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第十六話:芳香で絆す

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 自らが放った目に見えない針のあまりの威力に真宵(まよい)は絶句した。まさか、鉛筆ほどのサイズのイメージ――芳香は真宵の目には見えないので、あくまでイメージでしかないのだ――をぶつけただけで、二メートル級の大蟻が霧散するなど。

「お見事。さすがは夜華君(やかぎみ)。芳香の威力が並みの華間(かかん)様とは桁違いです」
『そうなの?』
「はい。"対象"が今の大蟻ですと、おおかたの華間様は芳香を放って頭を吹き飛ばすくらいが限度でしょう。(せき)女王たる珠沙(じゅしゃ)様であっても、以前に訓練のお相手を仰せつかった際には、蟻の胸部までを破壊するにとどまりました。もっとも、あのお方の強さはもっぱら剣技のほうにありますので、芳香単体での攻撃力など問題ではないのですが」

 立羽(たては)はやや誇らしげにも見える表情で言い、続けた。

「では次に、"対象"を生かしたまま使役する場合の芳香の使い方です。身体中のオーラが額に集まるさまを想像するところまでは同じです」

 立羽が羽衣の片袖を振ると、赤色の大蟻が再び出現した。
 真宵は意識を集中させて、先ほどの感覚を再現する。額がまた、じわりと熱を帯び始めた。

「大変よろしいです。慣れてこられましたね。今度はそのオーラを、額を中心として身体の前に薄く広げてみてください。透け感のある(しゃ)のイメージです」
『うん』

 額に溜まった熱を、徐々に前方へと放っていく。それが放射状に広がっていき、身体の前に薄布の膜ができるのを想像する。

「今から蟻を動かします。夜華君はその紗を蟻に向けて飛ばし、蟻を捕えてください」

 立羽の宣言どおり、大蟻が命を持ったかのように動き出した。二本の触角がぴくぴくと左右に振れ、鋭い顎が開閉し、六本の脚が蠢いて、大蟻はたちまち歩き去ろうとする。
 真宵はその大蟻の背目掛けて、見えない膜を放った。そして触角の先から後ろ脚の先までを覆ってしまう。
 大蟻の前進が止まる。

「弱小の蟲ならば、これだけで夜華君の芳香に酩酊し、昏倒するでしょう。そして目覚めたときにはもう、夜華君の命令を何でも聞く忠実な(しもべ)となっております。しかし、この大蟻クラスではそうはいきません。芳香を相手の脳により深く浸透させるための圧が必要です」
『圧?』
「それが、"(げい)"と"催示(さいじ)"です。睨とは、文字通り目と目を合わせて睨み合うこと。催示とは、芳香を媒体として相手の脳に直接命令を送ることです。まずは睨からやってみましょう。芳香の紗に包まれた蟲や蟲間はたいてい、動きが止まるか、鈍くなります。ですのでその隙に、相手と目が合う位置に回り込みます。このとき、相手を視界から外してはいけませんよ。芳香の紗の強度が一気に落ちて、相手に突破されてしまいます」

 真宵は大蟻から目を離さないようにしつつ、横歩きでじりじりと大蟻の正面へ回った。二つの赤い複眼を、視界の中心に捉える。

「次に催示です。これは"念じる"という表現がわかりやすいでしょうか。相手に向かって頭の中で語りかけるのです。配下に置きたいのなら『下れ』、遠くへやりたいのなら『去れ』。相手との間に圧倒的な力量差がある場合には、『自害しろ』というような命令すら通ります」
『自害、は……言いたくないな』
「もちろん、どのような命令にするかはご自由に」

 真宵は頷き、再び意識を大蟻へと集中させる。命を持たない偽物の蟲への命令。どんなものがいいだろうか。
 少し考えて、真宵は頭の中で唱える。

 三回まわって。

 大蟻が首を動かした。続いて六本の脚が動き出し、その巨体をその場で時計回りに三回転させる。

『やった、できた』

 真宵は思わず拳を握り、嬉々として立羽を見た。立羽は意外そうな表情をしている。

「どのようなご命令を?」
『三回まわって、って』
「それは何です? あまり実践向きではないようですが」
『三回まわってワンと言えって、相手に犬の真似をさせて服従心を試す常套句みたいなものだよ。蟻は鳴けないから、ワンの部分は省いたけれど』
「なるほど。人界(じんかい)らしい悪趣味ですね」

 立羽が羽衣の袖を振ると、赤い大蟻はさらさらと砂のように霧散して消えた。彼女は宙に向かって問いかける。

網玲(もうれい)蜻迅衛(せいじんえ)、何か手ごろな蟲は捕らえたか」
「はい、立羽様。蜻迅衛が見つけてきた良いのを数匹、私の糸で絡めております」

 平地を取り囲む林間から声が返ってくる。このあどけない女児の声は網玲だ。
 元蜻蛉(とんぼ)である蜻迅衛は索敵に優れていて、元蜘蛛である網玲は獲物を捕らえて保存するのに優れている。

「合図をしたら、一匹平地に送れ」
「承知しましたっ」

 え、蟲を送ってくる!? と真宵が驚いていると、立羽の目が真宵へと向けられた。

「夜華君、実践と参りましょう。ご準備はよろしいですか」

 真宵はごくりと喉を鳴らした。次に戦うのは立羽の作った偽物ではなく、本物の蟲だ。偽物ほどじっとしてはいないだろうし、反撃もしてくるだろう。

 不安はある。けれど立ち止まってはいられない。蟲と戦えるようになり、勝って契約して蟲間を得て、一人前の成華になるのだ。成華になればきっと、赤女王に輪廻転生を与えられるようになる。

 赤女王が生まれ変わって元気になれば、ほかの六国の王・女王と交渉して、真宵を玄天(げんてん)へ送るための推薦状を得てくれる。そうして玄天へ行き、七神から人界へ帰る許可をもらうのだ。

 それが元の世界に帰るために唯一示された道。真宵の希望。
 真宵が恐怖心に耐えて前へ進む原動力だ。

『うん、大丈夫』

 一度深呼吸をして、真宵は立羽の問いにそう答えた。


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 自らが放った目に見えない針のあまりの威力に|真宵《まよい》は絶句した。まさか、鉛筆ほどのサイズのイメージ――芳香は真宵の目には見えないので、あくまでイメージでしかないのだ――をぶつけただけで、二メートル級の大蟻が霧散するなど。
「お見事。さすがは|夜華君《やかぎみ》。芳香の威力が並みの|華間《かかん》様とは桁違いです」
『そうなの?』
「はい。"対象"が今の大蟻ですと、おおかたの華間様は芳香を放って頭を吹き飛ばすくらいが限度でしょう。|赤《せき》女王たる|珠沙《じゅしゃ》様であっても、以前に訓練のお相手を仰せつかった際には、蟻の胸部までを破壊するにとどまりました。もっとも、あのお方の強さはもっぱら剣技のほうにありますので、芳香単体での攻撃力など問題ではないのですが」
 |立羽《たては》はやや誇らしげにも見える表情で言い、続けた。
「では次に、"対象"を生かしたまま使役する場合の芳香の使い方です。身体中のオーラが額に集まるさまを想像するところまでは同じです」
 立羽が羽衣の片袖を振ると、赤色の大蟻が再び出現した。
 真宵は意識を集中させて、先ほどの感覚を再現する。額がまた、じわりと熱を帯び始めた。
「大変よろしいです。慣れてこられましたね。今度はそのオーラを、額を中心として身体の前に薄く広げてみてください。透け感のある|紗《しゃ》のイメージです」
『うん』
 額に溜まった熱を、徐々に前方へと放っていく。それが放射状に広がっていき、身体の前に薄布の膜ができるのを想像する。
「今から蟻を動かします。夜華君はその紗を蟻に向けて飛ばし、蟻を捕えてください」
 立羽の宣言どおり、大蟻が命を持ったかのように動き出した。二本の触角がぴくぴくと左右に振れ、鋭い顎が開閉し、六本の脚が蠢いて、大蟻はたちまち歩き去ろうとする。
 真宵はその大蟻の背目掛けて、見えない膜を放った。そして触角の先から後ろ脚の先までを覆ってしまう。
 大蟻の前進が止まる。
「弱小の蟲ならば、これだけで夜華君の芳香に酩酊し、昏倒するでしょう。そして目覚めたときにはもう、夜華君の命令を何でも聞く忠実な|僕《しもべ》となっております。しかし、この大蟻クラスではそうはいきません。芳香を相手の脳により深く浸透させるための圧が必要です」
『圧?』
「それが、"|睨《げい》"と"|催示《さいじ》"です。睨とは、文字通り目と目を合わせて睨み合うこと。催示とは、芳香を媒体として相手の脳に直接命令を送ることです。まずは睨からやってみましょう。芳香の紗に包まれた蟲や蟲間はたいてい、動きが止まるか、鈍くなります。ですのでその隙に、相手と目が合う位置に回り込みます。このとき、相手を視界から外してはいけませんよ。芳香の紗の強度が一気に落ちて、相手に突破されてしまいます」
 真宵は大蟻から目を離さないようにしつつ、横歩きでじりじりと大蟻の正面へ回った。二つの赤い複眼を、視界の中心に捉える。
「次に催示です。これは"念じる"という表現がわかりやすいでしょうか。相手に向かって頭の中で語りかけるのです。配下に置きたいのなら『下れ』、遠くへやりたいのなら『去れ』。相手との間に圧倒的な力量差がある場合には、『自害しろ』というような命令すら通ります」
『自害、は……言いたくないな』
「もちろん、どのような命令にするかはご自由に」
 真宵は頷き、再び意識を大蟻へと集中させる。命を持たない偽物の蟲への命令。どんなものがいいだろうか。
 少し考えて、真宵は頭の中で唱える。
 三回まわって。
 大蟻が首を動かした。続いて六本の脚が動き出し、その巨体をその場で時計回りに三回転させる。
『やった、できた』
 真宵は思わず拳を握り、嬉々として立羽を見た。立羽は意外そうな表情をしている。
「どのようなご命令を?」
『三回まわって、って』
「それは何です? あまり実践向きではないようですが」
『三回まわってワンと言えって、相手に犬の真似をさせて服従心を試す常套句みたいなものだよ。蟻は鳴けないから、ワンの部分は省いたけれど』
「なるほど。|人界《じんかい》らしい悪趣味ですね」
 立羽が羽衣の袖を振ると、赤い大蟻はさらさらと砂のように霧散して消えた。彼女は宙に向かって問いかける。
「|網玲《もうれい》、|蜻迅衛《せいじんえ》、何か手ごろな蟲は捕らえたか」
「はい、立羽様。蜻迅衛が見つけてきた良いのを数匹、私の糸で絡めております」
 平地を取り囲む林間から声が返ってくる。このあどけない女児の声は網玲だ。
 元|蜻蛉《とんぼ》である蜻迅衛は索敵に優れていて、元蜘蛛である網玲は獲物を捕らえて保存するのに優れている。
「合図をしたら、一匹平地に送れ」
「承知しましたっ」
 え、蟲を送ってくる!? と真宵が驚いていると、立羽の目が真宵へと向けられた。
「夜華君、実践と参りましょう。ご準備はよろしいですか」
 真宵はごくりと喉を鳴らした。次に戦うのは立羽の作った偽物ではなく、本物の蟲だ。偽物ほどじっとしてはいないだろうし、反撃もしてくるだろう。
 不安はある。けれど立ち止まってはいられない。蟲と戦えるようになり、勝って契約して蟲間を得て、一人前の成華になるのだ。成華になればきっと、赤女王に輪廻転生を与えられるようになる。
 赤女王が生まれ変わって元気になれば、ほかの六国の王・女王と交渉して、真宵を|玄天《げんてん》へ送るための推薦状を得てくれる。そうして玄天へ行き、七神から人界へ帰る許可をもらうのだ。
 それが元の世界に帰るために唯一示された道。真宵の希望。
 真宵が恐怖心に耐えて前へ進む原動力だ。
『うん、大丈夫』
 一度深呼吸をして、真宵は立羽の問いにそう答えた。