第一話 前編 奇跡を継いだもの
ー/ー
十六年後。
カムナビ国。蘇芳領。
夢を見ていた。
過去の自分自身の夢だ。
かつての自分と、それからこの世界に生まれ落ちた日の夢だった。
その夢の中で、くぐもった様な声が反響して聞こえてくる。
不快感はなかった。
むしろ微睡の中で意識がとろけていきそうな心地良さを感じながら、少年はその声に耳を澄ませる。
声はこちらに言葉を投げかけているようだ。
けれどふわりとした感覚の中で、確かな意味を持った言葉として捉えることが出来なかった。
そうして妙な心地よさに身を委ねながら少しばかり大きく息を吸い込むと、花のような香りと鼻先をくすぐる様な感触があった。
(……なんだ……?)
そのむず痒さにようやっと重い瞼を開けると、目の前には少年の見知った顔が2つ覗き込んでいた。
「凰姫様……と、鯱丸様……?」
「起きて、桃。縁側なんかで眠っていては風邪を引いてしまうわよ?」
頭の上から顔を覗き込んでいる少女、凰姫は眠りこけていた桃が目を覚ましたのを確認すると呆れたように言った。
先ほどから鼻をくすぐっているのは、覗き込んでいる彼女の髪だ。
桃の顔を覗き込んで柔らかく微笑む彼女の髪が、ふわりと吹く風に揺れる。
まだ幼さの残る凰姫の年齢は十三歳。
赤みの強い鳶色の目が印象的で、幼さを残しつつも静かな水面のように透き通った声が桃の耳に心地良かった。
眉が隠れるほどの長さで揃えられた前髪と、胸の高さまである栗色の髪。
両サイドの髪は顎の高さほどに切り揃えられ、深い赤の髪紐で纏められている。
その脇からは彼女の4つ下の鯱丸が凰姫よりも色味の薄い亜麻色の髪を揺らして同じように見つめていた。
少し気弱だが頭が良く、姉と同じく心優しい少年だ。
ちょっぴり泣き虫なあたりが生前の自分の幼いころを見ているようで、桃にとってはなんだか親近感の湧く子だった。
鯱丸の子供らしい好奇心と無邪気さは、周囲の人間の癒しとなっている。
凰姫は桃が目覚めたのを見て覗き込んでいた顔を起こすと、桃と鯱丸もそれに続くように体制を直す。
桃の横には木剣と手拭い。
訓練中一息つこうとしていたのだが、いつの間にか眠ってしまっていたのだ。
「すみません、寝てました」
「お父様がお呼びよ」
気恥ずかしげに言った桃に、凰姫は変わらず微笑を浮かべて要件を告げる。
それを聴いて、桃は本格的に目が覚めたようで背筋を伸ばした。
「そうでしたか。起こしてくれて助かりましたよ」
「気持ちよさそうに眠っていたから、少し気が引けたんだけれどね。 あら、少し髪が乱れているわ。結んであげる。」
そういって彼女はそそくさと後ろに回り込むと、一旦桃の髪を解いていく。
鍛錬後だから汗をかいていないかと桃は少し不安になったが、凰姫は気にする様子もなく髪に櫛を通して纏め始めた。
「はい。これでいいわ。」
そういって凰姫は懐から丸い手鏡を差し出して桃の姿を映して見せた。
そこには濡れ烏色の長めの髪を後ろで1つに縛った少年が一人。
かつてとは髪も顔も、目の色も違う姿がある。
桃にとって以前と共通していることと言えば右目の下に泣き黒子があることと、目つきが少したれ目なことくらいか。
美醜感覚で言えば、そこそこイケている顔だろうと、桃は心の中で以前の自分と密かに比べていた。
「これ、ちょっと俺には可愛すぎやしません?」
「あら、たまにはいいじゃない。似合っているわ。」
凰姫と同じ深い赤色の髪紐で纏められた髪を指して控えめに抗議するが、その言葉は彼女の柔らかい微笑と共に返されてしまった。
「おそろいね」なんて言ってくるあたり、少し遊んでいる節がある。
凰姫はまだあどけなさの残る少女だが、時折妙に桃を甘やかそうとする。
そんな少女の無邪気な様子に、桃は仕方がないといった様子で小さく息をついた。
桃の中で妙な照れくささがあるのは、ひょっとしたら精神的に肉体の年齢に引っ張られているのか。
「それあげるわ。あなたいつも似たような髪紐だもの。折角綺麗な髪をしているのだから、少しはお洒落してもいいと思うの」
「そんなもんですかね。まあ、ありがとうございます」
桃が短く礼を言って立ち上がり、凰姫の父の元へとりあえず行ってみるかと足を向ければ、その後ろをぞろぞろと二人も付いて来る。
「姫様たちも呼ばれてるんですか?」
「いいえ?でも蘇芳の姫として、私も知っておく義務があるでしょう?」
そういって凰姫は若干のどや顔をして見せる。
姉の真似をしたい年ごろなのか、鯱丸もふふんと鼻をならしていた。
「まあ俺はいいですけど、面白いものでもないでしょうに……ふぁ……」
不覚だった。
そこまで激しい訓練はまだしていなかったはずだが、まだ眠気が少し残っていたのか桃の口からは欠伸が堪え切れずに出てしまう。
「桃は少し頑張りすぎなのよ。お昼寝するくらいが丁度いいわ」
「いやいや。勇魚に早く追いつかないといけませんから」
「あ、やっぱりお兄様は呼び捨て!私や鯱丸も呼び捨てにしてくれたらいいのに」
拗ねたように少しだけ頬を膨らませ抗議する彼女だが、桃からすればそうはいかない。
凰姫と鯱丸は桃達の住む領地……カムナビ国蘇芳領の領主の子供たちだからだ。
そして桃はその領主の臣下の親族、という立場でここにいる。
今から十六年前、あの時産声を上げなかった赤ん坊の身体に自分が宿ってしまったのが始まりだった。
赤ん坊は桃という名を与えられ、蘇芳領主の臣下に引き取られた。
そして桃は領主の子供たちと共に乳兄弟として育てられることとなり、十六年の歳月が過ぎた。
領主の家臣の子として引き取られた以上凰姫も、そして鯱丸も立場が上なのだ。
様付けが当たり前なのである。
唯一彼女の兄である勇魚だけは呼び捨てで呼ぶ事もあるが、本当なら常に様を付けなければならない。
乳兄弟で歳も近い幼馴染に様付けされるのは勇魚本人も嫌なようで、極力普通に呼んでくれと言ってきたりする。
桃も逆の立場であれば兄弟のように育った幼馴染に様付けされるというのは気恥ずかしいだろうからと、正式な場を除いて昔のように名前で呼んでいた。
凰姫や鯱丸からすればそれはとても羨ましいことのようで、時折こうして名前で呼ぶようせがまれている。
桃としてもその希望を叶えて上げたい気持ちはあるが、立場というものは難しいものだ。
前世で死んで、この世界に来て、何の因果かこの体へ乗り移った事に、桃は未だに罪悪感を抱いていた。
なにせ本来はこの体の持ち主の人生だったはずだ。
――もし自分がこの体に成り代わっていなければ。
あのまま助かる可能性は限りなく低かったとしても、もし助かっていたらを考えてしまうのだ。
それが今更どうしようもない事だという事も、桃は理解している。
成り代わってしまったものは仕方がないと割り切ればいい事なのだろうが、桃には簡単に割り切れなかった。
「御館様。桃です。只今参上仕りました」
「おう、入れ」
眠りこけていた縁側の一角と領主の部屋はそこまでは離れていない。
桃は到着するなり襖越しに声をかける。
桃の言葉に対して低く響く深みのある声が返ってきたのを確認して、桃はゆっくりと襖に手をかけた。
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
おすすめ作品を読み込み中です…
この作品と似た作品
似た傾向の作品は見つかりませんでした。
この作品を読んだ人が読んでいる作品
読者の傾向からおすすめできる作品がありませんでした。
おすすめ作品は現在準備中です。
おすすめ作品の取得に失敗しました。時間をおいて再度お試しください。
十六年後。
カムナビ国。|蘇芳《すおう》領。
夢を見ていた。
過去の自分自身の夢だ。
かつての自分と、それからこの世界に生まれ落ちた日の夢だった。
その夢の中で、くぐもった様な声が反響して聞こえてくる。
不快感はなかった。
むしろ|微睡《まどろみ》の中で意識がとろけていきそうな心地良さを感じながら、少年はその声に耳を澄ませる。
声はこちらに言葉を投げかけているようだ。
けれどふわりとした感覚の中で、確かな意味を持った言葉として捉えることが出来なかった。
そうして妙な心地よさに身を委ねながら少しばかり大きく息を吸い込むと、花のような香りと鼻先をくすぐる様な感触があった。
(……なんだ……?)
そのむず|痒《がゆ》さにようやっと重い|瞼《まぶた》を開けると、目の前には少年の見知った顔が2つ覗き込んでいた。
「|凰姫《こうひめ》様……と、|鯱丸《しゃちまる》様……?」
「起きて、|桃《もも》。縁側なんかで眠っていては風邪を引いてしまうわよ?」
頭の上から顔を覗き込んでいる少女、|凰姫《こうひめ》は眠りこけていた|桃《もも》が目を覚ましたのを確認すると呆れたように言った。
先ほどから鼻をくすぐっているのは、覗き込んでいる彼女の髪だ。
|桃《もも》の顔を覗き込んで柔らかく微笑む彼女の髪が、ふわりと吹く風に揺れる。
まだ幼さの残る|凰姫《こうひめ》の年齢は十三歳。
赤みの強い|鳶色《とびいろ》の目が印象的で、幼さを残しつつも静かな水面のように透き通った声が|桃《もも》の耳に心地良かった。
眉が隠れるほどの長さで揃えられた前髪と、胸の高さまである栗色の髪。
両サイドの髪は顎の高さほどに切り揃えられ、深い赤の髪紐で纏められている。
その脇からは彼女の4つ下の|鯱丸《しゃちまる》が|凰姫《こうひめ》よりも色味の薄い|亜麻色《あまいろ》の髪を揺らして同じように見つめていた。
少し気弱だが頭が良く、姉と同じく心優しい少年だ。
ちょっぴり泣き虫なあたりが生前の自分の幼いころを見ているようで、桃にとってはなんだか親近感の湧く子だった。
|鯱丸《しゃちまる》の子供らしい好奇心と無邪気さは、周囲の人間の癒しとなっている。
|凰姫《こうひめ》は|桃《もも》が目覚めたのを見て覗き込んでいた顔を起こすと、|桃《もも》と|鯱丸《しゃちまる》もそれに続くように体制を直す。
|桃《もも》の横には木剣と手拭い。
訓練中一息つこうとしていたのだが、いつの間にか眠ってしまっていたのだ。
「すみません、寝てました」
「お父様がお呼びよ」
気恥ずかしげに言った|桃《もも》に、|凰姫《こうひめ》は変わらず微笑を浮かべて要件を告げる。
それを聴いて、|桃《もも》は本格的に目が覚めたようで背筋を伸ばした。
「そうでしたか。起こしてくれて助かりましたよ」
「気持ちよさそうに眠っていたから、少し気が引けたんだけれどね。 あら、少し髪が乱れているわ。結んであげる。」
そういって彼女はそそくさと後ろに回り込むと、一旦|桃《もも》の髪を解いていく。
鍛錬後だから汗をかいていないかと|桃《もも》は少し不安になったが、|凰姫《こうひめ》は気にする様子もなく髪に櫛を通して纏め始めた。
「はい。これでいいわ。」
そういって|凰姫《こうひめ》は懐から丸い手鏡を差し出して|桃《もも》の姿を映して見せた。
そこには|濡れ烏《ぬれがらす》色の長めの髪を後ろで1つに縛った少年が一人。
かつてとは髪も顔も、目の色も違う姿がある。
|桃《もも》にとって以前と共通していることと言えば右目の下に泣き黒子があることと、目つきが少したれ目なことくらいか。
美醜感覚で言えば、そこそこイケている顔だろうと、|桃《もも》は心の中で|以《・》|前《・》|の《・》|自《・》|分《・》と密かに比べていた。
「これ、ちょっと俺には可愛すぎやしません?」
「あら、たまにはいいじゃない。似合っているわ。」
|凰姫《こうひめ》と同じ深い赤色の髪紐で纏められた髪を指して控えめに抗議するが、その言葉は彼女の柔らかい微笑と共に返されてしまった。
「おそろいね」なんて言ってくるあたり、少し遊んでいる節がある。
|凰姫《こうひめ》はまだあどけなさの残る少女だが、時折妙に|桃《もも》を甘やかそうとする。
そんな少女の無邪気な様子に、|桃《もも》は仕方がないといった様子で小さく息をついた。
|桃《もも》の中で妙な照れくささがあるのは、ひょっとしたら精神的に肉体の年齢に引っ張られているのか。
「それあげるわ。あなたいつも似たような髪紐だもの。折角綺麗な髪をしているのだから、少しはお洒落してもいいと思うの」
「そんなもんですかね。まあ、ありがとうございます」
|桃《もも》が短く礼を言って立ち上がり、|凰姫《こうひめ》の父の元へとりあえず行ってみるかと足を向ければ、その後ろをぞろぞろと二人も付いて来る。
「姫様たちも呼ばれてるんですか?」
「いいえ?でも|蘇芳《すおう》の姫として、私も知っておく義務があるでしょう?」
そういって|凰姫《こうひめ》は若干のどや顔をして見せる。
姉の真似をしたい年ごろなのか、|鯱丸《しゃちまる》もふふんと鼻をならしていた。
「まあ俺はいいですけど、面白いものでもないでしょうに……ふぁ……」
不覚だった。
そこまで激しい訓練はまだしていなかったはずだが、まだ眠気が少し残っていたのか|桃《もも》の口からは欠伸が堪え切れずに出てしまう。
「|桃《もも》は少し頑張りすぎなのよ。お昼寝するくらいが丁度いいわ」
「いやいや。|勇魚《いさな》に早く追いつかないといけませんから」
「あ、やっぱりお兄様は呼び捨て!私や|鯱丸《しゃちまる》も呼び捨てにしてくれたらいいのに」
拗ねたように少しだけ頬を膨らませ抗議する彼女だが、|桃《もも》からすればそうはいかない。
|凰姫《こうひめ》と|鯱丸《しゃちまる》は|桃《もも》達の住む領地……カムナビ国|蘇芳《すおう》領の領主の子供たちだからだ。
そして|桃《もも》はその領主の臣下の親族、という立場でここにいる。
今から十六年前、あの時産声を上げなかった赤ん坊の身体に自分が宿ってしまったのが始まりだった。
赤ん坊は|桃《もも》という名を与えられ、|蘇芳《すおう》領主の臣下に引き取られた。
そして|桃《もも》は領主の子供たちと共に|乳兄弟《ちきょうだい》として育てられることとなり、十六年の歳月が過ぎた。
領主の家臣の子として引き取られた以上|凰姫《こうひめ》も、そして|鯱丸《しゃちまる》も立場が上なのだ。
様付けが当たり前なのである。
唯一彼女の兄である|勇魚《いさな》だけは呼び捨てで呼ぶ事もあるが、本当なら常に様を付けなければならない。
|乳兄弟《ちきょうだい》で歳も近い幼馴染に様付けされるのは|勇魚《いさな》本人も嫌なようで、極力普通に呼んでくれと言ってきたりする。
|桃《もも》も逆の立場であれば兄弟のように育った幼馴染に様付けされるというのは気恥ずかしいだろうからと、正式な場を除いて昔のように名前で呼んでいた。
|凰姫《こうひめ》や|鯱丸《しゃちまる》からすればそれはとても羨ましいことのようで、時折こうして名前で呼ぶようせがまれている。
|桃《もも》としてもその希望を叶えて上げたい気持ちはあるが、立場というものは難しいものだ。
前世で死んで、この世界に来て、何の因果かこの体へ乗り移った事に、桃は未だに罪悪感を抱いていた。
なにせ本来はこの体の持ち主の人生だったはずだ。
――もし自分がこの体に成り代わっていなければ。
あのまま助かる可能性は限りなく低かったとしても、もし助かっていたらを考えてしまうのだ。
それが今更どうしようもない事だという事も、|桃《もも》は理解している。
成り代わってしまったものは仕方がないと割り切ればいい事なのだろうが、|桃《もも》には簡単に割り切れなかった。
「御館様。|桃《もも》です。只今参上仕りました」
「おう、入れ」
眠りこけていた縁側の一角と領主の部屋はそこまでは離れていない。
桃は到着するなり襖越しに声をかける。
桃の言葉に対して低く響く深みのある声が返ってきたのを確認して、桃はゆっくりと襖に手をかけた。