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第3章~第13話 スタンフォード監獄実験⑬~

ー/ー



 8月4日〜再実験4日目〜

 土田先輩が合宿所を去った後も、監獄内ではさらなる混乱が続いた。

 日付が変わって4日目を迎えた深夜、囚人番号4番と6番の生徒が居住する部屋から、またも、すすり泣く声がした。

「ちょっと、ようすを見てくる。キミはこのままモニターしてくれたまえ」

 ネコ先輩は、そう言い残して、階下の監獄スペースに降りて行った。

 監視カメラの映像では、囚人番号4番と6番の部屋に入ったネコ先輩が、顔を覆う松田先輩を慰めるように声をかけている姿だけが確認できる。
 
 ほどなくして、男子生徒の説得に成功したのか、スッキリした表情の松田先輩と、口元を引き締めたネコ先輩が廊下を歩く姿が、別のカメラ映像で確認できた。

 それから、しばらくしてモニター室に戻ってきた先輩は、私がたずねる前に語り始める。

「ワタシは、もうここを出ようと彼に提案したんだが、彼は拒否した。松田くんは涙を浮かべながら、そんなことはできない、ほかの人たちから自分はすでに『危険な囚人』のレッテルを貼られてしまっているから、と言った。吐き気に襲われていたにもかかわらず、彼はあの場所にとどまり、自分が危険な囚人ではないことを証明したがったんだ」

「それで、ネコ先輩は、どうやって松田先輩を説得したんですか?」
 
「ワタシは、彼にこう言った。『いいかい、君は囚人番号4番なんかじゃない。君は松田虎太郎(まつだこたろう)だ。そして、私は朱令陣禰子(しゅれじんねこ)だ。私は生物心理学研究会の部員で、監獄の監察官などではない。ここは本物の刑務所ではないんだ。これはただの実験で、ここにいるのはみんな同じ学校の生徒だ。囚人ではない。君もそうだ。さあ、行こう』と……彼は突然、泣き止み、悪夢から目覚めた幼い子どものように私を見上げ、『わかりました。行きましょう』と答えた」

「そうですか……松田先輩も、自宅に帰ったんですね?」

「あぁ……幸い、配車アプリですぐにタクシーが見つかったよ」

「それは……良かったです」

 ああいうアプリって、電子決済オンリーのことが多いと思うけど、ネコ先輩は、どうやって、タクシーを呼べるほどたくさんのポイントを稼いでいるんだろう?

 という疑問が湧いてきたけど、いまは、そんな些細な疑問は脇において、私がするべきことに意識を向ける。

「ところで、ネコ先輩。そろそろ、実験を切り上げませんか? これ以上、この再現実験を続けたら、囚人チームの生徒だけでなく、看守チームの生徒にも深刻な影響が出ると思います」

「いや、しかしだね――――――」

 逡巡しながらも……と言った表現がピッタリの戸惑うようすを見せながらも、彼女はまだ、ここで、実験を中止してしまうことに対して未練があるようだ。

「そうですか? では、これでも、意見は変わりませんか?」

 そう言って私は、さっきまでネコ先輩が訪ねていた、囚人番号6番の()()()()()()()()()()()()()()の部屋の監視モニターを最大化させる。

 そこには、一人きりになったはずの生徒の他に、もう一人、男子生徒が座っていた。

「なっ、ヨウイチ! どうして、そこに!?」

「これ以上、実験を続けないように説得してもらうため、私の判断で日辻先輩に来てもらいました。先輩が松田さんを連れて合宿所の外に出ている間に監獄に入ってもらったんです。ネコ先輩、この状況で、日辻先輩が囚人チームに入っても、実験を続けますか?」

 監視カメラの映像を確認すると、カメラをズームアップしたことに気づいたのか、日辻先輩が、こちらに向かって笑顔で手を振っている。
 その屈託のない表情に観念したのか、フッと笑みをこぼした上級生は、つぶやいた。

「わかったよ。まさか、ネズコくんがこんなに大胆なことをやってのけるとは思わなかった。ワタシは、まだキミのことを過小評価していたようだ」

 彼女の言葉を聞いて安心した私は、館内放送用のマイクの電源をオンにする。

「深夜に失礼します。囚人番号13番……いえ、日辻羊一さんは、すぐに2階のモニター室に来てください」

 そのアナウンスでベッドから立ち上がった日辻先輩は、廊下に駆け出して、あっという間に私たちのいるモニター室にやって来た。

「音無さんから聞いたよ。今回の実験は、大変なことになってるんだってね? 先週の実験が、最後は和気あいあいで終わったから安心してたんだけど……ボクの認識が甘かったみたいだ」

「そ、その……ヨウイチに心配をかけるつもりはなくて……」

「うん、それはわかってるよ。でも、いまの禰子は、ひどい顔色をしている。はやく、いつもの表情に戻って欲しいな……」

「そ、そんな、いつもの可愛い顔が台無しだなんて――――――」

 まるで、恋する乙女のように……(いや、実際にそのとおりなんだけど)頬を染めるネコ先輩に対して、
 
「いや、そんなこと、日辻先輩は一言も言ってないから!!!!!!」

と、思いっきりツッコミを入れたい衝動を抑えながら、自分の考えが間違っていなかたことに心の底から安堵する。

 そう、フィリップ・ジンバルドー教授の異常な実験を中止させたのは、後に彼の伴侶となる同じ心理学者のクリスティーナ・マスラックの説得によるものだったそうだ。

「それじゃ、ネコ先輩。館内アナウンスをお願いします」

 私の一言に「うむ」とうなずいた先輩は、マイクのスイッチをオンにした。

「緊急放送! 緊急放送! 現在の合宿所の状況に鑑み、二回目の監獄実験は現時点で終了する。なお、今回の実験では、肉体的・精神的に大きな苦痛を伴っていることが考えられるので、明日から順次、デブリーフィングという心理的ケアを行う。各自は、このあと、3階の待機室でじっくりと休息と睡眠を取ってくれたまえ。今回は、キミたちの実験に対する協力と尽力に、本当に感謝する。以上だ」


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 土田先輩が合宿所を去った後も、監獄内ではさらなる混乱が続いた。
 日付が変わって4日目を迎えた深夜、囚人番号4番と6番の生徒が居住する部屋から、またも、すすり泣く声がした。
「ちょっと、ようすを見てくる。キミはこのままモニターしてくれたまえ」
 ネコ先輩は、そう言い残して、階下の監獄スペースに降りて行った。
 監視カメラの映像では、囚人番号4番と6番の部屋に入ったネコ先輩が、顔を覆う松田先輩を慰めるように声をかけている姿だけが確認できる。
 ほどなくして、男子生徒の説得に成功したのか、スッキリした表情の松田先輩と、口元を引き締めたネコ先輩が廊下を歩く姿が、別のカメラ映像で確認できた。
 それから、しばらくしてモニター室に戻ってきた先輩は、私がたずねる前に語り始める。
「ワタシは、もうここを出ようと彼に提案したんだが、彼は拒否した。松田くんは涙を浮かべながら、そんなことはできない、ほかの人たちから自分はすでに『危険な囚人』のレッテルを貼られてしまっているから、と言った。吐き気に襲われていたにもかかわらず、彼はあの場所にとどまり、自分が危険な囚人ではないことを証明したがったんだ」
「それで、ネコ先輩は、どうやって松田先輩を説得したんですか?」
「ワタシは、彼にこう言った。『いいかい、君は囚人番号4番なんかじゃない。君は|松田虎太郎《まつだこたろう》だ。そして、私は|朱令陣禰子《しゅれじんねこ》だ。私は生物心理学研究会の部員で、監獄の監察官などではない。ここは本物の刑務所ではないんだ。これはただの実験で、ここにいるのはみんな同じ学校の生徒だ。囚人ではない。君もそうだ。さあ、行こう』と……彼は突然、泣き止み、悪夢から目覚めた幼い子どものように私を見上げ、『わかりました。行きましょう』と答えた」
「そうですか……松田先輩も、自宅に帰ったんですね?」
「あぁ……幸い、配車アプリですぐにタクシーが見つかったよ」
「それは……良かったです」
 ああいうアプリって、電子決済オンリーのことが多いと思うけど、ネコ先輩は、どうやって、タクシーを呼べるほどたくさんのポイントを稼いでいるんだろう?
 という疑問が湧いてきたけど、いまは、そんな些細な疑問は脇において、私がするべきことに意識を向ける。
「ところで、ネコ先輩。そろそろ、実験を切り上げませんか? これ以上、この再現実験を続けたら、囚人チームの生徒だけでなく、看守チームの生徒にも深刻な影響が出ると思います」
「いや、しかしだね――――――」
 逡巡しながらも……と言った表現がピッタリの戸惑うようすを見せながらも、彼女はまだ、ここで、実験を中止してしまうことに対して未練があるようだ。
「そうですか? では、これでも、意見は変わりませんか?」
 そう言って私は、さっきまでネコ先輩が訪ねていた、囚人番号6番の|一《・》|条《・》|先《・》|輩《・》|だ《・》|け《・》|が《・》|残《・》|っ《・》|て《・》|い《・》|る《・》|は《・》|ず《・》の部屋の監視モニターを最大化させる。
 そこには、一人きりになったはずの生徒の他に、もう一人、男子生徒が座っていた。
「なっ、ヨウイチ! どうして、そこに!?」
「これ以上、実験を続けないように説得してもらうため、私の判断で日辻先輩に来てもらいました。先輩が松田さんを連れて合宿所の外に出ている間に監獄に入ってもらったんです。ネコ先輩、この状況で、日辻先輩が囚人チームに入っても、実験を続けますか?」
 監視カメラの映像を確認すると、カメラをズームアップしたことに気づいたのか、日辻先輩が、こちらに向かって笑顔で手を振っている。
 その屈託のない表情に観念したのか、フッと笑みをこぼした上級生は、つぶやいた。
「わかったよ。まさか、ネズコくんがこんなに大胆なことをやってのけるとは思わなかった。ワタシは、まだキミのことを過小評価していたようだ」
 彼女の言葉を聞いて安心した私は、館内放送用のマイクの電源をオンにする。
「深夜に失礼します。囚人番号13番……いえ、日辻羊一さんは、すぐに2階のモニター室に来てください」
 そのアナウンスでベッドから立ち上がった日辻先輩は、廊下に駆け出して、あっという間に私たちのいるモニター室にやって来た。
「音無さんから聞いたよ。今回の実験は、大変なことになってるんだってね? 先週の実験が、最後は和気あいあいで終わったから安心してたんだけど……ボクの認識が甘かったみたいだ」
「そ、その……ヨウイチに心配をかけるつもりはなくて……」
「うん、それはわかってるよ。でも、いまの禰子は、ひどい顔色をしている。はやく、いつもの表情に戻って欲しいな……」
「そ、そんな、いつもの可愛い顔が台無しだなんて――――――」
 まるで、恋する乙女のように……(いや、実際にそのとおりなんだけど)頬を染めるネコ先輩に対して、
「いや、そんなこと、日辻先輩は一言も言ってないから!!!!!!」
と、思いっきりツッコミを入れたい衝動を抑えながら、自分の考えが間違っていなかたことに心の底から安堵する。
 そう、フィリップ・ジンバルドー教授の異常な実験を中止させたのは、後に彼の伴侶となる同じ心理学者のクリスティーナ・マスラックの説得によるものだったそうだ。
「それじゃ、ネコ先輩。館内アナウンスをお願いします」
 私の一言に「うむ」とうなずいた先輩は、マイクのスイッチをオンにした。
「緊急放送! 緊急放送! 現在の合宿所の状況に鑑み、二回目の監獄実験は現時点で終了する。なお、今回の実験では、肉体的・精神的に大きな苦痛を伴っていることが考えられるので、明日から順次、デブリーフィングという心理的ケアを行う。各自は、このあと、3階の待機室でじっくりと休息と睡眠を取ってくれたまえ。今回は、キミたちの実験に対する協力と尽力に、本当に感謝する。以上だ」