあったら教えてもらえないかな」
「そんな……私が栗林さんに教えられることなんてあるかな……」
「私、文学のことは疎いから、頼りになってもらえたら嬉しいんだけど。……ダメかな?」
「じゃあ、あまり力になれないかもしれないけど、私で良かったら……」
「ありがとう!」
 皐月の席を挟んで真理と千由紀が仲良くなった。二人とも対人関係に不器用で、特に千由紀は真理よりも人見知りに見える。そんな二人が友達になる瞬間を見られたのは、皐月にとって嬉しい出来事だった。
 まだ表情が硬い千由紀だが、嬉しそうな顔がかわいらしい。千由紀の眼鏡の奥の大きな一重瞼の瞳は吸い込まれるような魅力があり、真理の前なのに、皐月は千由紀にドキドキしてしまった。