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第25話 セクールスの課題Ⅱ

ー/ー



「なあ、レーキ。お前が盗賊団に養われて三百人以上の人を殺した伝説の暗殺者で『赤の教室』で乱闘騒ぎになってクラスメイトをナイフでボコボコにしたけど金の力で教師を抱き込んで何事もなかったことになった、って噂は本当?」
「……やめてくれ。九割方嘘だ」

 久々に食堂で一緒になったクランは、レーキを見るなり開口一番こんな質問をぶつけてきた。
 先日教室で起こった出来事に、どんな尾鰭(おひれ)がついているのか。あまりにも(ひど)い噂話に辟易(へきえき)として溜め息と共に訂正しようとしたレーキに、クランは「やっぱりなー!」と明るく応じた。
 さすがのクランでも、そんな馬鹿な話があるはずが無いと思ったようだった。

「嘘だと思ったんだよなーさすがに。クソ真面目なお前がさー……あ、でも九割……?」
「……盗賊団に養われていた、と言う所だけは本当だ」
「な、な、何で……?!」

 驚いて取り落としかけた食事のトレーをしっかりと握り直して、クランが(たず)ねる。

「ガキの頃、死にかけていた所を拾って貰ったからだ」
「え、え?! どうして?!」

 再度仰天してクランが取り落としかけたトレーを無事(つか)まえて机に置いてやると、レーキは子供の頃の出来事を()()まんでクランに聞かせた。
 孤児だったこと、住んでいた村が焼かれたこと、それを自分の成したことだとされたこと、(つぶて)をもって追われたこと。
 流石に自分のせいで大工が死んだとは言い出せなかったが、クランは納得してくれた。

「はぁーっそう言うことか……なんだそれ……壮絶すぎる……」

 当然のようにレーキの目の前の席に腰掛けて、クランはがっくりとうなだれた。確かに両親が共に健在で、今でも実家からこの天法院に通ってきているクランからすれば、レーキの生い立ちは十分過ぎるほど衝撃的なものだろう。

「お前、自分のことはあんまり話さないからさ……まさかそんな壮絶な子供時代とか……思っても見なかった……」

 心なしかクランの(ひとみ)が潤んでいる。やめてくれ、こちらを哀れんで泣いたりするのは。喉まで出かかった言葉を飲み込んで、レーキは食事を口に運んだ。
 今日はメニューはグラナート風・羊のスパイス焼きとグラナート風とは名ばかりの柔らかなヴァローナのパン。
 レーキが育った村でも盗賊団の砦でも、スパイスの利いた料理はよく食べられていた。それが懐かしく思えるという訳では無いけれど。レーキは時々食堂でスパイスの利いた料理を口にしていた。

「話した所で過去が変わる訳では無いからな……それに盗賊団に属していた事は自分から話して回るようなことじゃないだろう?」
「確かにいきなりそんな事話されても……どうして良いかわかんないしな。正直ちょっと引くし……」

 レーキの目の前に陣取っていたクランも、今日のおすすめ定食「ヴァローナの蕪煮(かぶに)」を旨そうに腹に収め始めた。

「……引くような話をして、すまない」

 クランの言葉にレーキは思わず食事する手を止めて謝罪する。

「いや! お前にはどーしよーもない事情ってヤツがあったんだよな? それならおれがアレコレとやかく言えるコトじゃないし……」

 クランにも、友人の過去に不用意に踏み込みすぎたと反省するだけの分別はあるのだろう。
 レーキは、うなだれてしまったクランに何も言うことが出来ずに眉根を寄せた。

「クラン……」
「……それにさ、おれ、お前が一所懸命(いっしょうけんめい)勉強してる特待生だってコト知ってるしさ。むしろそれしか知らないし……さびしいけど最近一緒に遊びに行けない位真面目にやってるのも知ってるしさ……さびしいけど」

 さびしいと二度も言った……共に行動できないことがそんなにさびしいのか。そんな風に言われればレーキとて石木ではない。気持ちは動く。

「……本当にすまない。俺もお前やオウロやグラーヴォと一緒に遊びに出かけられたらどんなに楽しいかと思う。でも今はやらなきゃならないことがある」
「……うん。わかってる。それはホントはおれもなんだけどさ……正直座学が、マジで、やばい……!」

 いつでも暢気(のんき)に楽しそうにしているクランが、珍しく脂汗を浮かべて窮状(きゅうじょう)(うった)えた。

「そんなに危ない、のか……?」
「……かなり、やばい」

 一学年生の時分は、クランの座学の成績は中の下と言ったところだった。今はそれが悪化しているらしい。可哀想だが、レーキにしてやれることは皆無に等しくて。沈黙しか返してやれない。

「……」
「……あ、そうだ! レーキ、お前『赤の教室』だったよな? な?」
「ああ。専攻は『赤』の系統だ、が……?」
「……頼む! おれに『赤』法術の基礎を教えてくれ!」

 クランが勢いよく頭を下げる。レーキは遠い目をして「そうか……基礎からか……」と(つぶや)いた。
 確かに時間は惜しい。それでもこの気の置けない友人の窮地を、あっさりと見過ごす事も出来なくて。

「……解った。時間を作る。……その代わりお前に頼みたいことがある」

 レーキは一度(えり)を正して、クランの眼を覗き込んだ。釣られて緊張するクランに向かって声を潜め、真剣な表情で交換条件を告げる。

「……何か金になる仕事を紹介してくれないか?」

 クランはその言葉を反芻(はんすう)する間に(まばた)いて、それから辺りの生徒たちが全員振り返るほどの音量で、

「……なん、お前が!? お前が金の話を? ……えぇーっっ!?!?」

 そう叫んだ。



 時を二日前に(さかのぼ)る。
 レーキが教授に上手く取り入ったとみたシアンは、授業中はやけに大人しかった。
 終業の鐘が鳴ってセクールスが教室を去るや否や、シアンは帰り支度を始めていたレーキに詰め寄ってきた。

「あいつをどうやって丸め込んだ! 卑怯者!」

 馬鹿馬鹿しい。相手にする時間も惜しい。レーキは少しだけセクールスを真似て、冷ややかに返した。

「……くだらない。ただ教えを請うただけだ。それが先生の興味を引いた。それだけだ」

 納得がいかない様子のシアンはレーキを恨みがましく()めつける。その眼を隻眼(せきがん)で真っ直ぐ(にら)み返してレーキは努めて静かに告げる。

「そこをどいてくれ。放課後は忙しいんだ」
「……貴様がどんな手を使ってあいつを抱き込んだのか、絶対に暴いてやるぞ!」

 そんな台詞をレーキに突きつけて、シアンは(きびす)を返して教室を出て行った。



 その日の放課後。レーキはセクールスの教授用個室を訪れた。
 彼が昨日ここを訪れてから、本の類いで埋め尽くされていた個室に一つ変化があった。
 本来なら来客用に使われるはずの椅子に(うずたか)く積み上げられていた本が撤去されている。それは、レーキのために用意された椅子だった。

「来たか。……ではそこに座れ」

 指し示された椅子にレーキが腰掛けると、セクールスはパイプに煙草をらしきモノを詰めて手早く『火球』を放り込む。

「……で、朝の騒ぎは何だったのだ?」
「シアン・カーマインは、俺のこの黒い羽が目障りだそうです。それで殴りかかって来ました」

 苦笑交じりに答えたレーキに、セクールスは豪快に鼻から紫煙を吐きながら言い切った。

「ふん。くだらん。……実にくだらんな。グラナートの鳥人どもの間で黒が忌色(きしょく)であることは解る。……が、ここはヴァローナだ。黒は学問の天王の貴色(きしょく)だぞ。所が変われば常識も変わる。そんなことも理解できんのか? 鳥人()は」
「……鳥人は特に色への信仰心が厚いのです。ですがそれは信仰に(かたく)なであるとも言えます。俺は生まれついてこんな羽色でしたから……もしかしたら他の鳥人より信仰心が足りないのかもしれません。ヴァローナの黒にもすぐに慣れました」
「ふん。そんな下らん信仰心などさっさと捨ててしまえ。真の信仰は己の内面を照らす光だ。他者を踏みつけにする道具では無い」

 それがセクールスの本心なのだろう。レーキは初めてこの教授の事を好ましい人物であると認識した。

「……話がそれたな。さて、レーキ・ヴァーミリオン。お前に最初に言っておく」
「はい」

 居住まいを正したレーキに向かって、セクールスはきっぱりと命令する。

「まず金を作れ」
「……え……!?」

 金。今までのレーキと最も縁の薄い単語の一つだ。それを不意に突きつけられて、レーキは狼狽(ろうばい)した。金など無い。逆さにされてもここで暮らすために最低限必要な分しかない。
「『天王との謁見(えっけん)の法』には祭壇が必要だ。学生の内であれば学院の備品を借り出すことも出来るだろう。だがお前が実際に『謁見の法』を実行できるのは王珠(おうじゅ)を得てからの事だ。機会は正式に学院を去るまでの(わず)かな時間だろう。一度で成功しなかった時のため、念のために自前の祭壇を手に入れられるだけの金を用意しろ」

「……あ、あ、え、と、それはどの程度の額、なんですか?」
「新造の祭壇に最低百万シア(通貨単位)。中古でも六十万シアはかかるな」
「百、万……!」

 優秀な職人の年収を軽く超える金額にレーキは絶句した。そんな大金、見た事も無い!
 マーロン師匠は、優秀な天法士で素晴らしい師匠であったが、清貧を絵に描いた──と言うより金というもの自体に全く執着の無い人物でもあった。
 その師匠が唯一贅沢を許し、入手に糸目を付けなかったのが『本』だった。師匠は必要だと思えば小麦を買う為の金しかなくても、『本』を買う金に()ててしまうと言う困ったところがあった。
 レーキも初めは師匠の家に大量の本が置いてある事に驚いたものだ。



 そもそも『本』と言うモノはそこそこ高価な物である。
 ヴァローナでこそ庶民の間でも粗悪な紙に刷られた娯楽作品の本などが流通していた。だが、紙自体を輸入に頼っているグラナートや、紙の原料である木材を輸出しているにも関わらず質の良い紙が手に入りにくいアスールでは文字が読める者自体が珍しい。
 師匠が必要としていた『本』は多くが専門書であったから印刷され出版されることは希で、やはり職人や手跡の美しい者、その『本』が欲しいと熱望する本人が手作業で書き写す必要があった。
 そんなモノを師匠は大量と言えるほど自宅に遺していった。レーキは後になって気がついた。アスールの師匠の家にあった『本』は師匠の財産でもあったのだ。



「……それから主祭(しゅさい)であるお前を補助する助祭(じょさい)が最低二人は欲しい。助祭を務められるのは天法士(てんほうし)、それもなるべく優秀な者が良いだろう。……そいつらに払うための報酬も必要だ」

 その相場は(いく)らなのか。もう聞きたくも無い。それでも尋ねない訳には行かなくて、レーキは恐る恐る金額を問うた。

「……そうだな……一人頭……五十万もあれば何とか()(くみ)の天法士が雇えるだろう。問題は無い」

 事もなげにセクールスが言う。
 噂で聞いた。この個室にある『本』は全てがセクールスの私物だと。これだけ大量の本を集める事の出来る財力があるのだ、セクールスにとっては祭壇一つに助祭を二人雇うだけの額などはした金であるのかもしれない。

「……全部で、ひゃ、ひゃくろくじゅうまん! ……問題は大有りです! そんな大金、どうやって稼げば良いんですか?!」

 合計を数えたレーキの声が思わず裏返る。それだけあれば一年以上は軽く遊んで暮らせる。くらくらと眩暈(めまい)がした。

「……うむ。稼ぐ手段はお前に任せる。残念だが私は金策など(うと)くてな……なに。時間はまだある。卒業までにどうにかしてそれだけ稼げば良い」

 そう言って、いつになく爽やかに笑みを浮かべたセクールスのなんと無責任な事か。ついて行く師を誤った、かも。ひっそりとそんな予感が、する……



「……はあ~っそう言うこと、かー」

 呪いの事を詳しくクランに説明する気にはなれなかったレーキは、試したい法術の儀式の為に大金が必要なのだとだけ告げた。クランは気の良い奴ではあるが何事もすく顔に出てしまうタイプで、包み隠すと言うことを知らない少年だ。
 それに、クランにはいつもと同じ態度で接して欲しい、とも思う。呪いに怯えて暮らしたり、レーキを避けるようになっては欲しくは無い。それがレーキの小さな()(まま)だった。

「儀式が必要ってことはかなり難しい法なんだろうな……」
「先生は祭壇と助祭が必要だと言っていた。そのために金がいると」
「なるほどねー。レーキが金の話するなんてこりゃ天から槍が降るかと思ったけど……そー言うことなら納得。んー。なんか良い仕事見繕(みつくろ)ってやるよ! 任せとけ!」
「ありがとう。よろしく頼む」

 手のひらでどーんと胸を叩いたクランが、ちらりちらりと意味ありげにレーキを見る。

「……その代わり、おれのほうのお願いも……な? な? な?」

 胸の前で両手を組んだクランの鬱陶しい懇願(こんがん)を、片手でどうどうと制しながらレーキは観念したように頷いた。

「……ああ、解った。俺も基礎の復習になるし……お前の成績を底上げしよう」
「やった! 持つべき者は特待生の友達! いやっほーい!!」

 諸手を挙げたクランの喜びようにレーキも思わず口元を(ほころ)ばせた。



 ◇◇◇


 雨の多かった夏が過ぎ、少しばかり収穫が少ない実りの季節も終わって、『学究祭』の三日間を駆け抜ける。
『学究祭』でレーキは「『火球』の効率的維持時間についての小論文」を発表して、そこそこの評価を受けた。
 レーキは良く学び、そして良く働いた。勿論その合間にクランの座学を見てやることも忘れなかった。
 クランが最初に紹介してくれた仕事は、クランの実家である宿屋の厨房での手伝い仕事。
 夕食時と休日の、忙しい間だけの短い仕事だった。従業員用のまかないから始めて、料理の腕がそこそこあると解ると宿泊客のための食事も担当するようになった。「宿の飯の味が上がった」と一部で評判にもなった。
 よく働く息子の友達と言うことでクランの両親は賃金に色を付けてくれたが、しかしそれだけではとても目標金額に到達することは難しい。
 レーキはアガートにも相談してみた。アガートは苦学生で小金の稼ぎ方を熟知していた。その方法の一つをこっそり教えてもらう。
 それは『治癒水(ちゆすい)』を詰めた小壜(こびん)を、剣統院(けんとういん)の生徒たちに売りさばくこと。
『治癒水』は学院の中で作るので、「学院の外で学生が許可無く天法を使ってはならない」という地上の法を犯す事は無い。ただ見つかればキツくお叱りを受けることは間違いない。
 生傷の絶えない剣統院の生徒たちは、手軽に傷を癒やして体力を回復させてくれる『治癒水』を常に欲していた。
 正規の天法士が作ったモノは確かによく効くが、その分値段もそれなりにする。騎士や王族出身の生徒たちはそのお高い『治癒水』を容易く手に入れる事が出来たが、平民や貴族階級でも裕福では無い家出身の学生たちはそうも行かない。
 そこに商機がある。天法院の学生が作る『治癒水』を正規の値段よりも安く提供するのだ。

勿論(もちろん)、おおっぴらに売ってはいけないし、数も加減しなければならないよ。建前としては友達のために『治癒水』を作って小壜代を貰うとかなんとか言っておけば大丈夫。このくらいならお目こぼししてくれるだろうってギリギリを攻めるのさーふふふっ」

 アガートはそう言って、いつになく黒い笑みを唇に乗せた。眼鏡が曇って中の(ひとみ)が窺い知れないのはなぜだろう。
 さいわいレーキにはグラーヴォというコネがある。販路には困らない筈だ。
 そして治癒水を作るために必要なのは、出来上がったモノを入れるための小壜と知識と己の天分だけ。元手もさほどかからない。

「……そ、そんなこと俺に教えて良いんですか?」
「いいのいいの。オレはそろそろ目を付けられてるからねー。ここらが潮時だよ……」

 ふふふ……アガートの微笑みが少しだけ怖い。この先輩はその方法で、一体幾らくらい資金を作ったのだろう。
 それを訊いてはいけないような気がして、レーキは思わず目をそらした。


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「なあ、レーキ。お前が盗賊団に養われて三百人以上の人を殺した伝説の暗殺者で『赤の教室』で乱闘騒ぎになってクラスメイトをナイフでボコボコにしたけど金の力で教師を抱き込んで何事もなかったことになった、って噂は本当?」
「……やめてくれ。九割方嘘だ」
 久々に食堂で一緒になったクランは、レーキを見るなり開口一番こんな質問をぶつけてきた。
 先日教室で起こった出来事に、どんな|尾鰭《おひれ》がついているのか。あまりにも|酷《ひど》い噂話に|辟易《へきえき》として溜め息と共に訂正しようとしたレーキに、クランは「やっぱりなー!」と明るく応じた。
 さすがのクランでも、そんな馬鹿な話があるはずが無いと思ったようだった。
「嘘だと思ったんだよなーさすがに。クソ真面目なお前がさー……あ、でも九割……?」
「……盗賊団に養われていた、と言う所だけは本当だ」
「な、な、何で……?!」
 驚いて取り落としかけた食事のトレーをしっかりと握り直して、クランが|尋《たず》ねる。
「ガキの頃、死にかけていた所を拾って貰ったからだ」
「え、え?! どうして?!」
 再度仰天してクランが取り落としかけたトレーを無事|掴《つか》まえて机に置いてやると、レーキは子供の頃の出来事を|掻《か》い|摘《つ》まんでクランに聞かせた。
 孤児だったこと、住んでいた村が焼かれたこと、それを自分の成したことだとされたこと、|礫《つぶて》をもって追われたこと。
 流石に自分のせいで大工が死んだとは言い出せなかったが、クランは納得してくれた。
「はぁーっそう言うことか……なんだそれ……壮絶すぎる……」
 当然のようにレーキの目の前の席に腰掛けて、クランはがっくりとうなだれた。確かに両親が共に健在で、今でも実家からこの天法院に通ってきているクランからすれば、レーキの生い立ちは十分過ぎるほど衝撃的なものだろう。
「お前、自分のことはあんまり話さないからさ……まさかそんな壮絶な子供時代とか……思っても見なかった……」
 心なしかクランの|眸《ひとみ》が潤んでいる。やめてくれ、こちらを哀れんで泣いたりするのは。喉まで出かかった言葉を飲み込んで、レーキは食事を口に運んだ。
 今日はメニューはグラナート風・羊のスパイス焼きとグラナート風とは名ばかりの柔らかなヴァローナのパン。
 レーキが育った村でも盗賊団の砦でも、スパイスの利いた料理はよく食べられていた。それが懐かしく思えるという訳では無いけれど。レーキは時々食堂でスパイスの利いた料理を口にしていた。
「話した所で過去が変わる訳では無いからな……それに盗賊団に属していた事は自分から話して回るようなことじゃないだろう?」
「確かにいきなりそんな事話されても……どうして良いかわかんないしな。正直ちょっと引くし……」
 レーキの目の前に陣取っていたクランも、今日のおすすめ定食「ヴァローナの|蕪煮《かぶに》」を旨そうに腹に収め始めた。
「……引くような話をして、すまない」
 クランの言葉にレーキは思わず食事する手を止めて謝罪する。
「いや! お前にはどーしよーもない事情ってヤツがあったんだよな? それならおれがアレコレとやかく言えるコトじゃないし……」
 クランにも、友人の過去に不用意に踏み込みすぎたと反省するだけの分別はあるのだろう。
 レーキは、うなだれてしまったクランに何も言うことが出来ずに眉根を寄せた。
「クラン……」
「……それにさ、おれ、お前が|一所懸命《いっしょうけんめい》勉強してる特待生だってコト知ってるしさ。むしろそれしか知らないし……さびしいけど最近一緒に遊びに行けない位真面目にやってるのも知ってるしさ……さびしいけど」
 さびしいと二度も言った……共に行動できないことがそんなにさびしいのか。そんな風に言われればレーキとて石木ではない。気持ちは動く。
「……本当にすまない。俺もお前やオウロやグラーヴォと一緒に遊びに出かけられたらどんなに楽しいかと思う。でも今はやらなきゃならないことがある」
「……うん。わかってる。それはホントはおれもなんだけどさ……正直座学が、マジで、やばい……!」
 いつでも|暢気《のんき》に楽しそうにしているクランが、珍しく脂汗を浮かべて|窮状《きゅうじょう》を|訴《うった》えた。
「そんなに危ない、のか……?」
「……かなり、やばい」
 一学年生の時分は、クランの座学の成績は中の下と言ったところだった。今はそれが悪化しているらしい。可哀想だが、レーキにしてやれることは皆無に等しくて。沈黙しか返してやれない。
「……」
「……あ、そうだ! レーキ、お前『赤の教室』だったよな? な?」
「ああ。専攻は『赤』の系統だ、が……?」
「……頼む! おれに『赤』法術の基礎を教えてくれ!」
 クランが勢いよく頭を下げる。レーキは遠い目をして「そうか……基礎からか……」と|呟《つぶや》いた。
 確かに時間は惜しい。それでもこの気の置けない友人の窮地を、あっさりと見過ごす事も出来なくて。
「……解った。時間を作る。……その代わりお前に頼みたいことがある」
 レーキは一度|襟《えり》を正して、クランの眼を覗き込んだ。釣られて緊張するクランに向かって声を潜め、真剣な表情で交換条件を告げる。
「……何か金になる仕事を紹介してくれないか?」
 クランはその言葉を|反芻《はんすう》する間に|瞬《まばた》いて、それから辺りの生徒たちが全員振り返るほどの音量で、
「……なん、お前が!? お前が金の話を? ……えぇーっっ!?!?」
 そう叫んだ。
 時を二日前に|遡《さかのぼ》る。
 レーキが教授に上手く取り入ったとみたシアンは、授業中はやけに大人しかった。
 終業の鐘が鳴ってセクールスが教室を去るや否や、シアンは帰り支度を始めていたレーキに詰め寄ってきた。
「あいつをどうやって丸め込んだ! 卑怯者!」
 馬鹿馬鹿しい。相手にする時間も惜しい。レーキは少しだけセクールスを真似て、冷ややかに返した。
「……くだらない。ただ教えを請うただけだ。それが先生の興味を引いた。それだけだ」
 納得がいかない様子のシアンはレーキを恨みがましく|睨《ね》めつける。その眼を|隻眼《せきがん》で真っ直ぐ|睨《にら》み返してレーキは努めて静かに告げる。
「そこをどいてくれ。放課後は忙しいんだ」
「……貴様がどんな手を使ってあいつを抱き込んだのか、絶対に暴いてやるぞ!」
 そんな台詞をレーキに突きつけて、シアンは|踵《きびす》を返して教室を出て行った。
 その日の放課後。レーキはセクールスの教授用個室を訪れた。
 彼が昨日ここを訪れてから、本の類いで埋め尽くされていた個室に一つ変化があった。
 本来なら来客用に使われるはずの椅子に|堆《うずたか》く積み上げられていた本が撤去されている。それは、レーキのために用意された椅子だった。
「来たか。……ではそこに座れ」
 指し示された椅子にレーキが腰掛けると、セクールスはパイプに煙草をらしきモノを詰めて手早く『火球』を放り込む。
「……で、朝の騒ぎは何だったのだ?」
「シアン・カーマインは、俺のこの黒い羽が目障りだそうです。それで殴りかかって来ました」
 苦笑交じりに答えたレーキに、セクールスは豪快に鼻から紫煙を吐きながら言い切った。
「ふん。くだらん。……実にくだらんな。グラナートの鳥人どもの間で黒が|忌色《きしょく》であることは解る。……が、ここはヴァローナだ。黒は学問の天王の|貴色《きしょく》だぞ。所が変われば常識も変わる。そんなことも理解できんのか? 鳥人|二《に》は」
「……鳥人は特に色への信仰心が厚いのです。ですがそれは信仰に|頑《かたく》なであるとも言えます。俺は生まれついてこんな羽色でしたから……もしかしたら他の鳥人より信仰心が足りないのかもしれません。ヴァローナの黒にもすぐに慣れました」
「ふん。そんな下らん信仰心などさっさと捨ててしまえ。真の信仰は己の内面を照らす光だ。他者を踏みつけにする道具では無い」
 それがセクールスの本心なのだろう。レーキは初めてこの教授の事を好ましい人物であると認識した。
「……話がそれたな。さて、レーキ・ヴァーミリオン。お前に最初に言っておく」
「はい」
 居住まいを正したレーキに向かって、セクールスはきっぱりと命令する。
「まず金を作れ」
「……え……!?」
 金。今までのレーキと最も縁の薄い単語の一つだ。それを不意に突きつけられて、レーキは|狼狽《ろうばい》した。金など無い。逆さにされてもここで暮らすために最低限必要な分しかない。
「『天王との|謁見《えっけん》の法』には祭壇が必要だ。学生の内であれば学院の備品を借り出すことも出来るだろう。だがお前が実際に『謁見の法』を実行できるのは|王珠《おうじゅ》を得てからの事だ。機会は正式に学院を去るまでの|僅《わず》かな時間だろう。一度で成功しなかった時のため、念のために自前の祭壇を手に入れられるだけの金を用意しろ」
「……あ、あ、え、と、それはどの程度の額、なんですか?」
「新造の祭壇に最低百万シア(通貨単位)。中古でも六十万シアはかかるな」
「百、万……!」
 優秀な職人の年収を軽く超える金額にレーキは絶句した。そんな大金、見た事も無い!
 マーロン師匠は、優秀な天法士で素晴らしい師匠であったが、清貧を絵に描いた──と言うより金というもの自体に全く執着の無い人物でもあった。
 その師匠が唯一贅沢を許し、入手に糸目を付けなかったのが『本』だった。師匠は必要だと思えば小麦を買う為の金しかなくても、『本』を買う金に|充《あ》ててしまうと言う困ったところがあった。
 レーキも初めは師匠の家に大量の本が置いてある事に驚いたものだ。
 そもそも『本』と言うモノはそこそこ高価な物である。
 ヴァローナでこそ庶民の間でも粗悪な紙に刷られた娯楽作品の本などが流通していた。だが、紙自体を輸入に頼っているグラナートや、紙の原料である木材を輸出しているにも関わらず質の良い紙が手に入りにくいアスールでは文字が読める者自体が珍しい。
 師匠が必要としていた『本』は多くが専門書であったから印刷され出版されることは希で、やはり職人や手跡の美しい者、その『本』が欲しいと熱望する本人が手作業で書き写す必要があった。
 そんなモノを師匠は大量と言えるほど自宅に遺していった。レーキは後になって気がついた。アスールの師匠の家にあった『本』は師匠の財産でもあったのだ。
「……それから|主祭《しゅさい》であるお前を補助する|助祭《じょさい》が最低二人は欲しい。助祭を務められるのは|天法士《てんほうし》、それもなるべく優秀な者が良いだろう。……そいつらに払うための報酬も必要だ」
 その相場は|幾《いく》らなのか。もう聞きたくも無い。それでも尋ねない訳には行かなくて、レーキは恐る恐る金額を問うた。
「……そうだな……一人頭……五十万もあれば何とか|四《よ》ツ|組《くみ》の天法士が雇えるだろう。問題は無い」
 事もなげにセクールスが言う。
 噂で聞いた。この個室にある『本』は全てがセクールスの私物だと。これだけ大量の本を集める事の出来る財力があるのだ、セクールスにとっては祭壇一つに助祭を二人雇うだけの額などはした金であるのかもしれない。
「……全部で、ひゃ、ひゃくろくじゅうまん! ……問題は大有りです! そんな大金、どうやって稼げば良いんですか?!」
 合計を数えたレーキの声が思わず裏返る。それだけあれば一年以上は軽く遊んで暮らせる。くらくらと|眩暈《めまい》がした。
「……うむ。稼ぐ手段はお前に任せる。残念だが私は金策など|疎《うと》くてな……なに。時間はまだある。卒業までにどうにかしてそれだけ稼げば良い」
 そう言って、いつになく爽やかに笑みを浮かべたセクールスのなんと無責任な事か。ついて行く師を誤った、かも。ひっそりとそんな予感が、する……
「……はあ~っそう言うこと、かー」
 呪いの事を詳しくクランに説明する気にはなれなかったレーキは、試したい法術の儀式の為に大金が必要なのだとだけ告げた。クランは気の良い奴ではあるが何事もすく顔に出てしまうタイプで、包み隠すと言うことを知らない少年だ。
 それに、クランにはいつもと同じ態度で接して欲しい、とも思う。呪いに怯えて暮らしたり、レーキを避けるようになっては欲しくは無い。それがレーキの小さな|我《わ》が|儘《まま》だった。
「儀式が必要ってことはかなり難しい法なんだろうな……」
「先生は祭壇と助祭が必要だと言っていた。そのために金がいると」
「なるほどねー。レーキが金の話するなんてこりゃ天から槍が降るかと思ったけど……そー言うことなら納得。んー。なんか良い仕事|見繕《みつくろ》ってやるよ! 任せとけ!」
「ありがとう。よろしく頼む」
 手のひらでどーんと胸を叩いたクランが、ちらりちらりと意味ありげにレーキを見る。
「……その代わり、おれのほうのお願いも……な? な? な?」
 胸の前で両手を組んだクランの鬱陶しい|懇願《こんがん》を、片手でどうどうと制しながらレーキは観念したように頷いた。
「……ああ、解った。俺も基礎の復習になるし……お前の成績を底上げしよう」
「やった! 持つべき者は特待生の友達! いやっほーい!!」
 諸手を挙げたクランの喜びようにレーキも思わず口元を|綻《ほころ》ばせた。
 ◇◇◇
 雨の多かった夏が過ぎ、少しばかり収穫が少ない実りの季節も終わって、『学究祭』の三日間を駆け抜ける。
『学究祭』でレーキは「『火球』の効率的維持時間についての小論文」を発表して、そこそこの評価を受けた。
 レーキは良く学び、そして良く働いた。勿論その合間にクランの座学を見てやることも忘れなかった。
 クランが最初に紹介してくれた仕事は、クランの実家である宿屋の厨房での手伝い仕事。
 夕食時と休日の、忙しい間だけの短い仕事だった。従業員用のまかないから始めて、料理の腕がそこそこあると解ると宿泊客のための食事も担当するようになった。「宿の飯の味が上がった」と一部で評判にもなった。
 よく働く息子の友達と言うことでクランの両親は賃金に色を付けてくれたが、しかしそれだけではとても目標金額に到達することは難しい。
 レーキはアガートにも相談してみた。アガートは苦学生で小金の稼ぎ方を熟知していた。その方法の一つをこっそり教えてもらう。
 それは『|治癒水《ちゆすい》』を詰めた|小壜《こびん》を、|剣統院《けんとういん》の生徒たちに売りさばくこと。
『治癒水』は学院の中で作るので、「学院の外で学生が許可無く天法を使ってはならない」という地上の法を犯す事は無い。ただ見つかればキツくお叱りを受けることは間違いない。
 生傷の絶えない剣統院の生徒たちは、手軽に傷を癒やして体力を回復させてくれる『治癒水』を常に欲していた。
 正規の天法士が作ったモノは確かによく効くが、その分値段もそれなりにする。騎士や王族出身の生徒たちはそのお高い『治癒水』を容易く手に入れる事が出来たが、平民や貴族階級でも裕福では無い家出身の学生たちはそうも行かない。
 そこに商機がある。天法院の学生が作る『治癒水』を正規の値段よりも安く提供するのだ。
「|勿論《もちろん》、おおっぴらに売ってはいけないし、数も加減しなければならないよ。建前としては友達のために『治癒水』を作って小壜代を貰うとかなんとか言っておけば大丈夫。このくらいならお目こぼししてくれるだろうってギリギリを攻めるのさーふふふっ」
 アガートはそう言って、いつになく黒い笑みを唇に乗せた。眼鏡が曇って中の|眸《ひとみ》が窺い知れないのはなぜだろう。
 さいわいレーキにはグラーヴォというコネがある。販路には困らない筈だ。
 そして治癒水を作るために必要なのは、出来上がったモノを入れるための小壜と知識と己の天分だけ。元手もさほどかからない。
「……そ、そんなこと俺に教えて良いんですか?」
「いいのいいの。オレはそろそろ目を付けられてるからねー。ここらが潮時だよ……」
 ふふふ……アガートの微笑みが少しだけ怖い。この先輩はその方法で、一体幾らくらい資金を作ったのだろう。
 それを訊いてはいけないような気がして、レーキは思わず目をそらした。