表示設定
表示設定
目次 目次




2.

ー/ー



「ねえ、何読んでるの?」

 この世に奇跡なんてない。オカルトも占いもみんな嘘っぱちで、空想の世界の産物に過ぎない。お化けもユーレイもいない。妖精や妖怪だっていない。

 人間が一番偉い。それもオトナの人間が全てで。

「Missing? おもしろい?」

 不確かな、あるかどうかも疑わしいことを信じるなんて、オトナのすることじゃない。そんなことに縋ったりするのは、子供っぽくて嫌いだ。毎朝占いの結果を見て一喜一憂したり、ただの木の影をお化けだと見間違えて怖がるなんてバカバカしい。

「昨日とは違う本だよね、それ」

 こうして話しかけてくる蝶野という存在も、私にとってはお化けやユーレイのようなものだった。私を気にかけて、きらきらした笑顔を見せ続ける蝶野はとんでもなくイレギュラーな存在で、日常に入り込んだ幻想なのだ。

「ねえ、うたこちゃん、聞いてる?」

「うるさいなぁ」

 放っておこうと思ったのに、つい反応してしまった。反応するということはユーレイを認めることになってしまう。

「聞こえてたんなら返事ぐらいしてよー」

 私は嫌そうな顔と焦った顔を足して二で割った顔をしていたはずなのに、蝶野は気にせず明るく言い返してくる。

 放課後の図書室で、時間が過ぎるのを静かに待っていたいだけなのに蝶野はしつこかった。

 昨日も一昨日もその前も、何日か前の『友達になりたい』と言ったことを証明するように、毎日毎日私に話しかけてくる。何の反応もしない私に一生懸命話しかけてくる姿が健気でむかついた。

「あんた、暇なの?」

「うん」

 素直に頷かれると居心地が悪い。

「図書室なんだから、本でも読めば?」

「うたこちゃんとおしゃべりしたいの」

「あっそう」

 にこにこと私を見る、蝶野のまっすぐな瞳から逃げたくて本に隠れた。

 私の居場所だった図書室が、蝶野に侵略されていくようで嫌だった。静かで薄暗くて、埃と汗と紙とインクの匂いがするよそよそしい場所が、毎日にこにこと話しかけてくる蝶野のせいで、あたたかで親密な陽だまりのような場所だと錯覚しそうで嫌だった。

「うたこちゃんって毎日違う本読んでるよね」

「……」

「読むの早いの? それとも面白いからすぐ読み終わっちゃうの?」

「うるさいってば」

「えへへ、ごめん、許して」

 屈託なく笑う蝶野の顔を見ていると、つられて私の顔も緩みそうになる。

 表情筋が動くことに、しかもポジティブに動くことにちょっとびっくりした。

 そういえば、こんなに話しかけてもらっているのはいつぶりだろう。

 気遣うフリでとんちんかんな理解を示す大人達か、デリカシーのない子供達に嫌気が差して、拒絶し続けて、一人が楽になって、他人が無理になった。

 どちらかと言わずとも、蝶野より私の方がユーレイに近いのだとうっすら自覚している。教室にも行かず、友達も作らず、誰とも話さず、話しかけられても反応せず、ただ黙々と静かに本を読んでいるだけなのだから。

「毎日何冊読むの? この図書室には何冊あるのかな。うたこちゃんだったらすぐに全部読み終わっちゃうのかなぁ」

 会話とも独り言とも取れる蝶野の言葉は、いちいち私に届いてくる。

「あの辺は辞書とか、百科事典とか、図鑑とかだから抜きにして……。あ、あれも社会の資料っぽいから読むのとは違うね」

 指を差して、その本棚に行ってしげしげと本の背表紙を眺めている。日に焼けてパサパサになって、ところどころひび割れているような歴史を感じさせる背表紙たち。彼らが読まれたのはいつが最後なのだろう。

「はぁ……」

 蝶野に聞こえないように溜め息を吐いた。昨日か一昨日か、蝶野の前で盛大に溜め息を吐いたら『幸せが逃げちゃうよ!』とちょっと怒られたから。

 そんなことで逃げるような幸せなんてたかが知れてる。だいたいそんな根拠のない迷信、信じる方がどうかしてる。

 蝶野はそういうこと全般を信じているようだった。あのおもちゃの指輪の話だって信じてるくらいだし、とても子供っぽくて嫌だった。それにそんな子供っぽさを隠そうともしないのも嫌だし、それが蝶野らしさに繋がってるのも。

「夏目漱石、森鴎外、川端康成、芥川龍之介、梶井基次郎……? しつ、ん? しつせい……? うたこちゃん、これ読めないんだけどなんて人?」

「は、なに?」

 これは決して蝶野が読めない作家名が気になったわけじゃない。蝶野が読み上げた作家名から推察される本の並びが、あまりにもぐちゃぐちゃすぎて気持ち悪いから見に行くだけだ。

「どれ」

「これ」

 蝶野が指差したのは室生犀星。やっぱり並びがよくわからない。

「室生犀星だよ」

「むろう、さいせい。読めないってー」

 楽しそうにはしゃぐ蝶野から距離を取りながら本を並べ替えた。

 蝶野と居ると調子が狂う。いつもの日常が違うものになっていってしまう気がする。嫌なはずなのにあたたかくて、そんな変化に自分が一番困っている。

「え、じゃあこの人は?」

 人の気も知らないで、機嫌良さそうに本棚を眺めている蝶野の姿を見て、私はまたこっそりと溜め息を吐いた。


スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 3.


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



「ねえ、何読んでるの?」
 この世に奇跡なんてない。オカルトも占いもみんな嘘っぱちで、空想の世界の産物に過ぎない。お化けもユーレイもいない。妖精や妖怪だっていない。
 人間が一番偉い。それもオトナの人間が全てで。
「Missing? おもしろい?」
 不確かな、あるかどうかも疑わしいことを信じるなんて、オトナのすることじゃない。そんなことに縋ったりするのは、子供っぽくて嫌いだ。毎朝占いの結果を見て一喜一憂したり、ただの木の影をお化けだと見間違えて怖がるなんてバカバカしい。
「昨日とは違う本だよね、それ」
 こうして話しかけてくる蝶野という存在も、私にとってはお化けやユーレイのようなものだった。私を気にかけて、きらきらした笑顔を見せ続ける蝶野はとんでもなくイレギュラーな存在で、日常に入り込んだ幻想なのだ。
「ねえ、うたこちゃん、聞いてる?」
「うるさいなぁ」
 放っておこうと思ったのに、つい反応してしまった。反応するということはユーレイを認めることになってしまう。
「聞こえてたんなら返事ぐらいしてよー」
 私は嫌そうな顔と焦った顔を足して二で割った顔をしていたはずなのに、蝶野は気にせず明るく言い返してくる。
 放課後の図書室で、時間が過ぎるのを静かに待っていたいだけなのに蝶野はしつこかった。
 昨日も一昨日もその前も、何日か前の『友達になりたい』と言ったことを証明するように、毎日毎日私に話しかけてくる。何の反応もしない私に一生懸命話しかけてくる姿が健気でむかついた。
「あんた、暇なの?」
「うん」
 素直に頷かれると居心地が悪い。
「図書室なんだから、本でも読めば?」
「うたこちゃんとおしゃべりしたいの」
「あっそう」
 にこにこと私を見る、蝶野のまっすぐな瞳から逃げたくて本に隠れた。
 私の居場所だった図書室が、蝶野に侵略されていくようで嫌だった。静かで薄暗くて、埃と汗と紙とインクの匂いがするよそよそしい場所が、毎日にこにこと話しかけてくる蝶野のせいで、あたたかで親密な陽だまりのような場所だと錯覚しそうで嫌だった。
「うたこちゃんって毎日違う本読んでるよね」
「……」
「読むの早いの? それとも面白いからすぐ読み終わっちゃうの?」
「うるさいってば」
「えへへ、ごめん、許して」
 屈託なく笑う蝶野の顔を見ていると、つられて私の顔も緩みそうになる。
 表情筋が動くことに、しかもポジティブに動くことにちょっとびっくりした。
 そういえば、こんなに話しかけてもらっているのはいつぶりだろう。
 気遣うフリでとんちんかんな理解を示す大人達か、デリカシーのない子供達に嫌気が差して、拒絶し続けて、一人が楽になって、他人が無理になった。
 どちらかと言わずとも、蝶野より私の方がユーレイに近いのだとうっすら自覚している。教室にも行かず、友達も作らず、誰とも話さず、話しかけられても反応せず、ただ黙々と静かに本を読んでいるだけなのだから。
「毎日何冊読むの? この図書室には何冊あるのかな。うたこちゃんだったらすぐに全部読み終わっちゃうのかなぁ」
 会話とも独り言とも取れる蝶野の言葉は、いちいち私に届いてくる。
「あの辺は辞書とか、百科事典とか、図鑑とかだから抜きにして……。あ、あれも社会の資料っぽいから読むのとは違うね」
 指を差して、その本棚に行ってしげしげと本の背表紙を眺めている。日に焼けてパサパサになって、ところどころひび割れているような歴史を感じさせる背表紙たち。彼らが読まれたのはいつが最後なのだろう。
「はぁ……」
 蝶野に聞こえないように溜め息を吐いた。昨日か一昨日か、蝶野の前で盛大に溜め息を吐いたら『幸せが逃げちゃうよ!』とちょっと怒られたから。
 そんなことで逃げるような幸せなんてたかが知れてる。だいたいそんな根拠のない迷信、信じる方がどうかしてる。
 蝶野はそういうこと全般を信じているようだった。あのおもちゃの指輪の話だって信じてるくらいだし、とても子供っぽくて嫌だった。それにそんな子供っぽさを隠そうともしないのも嫌だし、それが蝶野らしさに繋がってるのも。
「夏目漱石、森鴎外、川端康成、芥川龍之介、梶井基次郎……? しつ、ん? しつせい……? うたこちゃん、これ読めないんだけどなんて人?」
「は、なに?」
 これは決して蝶野が読めない作家名が気になったわけじゃない。蝶野が読み上げた作家名から推察される本の並びが、あまりにもぐちゃぐちゃすぎて気持ち悪いから見に行くだけだ。
「どれ」
「これ」
 蝶野が指差したのは室生犀星。やっぱり並びがよくわからない。
「室生犀星だよ」
「むろう、さいせい。読めないってー」
 楽しそうにはしゃぐ蝶野から距離を取りながら本を並べ替えた。
 蝶野と居ると調子が狂う。いつもの日常が違うものになっていってしまう気がする。嫌なはずなのにあたたかくて、そんな変化に自分が一番困っている。
「え、じゃあこの人は?」
 人の気も知らないで、機嫌良さそうに本棚を眺めている蝶野の姿を見て、私はまたこっそりと溜め息を吐いた。