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第19話 自殺衝動

ー/ー



 沙夜子は乱れた息を整えながら、綺麗に刈られた芝生に手をついて立ち上がった。

(なんなの? なんで、止まらないの? ……花粉か。花粉が神経組織に入り込んで、体やあの感じだと脳までも動かされている。自身の感情や思考があの木――樹木子にコントロールされて操り人形みたいに……)

 『操り人形』という言葉から、沙夜子の脳裏に首を吊った女子生徒の姿が鮮明に浮かび上がってきた。自分の記憶も感覚も思いも全てがなくなり、ただ風にゆらゆらと揺られるままの姿。あれこそ、本当に操り人形だ。

 右手に持って離さなかったライターを強く握り締める。

「自殺させたんだ」

 あの花粉で体を操って。あの花粉で心を操って。虚しさと悲しさとそして憎しみが自分の心を満杯にさせたのが沙夜子にはわかった。

 沙夜子の息を整えるまで少し時間がかかった。吉良は灯油を離さずに、遅いが着実に樹木子の元へ向かっている。目の前の蓮は行進を続ける。巨大な禍々しいこの大木は、吉良と沙夜子に向かって薄紫色の花粉を飛ばしていた。

 ……許せない。もう誰もお前の操り人形になんかさせない。絶対にお前の操り人形になんかならない。

 吉良が十分に樹木子へと近づいた。沙夜子は大きく息を吸う。

「吉良、灯油を思い切りぶちまけて、戻りなさい!!」

 その声を合図にしたかのように、沙夜子は全速力で走り始めた。吉良の放り投げたポリタンクはもちろん鮮やかな放物線など描かなかったが、樹木子の根本には届いた。吉良は半分以上灯油でびしょ濡れになった体をそのままに扉へ向かって走る。薄紫色の花粉が沙夜子の体に触れた。

(気持ち悪! わけのわからないものが体の中に入ってくる!! ……このままじゃヤバイ!)

 沙夜子は火力全開にしてライターの火を付けた。その火を自分の顔の前に固定し、そのままの姿勢で根本に走り寄っていった。顔は熱く、下手をすると髪や眉毛に火がつくかもしれない。

(でも、こうすれば花粉は目の前から消える。いくら得体のしれないものだって、花粉には違わない)

 沙夜子の考えた通り、薄紫色の花粉の道の一部分は火によってかき消され、そこに沙夜子の走る道が開けた。後ろから花粉が沙夜子に迫るが、構わず走り続ける。

 吉良の撒いた灯油のかかった根本のちょうど真上に差し掛かったその瞬間、沙夜子は体勢をギリギリ走れるくらいに低くして、ライターを下に向けて、灯油に火を灯した。

 灯油は一瞬にして燃え始め、樹木子だけでなく周りの芝生を巻き込んで怒ったように燃え広がっていく。根本から幹へ幹から枝、そして桜の花へと火が広がるにつれて、その勢いも増していった。

 ――そして、地鳴りのような雄叫びが聞こえた。

「……いっつ……なんだぁー……わっ!!」

 今の雄叫びで目を覚ましたのか地面に倒れていた蓮が起き上がった。

「なんか体中痛いし、いったいなにが……って燃えてるし!!!」

 蓮は慌ててその場から立ち上がると、ドアの前に立ちすくんでいる吉良の姿を見つけ、そこに向かって猛ダッシュし始めた。走り始めると全身にまとわりつくようなだるさを感じた。

「なあ、いったい何がどうなってんだ?」

 吉良は呆けたように返答する。

「……何も覚えてないんですか?」

 蓮は首に手をあてて首を左右に捻った。ポキポキと小気味よい音がする。

「うーん、ここに来て、なんにも変わらないと思って、でも変な色の固まりが出てきて、沙夜子さんが何か言って、それから――」

 そこまで思い出したところで、蓮は身震いを始めた。同時にえずき出し、我慢できずに地面へと全て吐き出した。

 蓮は了解を得ることもなく吉良の手を掴んだ。

「な、何ですか?」

「怖かった。とてつもなく恐ろしかったんだ」

 あってはいけないもの、思ってはいけないもの、それが蓮の中に沸き上がり、蓮は呑み込まれてしまった。

「昔の嫌な記憶。それがめちゃくちゃ浮かんできて、そして、そしたら、死のうってなったんだ! 死にたい、死にたい、死にたいって!!」

 蓮を支配したもの。それは自殺衝動だった。

 吉良は蓮から手を離すと、蓮の肩を揺さぶりながらさっき自分がされたように蓮の目を真剣に見つめた。

「お、落ち着いてください。それはもう終わったんです。僕らがあの木に火をつけて、さっき聞こえた声もあの木の断末魔なんですよ、きっと。だから、もう終わったんです」

「そう、終わったのか……」

 蓮は後ろを振り返った。学校を象徴するような桜の大木が勢いよく燃え続けている。自分の身に何が起こったのか、この場で何が行われていたのかまだわからないが、燃え盛る火を見ていると心が静まり返る気がしていた。

 そうして、ふと我に返ると大事なことを思い出した。

「沙夜子さんは? 沙夜子さんはどうしたんだ?」

 吉良は何も答えず、俯いてしまった。

「おい、まさか、あの火にーー!」

「巻き込まれているわけないでしょうが!!」

 ある意味雄叫びよりも恐ろしい怒鳴り声が後ろから犬山と吉良を突き刺した。

 二人とも同時に振り返ると、そこにはボロボロになった服を着た沙夜子が立っていた。


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 沙夜子は乱れた息を整えながら、綺麗に刈られた芝生に手をついて立ち上がった。
(なんなの? なんで、止まらないの? ……花粉か。花粉が神経組織に入り込んで、体やあの感じだと脳までも動かされている。自身の感情や思考があの木――樹木子にコントロールされて操り人形みたいに……)
 『操り人形』という言葉から、沙夜子の脳裏に首を吊った女子生徒の姿が鮮明に浮かび上がってきた。自分の記憶も感覚も思いも全てがなくなり、ただ風にゆらゆらと揺られるままの姿。あれこそ、本当に操り人形だ。
 右手に持って離さなかったライターを強く握り締める。
「自殺させたんだ」
 あの花粉で体を操って。あの花粉で心を操って。虚しさと悲しさとそして憎しみが自分の心を満杯にさせたのが沙夜子にはわかった。
 沙夜子の息を整えるまで少し時間がかかった。吉良は灯油を離さずに、遅いが着実に樹木子の元へ向かっている。目の前の蓮は行進を続ける。巨大な禍々しいこの大木は、吉良と沙夜子に向かって薄紫色の花粉を飛ばしていた。
 ……許せない。もう誰もお前の操り人形になんかさせない。絶対にお前の操り人形になんかならない。
 吉良が十分に樹木子へと近づいた。沙夜子は大きく息を吸う。
「吉良、灯油を思い切りぶちまけて、戻りなさい!!」
 その声を合図にしたかのように、沙夜子は全速力で走り始めた。吉良の放り投げたポリタンクはもちろん鮮やかな放物線など描かなかったが、樹木子の根本には届いた。吉良は半分以上灯油でびしょ濡れになった体をそのままに扉へ向かって走る。薄紫色の花粉が沙夜子の体に触れた。
(気持ち悪! わけのわからないものが体の中に入ってくる!! ……このままじゃヤバイ!)
 沙夜子は火力全開にしてライターの火を付けた。その火を自分の顔の前に固定し、そのままの姿勢で根本に走り寄っていった。顔は熱く、下手をすると髪や眉毛に火がつくかもしれない。
(でも、こうすれば花粉は目の前から消える。いくら得体のしれないものだって、花粉には違わない)
 沙夜子の考えた通り、薄紫色の花粉の道の一部分は火によってかき消され、そこに沙夜子の走る道が開けた。後ろから花粉が沙夜子に迫るが、構わず走り続ける。
 吉良の撒いた灯油のかかった根本のちょうど真上に差し掛かったその瞬間、沙夜子は体勢をギリギリ走れるくらいに低くして、ライターを下に向けて、灯油に火を灯した。
 灯油は一瞬にして燃え始め、樹木子だけでなく周りの芝生を巻き込んで怒ったように燃え広がっていく。根本から幹へ幹から枝、そして桜の花へと火が広がるにつれて、その勢いも増していった。
 ――そして、地鳴りのような雄叫びが聞こえた。
「……いっつ……なんだぁー……わっ!!」
 今の雄叫びで目を覚ましたのか地面に倒れていた蓮が起き上がった。
「なんか体中痛いし、いったいなにが……って燃えてるし!!!」
 蓮は慌ててその場から立ち上がると、ドアの前に立ちすくんでいる吉良の姿を見つけ、そこに向かって猛ダッシュし始めた。走り始めると全身にまとわりつくようなだるさを感じた。
「なあ、いったい何がどうなってんだ?」
 吉良は呆けたように返答する。
「……何も覚えてないんですか?」
 蓮は首に手をあてて首を左右に捻った。ポキポキと小気味よい音がする。
「うーん、ここに来て、なんにも変わらないと思って、でも変な色の固まりが出てきて、沙夜子さんが何か言って、それから――」
 そこまで思い出したところで、蓮は身震いを始めた。同時にえずき出し、我慢できずに地面へと全て吐き出した。
 蓮は了解を得ることもなく吉良の手を掴んだ。
「な、何ですか?」
「怖かった。とてつもなく恐ろしかったんだ」
 あってはいけないもの、思ってはいけないもの、それが蓮の中に沸き上がり、蓮は呑み込まれてしまった。
「昔の嫌な記憶。それがめちゃくちゃ浮かんできて、そして、そしたら、死のうってなったんだ! 死にたい、死にたい、死にたいって!!」
 蓮を支配したもの。それは自殺衝動だった。
 吉良は蓮から手を離すと、蓮の肩を揺さぶりながらさっき自分がされたように蓮の目を真剣に見つめた。
「お、落ち着いてください。それはもう終わったんです。僕らがあの木に火をつけて、さっき聞こえた声もあの木の断末魔なんですよ、きっと。だから、もう終わったんです」
「そう、終わったのか……」
 蓮は後ろを振り返った。学校を象徴するような桜の大木が勢いよく燃え続けている。自分の身に何が起こったのか、この場で何が行われていたのかまだわからないが、燃え盛る火を見ていると心が静まり返る気がしていた。
 そうして、ふと我に返ると大事なことを思い出した。
「沙夜子さんは? 沙夜子さんはどうしたんだ?」
 吉良は何も答えず、俯いてしまった。
「おい、まさか、あの火にーー!」
「巻き込まれているわけないでしょうが!!」
 ある意味雄叫びよりも恐ろしい怒鳴り声が後ろから犬山と吉良を突き刺した。
 二人とも同時に振り返ると、そこにはボロボロになった服を着た沙夜子が立っていた。