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第七十八話「偽りの勝利」

ー/ー



 レースから数日経ったというのに、クロエの心は全く晴れなかった。

 烈風ジムの調教コース脇、朝靄に煙るコースを見つめながら、クロエは重たい吐息をついた。薄紫の髪が凛とした顔立ちに沿って揺れる。

(……勝ったのに……)

 アースエコノミーニューイヤーカップ。

 フリアノンを差し切り、ゴール板を先に駆け抜けた瞬間のことは、今も鮮明に思い出せる。観客の大歓声。ヴェルナーの「よくやった」という低い声。そして、沸き上がる達成感。

 でも。

(あれは……わたしの力じゃない……)

 フリアノンが気を取られていたのを知っている。

 リュミエルが突然、頭痛を訴えて競争中止になったとき、フリアノンの走りが一瞬、止まった。あの隙がなければ、自分は差し切れていなかった。

(悔しい……)

 勝ったはずなのに、心は空っぽだった。

「……おい、クロエ」

 背後からヴェルナーの声がした。振り向くと、調教師たちと話を終えたヴェルナーがこちらへ歩いてくる。黒いコートを羽織り、冷たい風の中でも背筋は真っ直ぐだった。

「何を沈んだ顔をしている。次の調教メニューを確認するぞ」

「……はい」

 クロエは答えるが、視線はすぐに下を向いてしまう。

 ヴェルナーはため息をつき、隣に並ぶとコースの向こうを見つめた。

「……納得できないのか」

「……」

「フリアノンが気を取られていなければ、勝てなかった。そう思っているな?」

 図星だった。クロエは悔しさで唇を噛んだ。

 ヴェルナーはふっと笑った。

「いいじゃないか、それで」

「……え?」

「悔しさを忘れるな。お前はあの子を抜いた。たとえそれが万全の状態ではなかったとしても、結果は結果だ。だが、それで満足できないなら――次は正面から叩き潰してみろ」

 ヴェルナーの瞳は鋭かった。静かな炎が、その奥で燃えていた。

 クロエは胸の奥が熱くなるのを感じた。

(……そうだ……)

 わたしは、勝ちたいんじゃない。

 フリアノンを、正面から超えたいんだ。

 気を取られていない、万全のフリアノンを。

 それを打ち破ってこそ、わたしの誇りになる。

「……はい、ヴェルナーさん」

 クロエは顔を上げた。冬の朝日が昇り始め、冷たい空気を黄金色に染めていく。

 悔しさは消えない。

 でも、それは同時に、自分を強くする炎だと知っている。

(待ってて、フリアノン……次は絶対、わたしが……)

 遠くで、調教を始めた他のサイドールたちの足音が響いていた。


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 レースから数日経ったというのに、クロエの心は全く晴れなかった。
 烈風ジムの調教コース脇、朝靄に煙るコースを見つめながら、クロエは重たい吐息をついた。薄紫の髪が凛とした顔立ちに沿って揺れる。
(……勝ったのに……)
 アースエコノミーニューイヤーカップ。
 フリアノンを差し切り、ゴール板を先に駆け抜けた瞬間のことは、今も鮮明に思い出せる。観客の大歓声。ヴェルナーの「よくやった」という低い声。そして、沸き上がる達成感。
 でも。
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 フリアノンが気を取られていたのを知っている。
 リュミエルが突然、頭痛を訴えて競争中止になったとき、フリアノンの走りが一瞬、止まった。あの隙がなければ、自分は差し切れていなかった。
(悔しい……)
 勝ったはずなのに、心は空っぽだった。
「……おい、クロエ」
 背後からヴェルナーの声がした。振り向くと、調教師たちと話を終えたヴェルナーがこちらへ歩いてくる。黒いコートを羽織り、冷たい風の中でも背筋は真っ直ぐだった。
「何を沈んだ顔をしている。次の調教メニューを確認するぞ」
「……はい」
 クロエは答えるが、視線はすぐに下を向いてしまう。
 ヴェルナーはため息をつき、隣に並ぶとコースの向こうを見つめた。
「……納得できないのか」
「……」
「フリアノンが気を取られていなければ、勝てなかった。そう思っているな?」
 図星だった。クロエは悔しさで唇を噛んだ。
 ヴェルナーはふっと笑った。
「いいじゃないか、それで」
「……え?」
「悔しさを忘れるな。お前はあの子を抜いた。たとえそれが万全の状態ではなかったとしても、結果は結果だ。だが、それで満足できないなら――次は正面から叩き潰してみろ」
 ヴェルナーの瞳は鋭かった。静かな炎が、その奥で燃えていた。
 クロエは胸の奥が熱くなるのを感じた。
(……そうだ……)
 わたしは、勝ちたいんじゃない。
 フリアノンを、正面から超えたいんだ。
 気を取られていない、万全のフリアノンを。
 それを打ち破ってこそ、わたしの誇りになる。
「……はい、ヴェルナーさん」
 クロエは顔を上げた。冬の朝日が昇り始め、冷たい空気を黄金色に染めていく。
 悔しさは消えない。
 でも、それは同時に、自分を強くする炎だと知っている。
(待ってて、フリアノン……次は絶対、わたしが……)
 遠くで、調教を始めた他のサイドールたちの足音が響いていた。