もう一つの決着へ
ー/ー「お、これはなかなかうまいな」
と、満足気に味の感想を漏らす月岡に冷ややかな目を向けると、吉良はコーヒーを口にした。
「その点ですが、あやかしのことは記憶から消えていく可能性もあります。そして、その方がいいかもしれません」
「記憶から消えるだと?」
スプーンを持つ手が止まった。
「そうです。あやかしは人が創り出したもの。存在が無くなれば記憶から消えていく」
「あやかしの性質は知っている。そうじゃねぇ。こっちは覚悟してまで真実を伝えたんだぞ。あれほど強烈な出来事も記憶から消えるっていうのか?」
「絶対とは言い切れません。あやかしに触れれば触れるほど、記憶は定着していきます。ですが、あやかしともう接触する機会がないのであれば彼らに関わる部分だけごっそり抜け落ちてしまうかもしれない。『あやかし保護法』によってあやかしの認識は広まっていますが、個々のエピソードや実態についてどれだけ記憶に残るか。でも、記憶がなければきっと内田さんは単純な事故に遭ったことになる。実際、事故のようなものですしね。そうなれば、記憶は和らぎ過去のものへとなるかもしれない」
夫婦も事実を知りかなり堪えたのは間違いなかった。最初は頑なに話を聞くのを拒んでいた母親も、真実を知った途端倒れ込んでしまった。時間をかけて何度か説明を繰り返すうちに弱々しい口調ながらも起き上がれるようになっていったのだ。
「人は忘れる生き物です。鮮明だった記憶も時間を経て色褪せていく。新しい記憶に埋め尽くされていく。今は後悔や恐怖でいっぱいでも、子どもの成長とともに別の感情が生まれ変わっていく。そう思うんです。もちろん、しばらくの間は見守っていきますが」
スプーンを置くと、月岡はコーヒーカップを傾けて一息で飲み干した。空になったカップが叩きつけられるようにテーブルの上に置かれた。
「俺は忘れない。忘れちゃいけない記憶も感情もあるだろ。忘れられるわけがない」
月岡の曇りのない瞳は遠くを見ていた。どこか今ではない遠くを。
「だが、今回の件は認めてやる。もう決定事項だしな。それからあの子の検査結果だが」
「ええ。どうだったんですか?」
「異常はやはりないそうだ。健康そのもの」
「それは、一番の朗報ですね」
「ああ。そうだな」
最後に取っておいたシュークリームを平らげると、二人は何も言わずに席を立った。一人ひとり会計を終えると、吉良は改札へ、月岡は駅の外へとそれぞれ別れていく。一つの怪異は終わりを迎え、自ずと二人の役割も終着点に辿り着いた。
「なあ吉良。本当に一人で大丈夫なのか?」
「ええ。それにこれは僕が決着をつけないといけないことです」
「そうか。ああ、そうだ。この前食べたのはずんだパフェだが、他にも美味しいプリンがあるんだ。お土産には持ってこいのな」
「なるほど。参考にします。それでは」
「ああ」
改札をくぐろうと腕時計を下に向けたとき。月岡がもう一度吉良の名前を呼んだ。
「あやかしも、必死に生きてんだな」
「えっ?」
振り返ると月岡はもう背を向けていた。皺一つない仕立ての良いスーツが颯爽と人々の間をすり抜けていく。吉良は、軽く頭を下げると改札を通り、電車へと向かった。
と、満足気に味の感想を漏らす月岡に冷ややかな目を向けると、吉良はコーヒーを口にした。
「その点ですが、あやかしのことは記憶から消えていく可能性もあります。そして、その方がいいかもしれません」
「記憶から消えるだと?」
スプーンを持つ手が止まった。
「そうです。あやかしは人が創り出したもの。存在が無くなれば記憶から消えていく」
「あやかしの性質は知っている。そうじゃねぇ。こっちは覚悟してまで真実を伝えたんだぞ。あれほど強烈な出来事も記憶から消えるっていうのか?」
「絶対とは言い切れません。あやかしに触れれば触れるほど、記憶は定着していきます。ですが、あやかしともう接触する機会がないのであれば彼らに関わる部分だけごっそり抜け落ちてしまうかもしれない。『あやかし保護法』によってあやかしの認識は広まっていますが、個々のエピソードや実態についてどれだけ記憶に残るか。でも、記憶がなければきっと内田さんは単純な事故に遭ったことになる。実際、事故のようなものですしね。そうなれば、記憶は和らぎ過去のものへとなるかもしれない」
夫婦も事実を知りかなり堪えたのは間違いなかった。最初は頑なに話を聞くのを拒んでいた母親も、真実を知った途端倒れ込んでしまった。時間をかけて何度か説明を繰り返すうちに弱々しい口調ながらも起き上がれるようになっていったのだ。
「人は忘れる生き物です。鮮明だった記憶も時間を経て色褪せていく。新しい記憶に埋め尽くされていく。今は後悔や恐怖でいっぱいでも、子どもの成長とともに別の感情が生まれ変わっていく。そう思うんです。もちろん、しばらくの間は見守っていきますが」
スプーンを置くと、月岡はコーヒーカップを傾けて一息で飲み干した。空になったカップが叩きつけられるようにテーブルの上に置かれた。
「俺は忘れない。忘れちゃいけない記憶も感情もあるだろ。忘れられるわけがない」
月岡の曇りのない瞳は遠くを見ていた。どこか今ではない遠くを。
「だが、今回の件は認めてやる。もう決定事項だしな。それからあの子の検査結果だが」
「ええ。どうだったんですか?」
「異常はやはりないそうだ。健康そのもの」
「それは、一番の朗報ですね」
「ああ。そうだな」
最後に取っておいたシュークリームを平らげると、二人は何も言わずに席を立った。一人ひとり会計を終えると、吉良は改札へ、月岡は駅の外へとそれぞれ別れていく。一つの怪異は終わりを迎え、自ずと二人の役割も終着点に辿り着いた。
「なあ吉良。本当に一人で大丈夫なのか?」
「ええ。それにこれは僕が決着をつけないといけないことです」
「そうか。ああ、そうだ。この前食べたのはずんだパフェだが、他にも美味しいプリンがあるんだ。お土産には持ってこいのな」
「なるほど。参考にします。それでは」
「ああ」
改札をくぐろうと腕時計を下に向けたとき。月岡がもう一度吉良の名前を呼んだ。
「あやかしも、必死に生きてんだな」
「えっ?」
振り返ると月岡はもう背を向けていた。皺一つない仕立ての良いスーツが颯爽と人々の間をすり抜けていく。吉良は、軽く頭を下げると改札を通り、電車へと向かった。
みんなのリアクション
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「お、これはなかなかうまいな」
と、満足気に味の感想を漏らす月岡に冷ややかな目を向けると、吉良はコーヒーを口にした。
「その点ですが、あやかしのことは記憶から消えていく可能性もあります。そして、その方がいいかもしれません」
「記憶から消えるだと?」
スプーンを持つ手が止まった。
「そうです。あやかしは人が創り出したもの。存在が無くなれば記憶から消えていく」
「あやかしの性質は知っている。そうじゃねぇ。こっちは覚悟してまで真実を伝えたんだぞ。あれほど強烈な出来事も記憶から消えるっていうのか?」
「絶対とは言い切れません。あやかしに触れれば触れるほど、記憶は定着していきます。ですが、あやかしともう接触する機会がないのであれば彼らに関わる部分だけごっそり抜け落ちてしまうかもしれない。『あやかし保護法』によってあやかしの認識は広まっていますが、個々のエピソードや実態についてどれだけ記憶に残るか。でも、記憶がなければきっと内田さんは単純な事故に遭ったことになる。実際、事故のようなものですしね。そうなれば、記憶は和らぎ過去のものへとなるかもしれない」
夫婦も事実を知りかなり堪えたのは間違いなかった。最初は頑なに話を聞くのを拒んでいた母親も、真実を知った途端倒れ込んでしまった。時間をかけて何度か説明を繰り返すうちに弱々しい口調ながらも起き上がれるようになっていったのだ。
「人は忘れる生き物です。鮮明だった記憶も時間を経て色褪せていく。新しい記憶に埋め尽くされていく。今は後悔や恐怖でいっぱいでも、子どもの成長とともに別の感情が生まれ変わっていく。そう思うんです。もちろん、しばらくの間は見守っていきますが」
スプーンを置くと、月岡はコーヒーカップを傾けて一息で飲み干した。空になったカップが叩きつけられるようにテーブルの上に置かれた。
「俺は忘れない。忘れちゃいけない記憶も感情もあるだろ。忘れられるわけがない」
月岡の曇りのない瞳は遠くを見ていた。どこか今ではない遠くを。
「だが、今回の件は認めてやる。もう決定事項だしな。それからあの子の検査結果だが」
「ええ。どうだったんですか?」
「異常はやはりないそうだ。健康そのもの」
「それは、一番の朗報ですね」
「ああ。そうだな」
最後に取っておいたシュークリームを平らげると、二人は何も言わずに席を立った。一人ひとり会計を終えると、吉良は改札へ、月岡は駅の外へとそれぞれ別れていく。一つの怪異は終わりを迎え、自ずと二人の役割も終着点に辿り着いた。
「なあ吉良。本当に一人で大丈夫なのか?」
「ええ。それにこれは僕が決着をつけないといけないことです」
「そうか。ああ、そうだ。この前食べたのはずんだパフェだが、他にも美味しいプリンがあるんだ。お土産には持ってこいのな」
「なるほど。参考にします。それでは」
「ああ」
改札をくぐろうと腕時計を下に向けたとき。月岡がもう一度吉良の名前を呼んだ。
「あやかしも、必死に生きてんだな」
「えっ?」
振り返ると月岡はもう背を向けていた。皺一つない仕立ての良いスーツが颯爽と人々の間をすり抜けていく。吉良は、軽く頭を下げると改札を通り、電車へと向かった。