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第二十八話 恐れと勇気

ー/ー



(……蘇芳(すおう)の行く末を決めかねない戦い。か……)

 去っていく大きな父の背を見送り、膝の上に置いた拳がじっとりと嫌な汗をかいているのを感じながら、勇魚(いさな)は降りかかる重圧に僅かに唇を噛んだ。

 諸将を集めて行われた会議は、瑠璃(るり)領主へ味方するという形で決した。
 どう策を立てるか、具体的な軍議は恵比寿の言う根回しに目途が付くころにまた行われるという事で解散となった。

 瑠璃(るり)領主が味方につけているという妖怪は正に一騎当千だという。
 
 相手方が積極的に攻勢に出ないことも(かんが)みれば短期とはいえ数日は持つということらしい。
 とはいえ、事が事である。具体的な軍議が開催されるまでに、そう時間はかからないだろう。
 
 勇魚(いさな)は初め、会議が終わると同時に桃へ真っ先に声を掛けようと考えていた。
 桃へ声を掛けることで、お互いが抱く緊張を少しでもほぐせるのではないかと思ったからだ。
 なにせお互いに初めての大きな規模の戦になる事は間違いない。
 けれどいざ相手の兵力の規模を知り、今回の戦いの難しさを思い知る形となって、勇魚(いさな)は会議が終わっても咄嗟に体が動かなかった。

 これまでに経験してきた戦いが、簡単なものだったわけではない。
 規模の大小はあれど、必ず誰かの生活が、命が掛かっていた。
 そしてそれがかけがえのない大切なものであることを、勇魚(いさな)は分かっているつもりだ。

 だからこそだ。将来、自分は領の民の命と生活を背負っていく事になる。
 自分の肩や背中も、器も、それを背負うに足るものとなっていないことも分かっている。

 だからこそ、目の前で父が領の将来を、民の命を背負って決断する姿が、いつも以上に大きく見えた。
 そしてもうひとつ。

(この戦い、桃の働きも大事なのか……)

 血の繋がりこそなくとも、兄弟のように育ってきた桃。
 
 自分の方がわずかとはいえ先輩なのに、先を越されてしまった気分だった。
 河童の件といい、セコイの件といい、今回と言い、桃は日を追うごとに戦果を上げている。
 それに対する焦りが、少なからずある。

(……俺の方が一応先輩なのに……そう考えちまうだなんてみっともねえし柄じゃねえのにな……)

勇魚(いさな)、大丈夫か」
「ん?ああ、大丈夫だ。ちょっと考え事だよ」
「ならいいが……、無理はするなよ?」
「分かってるって。それよりも父上に大事な任務を頼まれたんだ。しっかりやってこいよ」
「ああ、行ってくる」

 そういって心配そうに声を掛けてきた桃には大丈夫と言ってしまったが、未だ動けないでいる自分が情けない。
 その桃は領主である父へ進言し、重要な役割を任された為に、自分の事を気にしつつもすでに準備へ向かってしまった。
 
 父を含めた他の者も、いつの間にか多くは解散して持ち場へ戻ったようだ。
 それにも関わらず動かない勇魚(いさな)が気になったのか、幹久が気遣う様に声をかけた。

「ご気分が優れませんかな?勇魚(いさな)様」
「花咲の爺さん……。やっぱお見通しか……」
「これでも弓の腕を鳴らした身ですからな。眼は良いのです」

 老爺は悪戯が成功した子供の様に口の端をにやりと持ち上げる。
 その様子に勇魚(いさな)は少しだけ気が楽になった様な気がして、口を開いた。

「柄にもなく臆しちまった。戦も別に初めてってわけじゃないのにな」
勇魚(いさな)様にとっては初めての大きな戦ですからの。無理もございますまい」
 
「けど、桃は落ち着いてただろう。重要な任務も任されてたしな。俺の方が戦の経験に関しちゃ一応先輩だってのに、情けないったらありゃしねぇ」
「あやつも表には出さんだけで、相当に緊張しておりますわい」
「そりゃ俺だって分かってるさ。表へ出さずにいられるってのがすげぇんだ。桃の奴、偶に俺の倍以上生きてんじゃないかってくらい落ち着いてるだろう?」
「まあ、確かに無相応に落ち着いたところはありますからなぁ」
 
「俺は正直、桃みたいに落ち着いて考えることは得意じゃねえし、魔法もまだ使えねえ。だから時々あいつが羨ましくなる」
「それなら桃も同じですわい。あやつも時折、『勇魚(いさな)みたいな体格が欲しい』などとぼやいておりますからなぁ」

 桃には内緒だとつけ足して、幹久がまた人懐こく笑う。

「そういうもんかねぇ」
「そういうものです。しかし、わしが思うに勇魚(いさな)様。其れだけではございませんな?」
「やっぱりお見通しか……。親父……父上の凄さを、改めて思い知らされただけさ」
「ほう」
 
「俺も領主になるため励んでるつもりだけどさ、ああもデカい背中見せられると自信失くすぜ。」
「なぁに、恵比寿様の、領主という責務の大きさを理解できるようになったことは成長でございましょう。それに」
「それに?」

 一息ついて、幹久の視線が勇魚(いさな)を捕らえる。
 それはさながら、昔話を子供たちに聞かせるような眼差しだった。

勇魚(いさな)様や鯱丸様は昔の恵比寿様によく似ておられますよ」
「俺や鯱丸が?」
「ええ。恵比寿様が幼いころは、それは臆病な方でしてな。鯱丸様と同じ年の頃など、鉄砲の音でひっくり返ってしまった程です。その後など自らを情けないとお思いになったのか自害されようとなさいまして、止めるのに苦労しましたわい」
「……意外だな……」
 
「想像できませんでしょう?その時月代が、『そんな勇気はお捨てなさい。それ程の覚悟が持てるのならば、戦にてその気持ちをお持ちなさい』と恵比寿様を叱り飛ばしましてな。あの時の月代の雰囲気と言ったら、顔は笑顔なのに般若の様で、今でも強烈に覚えておりますわい」
「それは……確かに怖そうだな……」

「ええ、わしも冷や汗をかきましたからの。まあともあれそれ以来、恵比寿様は勇敢になられました。勇魚(いさな)様はこの時期の恵比寿様に似ておられますな」
「父上も、色々あって変わったんだな」
 
「いいえ。今も変わっておられませんよ。人の本質というものは、そう変わる物ではありませぬ。恵比寿様はその臆病さ故に、蘇芳(すおう)を守ることが出来るのです」
「臆病さ故に……?勇気じゃなくて?」


「左様。無論勇気も必要でしょう。ですが、臆病さも大事なのです。勇気ばかりでは傲慢になり、大切なものまで傷つけてしまう。恵比寿様はどうですかな?」
「父上は、傲慢じゃない、と思う。だから俺は父上を信じられるし、力になりたいって思える」

「それは恵比寿様が色々な事を知っておるからです。失う事も、傷を負う痛みも、恵比寿様ご自身の弱さも。恐れを知っているものは強い」
「恐れかぁ」

勇魚(いさな)様と桃は先ほど、成長なされたのです。重い責任を背中に負う意味と恐ろしさを、一端でもその目で見て理解し、自覚なされた」
「そりゃあ……まあ少しは理解したけどさ」
「その恐れを真っすぐに自覚する事もまたひとつの勇気。そうして適度に臆病と勇気を身に着けなされ。勇魚(いさな)様ならできましょう。先代より仕えるわしが補償いたしまする」

「わかったよ。まあ、適度に頑張るわ。ありがとうな、爺さん」
「なぁに。若者を手助けするのが年寄りの役目ですからのう、ああ……」

 普段魅せる好々爺然とした顔で笑う幹久が、思い出したように何かを言いかける。

「どした?」
「いえ、勇魚(いさな)様、これだけは覚えておいてくだされ」
「ん?ああ」
「恵比寿様は何よりも、あなた方兄弟の事を気にかけ、期待しておられます。それは長年恵比寿様に仕えてきたこの爺が補償いたします」

 そういって座ったままにこりと笑った幹久に、勇魚(いさな)はまるでどっしりと根を張った巨木の様な安心感を感じた。
 
 父だけでない。
 蘇芳(すおう)には超えるべき大きな背中がいくつもある。
 改めてその事を思い知ったようで、気が引き締まる。

 それなのに顔が綻ぶのは、その大きな背中が味方で居てくれている頼もしさ故だろう。
 いつの間にか晴れやかに日が差してきた自分の気持ちに、我ながら単純なものだと勇魚(いさな)は表情を緩めた。


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(……|蘇芳《すおう》の行く末を決めかねない戦い。か……)
 去っていく大きな父の背を見送り、膝の上に置いた拳がじっとりと嫌な汗をかいているのを感じながら、|勇魚《いさな》は降りかかる重圧に僅かに唇を噛んだ。
 諸将を集めて行われた会議は、|瑠璃《るり》領主へ味方するという形で決した。
 どう策を立てるか、具体的な軍議は恵比寿の言う根回しに目途が付くころにまた行われるという事で解散となった。
 |瑠璃《るり》領主が味方につけているという妖怪は正に一騎当千だという。
 相手方が積極的に攻勢に出ないことも|鑑《かんが》みれば短期とはいえ数日は持つということらしい。
 とはいえ、事が事である。具体的な軍議が開催されるまでに、そう時間はかからないだろう。
 |勇魚《いさな》は初め、会議が終わると同時に桃へ真っ先に声を掛けようと考えていた。
 桃へ声を掛けることで、お互いが抱く緊張を少しでもほぐせるのではないかと思ったからだ。
 なにせお互いに初めての大きな規模の戦になる事は間違いない。
 けれどいざ相手の兵力の規模を知り、今回の戦いの難しさを思い知る形となって、|勇魚《いさな》は会議が終わっても咄嗟に体が動かなかった。
 これまでに経験してきた戦いが、簡単なものだったわけではない。
 規模の大小はあれど、必ず誰かの生活が、命が掛かっていた。
 そしてそれがかけがえのない大切なものであることを、|勇魚《いさな》は分かっているつもりだ。
 だからこそだ。将来、自分は領の民の命と生活を背負っていく事になる。
 自分の肩や背中も、器も、それを背負うに足るものとなっていないことも分かっている。
 だからこそ、目の前で父が領の将来を、民の命を背負って決断する姿が、いつも以上に大きく見えた。
 そしてもうひとつ。
(この戦い、桃の働きも大事なのか……)
 血の繋がりこそなくとも、兄弟のように育ってきた桃。
 自分の方がわずかとはいえ先輩なのに、先を越されてしまった気分だった。
 河童の件といい、セコイの件といい、今回と言い、桃は日を追うごとに戦果を上げている。
 それに対する焦りが、少なからずある。
(……俺の方が一応先輩なのに……そう考えちまうだなんてみっともねえし柄じゃねえのにな……)
「|勇魚《いさな》、大丈夫か」
「ん?ああ、大丈夫だ。ちょっと考え事だよ」
「ならいいが……、無理はするなよ?」
「分かってるって。それよりも父上に大事な任務を頼まれたんだ。しっかりやってこいよ」
「ああ、行ってくる」
 そういって心配そうに声を掛けてきた桃には大丈夫と言ってしまったが、未だ動けないでいる自分が情けない。
 その桃は領主である父へ進言し、重要な役割を任された為に、自分の事を気にしつつもすでに準備へ向かってしまった。
 父を含めた他の者も、いつの間にか多くは解散して持ち場へ戻ったようだ。
 それにも関わらず動かない|勇魚《いさな》が気になったのか、幹久が気遣う様に声をかけた。
「ご気分が優れませんかな?|勇魚《いさな》様」
「花咲の爺さん……。やっぱお見通しか……」
「これでも弓の腕を鳴らした身ですからな。眼は良いのです」
 老爺は悪戯が成功した子供の様に口の端をにやりと持ち上げる。
 その様子に|勇魚《いさな》は少しだけ気が楽になった様な気がして、口を開いた。
「柄にもなく臆しちまった。戦も別に初めてってわけじゃないのにな」
「|勇魚《いさな》様にとっては初めての大きな戦ですからの。無理もございますまい」
「けど、桃は落ち着いてただろう。重要な任務も任されてたしな。俺の方が戦の経験に関しちゃ一応先輩だってのに、情けないったらありゃしねぇ」
「あやつも表には出さんだけで、相当に緊張しておりますわい」
「そりゃ俺だって分かってるさ。表へ出さずにいられるってのがすげぇんだ。桃の奴、偶に俺の倍以上生きてんじゃないかってくらい落ち着いてるだろう?」
「まあ、確かに無相応に落ち着いたところはありますからなぁ」
「俺は正直、桃みたいに落ち着いて考えることは得意じゃねえし、魔法もまだ使えねえ。だから時々あいつが羨ましくなる」
「それなら桃も同じですわい。あやつも時折、『|勇魚《いさな》みたいな体格が欲しい』などとぼやいておりますからなぁ」
 桃には内緒だとつけ足して、幹久がまた人懐こく笑う。
「そういうもんかねぇ」
「そういうものです。しかし、わしが思うに|勇魚《いさな》様。其れだけではございませんな?」
「やっぱりお見通しか……。親父……父上の凄さを、改めて思い知らされただけさ」
「ほう」
「俺も領主になるため励んでるつもりだけどさ、ああもデカい背中見せられると自信失くすぜ。」
「なぁに、恵比寿様の、領主という責務の大きさを理解できるようになったことは成長でございましょう。それに」
「それに?」
 一息ついて、幹久の視線が|勇魚《いさな》を捕らえる。
 それはさながら、昔話を子供たちに聞かせるような眼差しだった。
「|勇魚《いさな》様や鯱丸様は昔の恵比寿様によく似ておられますよ」
「俺や鯱丸が?」
「ええ。恵比寿様が幼いころは、それは臆病な方でしてな。鯱丸様と同じ年の頃など、鉄砲の音でひっくり返ってしまった程です。その後など自らを情けないとお思いになったのか自害されようとなさいまして、止めるのに苦労しましたわい」
「……意外だな……」
「想像できませんでしょう?その時月代が、『そんな勇気はお捨てなさい。それ程の覚悟が持てるのならば、戦にてその気持ちをお持ちなさい』と恵比寿様を叱り飛ばしましてな。あの時の月代の雰囲気と言ったら、顔は笑顔なのに般若の様で、今でも強烈に覚えておりますわい」
「それは……確かに怖そうだな……」
「ええ、わしも冷や汗をかきましたからの。まあともあれそれ以来、恵比寿様は勇敢になられました。|勇魚《いさな》様はこの時期の恵比寿様に似ておられますな」
「父上も、色々あって変わったんだな」
「いいえ。今も変わっておられませんよ。人の本質というものは、そう変わる物ではありませぬ。恵比寿様はその臆病さ故に、|蘇芳《すおう》を守ることが出来るのです」
「臆病さ故に……?勇気じゃなくて?」
「左様。無論勇気も必要でしょう。ですが、臆病さも大事なのです。勇気ばかりでは傲慢になり、大切なものまで傷つけてしまう。恵比寿様はどうですかな?」
「父上は、傲慢じゃない、と思う。だから俺は父上を信じられるし、力になりたいって思える」
「それは恵比寿様が色々な事を知っておるからです。失う事も、傷を負う痛みも、恵比寿様ご自身の弱さも。恐れを知っているものは強い」
「恐れかぁ」
「|勇魚《いさな》様と桃は先ほど、成長なされたのです。重い責任を背中に負う意味と恐ろしさを、一端でもその目で見て理解し、自覚なされた」
「そりゃあ……まあ少しは理解したけどさ」
「その恐れを真っすぐに自覚する事もまたひとつの勇気。そうして適度に臆病と勇気を身に着けなされ。|勇魚《いさな》様ならできましょう。先代より仕えるわしが補償いたしまする」
「わかったよ。まあ、適度に頑張るわ。ありがとうな、爺さん」
「なぁに。若者を手助けするのが年寄りの役目ですからのう、ああ……」
 普段魅せる好々爺然とした顔で笑う幹久が、思い出したように何かを言いかける。
「どした?」
「いえ、|勇魚《いさな》様、これだけは覚えておいてくだされ」
「ん?ああ」
「恵比寿様は何よりも、あなた方兄弟の事を気にかけ、期待しておられます。それは長年恵比寿様に仕えてきたこの爺が補償いたします」
 そういって座ったままにこりと笑った幹久に、|勇魚《いさな》はまるでどっしりと根を張った巨木の様な安心感を感じた。
 父だけでない。
 |蘇芳《すおう》には超えるべき大きな背中がいくつもある。
 改めてその事を思い知ったようで、気が引き締まる。
 それなのに顔が綻ぶのは、その大きな背中が味方で居てくれている頼もしさ故だろう。
 いつの間にか晴れやかに日が差してきた自分の気持ちに、我ながら単純なものだと|勇魚《いさな》は表情を緩めた。