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14.

ー/ー



「なんか、ごめんな、うちのばあちゃんが」

「ううん、大丈夫だよ」

 東京の人混みと何が違うのか、田舎の人混みを歩くのは大変だった。はぐれないように注意しながら、俺は美咲と並んで歩きながら打ち上げ会場を目指していた。

「すごい、人だね」

「ああ、普段からは想像もつかないよな」

 さっきよりも人が増えている気がする。この小さな田舎町に、こんなに人がたくさん住んでいたなんてとても信じられない気持ちだ。

 打ち上げ会場が近づいてくるにつれて、どんどん人が増え、会話するどころではなくなってきた。同時に公園側とは違う、目に痛いほどの光が防砂林の向こうに透けて見えてきた。

「あ、こっち」

 防砂林を抜けていく道の手前の、ちょっと広くなったスペースに赤く四角い缶の灰皿が五、六個置いてあった。俺は咄嗟に美咲の手を引いて、人の波から抜け出した。

 喫煙スペースは、若いカップルでひしめきあっていた。浴衣と私服と半々くらいだろうか。誰もが祭りの雰囲気に、顔をほころばせている。公園側は、家族連れや年寄りが多かったけど、こっちは全然違うんだな。

「あ、優斗、くん」

 恥ずかしそうに言う美咲の声でハッとする。

「あっ、ごめん、つい、はぐれそうで」

 パッと手を離してしどろもどろに説明する俺。

「あ、あっち人少ないから、あっちに」

 俺はそう言いながら、もう煙草に火を点けていた。これが吸わずにいられるか。早く気を紛らわせたくて仕方ない。

 林に一番近い灰皿の側は、打ち上げ会場である海側の活気が漏れ聞こえていた。テキヤの発電機が唸る音や、楽しそうな声の渦、様々な食べ物の匂いも風に運ばれて届いていた。

 海の、潮の味と、煙草の煙。落ち着けと自分に言い聞かせる。

「ケホ……」

 隣で美咲が小さく咳をした。

「ご、ごめん。煙かったよね」

 美咲は煙草屋で煙草を売っているけど、多分煙草を吸わない。屋外で海風があるとはいえ、喫煙所で大量の煙を浴びるのは苦痛に違いない。俺は申し訳ない気持ちになった。

「ううん、大丈夫」

「もうちょっと待ってて」

「違うの、人が多くて、ちょっと、びっくりしたっていうか」

 困ったような顔で美咲が言った。

「いつもの町からは想像できない人出だもんな」

「うん、ここでも、こんなに人多いんだなって」

「そうだよな。……人混み、苦手なのか? 苦手なら戻る?」

「え、でもおばあちゃんに焼きそば、頼まれちゃったし」

 美咲は真面目に答えた。

「そんなのは適当に理由つけてごめんって言っとけばいいよ」

「ん……」

「じゃあ、戻ろうか?」

 俺は煙草をもみ消し、最後の煙を吐き出しながら言った。

「あの、でも、お祭り見てみたいのは、本当なの」

「そっか。うーん、じゃあしんどくなったらすぐ戻ることにして、行けるとこまで行ってみる?」

「うん、そう、したい」

「おっけ。じゃ行こうか」

 俺が歩き出そうとすると、くいっと袖に重さが乗った。

 振り返ると美咲が俺の浴衣の袖をギュッと握っていた。薄暗い中でもわかるくらい、顔を真っ赤にしている。

「はぐ、はぐれないように、掴んでて、いい?」

 ものすごく恥ずかしそうに言う美咲。その言い方に俺まで恥ずかしくなってくる。浴衣姿で大人っぽいのに、それとは反対の子供っぽい言い方に心臓がドキドキと速くなる。

「てっ、手、そっちの方が、はぐれないから」

 『もっとスマートにやんな』と呆れたばあちゃんの声が聞こえるようだ。うるさいうるさい。女の子と、こんなふうになったことなんかないんだから仕方ないだろ。

 美咲から返事はない。でもそっと手を握ると、ぎゅっと握り返してきた。

「い、行こうか」

 声が裏返っていないと言い張りたい。いやむしろ、この雑踏で掻き消えて届いてないと思い込みたい。

 握る美咲の手は小さくて細かった。握りしめたら壊してしまいそうで、力の加減がよくわからなくなる。

「うわ」

 自分の心臓音を聞きながら人の流れに紛れて海側に出た俺の口から、思わず声が漏れた。

 防砂林に張り付くようにして、ずらりと向こう側までテキヤがびっしり並んでいる。昼間よりも明るい白っぽい光にビカビカと照らされて、たくさんの人の姿が浮かび上がっていた。

 波の音が聞こえないくらいの人の声、声、声。鉄板をヘラがこする音や、かき氷を削る音、等間隔に置いてある発電機の音が合いの手のように響いている。

「気合入ってるなぁ。こんなにテキヤが並んで、人もこんなに多くて」

 人っ子一人歩いていない海岸線がこんなことになるとは思ってもいなかった。花火大会というのは、この町の人にとって超一大イベントなんだろう。

 俺は少し興奮気味に言いながら、美咲を見た。美咲は今にも倒れそうに、苦しそうにしていた。

「だ、大丈夫? ちょっとこっち、歩ける?」

「う、ん」

 テキヤへと流れていく人の列から外れ、反対側の人気(ひとけ)の少ない方へ美咲を連れて行く。海へと伸びる堤防沿いにちょうどいい流木らしき影があったので、ひとまずそこに美咲を座らせることにした。

「少し休もう」

 人の波から外れただけで、急に潮風が通り抜けるようになった。人の熱気や声を向こう側へ追いやり、涼しい空気を運んできてくれる。辺りはもうほとんど真っ暗で、いつの間にか時間が経っていたことに今更気がついた。

「なにか飲む? 買ってくるよ」

「だ、大丈夫」

「でもしんどそうだし。さっき自販機あったよね、すぐ戻るから」

「……うん」

 俺は走って来た道を戻った。目指すは会場入り口にあった喫煙所。反対側に自販機が三台ほど並んでいたはずだ。

「すいません、ごめんなさい」

 人混みをかき分け、ようやく自販機の前に辿り着く。

「うわ、まじか」

 記憶の通り三台並んでいた自販機はほとんどの商品が売り切れていた。かろうじて残っていた水を押すと、売り切れの表示に変わった。どうやら最後の一本だったらしい。

 ガコンと音を立てて落ちてきた水を手に取り、また海岸を目指そうという時。

 ドーーーン!!!!!!

 物凄い地響きと共に大きな音がした。ほとんど同時に歓声も聞こえてきた。

 どうやら花火が上がってしまったらしい。

 急いで美咲の元に戻ると、正面の海から上がる大きな花火に見とれているところだった。

「遅くなってごめん」

 買って来た水を手渡して、隣に座った。

「あ、ありがとう、花火、はじまったよ」

「すっごい迫力だな」

 広々とした空に咲いていく花火が、こんなにも綺麗だと思うとは。

「東京で、見てた花火と、なんか違って見える」

「確かに」

「私も、東京に、住んでたんだ」

「なんとなく、そんな気がしてた。ここが地元じゃないって言ってたし」

「うん」

 美咲は水を開けて一口飲んだ。

「ここは、息がしやすいね」

「俺もそう思う」

「私ね、嬉しかったの。優斗くんが、たくさん話しかけてくれて」

「あ、あれは、独り言っていうか」

「それでもよかったの。ひとりぼっちで、どうしていいかわからなかったから」

 今思えば、俺もあの頃はそうだったのかもしれない。

「最近は、毎日がわくわくするの。おかしいよね、何もない町なのに」

 赤や白や緑や青の花火の灯りに照らされた美咲の顔は、今まで見た中で一番きれいだった。

「今日も、本当は、人がたくさんいるの、怖かったけど、がんばってよかった」

 美咲はそう言って、にっこりと微笑んだ。

 次々に夜空へ浮かび上がる、様々な光の花々。それはさぞ美しいものだったのだろう。でも俺は、美咲の顔から目が離せないでいた。美咲の顔を眺めていたかった。

「花火も、まだ見ていたいけど、おばあちゃんに頼まれた焼きそば、買いに行かなくちゃね」

 そう言って俺のことをまっすぐ見る美咲。少しだけ汗ばんだ白い額に張り付いた前髪を、俺はそっと撫でた。

 暗闇と刹那の光が交互にやってくる。美咲の向こう側には、ばあちゃんたちがいる公園の明かりがうっすらと見える。だけど、大きな花火の咲く音や、波が打ち寄せる音、風が吹き抜ける音、たくさんの人の声なんかは、俺の耳には届かなかった。

 ただ、キラキラと光を反射する、美咲の大きな瞳がきれいだった。俺はその瞳に飲み込まれた。


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「なんか、ごめんな、うちのばあちゃんが」
「ううん、大丈夫だよ」
 東京の人混みと何が違うのか、田舎の人混みを歩くのは大変だった。はぐれないように注意しながら、俺は美咲と並んで歩きながら打ち上げ会場を目指していた。
「すごい、人だね」
「ああ、普段からは想像もつかないよな」
 さっきよりも人が増えている気がする。この小さな田舎町に、こんなに人がたくさん住んでいたなんてとても信じられない気持ちだ。
 打ち上げ会場が近づいてくるにつれて、どんどん人が増え、会話するどころではなくなってきた。同時に公園側とは違う、目に痛いほどの光が防砂林の向こうに透けて見えてきた。
「あ、こっち」
 防砂林を抜けていく道の手前の、ちょっと広くなったスペースに赤く四角い缶の灰皿が五、六個置いてあった。俺は咄嗟に美咲の手を引いて、人の波から抜け出した。
 喫煙スペースは、若いカップルでひしめきあっていた。浴衣と私服と半々くらいだろうか。誰もが祭りの雰囲気に、顔をほころばせている。公園側は、家族連れや年寄りが多かったけど、こっちは全然違うんだな。
「あ、優斗、くん」
 恥ずかしそうに言う美咲の声でハッとする。
「あっ、ごめん、つい、はぐれそうで」
 パッと手を離してしどろもどろに説明する俺。
「あ、あっち人少ないから、あっちに」
 俺はそう言いながら、もう煙草に火を点けていた。これが吸わずにいられるか。早く気を紛らわせたくて仕方ない。
 林に一番近い灰皿の側は、打ち上げ会場である海側の活気が漏れ聞こえていた。テキヤの発電機が唸る音や、楽しそうな声の渦、様々な食べ物の匂いも風に運ばれて届いていた。
 海の、潮の味と、煙草の煙。落ち着けと自分に言い聞かせる。
「ケホ……」
 隣で美咲が小さく咳をした。
「ご、ごめん。煙かったよね」
 美咲は煙草屋で煙草を売っているけど、多分煙草を吸わない。屋外で海風があるとはいえ、喫煙所で大量の煙を浴びるのは苦痛に違いない。俺は申し訳ない気持ちになった。
「ううん、大丈夫」
「もうちょっと待ってて」
「違うの、人が多くて、ちょっと、びっくりしたっていうか」
 困ったような顔で美咲が言った。
「いつもの町からは想像できない人出だもんな」
「うん、ここでも、こんなに人多いんだなって」
「そうだよな。……人混み、苦手なのか? 苦手なら戻る?」
「え、でもおばあちゃんに焼きそば、頼まれちゃったし」
 美咲は真面目に答えた。
「そんなのは適当に理由つけてごめんって言っとけばいいよ」
「ん……」
「じゃあ、戻ろうか?」
 俺は煙草をもみ消し、最後の煙を吐き出しながら言った。
「あの、でも、お祭り見てみたいのは、本当なの」
「そっか。うーん、じゃあしんどくなったらすぐ戻ることにして、行けるとこまで行ってみる?」
「うん、そう、したい」
「おっけ。じゃ行こうか」
 俺が歩き出そうとすると、くいっと袖に重さが乗った。
 振り返ると美咲が俺の浴衣の袖をギュッと握っていた。薄暗い中でもわかるくらい、顔を真っ赤にしている。
「はぐ、はぐれないように、掴んでて、いい?」
 ものすごく恥ずかしそうに言う美咲。その言い方に俺まで恥ずかしくなってくる。浴衣姿で大人っぽいのに、それとは反対の子供っぽい言い方に心臓がドキドキと速くなる。
「てっ、手、そっちの方が、はぐれないから」
 『もっとスマートにやんな』と呆れたばあちゃんの声が聞こえるようだ。うるさいうるさい。女の子と、こんなふうになったことなんかないんだから仕方ないだろ。
 美咲から返事はない。でもそっと手を握ると、ぎゅっと握り返してきた。
「い、行こうか」
 声が裏返っていないと言い張りたい。いやむしろ、この雑踏で掻き消えて届いてないと思い込みたい。
 握る美咲の手は小さくて細かった。握りしめたら壊してしまいそうで、力の加減がよくわからなくなる。
「うわ」
 自分の心臓音を聞きながら人の流れに紛れて海側に出た俺の口から、思わず声が漏れた。
 防砂林に張り付くようにして、ずらりと向こう側までテキヤがびっしり並んでいる。昼間よりも明るい白っぽい光にビカビカと照らされて、たくさんの人の姿が浮かび上がっていた。
 波の音が聞こえないくらいの人の声、声、声。鉄板をヘラがこする音や、かき氷を削る音、等間隔に置いてある発電機の音が合いの手のように響いている。
「気合入ってるなぁ。こんなにテキヤが並んで、人もこんなに多くて」
 人っ子一人歩いていない海岸線がこんなことになるとは思ってもいなかった。花火大会というのは、この町の人にとって超一大イベントなんだろう。
 俺は少し興奮気味に言いながら、美咲を見た。美咲は今にも倒れそうに、苦しそうにしていた。
「だ、大丈夫? ちょっとこっち、歩ける?」
「う、ん」
 テキヤへと流れていく人の列から外れ、反対側の人気《ひとけ》の少ない方へ美咲を連れて行く。海へと伸びる堤防沿いにちょうどいい流木らしき影があったので、ひとまずそこに美咲を座らせることにした。
「少し休もう」
 人の波から外れただけで、急に潮風が通り抜けるようになった。人の熱気や声を向こう側へ追いやり、涼しい空気を運んできてくれる。辺りはもうほとんど真っ暗で、いつの間にか時間が経っていたことに今更気がついた。
「なにか飲む? 買ってくるよ」
「だ、大丈夫」
「でもしんどそうだし。さっき自販機あったよね、すぐ戻るから」
「……うん」
 俺は走って来た道を戻った。目指すは会場入り口にあった喫煙所。反対側に自販機が三台ほど並んでいたはずだ。
「すいません、ごめんなさい」
 人混みをかき分け、ようやく自販機の前に辿り着く。
「うわ、まじか」
 記憶の通り三台並んでいた自販機はほとんどの商品が売り切れていた。かろうじて残っていた水を押すと、売り切れの表示に変わった。どうやら最後の一本だったらしい。
 ガコンと音を立てて落ちてきた水を手に取り、また海岸を目指そうという時。
 ドーーーン!!!!!!
 物凄い地響きと共に大きな音がした。ほとんど同時に歓声も聞こえてきた。
 どうやら花火が上がってしまったらしい。
 急いで美咲の元に戻ると、正面の海から上がる大きな花火に見とれているところだった。
「遅くなってごめん」
 買って来た水を手渡して、隣に座った。
「あ、ありがとう、花火、はじまったよ」
「すっごい迫力だな」
 広々とした空に咲いていく花火が、こんなにも綺麗だと思うとは。
「東京で、見てた花火と、なんか違って見える」
「確かに」
「私も、東京に、住んでたんだ」
「なんとなく、そんな気がしてた。ここが地元じゃないって言ってたし」
「うん」
 美咲は水を開けて一口飲んだ。
「ここは、息がしやすいね」
「俺もそう思う」
「私ね、嬉しかったの。優斗くんが、たくさん話しかけてくれて」
「あ、あれは、独り言っていうか」
「それでもよかったの。ひとりぼっちで、どうしていいかわからなかったから」
 今思えば、俺もあの頃はそうだったのかもしれない。
「最近は、毎日がわくわくするの。おかしいよね、何もない町なのに」
 赤や白や緑や青の花火の灯りに照らされた美咲の顔は、今まで見た中で一番きれいだった。
「今日も、本当は、人がたくさんいるの、怖かったけど、がんばってよかった」
 美咲はそう言って、にっこりと微笑んだ。
 次々に夜空へ浮かび上がる、様々な光の花々。それはさぞ美しいものだったのだろう。でも俺は、美咲の顔から目が離せないでいた。美咲の顔を眺めていたかった。
「花火も、まだ見ていたいけど、おばあちゃんに頼まれた焼きそば、買いに行かなくちゃね」
 そう言って俺のことをまっすぐ見る美咲。少しだけ汗ばんだ白い額に張り付いた前髪を、俺はそっと撫でた。
 暗闇と刹那の光が交互にやってくる。美咲の向こう側には、ばあちゃんたちがいる公園の明かりがうっすらと見える。だけど、大きな花火の咲く音や、波が打ち寄せる音、風が吹き抜ける音、たくさんの人の声なんかは、俺の耳には届かなかった。
 ただ、キラキラと光を反射する、美咲の大きな瞳がきれいだった。俺はその瞳に飲み込まれた。