表示設定
表示設定
目次 目次




第百十五話「新たな命」

ー/ー



 春から夏へと季節が移ろい、梅雨が明けたばかりの蒸し暑い午後。
 フリアノンは、地球圏の繁殖センターにある診療室の前で椅子に座っていた。

 三か月目の定期検診。
 検診自体はいつものことだが、今日の彼女はいつも以上に緊張していた。

(……もし……)

 薄いお腹のあたりに手を置く。
 そこにまだ命の気配は感じられなかった。
 けれど、この数日、朝起きると胸の奥が妙にむかむかしたり、熱っぽかったりすることが増えていた。

(……もしかしたら……)

 名前を呼ばれて診察室に入ると、白衣を着た若い女性医師が微笑んだ。

「こんにちは、フリアノンさん。今日は三か月検診ですね」

「……はい……」

 いつものように問診が進み、超音波検査の準備が始まった。
 冷たいジェルが肌に当たり、微かな震えが走る。

「じゃあ、見てみますね……」

 医師の目が、モニターを見つめて細められる。
 フリアノンは不安で息を呑んだ。
 鼓動がうるさいほど速くなる。

「……いますね」

 静かに告げられたその言葉に、フリアノンは一瞬、意味が分からなかった。

「……え……?」

「おめでとうございます。ちゃんといますよ。胎嚢も確認できますし、心拍も……ほら」

 モニターには、小さな小さな豆粒のような影が映っていた。
 そこに、かすかな光の点滅があった。

「心臓が……動いていますね……」

 医師が柔らかく微笑む。

「はい。これが新しい命の鼓動です」

 フリアノンの目から、自然と涙が零れ落ちた。

(……わたしの……赤ちゃん……)

 自分のお腹の中に、新しい命がいる。
 あの交配の日、リュミエルと結ばれて……その命が、今ここに確かに存在している。

「順調です。予定日は……来年の春頃になりますね」

 診察が終わり、診療室を出るとき、フリアノンはまだ震える足取りで廊下を歩いた。
 窓の外では、セミの声が鳴り響き、夏の強い光が照り付けている。

(……わたし……お母さんになるんだ……)

 その事実が、嬉しくもあり、同時に恐ろしくもあった。
 自分はちゃんと母になれるのだろうか。
 こんなに弱くて、臆病で、いつも泣いてばかりの自分が――

 でも、思い出す。
 あの日、リュミエルが言った言葉を。

『君の子供が、またあのコースを走る日が来る。そう思うと……少し救われるんだ』

(……この子も……いつか……)

 あの長い直線を駆け抜けるのだろうか。
 歓声を浴び、栄光を掴むために生まれてくるのだろうか。

 胸が痛くなる。
 サイドールに生まれた運命の残酷さと、それでも自分が母としてできることを必死に考えようとする気持ちが、複雑に絡み合っていた。

 廊下を歩いていると、繁殖担当の女性スタッフが駆け寄ってきた。

「フリアノンさん、どうでした?」

「……はい……妊娠して……ました……」

 涙声でそう告げると、スタッフは優しく微笑み、フリアノンの背を撫でた。

「おめでとうございます。これからは赤ちゃんのためにも、しっかり食べて、しっかり休んでくださいね」

「……はい……ありがとうございます……」

 声が震える。
 でも今だけは、泣いてもいいと思った。

 ――自分の命が、またひとつ繋がった。

 繁殖棟を出ると、夏の光が強烈で、眩しさに目を細めた。
 その視界の奥で、小さく未来が輝いているように思えた。


スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 第百十六話「母性の芽生え」


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



 春から夏へと季節が移ろい、梅雨が明けたばかりの蒸し暑い午後。
 フリアノンは、地球圏の繁殖センターにある診療室の前で椅子に座っていた。
 三か月目の定期検診。
 検診自体はいつものことだが、今日の彼女はいつも以上に緊張していた。
(……もし……)
 薄いお腹のあたりに手を置く。
 そこにまだ命の気配は感じられなかった。
 けれど、この数日、朝起きると胸の奥が妙にむかむかしたり、熱っぽかったりすることが増えていた。
(……もしかしたら……)
 名前を呼ばれて診察室に入ると、白衣を着た若い女性医師が微笑んだ。
「こんにちは、フリアノンさん。今日は三か月検診ですね」
「……はい……」
 いつものように問診が進み、超音波検査の準備が始まった。
 冷たいジェルが肌に当たり、微かな震えが走る。
「じゃあ、見てみますね……」
 医師の目が、モニターを見つめて細められる。
 フリアノンは不安で息を呑んだ。
 鼓動がうるさいほど速くなる。
「……いますね」
 静かに告げられたその言葉に、フリアノンは一瞬、意味が分からなかった。
「……え……?」
「おめでとうございます。ちゃんといますよ。胎嚢も確認できますし、心拍も……ほら」
 モニターには、小さな小さな豆粒のような影が映っていた。
 そこに、かすかな光の点滅があった。
「心臓が……動いていますね……」
 医師が柔らかく微笑む。
「はい。これが新しい命の鼓動です」
 フリアノンの目から、自然と涙が零れ落ちた。
(……わたしの……赤ちゃん……)
 自分のお腹の中に、新しい命がいる。
 あの交配の日、リュミエルと結ばれて……その命が、今ここに確かに存在している。
「順調です。予定日は……来年の春頃になりますね」
 診察が終わり、診療室を出るとき、フリアノンはまだ震える足取りで廊下を歩いた。
 窓の外では、セミの声が鳴り響き、夏の強い光が照り付けている。
(……わたし……お母さんになるんだ……)
 その事実が、嬉しくもあり、同時に恐ろしくもあった。
 自分はちゃんと母になれるのだろうか。
 こんなに弱くて、臆病で、いつも泣いてばかりの自分が――
 でも、思い出す。
 あの日、リュミエルが言った言葉を。
『君の子供が、またあのコースを走る日が来る。そう思うと……少し救われるんだ』
(……この子も……いつか……)
 あの長い直線を駆け抜けるのだろうか。
 歓声を浴び、栄光を掴むために生まれてくるのだろうか。
 胸が痛くなる。
 サイドールに生まれた運命の残酷さと、それでも自分が母としてできることを必死に考えようとする気持ちが、複雑に絡み合っていた。
 廊下を歩いていると、繁殖担当の女性スタッフが駆け寄ってきた。
「フリアノンさん、どうでした?」
「……はい……妊娠して……ました……」
 涙声でそう告げると、スタッフは優しく微笑み、フリアノンの背を撫でた。
「おめでとうございます。これからは赤ちゃんのためにも、しっかり食べて、しっかり休んでくださいね」
「……はい……ありがとうございます……」
 声が震える。
 でも今だけは、泣いてもいいと思った。
 ――自分の命が、またひとつ繋がった。
 繁殖棟を出ると、夏の光が強烈で、眩しさに目を細めた。
 その視界の奥で、小さく未来が輝いているように思えた。