まったくの他人へ

ー/ー



「そういえば、阿鷹って地元はこっちなんだっけ」

「ううん。私、中学の時にこっちに転校してきたんだ。だから初めてこの橋見たとき、凄すぎて感動したもん」

 実際、僕たちが今いるコンコースにも、昼間にはよくスマホやカメラを構えて写真を撮っている人がいる。最近では橋の麓に観光バスがよく停まるようになり、外国人の姿も目立つ。実際、吊り橋の規模としても世界最大級なのだそうだ。

 僕自身、生まれてから今日までずっとこの町で過ごしていて、この橋も日常の中に存在する風景の一部のような感覚だった。けれど、歳を重ねて少しずつ身の回りのこと以外にも目を向けられるようになると、この橋の存在感と、海を含めて一望できるロケーションの希少性を実感するようになった。

 僕は自分自身のことをきっとそこまで深く愛していないし、自分が送ってきた今日までの人生にそこまでの価値も感じていない。けれど、歳を重ねていくにつれて、この町のことをそれなりに大事に思う気持ちが増していく感覚があった。

「あっちの方から橋をバックに撮るといい感じにエモいんだよ」

 阿鷹瑚春が言うには橋の東側を海沿いに伸びる遊歩道に、写真を撮るスポットがあるらしい。駅からそこまでは国道を一本挟んでいるだけで徒歩で向かうことができたから、ひとまず僕たちはそこへ向かうことにした。

「てがみ君ってさ」

「うん?」

「独りで過ごすときってどうしてるの?」

「質問が漠然としすぎだろ」

「大変じゃない? 独りで過ごすのって。ボッチ歴三ヶ月ちょっとだけど、日々苦悩の連続だよ」

 コンコースから橋のふもとまで、国道を横切る形でかかっている歩道橋を渡りながら、僕たちはそんな話をする。海からの風は正面から僕たちに吹きつけてきて、阿鷹瑚春の下された髪の毛を派手に靡かせている。

「独りで過ごすつもりなら、独りで過ごすなりの考え方を身につける必要がある」

 と僕は向かい風に負けない声で言った。

「考え方って、例えば?」

「他人に期待しない。一人で楽しめることを見つける」

「切ないねー」

「それができないなら大人しく友達を作ることだ」

 僕の尊大な物言いがツボに入ったのか、阿鷹瑚春は声をあげて笑う。前方には橋の根元とも言える立派な橋脚が聳えていて、悠然と僕たちを待ち受けている。

「そんなてがみ君でも、私のことを手伝ってくれるんだね」

「まず第一に、俺は阿鷹に友情であったり見返りなんかを期待しているわけじゃない」
「なんていうか、そういうことを面と向かって言えちゃうのがボッチの強みって感じだね」

「考え方が逆だ。これくらいはっきり言えないとボッチってのは務まらない」

「なるほど」

 僕の適当な言葉に阿鷹瑚春はあっさりと納得してしまう。

「それに、楽しみってほどじゃないけど、阿鷹を返り咲かせることは俺にとっても意義のあることだから」

「たしか前に言ってたよね、陽キャ死すべしって」

「そこまで過激なこと言ったつもりはねえよ」

 たしか、とかいうわざとらしい保険のかけ方が小癪だ。案の定、僕がお手本のようなツッコミを入れると阿鷹瑚春はまた声をあげて笑った。どうやら彼女はこういった、漫才を交わすような予定調和的なやり取りを好んでいるらしい。

 そんな話をしているうちに、目的地であるフォトスポットに到着する。そこは砂浜にほど近い遊歩道で、夏場には海水浴場として人気がある。シーズンから外れた初春の夜でも、海っぺたというロケーションと、なによりライトアップされた橋を目当てに、それなりの数の人がいる。細かい年齢層はわからないけれど、僕たちとそこまで歳の離れている感じはしない。大抵はカップルか何人かのグループでそれぞれの世界を作り出している。

「阿鷹は人前でも踊れるのか?」

「えー……ちょっと恥ずかしいけど、暗いし顔もよく見えてないはずだからギリ大丈夫、かも」

 歯切れの悪い答えだった。

「そんなので本当にバズりを狙えるのか」

「リアルで見られる恥ずかしさをてがみ君は知らないんだよ」

 確かに僕はプレイヤー側の人間ではないので、そういう類の苦悩を突きつけられるとなんとも言えない。けれど、よく考えてみると、顔が見えていないとなると、阿鷹瑚春のビジュアルという一番の強みが発揮できていないということにならないだろうか?

 そんな嫌な予感というか懸念はあったけれど、阿鷹瑚春も周囲の人がはけてきたタイミングで「よし、てがみ君、撮ろう」と呼びかけてきたので、水を差すわけにもいかずに彼女から渡されたスマホを構えた。

 音楽は実際に流さずに、阿鷹瑚春が装着しているイヤホンから再生されている。無音の中ではあったけれど、動画撮影を開始している僕がキューを出すと、阿鷹瑚春は昼間に見せたステップに裏付けられた、それなりのクオリティのダンスを披露した。通行人の中には、スマホを向けられて無音にして無言で踊っている彼女にチラチラと視線を送る人もいたけれど、冷やかされたりすることもなかった。ショート動画全盛の今、こうして往来で動画を撮る行為というのはそこまで珍しいものではないんだろう。

「撮れた? 見せてよ」

 三十秒ほど踊ってから、阿鷹瑚春は荒い呼吸を整えながら僕のもとへと駆け寄ってスマホを覗き込んできた。これがもっと明るい場所で、彼女の顔がよく見えていたとしたら、僕ももっとわかりやすく緊張していたかもしれない。

 僕たちは顔を寄せ合いながらスマホのディスプレイを覗く。フォトスポットとして設定されているだけあって、橋を背景に写真を撮れる場所には地面にスポットライトが埋め込まれていて、どうにか阿鷹瑚春の表情も見えないことはない。けれど、やっぱり全体的に光量が足りない気がした。僕なんかよりもよっぽどショート動画に関しては目が肥えているであろう阿鷹瑚春も、あまり表情が優れない。

「これってさあ、変わらないよね」

「ああ。前の魂の熱唱動画と、クオリティ的にはほとんど変わらない」

「せっかくここまで来たのにー」

 と言って阿鷹瑚春はとうとうその場にしゃがみ込んでしまった。

 実際、例の学校で撮った動画と比較するとせいぜい画角がマシになった程度で、動画全体の雰囲気を左右する明るさはほとんど変わりない。編集ソフトで多少はマシになるのかもしれないけれど、仕上がりは実際にやってみないとなんとも言えない。

「とりあえず、この動画を家で編集してみるよ」

 と伝えるも、僕が気休め程度でしか言っていないことがわかっているのか彼女も「うん」と言葉少なに答えただけだった。

 ここに来るとき、僕たちの間にはなんだか正体の知れない些細な高揚感のようなものがあった。僕たちは、正しい方向へと間違いなく進んでいるのだと思っていた。写真映えするスポットでそれなりのダンスを踊れば、少なくともバズりのとっかかりくらいにはなるだろうという、安直な見立てが僕たちそれぞれの中にあったのかもしれない。

 駅までの道のりを、僕たちはまったくの無言で歩いた。行きとは違って追い風に背中を押されているはずなのに、なんだかひどく足取りは重かった。

「ごめんね、バイト終わりで疲れてるのにわざわざこんなことに付き合わせて」

「いや、別に」

 もっと気の利いた言葉を口にしたかったけれど、他に答えようがなかった。阿鷹瑚春を改札まで見送った別れ際、動画は頑張って編集してみることをもう一度伝えたけれど、彼女は「ありがと」とどこか疲れの滲む笑顔で口にしただけだった。
 阿鷹瑚春と別れて一人で自転車を走らせながら、僕ははっきりとこう感じていた。

 ――悔しい。

 思い通りの結果にならなかったことが悔しい。

 自分の見通しの甘さが悔しい。

 阿鷹瑚春を落胆させてしまったことが悔しい。

 本当は、僕の方こそ謝りたかった。偉そうなことを言っておきながら力になれずにごめん、と。それすら口にできなかったことが、やっぱり悔しい。

 悔しさ……そんな感情を覚えること自体、とても久しぶりのことだった。

 そして、まったくの他人のために悔しいと思えたのは、僕が記憶している限り生まれて初めてのことだった。



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「そういえば、阿鷹って地元はこっちなんだっけ」
「ううん。私、中学の時にこっちに転校してきたんだ。だから初めてこの橋見たとき、凄すぎて感動したもん」
 実際、僕たちが今いるコンコースにも、昼間にはよくスマホやカメラを構えて写真を撮っている人がいる。最近では橋の麓に観光バスがよく停まるようになり、外国人の姿も目立つ。実際、吊り橋の規模としても世界最大級なのだそうだ。
 僕自身、生まれてから今日までずっとこの町で過ごしていて、この橋も日常の中に存在する風景の一部のような感覚だった。けれど、歳を重ねて少しずつ身の回りのこと以外にも目を向けられるようになると、この橋の存在感と、海を含めて一望できるロケーションの希少性を実感するようになった。
 僕は自分自身のことをきっとそこまで深く愛していないし、自分が送ってきた今日までの人生にそこまでの価値も感じていない。けれど、歳を重ねていくにつれて、この町のことをそれなりに大事に思う気持ちが増していく感覚があった。
「あっちの方から橋をバックに撮るといい感じにエモいんだよ」
 阿鷹瑚春が言うには橋の東側を海沿いに伸びる遊歩道に、写真を撮るスポットがあるらしい。駅からそこまでは国道を一本挟んでいるだけで徒歩で向かうことができたから、ひとまず僕たちはそこへ向かうことにした。
「てがみ君ってさ」
「うん?」
「独りで過ごすときってどうしてるの?」
「質問が漠然としすぎだろ」
「大変じゃない? 独りで過ごすのって。ボッチ歴三ヶ月ちょっとだけど、日々苦悩の連続だよ」
 コンコースから橋のふもとまで、国道を横切る形でかかっている歩道橋を渡りながら、僕たちはそんな話をする。海からの風は正面から僕たちに吹きつけてきて、阿鷹瑚春の下された髪の毛を派手に靡かせている。
「独りで過ごすつもりなら、独りで過ごすなりの考え方を身につける必要がある」
 と僕は向かい風に負けない声で言った。
「考え方って、例えば?」
「他人に期待しない。一人で楽しめることを見つける」
「切ないねー」
「それができないなら大人しく友達を作ることだ」
 僕の尊大な物言いがツボに入ったのか、阿鷹瑚春は声をあげて笑う。前方には橋の根元とも言える立派な橋脚が聳えていて、悠然と僕たちを待ち受けている。
「そんなてがみ君でも、私のことを手伝ってくれるんだね」
「まず第一に、俺は阿鷹に友情であったり見返りなんかを期待しているわけじゃない」
「なんていうか、そういうことを面と向かって言えちゃうのがボッチの強みって感じだね」
「考え方が逆だ。これくらいはっきり言えないとボッチってのは務まらない」
「なるほど」
 僕の適当な言葉に阿鷹瑚春はあっさりと納得してしまう。
「それに、楽しみってほどじゃないけど、阿鷹を返り咲かせることは俺にとっても意義のあることだから」
「たしか前に言ってたよね、陽キャ死すべしって」
「そこまで過激なこと言ったつもりはねえよ」
 たしか、とかいうわざとらしい保険のかけ方が小癪だ。案の定、僕がお手本のようなツッコミを入れると阿鷹瑚春はまた声をあげて笑った。どうやら彼女はこういった、漫才を交わすような予定調和的なやり取りを好んでいるらしい。
 そんな話をしているうちに、目的地であるフォトスポットに到着する。そこは砂浜にほど近い遊歩道で、夏場には海水浴場として人気がある。シーズンから外れた初春の夜でも、海っぺたというロケーションと、なによりライトアップされた橋を目当てに、それなりの数の人がいる。細かい年齢層はわからないけれど、僕たちとそこまで歳の離れている感じはしない。大抵はカップルか何人かのグループでそれぞれの世界を作り出している。
「阿鷹は人前でも踊れるのか?」
「えー……ちょっと恥ずかしいけど、暗いし顔もよく見えてないはずだからギリ大丈夫、かも」
 歯切れの悪い答えだった。
「そんなので本当にバズりを狙えるのか」
「リアルで見られる恥ずかしさをてがみ君は知らないんだよ」
 確かに僕はプレイヤー側の人間ではないので、そういう類の苦悩を突きつけられるとなんとも言えない。けれど、よく考えてみると、顔が見えていないとなると、阿鷹瑚春のビジュアルという一番の強みが発揮できていないということにならないだろうか?
 そんな嫌な予感というか懸念はあったけれど、阿鷹瑚春も周囲の人がはけてきたタイミングで「よし、てがみ君、撮ろう」と呼びかけてきたので、水を差すわけにもいかずに彼女から渡されたスマホを構えた。
 音楽は実際に流さずに、阿鷹瑚春が装着しているイヤホンから再生されている。無音の中ではあったけれど、動画撮影を開始している僕がキューを出すと、阿鷹瑚春は昼間に見せたステップに裏付けられた、それなりのクオリティのダンスを披露した。通行人の中には、スマホを向けられて無音にして無言で踊っている彼女にチラチラと視線を送る人もいたけれど、冷やかされたりすることもなかった。ショート動画全盛の今、こうして往来で動画を撮る行為というのはそこまで珍しいものではないんだろう。
「撮れた? 見せてよ」
 三十秒ほど踊ってから、阿鷹瑚春は荒い呼吸を整えながら僕のもとへと駆け寄ってスマホを覗き込んできた。これがもっと明るい場所で、彼女の顔がよく見えていたとしたら、僕ももっとわかりやすく緊張していたかもしれない。
 僕たちは顔を寄せ合いながらスマホのディスプレイを覗く。フォトスポットとして設定されているだけあって、橋を背景に写真を撮れる場所には地面にスポットライトが埋め込まれていて、どうにか阿鷹瑚春の表情も見えないことはない。けれど、やっぱり全体的に光量が足りない気がした。僕なんかよりもよっぽどショート動画に関しては目が肥えているであろう阿鷹瑚春も、あまり表情が優れない。
「これってさあ、変わらないよね」
「ああ。前の魂の熱唱動画と、クオリティ的にはほとんど変わらない」
「せっかくここまで来たのにー」
 と言って阿鷹瑚春はとうとうその場にしゃがみ込んでしまった。
 実際、例の学校で撮った動画と比較するとせいぜい画角がマシになった程度で、動画全体の雰囲気を左右する明るさはほとんど変わりない。編集ソフトで多少はマシになるのかもしれないけれど、仕上がりは実際にやってみないとなんとも言えない。
「とりあえず、この動画を家で編集してみるよ」
 と伝えるも、僕が気休め程度でしか言っていないことがわかっているのか彼女も「うん」と言葉少なに答えただけだった。
 ここに来るとき、僕たちの間にはなんだか正体の知れない些細な高揚感のようなものがあった。僕たちは、正しい方向へと間違いなく進んでいるのだと思っていた。写真映えするスポットでそれなりのダンスを踊れば、少なくともバズりのとっかかりくらいにはなるだろうという、安直な見立てが僕たちそれぞれの中にあったのかもしれない。
 駅までの道のりを、僕たちはまったくの無言で歩いた。行きとは違って追い風に背中を押されているはずなのに、なんだかひどく足取りは重かった。
「ごめんね、バイト終わりで疲れてるのにわざわざこんなことに付き合わせて」
「いや、別に」
 もっと気の利いた言葉を口にしたかったけれど、他に答えようがなかった。阿鷹瑚春を改札まで見送った別れ際、動画は頑張って編集してみることをもう一度伝えたけれど、彼女は「ありがと」とどこか疲れの滲む笑顔で口にしただけだった。
 阿鷹瑚春と別れて一人で自転車を走らせながら、僕ははっきりとこう感じていた。
 ――悔しい。
 思い通りの結果にならなかったことが悔しい。
 自分の見通しの甘さが悔しい。
 阿鷹瑚春を落胆させてしまったことが悔しい。
 本当は、僕の方こそ謝りたかった。偉そうなことを言っておきながら力になれずにごめん、と。それすら口にできなかったことが、やっぱり悔しい。
 悔しさ……そんな感情を覚えること自体、とても久しぶりのことだった。
 そして、まったくの他人のために悔しいと思えたのは、僕が記憶している限り生まれて初めてのことだった。