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第23話 哀悼と決意と

ー/ー



 ──やってしまった……。

 激情に任せてぶちまけてしまった。こんな奴のために。
 教室にいる生徒たちはみな、目の前で起こった出来事に驚愕(きょうがく)して言葉を失っている。
 シアンですらレーキの激昂(げきこう)にあっけにとられて、口を(つぐ)んでいた。
 怒りの色に染められていた思考は、一瞬にして()めている。

「……っ」

 解っている。怒りに身を任せて、それを吐き出した後に起こること。レーキはそれを幼い頃からよく知っていた。
 拒絶。
 恐れられ、突き放され、禁忌に触れるように、そこに無いモノのように扱われる恐怖。

 ……ああ、何をやっているんだ。俺は。

 止めどなく視界を揺らす涙を拭うことすら忘れて、レーキは立ち尽くす。
 恐ろしくて恐ろしくて。周囲を、みんなの顔を見回すこともできない。
 一体いつから俺はこんなに(もろ)くなったのだろう。レーキは思う。
 ガキの頃はいつも独りだった。それでいいと思っていた。石のように頑強で、独りで、いつも自由になりたかった。
 かんたんなことだ。あの頃にもどるだけさ。心のどこかで幼かった自分が言う。
 自業自得だ。善良な人々の蓄えを奪ってきたツケが回ってきたのさ。盗賊だった自分が笑う。
 それでも温かな声を、何気ない日常を、気の置けない友を、失うことがこんなに()()なんて──!

「……何を騒いでいる? ガキども。もうとっくに始業の鐘は鳴っているぞ。さっさと席に着け」

 静寂を打ち破ったのは、いつの間にやら鳴っていた鐘の音とともに教室に入ってきたセクールスだった。

「……!」
「……先生!」

 先に我に返ったのはシアンの方で。

「セクールス先生! こいつは、レーキ・ヴァーミリオンは……!」
「お前が気安く俺の名を呼ぶな……!」

 もういい。もうどうなってもかまわない。シアンを制したレーキの声音は堅く鋭く、冷たく研ぎ澄まされた刃のようだった。
 その声に打たれたように、シアンは二の句を接げずにいる。
 レーキはセクールスに向き直った。涙の跡を拭って(つと)めて静かに申告する。

「……先生、申し訳ありません。今日は気分が優れないので早退させてください。お願いします」

 真剣な顔でそう告げたレーキを(いぶか)しげに一瞥(いちべつ)して、セクールスは自分の(あご)に手をやった。

「……ふむ。確かに顔色は悪いようだな。……仕方ない。許可する」
「……ありがとう、ございます」

 それだけ言って一礼する。レーキは振り返ることなく教室を出て行った。



 こつり、こつりと授業が始まったばかりで人気の絶えた教室棟の廊下に、レーキの足音が響く。
 授業を休んだのは、この学院に来て初めてだった。
 本当は何一つ聞き逃したくなかった。セクールスの授業は確かに苦労の多いモノだったが、その分自分が成長しているのだと言うことを実感させてくれた。
 前に進みたい、のに。振り向いて立ち止まっている暇なんて無いのに。
 それでも事実は残酷で。苦しくて、堪え難くて、恐ろしくて。
 教室を離れるにつれ、早まっていく鼓動に合わせて。次第に歩みが早くなる。
 半ば飛ぶように教室棟の階段を駆け下りた。
 建物の入り口を出ると同時に羽を打ち振るって空へと飛び上がる。天法院の屋根を越え、尖塔を超え、もっと高く、高く。
 レーキの心を映したと言う訳ではないけれど。今日の空は重く雲の垂れ込める曇天。大気には微かに雨の気配が香る。
 寮の部屋に帰るわけにはいかない。いつアガートが帰ってくるかもしれないから。
 彼を目の前にしたらきっと泣いてしまう。何もかもを吐き出して、身も世もなく泣いて(すが)ってしまうから。
 だから飛んだ。このままどこまでも──いや、グラナートまで飛んでいきたい。きっと、今は誰の物でも無い、あの砦まで飛んでいけたら。そう出来たら良かったのに。
 空を飛ぶときはいつだって独り。風はいつだって鳥人(アーラ=ペンナ)の味方で、気流に乗れば何処へだって飛んで行けるはずなのに。

「ああああああぁぁぁぁぁぁ……!!!!」

 レーキは吠えた。哀悼の代わりに。叫んでも叫んでも、喪った物を取り戻すことは出来ない。解っている。遺されたモノに出来るのは、(いた)むことだけ。それは師匠が本当の最後に教えてくれたことだから。
 雲が近い。あんなに大きかった天法院の屋根が小さく見える。ずいぶん高い所まで上ってきてしまった。夏の服では堪え難いほど体が冷えている。
 空は冷たい。夏の空ですら。飛行すると言うことは、いつだって凍死や墜落の危険と隣り合わせだ。
 レーキの耳に不意に死の王の言葉が蘇る。

『汝が愛した者は必ず汝よりも先に我が領土の住人となるであろう』

 汝が愛した者。ヴァーミリオン・サンズ。ああ、これも死の王の呪い、なのだろうか?
 だとしたら。もしかしたら。俺に残されている時間は、思っていたよりもずっと短いのかもしれない。
 寒い。空の冷たさだけでは説明が付けられないほど、身の(うち)が、体の芯が冷たくて戦慄する。
 このままじゃだめだ。愛しい人たちの顔が次々脳裏に浮かんで、消える。

 ──そんなのは、駄目だ。

 生きていて欲しい。愛しい人たちすべてに笑って生きていて欲しい。年老いて静かに思い出を振り返って、満足するまで生きていて欲しい。
 そのために、しなければならないこと。それも解っている。学びを得た今はそれが明確に見える。
 死の王を呼び出すという法。真っ先に学ばなければならないのはその法だ。
 それでも。今は叫んでいたかった。悼んでいたかった。忘れるためではなくて、覚えていられるように。いつでも思い出せるように。空に痛苦を刻みつけるように。
 レーキは叫び続けた。涙を振り払って、冷たい空を飛び続けた。



「お休みの所失礼します。お話があります。セクールス先生」

 一日の授業を終えて夕食時も過ぎ、教授用の個室で寛いでいたセクールスを訪ねたのは、降り出した雨に打たれて濡れ(ねずみ)になったレーキだった。

「……もう気分とやらはいいのか? 私の授業を抜ける位だ、それなりの理由があったのだろうな? 鳥人(いち)

 セクールスは安楽椅子に腰掛けて、読書灯代わりに『光球』が(とも)る暖炉のそばに陣取っていた。その声は常と変わらず冷淡で、レーキはいっそ安心する。
 セクールスの傍らのサイドテーブルには読みさしの本が幾冊も積み上げられ、壁に設えられた本棚にも赤い絨毯の敷かれた床にも無数の本、教科書、研究書、そのほかありとあらゆる本状のモノ、書類状のモノたちが積み上げられ、並べられていた。
 レーキは一礼して、注意深くその個室に足を踏み入れる。足の踏み場がないとはこのことだ。
 この部屋は、広さに対して本が多すぎる! そんな感想は表に出さず、レーキはセクールスの前に立った。

「……はい。家族のように親しく思っていた人たちの訃報(ふほう)を受けて……動揺しました」
「……ふん。下らん理由だ。それで? 貴様はその下らん理由を謝罪するためだけにここに現れた訳ではあるまい?」
「はい。先生に是非教えていただきたい法術があります。俺はその法さえ習得できたら……この学院を去るつもりです」
「何故?」
「シアンからお聞きになったでしょう? ……俺、……私の過去のことを」
「ああ、鳥人()が何かわめき立てていたな。貴様盗賊だったのか?」
「……はい。私はかつて盗賊団で養われていました。いずれはその一員となるはずでした。……ですが、アカンサス・マーロン師が私を弟子にしてくださいました。それで私は……天法士になると言うことを夢見るようになりました」
「ふん」

 つまらぬことを聞いた、とでも言う代わりにセクールスは鼻で笑って足を組み替える。

「それで?」
「私は師の元で修行していました。でも高齢だった師が亡くなって……それで、俺……私は『呼び戻しの法』を実行しました」
「……その様子では、しくじったのだろう? そもそもあの法は寿命が尽きていない者を呼び戻すための法だ。年老いて(ただ)しく死なんする者にあの法は意味がない」
「はい。当時の私はそのことを知りませんでした。ただ師に生きていて欲しくて……自分の我が(まま)のために『呼び戻し』を使いました。そのせいで……私は呪いを受けました。死の王の呪いです」
「ほう? それはどんな?」
「『自分の愛した者が必ず自分より早く死の王の国に召される』。それが私が受けた呪いです」

 レーキの告白を受けて、セクールスは沈黙した。やがて引き結ばれていた薄い唇から、ゆっくりと息を吐き出す。セクールスはサイドテーブルの引き出しから、喫煙用のシンプルなパイプを取り出し、それに何かを詰めて極小の『火球』を投げ入れた。喫煙は彼の数少ない息抜きの一つのようだった。

「……そうか。それで? お前が教わりたいと言う法とやらは何だ?」
「死の王を呼び出すための法。もう一度死の王に会ってこの呪いを解いてもらうために必要な法の全てを。教えてください、セクールス先生!」
「……確かにその呪いを解くにはかけた本人(天王)(すが)るしかないだろうな……」

 特大の嘆息(たんそく)とともに紫煙を吐き出して、セクールスは天を仰ぐ。

「私のような者が天法院にいては、きっとこれからも色々な方に迷惑がかかります。だから、その法さえ教えていただければ、俺は……っ」

 レーキは堅く拳を握って、紅い隻眼でセクールスを見つめた。院長代理にはもう迷惑をかけられない。だから、この冷酷だが優秀な教師に頼み込むしかない。後はない。
 そんなレーキの覚悟を、セクールスは呆れ顔で見つめる。

「阿呆か。貴様は……ただでさえ『天王との謁見(えっけん)の法』は成功の確率の低い法だぞ? 『王珠(おうじゅ)』もない天法士(てんほうし)のなり損ないが成功させられる法ではない」
「……!」
「……いいか? そもそも『王珠』はただの天法士の許可証兼判定機ではない。持ち主となった法士を助け、天法の扱いをも(やす)くするほどの強力な法具(ほうぐ)なのだ。それ故持ち主本人のためにしか働かず、その者と運命を共にして果てる」
「……で、では、俺は……一体、どうしたらいいのですか……?!」

 絶望する。暗い迷宮に迷い込んで、何処に行って良いのか進むことも退くことも出来なくて。
 レーキは唇を噛んで(うつむ)いた。

「ふん。くだらん。簡単なことだ。……学べ。学んで、学んで、王珠を手に入れろ。行く手を(はば)む者がたとえ己の過去だとしても、切り捨てて進め。騒音など意に介すな」

 事もなげに。セクールスは言う。セクールスならきっとそうするだろう。何者に立ち向かわれても己を貫き、壁を砕き、やってみせるだろう。この苛烈で冷酷に見える教師ならば。全てを託せる予感が、する。

「……な、なら……俺、は……!」
「そうだ。意に介すなと『私が』言ったのだ。反論は許可しない」

 言いつのろうとするレーキをパイプの先で制して、セクールスは常と変わらず不機嫌そうに言い切った。

「……先、せ……っ」
「うるさい。泣き言を言うなら成功した後にしろ。……()()()。死の王の面前に(まか)り出る、か。無茶を言う」

 セクールスの薄い唇が、カチンと音を立てるほどの強さでパイプの吸い口を噛む。その表情は苦虫を噛み潰したようで、それが『天王との謁見の法』の難しさをそのまま現しているようだった。
 この本の虫、膨大な知識を誇る教授を持ってしても、その法は無茶だというのか。

「……無茶な要求ほど()()()……私はお前に少し興味が湧いて来た。良いだろう。お前に『天王との謁見の法』を教えてやる。だがお前がその法を成功させるためにはまず王珠を手に入れるほか──天法士になるほか手立ては無い」
「……はい」
「やれるか? 出来るというならば私はお前のために少しばかり時間を使ってやる」
「……出来ます。やって見せます!」

 引き結んでいた唇からゆっくりと息を吐き出して、きっぱりとレーキは宣言する。
 迷うことなんて無かった。恐れることなんて無かった。たとえどんなことが、己の行く末に待ち受けているとしても。
 行きたいと思った道は、行かなくてはならない道はただ一つなのだから。

「……そういえば、お前、名はなんと言った? 覚える気のないモノは忘れてしまう質でな」

 それが癖なのかセクールスは自分の顎に手をやって、『赤の教室・()』を開いてから初めて、真剣にレーキを見てくれた。

「俺は……レーキです。レーキ・ヴァーミリオンと言います。セクールス先生」

 そう告げたレーキの表情は胸に生まれた決意に後押しされて、いつになく晴れやかだった。


次のエピソードへ進む 第24話 世界の命運


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 ──やってしまった……。
 激情に任せてぶちまけてしまった。こんな奴のために。
 教室にいる生徒たちはみな、目の前で起こった出来事に|驚愕《きょうがく》して言葉を失っている。
 シアンですらレーキの|激昂《げきこう》にあっけにとられて、口を|噤《つぐ》んでいた。
 怒りの色に染められていた思考は、一瞬にして|覚《さ》めている。
「……っ」
 解っている。怒りに身を任せて、それを吐き出した後に起こること。レーキはそれを幼い頃からよく知っていた。
 拒絶。
 恐れられ、突き放され、禁忌に触れるように、そこに無いモノのように扱われる恐怖。
 ……ああ、何をやっているんだ。俺は。
 止めどなく視界を揺らす涙を拭うことすら忘れて、レーキは立ち尽くす。
 恐ろしくて恐ろしくて。周囲を、みんなの顔を見回すこともできない。
 一体いつから俺はこんなに|脆《もろ》くなったのだろう。レーキは思う。
 ガキの頃はいつも独りだった。それでいいと思っていた。石のように頑強で、独りで、いつも自由になりたかった。
 かんたんなことだ。あの頃にもどるだけさ。心のどこかで幼かった自分が言う。
 自業自得だ。善良な人々の蓄えを奪ってきたツケが回ってきたのさ。盗賊だった自分が笑う。
 それでも温かな声を、何気ない日常を、気の置けない友を、失うことがこんなに|怖《・》|い《・》なんて──!
「……何を騒いでいる? ガキども。もうとっくに始業の鐘は鳴っているぞ。さっさと席に着け」
 静寂を打ち破ったのは、いつの間にやら鳴っていた鐘の音とともに教室に入ってきたセクールスだった。
「……!」
「……先生!」
 先に我に返ったのはシアンの方で。
「セクールス先生! こいつは、レーキ・ヴァーミリオンは……!」
「お前が気安く俺の名を呼ぶな……!」
 もういい。もうどうなってもかまわない。シアンを制したレーキの声音は堅く鋭く、冷たく研ぎ澄まされた刃のようだった。
 その声に打たれたように、シアンは二の句を接げずにいる。
 レーキはセクールスに向き直った。涙の跡を拭って|努《つと》めて静かに申告する。
「……先生、申し訳ありません。今日は気分が優れないので早退させてください。お願いします」
 真剣な顔でそう告げたレーキを|訝《いぶか》しげに|一瞥《いちべつ》して、セクールスは自分の|顎《あご》に手をやった。
「……ふむ。確かに顔色は悪いようだな。……仕方ない。許可する」
「……ありがとう、ございます」
 それだけ言って一礼する。レーキは振り返ることなく教室を出て行った。
 こつり、こつりと授業が始まったばかりで人気の絶えた教室棟の廊下に、レーキの足音が響く。
 授業を休んだのは、この学院に来て初めてだった。
 本当は何一つ聞き逃したくなかった。セクールスの授業は確かに苦労の多いモノだったが、その分自分が成長しているのだと言うことを実感させてくれた。
 前に進みたい、のに。振り向いて立ち止まっている暇なんて無いのに。
 それでも事実は残酷で。苦しくて、堪え難くて、恐ろしくて。
 教室を離れるにつれ、早まっていく鼓動に合わせて。次第に歩みが早くなる。
 半ば飛ぶように教室棟の階段を駆け下りた。
 建物の入り口を出ると同時に羽を打ち振るって空へと飛び上がる。天法院の屋根を越え、尖塔を超え、もっと高く、高く。
 レーキの心を映したと言う訳ではないけれど。今日の空は重く雲の垂れ込める曇天。大気には微かに雨の気配が香る。
 寮の部屋に帰るわけにはいかない。いつアガートが帰ってくるかもしれないから。
 彼を目の前にしたらきっと泣いてしまう。何もかもを吐き出して、身も世もなく泣いて|縋《すが》ってしまうから。
 だから飛んだ。このままどこまでも──いや、グラナートまで飛んでいきたい。きっと、今は誰の物でも無い、あの砦まで飛んでいけたら。そう出来たら良かったのに。
 空を飛ぶときはいつだって独り。風はいつだって|鳥人《アーラ=ペンナ》の味方で、気流に乗れば何処へだって飛んで行けるはずなのに。
「ああああああぁぁぁぁぁぁ……!!!!」
 レーキは吠えた。哀悼の代わりに。叫んでも叫んでも、喪った物を取り戻すことは出来ない。解っている。遺されたモノに出来るのは、|悼《いた》むことだけ。それは師匠が本当の最後に教えてくれたことだから。
 雲が近い。あんなに大きかった天法院の屋根が小さく見える。ずいぶん高い所まで上ってきてしまった。夏の服では堪え難いほど体が冷えている。
 空は冷たい。夏の空ですら。飛行すると言うことは、いつだって凍死や墜落の危険と隣り合わせだ。
 レーキの耳に不意に死の王の言葉が蘇る。
『汝が愛した者は必ず汝よりも先に我が領土の住人となるであろう』
 汝が愛した者。ヴァーミリオン・サンズ。ああ、これも死の王の呪い、なのだろうか?
 だとしたら。もしかしたら。俺に残されている時間は、思っていたよりもずっと短いのかもしれない。
 寒い。空の冷たさだけでは説明が付けられないほど、身の|裡《うち》が、体の芯が冷たくて戦慄する。
 このままじゃだめだ。愛しい人たちの顔が次々脳裏に浮かんで、消える。
 ──そんなのは、駄目だ。
 生きていて欲しい。愛しい人たちすべてに笑って生きていて欲しい。年老いて静かに思い出を振り返って、満足するまで生きていて欲しい。
 そのために、しなければならないこと。それも解っている。学びを得た今はそれが明確に見える。
 死の王を呼び出すという法。真っ先に学ばなければならないのはその法だ。
 それでも。今は叫んでいたかった。悼んでいたかった。忘れるためではなくて、覚えていられるように。いつでも思い出せるように。空に痛苦を刻みつけるように。
 レーキは叫び続けた。涙を振り払って、冷たい空を飛び続けた。
「お休みの所失礼します。お話があります。セクールス先生」
 一日の授業を終えて夕食時も過ぎ、教授用の個室で寛いでいたセクールスを訪ねたのは、降り出した雨に打たれて濡れ|鼠《ねずみ》になったレーキだった。
「……もう気分とやらはいいのか? 私の授業を抜ける位だ、それなりの理由があったのだろうな? 鳥人|一《いち》」
 セクールスは安楽椅子に腰掛けて、読書灯代わりに『光球』が|灯《とも》る暖炉のそばに陣取っていた。その声は常と変わらず冷淡で、レーキはいっそ安心する。
 セクールスの傍らのサイドテーブルには読みさしの本が幾冊も積み上げられ、壁に設えられた本棚にも赤い絨毯の敷かれた床にも無数の本、教科書、研究書、そのほかありとあらゆる本状のモノ、書類状のモノたちが積み上げられ、並べられていた。
 レーキは一礼して、注意深くその個室に足を踏み入れる。足の踏み場がないとはこのことだ。
 この部屋は、広さに対して本が多すぎる! そんな感想は表に出さず、レーキはセクールスの前に立った。
「……はい。家族のように親しく思っていた人たちの|訃報《ふほう》を受けて……動揺しました」
「……ふん。下らん理由だ。それで? 貴様はその下らん理由を謝罪するためだけにここに現れた訳ではあるまい?」
「はい。先生に是非教えていただきたい法術があります。俺はその法さえ習得できたら……この学院を去るつもりです」
「何故?」
「シアンからお聞きになったでしょう? ……俺、……私の過去のことを」
「ああ、鳥人|二《に》が何かわめき立てていたな。貴様盗賊だったのか?」
「……はい。私はかつて盗賊団で養われていました。いずれはその一員となるはずでした。……ですが、アカンサス・マーロン師が私を弟子にしてくださいました。それで私は……天法士になると言うことを夢見るようになりました」
「ふん」
 つまらぬことを聞いた、とでも言う代わりにセクールスは鼻で笑って足を組み替える。
「それで?」
「私は師の元で修行していました。でも高齢だった師が亡くなって……それで、俺……私は『呼び戻しの法』を実行しました」
「……その様子では、しくじったのだろう? そもそもあの法は寿命が尽きていない者を呼び戻すための法だ。年老いて|正《ただ》しく死なんする者にあの法は意味がない」
「はい。当時の私はそのことを知りませんでした。ただ師に生きていて欲しくて……自分の我が|儘《まま》のために『呼び戻し』を使いました。そのせいで……私は呪いを受けました。死の王の呪いです」
「ほう? それはどんな?」
「『自分の愛した者が必ず自分より早く死の王の国に召される』。それが私が受けた呪いです」
 レーキの告白を受けて、セクールスは沈黙した。やがて引き結ばれていた薄い唇から、ゆっくりと息を吐き出す。セクールスはサイドテーブルの引き出しから、喫煙用のシンプルなパイプを取り出し、それに何かを詰めて極小の『火球』を投げ入れた。喫煙は彼の数少ない息抜きの一つのようだった。
「……そうか。それで? お前が教わりたいと言う法とやらは何だ?」
「死の王を呼び出すための法。もう一度死の王に会ってこの呪いを解いてもらうために必要な法の全てを。教えてください、セクールス先生!」
「……確かにその呪いを解くにはかけた|本人《天王》に|縋《すが》るしかないだろうな……」
 特大の|嘆息《たんそく》とともに紫煙を吐き出して、セクールスは天を仰ぐ。
「私のような者が天法院にいては、きっとこれからも色々な方に迷惑がかかります。だから、その法さえ教えていただければ、俺は……っ」
 レーキは堅く拳を握って、紅い隻眼でセクールスを見つめた。院長代理にはもう迷惑をかけられない。だから、この冷酷だが優秀な教師に頼み込むしかない。後はない。
 そんなレーキの覚悟を、セクールスは呆れ顔で見つめる。
「阿呆か。貴様は……ただでさえ『天王との|謁見《えっけん》の法』は成功の確率の低い法だぞ? 『|王珠《おうじゅ》』もない|天法士《てんほうし》のなり損ないが成功させられる法ではない」
「……!」
「……いいか? そもそも『王珠』はただの天法士の許可証兼判定機ではない。持ち主となった法士を助け、天法の扱いをも|易《やす》くするほどの強力な|法具《ほうぐ》なのだ。それ故持ち主本人のためにしか働かず、その者と運命を共にして果てる」
「……で、では、俺は……一体、どうしたらいいのですか……?!」
 絶望する。暗い迷宮に迷い込んで、何処に行って良いのか進むことも退くことも出来なくて。
 レーキは唇を噛んで|俯《うつむ》いた。
「ふん。くだらん。簡単なことだ。……学べ。学んで、学んで、王珠を手に入れろ。行く手を|阻《はば》む者がたとえ己の過去だとしても、切り捨てて進め。騒音など意に介すな」
 事もなげに。セクールスは言う。セクールスならきっとそうするだろう。何者に立ち向かわれても己を貫き、壁を砕き、やってみせるだろう。この苛烈で冷酷に見える教師ならば。全てを託せる予感が、する。
「……な、なら……俺、は……!」
「そうだ。意に介すなと『私が』言ったのだ。反論は許可しない」
 言いつのろうとするレーキをパイプの先で制して、セクールスは常と変わらず不機嫌そうに言い切った。
「……先、せ……っ」
「うるさい。泣き言を言うなら成功した後にしろ。……|面《・》|白《・》|い《・》。死の王の面前に|罷《まか》り出る、か。無茶を言う」
 セクールスの薄い唇が、カチンと音を立てるほどの強さでパイプの吸い口を噛む。その表情は苦虫を噛み潰したようで、それが『天王との謁見の法』の難しさをそのまま現しているようだった。
 この本の虫、膨大な知識を誇る教授を持ってしても、その法は無茶だというのか。
「……無茶な要求ほど|面《・》|白《・》|い《・》……私はお前に少し興味が湧いて来た。良いだろう。お前に『天王との謁見の法』を教えてやる。だがお前がその法を成功させるためにはまず王珠を手に入れるほか──天法士になるほか手立ては無い」
「……はい」
「やれるか? 出来るというならば私はお前のために少しばかり時間を使ってやる」
「……出来ます。やって見せます!」
 引き結んでいた唇からゆっくりと息を吐き出して、きっぱりとレーキは宣言する。
 迷うことなんて無かった。恐れることなんて無かった。たとえどんなことが、己の行く末に待ち受けているとしても。
 行きたいと思った道は、行かなくてはならない道はただ一つなのだから。
「……そういえば、お前、名はなんと言った? 覚える気のないモノは忘れてしまう質でな」
 それが癖なのかセクールスは自分の顎に手をやって、『赤の教室・|Ⅴ《ご》』を開いてから初めて、真剣にレーキを見てくれた。
「俺は……レーキです。レーキ・ヴァーミリオンと言います。セクールス先生」
 そう告げたレーキの表情は胸に生まれた決意に後押しされて、いつになく晴れやかだった。