「多聞さん、忙しいですか?」
翌日、俺が作業用の部屋でアナログレコードの梱包をしていると、後ろから敬一クンに声を掛けられた。
「なに、お店混んできたの?」
「店はいつも程度ですが、ミナト君が帰ってきたので、ちょっと話がしたいんです」
「ああ、そう。うん、大丈夫だよ」
梱包を途中にして、似非ギャルソンエプロンを身に付け、フロアに出る。
客席の様子は、まあいつも通り。
店の奥、アナログレコード棚に近い席で、ミナトと敬一クンが斜向かいに座っていた。
俺は何気なく店内を見回してから、適当に選んだレコードをプレーヤーにかけ、BGMとして流す。
正直、この店の回転率は現状真っ赤っ赤だから、悠長にレコードをひっくり返す時間ぐらいありまくる。
これに関して、エビセンに「虚しい抵抗っすね」と笑われたが、MAESTRO神楽坂は現在も営業中だし、元はそっちがメインの店だったんだから、むしろ率先してすべきことだと俺は思ってる。
もちろん俺自身、普段はサブスクやデジタルプレーヤーに頼ってるし、便利さは否定しない。
けれどアナログ特有のノイズを知ってほしいし、デジタルでは配信されてない名曲もある。
チラホラと座っているお客さんは、顔見知りの常連以外に、イチゲンさん|風《ふう》の若い女性も混ざっていたので、選曲は無難にAORを、会話を妨げない程度の音量で流し、俺はいつもの位置に立った。
そこは、お冷用のグラスを置いてあって、手持ち無沙汰の時はグラスを磨きながら客席全体を見渡せる位置だ。
外席にも近く、そこから奥がレコード店 "MAESTRO神楽坂" 、手前がカフェ "マエストロ神楽坂" と区切られている。
観葉植物が境界線みたいに並んでいて、客を案内するときも自然と手前側へ誘導するのが暗黙の了解だ。
敬一クンとミナトは、観葉植物に隠れた奥の "MAESTRO神楽坂" 席に座っていた。
「授業でわかんないトコは、別になかった」
「そうか。向こうの学校が進んでたのかな?」
「ううん。うちに来てた家庭教師が、学校よりずっと先まで教えてたから、こっちの授業も、もう知ってる内容だった」
「じゃあ、授業には付いていける感じかな」
「うん、大丈夫。それにもう、勉強しろって言うおばあちゃんいないし、家庭教師なんていらないよ」
「そうか。でも俺は、おばあちゃんに言われた事を教えるんじゃない。ミナト君が学校で学んできたことを、一緒に身につけるだけだ。授業の先を教えるつもりもないぞ」
「ふうん……。そうなんだ」
昨夜敬一クンが言っていた通り、白砂サンとしか話さなかったミナトが、今は敬一クンと普通に会話している。
それは喜ぶべきことだし、少しは馴染んできたのかな……とも思う。
けど受け答えを聞いていると、やっぱりどうにも可愛げがない子供だ。
「ミナト君は、どの科目が得意なんだ?」
「得意とか、ないよ。勉強は好きじゃない」
「そうか。じゃあ、勉強以外では何が好きなんだ?」
「わかんない。そういうの考えるの、めんどくさいよ」
境遇を思えば仕方ないのかもしれないが……あの調子では学校でも友達は出来なさそうだ、と俺は思った。
「面倒くさいか。君ぐらいの年頃は、もっと色んな事に興味を持つと思うんだけどな」
「聖一と見たドラマは、面白かったよ」
「ああ、白砂さんは面白いドラマのディスクをいっぱい持っているな。どれが面白かった?」
「どれも全部。時々むずかしいけど、わかんないと聖一が説明してくれるんだ。でも、コグマはすぐ飽きて、ドラマ見ながら関係ない話ばっかりするし、うるさい」
「目上の人を、そんな風に言っては駄目だ」
「なんでさ? だってホントのことだよ? コグマがしゃべると筋がわかんなくなるし、テレビの|音《おと》を上げればもっと大声で話すし、僕が聖一と内容を話してると『うるさくてわからん』って文句言うし。勝手だし空気読めないし、カッコ悪いのにカッコイイと勘違いしてるし、全然好きじゃない」
敬一クンは、ミナトの話を全部聞いてから、改めて口を開いた。
「ミナト君。小熊さんは白砂さんの友達だ。ミナト君が小熊さんに悪い態度を取れば、白砂さんが困る。それに小熊さんが好きじゃなくても、君はきちんとしていた方がいい。やり返していたら、同じ態度になるだけだぞ」
「そうかもだけど……それじゃあ僕だけが、我慢しなきゃいけないの?」
「そうだな。我慢ばかりも良くないが、必要な時もある。今はその|兼ね合い《・・・・》を学ぶチャンスだ。大切なのは、人と比べることじゃなく、自分が恥ずかしくない行動を取れるかどうかだ。解るだろう?」
「……よく、わかんない……」
「そうか。難しい話だな。だがミナト君が行儀よく、相手に敬意を払える子なら、白砂さんも喜ぶと思うぞ」
「……そう?」
「そうとも。じゃあ今日の授業のノートを見せてくれるか? 宿題があるなら一緒に考えよう」
体育会系ヒエラルキーと礼儀作法を叩き込まれている敬一クンは、自分が実践しているぶん、言葉にブレがない。
不承不承ながら、ミナトも反論をやめたようだった。
もうちょっと様子を見ていたかったけど、残念ながら新しい客が来て、俺が聞けたのはそこまでだった。
§
客足が途切れ、テーブルを片付けて厨房に食器を持っていこうとすると、奥から白砂サンが出てきた。
「どうしたんですか?」
「いや、少し手が空いたので、ミナトの様子を見ようと……」
俺が食器を持っているのに気付くと、白砂サンは受け取ろうとする。
だから俺はサッサとすれ違って奥へ向かった。
「この程度の洗い物なら、俺がやっちゃいますから」
「あ……、うん。済まないね」
今の白砂サンは、もうミナト|一色《いっしょく》。
何をするにも "ミナトが、ミナトを、ミナトに" で、可愛げのない子供相手にどうしてそこまで……と呆れるほどメロメロだ。
ちゃっちゃと洗い物を済ませて店に戻ると、白砂サンはミナトと敬一クンとテーブルを囲んで座っていた。
敬一クンはミナトのノートを見ている様子から、答え合わせでもしているのだろう。
白砂サンは、ミナトに向かって話しかけていた。
「今度の週末に、敬一と柊一が実家の鎌倉に行くんだがね。柊一が是非同行して欲しいと言うんだ。お店で出している料理の話をしたら、母上がとても興味を持たれたと言っていて。家族のディナーを作って欲しいとね。ミナトは、鎌倉に|行《い》った事はあるかね?」
「ううん、ない」
「私も鎌倉は初めてだ。ディナーの用意をしなければならないが、|日中《にっちゅう》に少し観光の時間を作れると思う。ミナトも一緒に着いて来てくれないかね?」
「週末って、お店の休みの日じゃないのに、大丈夫なの?」
「柊一が休みにすると言って、既に告知も出ているよ」
ミナトは少し怪訝な顔をしたが、赤ビルの専制君主がシノさんだと分かっているのか、それ以上は突っ込まなかった。
「僕も一緒で良いの?」
「もちろんだ。柊一が鎌倉の父上と母上に、ミナトも一緒に行けるかもしれないと話してくれてある」
「コ……小熊サンも一緒なの?」
「イタルは、留守番だよ。仕事があるし、いきなりそんなに大勢で伺っては、先方も迷惑だろうからね」
白砂サンの返事に、ミナトの顔が一気にパッと明るくなる。
「うん、行く!」
「良かった。では、柊一にそう伝えておこう」
そこで敬一クンが、ノートから顔を上げた。
「あ、一緒に行けることになったんですね。じゃあ、おかあさんに電話をします」
「なぜかね?」
「ミナト君も同行するなら、安全性能の高い車を使いなさいとおかあさんに言われているので。二駅先の駐車場に、父の社用車があるので、それを借ります」
「電車ではないのかね?」
「前回は兄さんの車でしたし、道の駅で海産物を買ってきてほしいと海老坂に頼まれているので、車の方が都合がいいんです」
「ミナトも、それでいいかね?」
「うん。遠くに出掛けるし、いつもと違う|獣従者《アニマル》がスカウト出来るかもしれないよ」
「そうだな。私がなかなか出掛けないから、ちっとも|獣従者《アニマル》が集まらなくて、ミナトをゲームに誘ったのに、申し訳ない」
「ううん。僕、聖一と一緒に進める方が楽しい」
白砂サンとミナトの様子は、どちらかと言うと "父子" と言うよりは "友達同士" みたいな感じがする。
最大にそう感じる理由は、ゲームに対する熱の入れ方かもしれない。
そもそも白砂サンは、ホクトに "猫バカ" と言わしめたミナミに匹敵する猫好きで、猫がテーマのゲームには端から手を出しているらしいのだが。
中でも "|猫騎士《ニャイト》でGO" はお気に入りで、敬一クンをコスプレイベントに連れ出した時には、そのキャラを仮装に選んだほどだ。
一方のミナトは、俺が見る限り猫が嫌いな気がする。
白砂サンは神経質で気遣いの人だけど、時にその気遣いがズレている。
以前コグマと衝突した時も「気遣いゆえに言うべきことを黙る」タイプで、余計にストレスを溜めていた。
だから思い込みも激しいのだろう。
猫相手にリアル生存サバイバルを経験したミナトが猫を苦手にしているなんて、俺ですら想像できる。
白砂サンにできないはずはない……と思うのだが、猫バカメガネには届いていないらしい。
もっとも、リアルじゃない二足歩行のかわいっちいキャラクターになった猫ならミナトも許容できるのか、大好きな白砂サンが勧めるそのゲームはプレイしている。
しかも一緒に遊ぶことで、白砂サンの課金熱がかなりセーブされた──とシノさんが言っていた。
そうなるともう、どっちがオトナなのかわからない。
だから白砂サンとミナトの関係を "父子" と見るのは難しいのだ。
まぁ、仲良くやってるなら、それに越したことはないんだろう……たぶん。
§
その翌日の夕方、午後からフロアに入っていたホクトと一緒に、俺は店頭の椅子とテーブルを屋内に運び込んでいた。
「伯母は、ミナトがまだ天宮に残ってるコトを認めようとしないし、それをまたウチの母が、面白半分に煽ってるみたいで。余計にこじれてるんです」
「そうなんだ。でも学校には行けるようになったみたいだよね?」
「ああ、それはまぁ、ウチの母の功績……と言うんですかね。ミナトが地元の学校に通ってないのを指摘して、 "義務教育を放棄してる" って煽ったらしいです。もっとも伯母は母に向かって『ミナトは母親が連れて|行《い》った』って言い張ってるみたいですけど」
そこでホクトは、深々とため息を|吐《つ》いた。
「俺としては、そろそろいい加減にして欲しいんですけどね。ミナトはもう、ミナミの所には居ないんだし」
こうして話をするホクトの様子は、エビセンよりは関心ありげに見える。
けど最後の一言通り、実際は関わり合いたくないのが本音だろう。
あくまで親族として渦中にいるだけだ。
プラスアルファで敬一クンがミナトに関心を寄せているから、情報収集として知っておかねば……ってところがあるんだろう。
ホクトはミナミを猫バカと呼んでるケド、ホクトの方も相当な "ケイバカ" で、似てるのは顔だけじゃないようだ。
「ところで多聞サン」
「ん、何?」
「実は先日、海老坂が変なコトを言ってたんですけど、事情を知ってますか?」
「は? なんのコト?」
「アイツ、自分とケイはもう特別な間柄だ、なんて言うんですよ。オコチャマのチューじゃなくて、オトナのキスを交わしたとか何とか。大嘘|吐《つ》くのも大概にしろって言ったら、多聞サンが証人だから確かめろって」
「え…………あ〜〜っとぉ〜、えええっっとぉぉ……」
思い出したくない話を蒸し返され、俺はダメになった田中角栄みたいな音を出しながら固まった。
「多聞サン?」
「あ〜〜っとぉ〜、えええっっとぉぉ…………」
「天宮、そっちの片付け終わったか?」
奥で白砂サンを手伝っていた敬一クンが、間の悪いタイミングで顔を出す。
俺の煮えきらない態度は、事実の裏付けになってしまったようで、ホクトはキッと眦を釣り上げて、敬一クンに振り返った。
「ケイ! 海老坂とキスしたってホントなのっ!」
その様子は、いつもの爽やかなイケメンから、ちょっと常識の向こう側に踏み込んじゃったみたいな感じで、俺は声を掛けられなくなった。
「え? ああ、した。海老坂はキスが上手くて、すごく気持ちが良いから、時々してる。今朝もしたぞ」
敬一クンの返答に、俺はまたしても凍りつく。
「ダメじゃないかっ、婚約者のある身でそんなコトしちゃっ!」
「婚約はしてない」
「したよっ! あの時ちゃんと約束したし、誓いのキスもしたじゃないかっ!」
「あの時のキスと婚約は、関係無い」
「なんだよソレっ!? 海老坂がそう言ったのかっ!?」
「海老坂に言われたんじゃない」
「じゃあ|誰《だれ》に!?」
「おかあさんだ。幼稚園の頃の結婚の誓いやキスは、無効だと言われた」
椿サンもまた、話をややこしくするような言い方をしてくれる。
きっと敬一クンがモテるのを面白がってるだけなんだろう……。
さすがシノさんソックリの双子母子。
「じゃあ、今また誓い直ししよう! ケイは俺の事、嫌いじゃないんだろう?」
「おまえの事は嫌いじゃないが、おまえと婚約したら海老坂とキス出来なくなるんだろう? 海老坂のキスは気持ちいいから、出来なくなるのは困る」
「海老坂となんかしなくても、俺が気持ちよくしてあげるよ!」
叫ぶや否や、ホクトは飛びつくようにして敬一クンにキスした。
そこで俺は、またしても1分以上、口をくっつけ合う男二人の姿を見る羽目になった。
ホクトのキスはエビセンのキスと、趣がかなり違う。
エビセンのはなんというか、余裕たっぷりで濃厚なキスだったが、ホクトのそれは正に "チュチュチュチュチューーーーっ!!" って音がしてきそうな、キッス・オブ・ファイアー的な熱烈なやつだったからだ。
どっちにしろ敬一クンは、まんざらでもなさそうに吸われていたが。
「どうだったっ!?」
「うん……お前のキスも気持ちいいな」
「俺はもっと気持ちいいことだってしてあげられる! おいで!」
ホクトは我が意を得たりと敬一クンの手を掴み、そのまま片付けも挨拶もすっ飛ばして外へ飛び出して|行《い》った。
「ミナミも変だけど、ホクトも変」
俺が振り返ると、そこには大人以上に達観した顔のミナトが、ため息を|吐《つ》いていた。