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第百二話「クイーンズカップ前夜」

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 夜の白雷ジム。初冬の冷たい空気が廊下の隙間から入り込み、わずかに揺れる蛍光灯を震わせていた。

 夕食を終えたフリアノンは、自室へ戻る途中、廊下の窓から外を見た。
 澄み切った夜空には星が瞬き、冷たい月明かりが調教コースを淡く照らしている。

「……明日も、晴れるかな……」

 去年のクイーンズカップを思い出す。あのときは、自分でも驚くほど楽に勝てた。スタートから最後方に構え、ミオの指示通り最終コーナー手前で外に持ち出すと、前を行くクロエをあっという間に捉えた。
 ゴールを駆け抜けたとき、あまりの手応えの良さに、フリアノンは戸惑いすら感じていた。

(……でも、今年もあんな風に……勝てるのかな……)

 部屋へ戻ると、ミオが荷物の整理をしていた。
「おかえり、ノンちゃん。準備はだいたい終わったで」

 フリアノンは黙って頷き、ベッドに腰を下ろした。
 ミオはそんな彼女の隣に座り、優しく声をかける。

「緊張してるん?」

 フリアノンは首を横に振った。
「……怖いだけです……去年は……楽に勝てたから……だから……余計に……」

 ミオは静かに頷き、フリアノンの手を取った。
「去年楽勝やったからって、今年もそうなるとは限らへん。でも、ノンちゃんは今まで何回も壁を越えてきたやろ? 明日もそのひとつや。せやから……無理せんと、でも全力で走ろうな?」

 フリアノンは小さく微笑んだ。
「……はい……」

 一方その頃、クロエも別の宿舎でひとり窓の外を見つめていた。

 去年のクイーンズカップ。スタートから中団につけ、いつも通りのレース運びだった。玲那の指示も的確で、自分でも手応えはあった。だが、最終コーナーを回った瞬間、背後から聞こえた地響きのような蹄音に振り返る間もなく、一瞬で抜かれた。

(あの時のフリアノン……速かった……)

 あの敗北は、クロエにとって屈辱だった。自分が努力して積み上げてきたものが、あっさりと打ち砕かれたようで、涙すら出なかった。

「……今年こそ……絶対に勝つ……」

 そう呟いた声は、夜の静寂に溶けて消えた。
 ベッドサイドの椅子にはヴェルナーが座っている。腕を組み、真剣な目でクロエを見ていた。

「去年のこと……まだ引きずっているのか?」

 クロエは無言で頷く。ヴェルナーはため息をつき、椅子から立ち上がるとクロエの正面に立った。

「……あのときの君は、完全に負けていた。悔しいだろうが、あれが現実だった」

 クロエは唇を噛んだ。
「わかってる……だから……だからこそ、今年は……!」

 ヴェルナーはクロエの両肩に手を置いた。

「今年は勝てる。私が君を勝たせる。だから、余計なことは考えるな。君はただ、私の言葉だけを信じて走ればいい」

 クロエの瞳が潤んだ。
「……ヴェルナー……」

「何、泣きそうな顔をしている。まだ勝ってもいないのに」

 ヴェルナーは静かに微笑み、クロエの髪をそっと撫でた。

 窓の外では、夜空にオリオン座が瞬いていた。

 それぞれの覚悟を胸に抱え、クイーンズカップ前夜は静かに更けていく。


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 夜の白雷ジム。初冬の冷たい空気が廊下の隙間から入り込み、わずかに揺れる蛍光灯を震わせていた。
 夕食を終えたフリアノンは、自室へ戻る途中、廊下の窓から外を見た。
 澄み切った夜空には星が瞬き、冷たい月明かりが調教コースを淡く照らしている。
「……明日も、晴れるかな……」
 去年のクイーンズカップを思い出す。あのときは、自分でも驚くほど楽に勝てた。スタートから最後方に構え、ミオの指示通り最終コーナー手前で外に持ち出すと、前を行くクロエをあっという間に捉えた。
 ゴールを駆け抜けたとき、あまりの手応えの良さに、フリアノンは戸惑いすら感じていた。
(……でも、今年もあんな風に……勝てるのかな……)
 部屋へ戻ると、ミオが荷物の整理をしていた。
「おかえり、ノンちゃん。準備はだいたい終わったで」
 フリアノンは黙って頷き、ベッドに腰を下ろした。
 ミオはそんな彼女の隣に座り、優しく声をかける。
「緊張してるん?」
 フリアノンは首を横に振った。
「……怖いだけです……去年は……楽に勝てたから……だから……余計に……」
 ミオは静かに頷き、フリアノンの手を取った。
「去年楽勝やったからって、今年もそうなるとは限らへん。でも、ノンちゃんは今まで何回も壁を越えてきたやろ? 明日もそのひとつや。せやから……無理せんと、でも全力で走ろうな?」
 フリアノンは小さく微笑んだ。
「……はい……」
 一方その頃、クロエも別の宿舎でひとり窓の外を見つめていた。
 去年のクイーンズカップ。スタートから中団につけ、いつも通りのレース運びだった。玲那の指示も的確で、自分でも手応えはあった。だが、最終コーナーを回った瞬間、背後から聞こえた地響きのような蹄音に振り返る間もなく、一瞬で抜かれた。
(あの時のフリアノン……速かった……)
 あの敗北は、クロエにとって屈辱だった。自分が努力して積み上げてきたものが、あっさりと打ち砕かれたようで、涙すら出なかった。
「……今年こそ……絶対に勝つ……」
 そう呟いた声は、夜の静寂に溶けて消えた。
 ベッドサイドの椅子にはヴェルナーが座っている。腕を組み、真剣な目でクロエを見ていた。
「去年のこと……まだ引きずっているのか?」
 クロエは無言で頷く。ヴェルナーはため息をつき、椅子から立ち上がるとクロエの正面に立った。
「……あのときの君は、完全に負けていた。悔しいだろうが、あれが現実だった」
 クロエは唇を噛んだ。
「わかってる……だから……だからこそ、今年は……!」
 ヴェルナーはクロエの両肩に手を置いた。
「今年は勝てる。私が君を勝たせる。だから、余計なことは考えるな。君はただ、私の言葉だけを信じて走ればいい」
 クロエの瞳が潤んだ。
「……ヴェルナー……」
「何、泣きそうな顔をしている。まだ勝ってもいないのに」
 ヴェルナーは静かに微笑み、クロエの髪をそっと撫でた。
 窓の外では、夜空にオリオン座が瞬いていた。
 それぞれの覚悟を胸に抱え、クイーンズカップ前夜は静かに更けていく。