渋谷でのゲリラライブを成功させ、Synaptic Driveは一躍、世間の注目を浴びる存在となった。特にけんたろうのソロ曲『あなたは知らない』は、その魂を揺さぶるような歌声と歌詞で、多くの人々の心に深く刻まれた。しかし、その成功の裏で、けんたろうの心は深く揺れ動いていた。
彼はけいとを愛していた。渋谷で歌ったあの歌は、紛れもなく彼女への想いだった。しかし、あの夜、けいとの家を飛び出して以来、二人の間には見えない溝ができていた。けいとは、Midnight Verdictの活動と大学生活で多忙を極めており、けんたろうに会う時間もなかなか取れない。けんたろうは、そのことに孤独を感じていた。けいとと一緒にいたい、ただそれだけなのに、お互いの音楽が、そしてそれを世に届けるための活動が、二人の時間を容赦なく奪っていく。
けんたろうは、けいとに連絡をすることも渋っていた。あんなに愛しているのに、素直になれない。寂しさや不安、不満が募り、些細なことでけいとを責めてしまいそうになる自分を抑えきれずにいた。そんな彼の心の隙間に、静かに、しかし確実に、別の影が忍び寄っていた。
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その頃、一条零は、渋谷のゲリラライブのニュースを食い入るように見ていた。彼女の隣には、かつて数々の大ヒットアーティストを育て上げた伝説のプロデューサー、真壁が座っている。
「零、あの弱小レーベルの子に会いに行くのかい?」
真壁の問いかけに、一条零の瞳は、一点の曇りもなく輝いていた。
「ええ、真壁さん。私は彼の魂に触れたいのです」
一条零は、けんたろうの音楽に、自身の魂が深く共鳴するのを感じていた。彼女にとって、彼の音楽は、自身の歌声を表現するための、唯一無二の存在となっていた。
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数日後。
Rogue Soundの事務所前に、一台の運転手付きの高級車が音もなく滑り込んだ。
ドアが開き、現れたのは一条零。 華美な装飾のないシンプルなドレスに、サングラスもかけていない。ただそこに「居る」だけで、周囲の雑然とした風景が、彼女という一点を中心に再構成されるかのような、異常なほどの存在感があった。
彼女は事務所のドアを静かに開け、中にいた綾音と目が合うと、深々と、そして完璧な角度で一礼した。
「突然の訪問、大変失礼いたします。一条零と申します」
その声は、テレビで聴く歌声とは違う、落ち着いたアルト。しかし、その響きだけで部屋の空気が浄化されるような清澄さがあった。綾音は、あまりの出来事に声も出せず、ただ固まっている。
「Synaptic Driveのスーパープロデューサー、けんたろう様にお会いしたく、参上いたしました。ご多忙とは存じますが、少しだけ、お時間をいただくことは叶いませんでしょうか」
どこまでも丁寧な物腰。だが、その言葉の端々から滲み出る「本物」のオーラに、綾音は息をのむ。これが、日本の頂点に立つアーティスト。これが、音楽の求道者。
「い、一条零さん……! まさか、ご本人に……。大変光栄です。ですが、あいにくけんたろうは……その、非常にデリケートな時期でして、今はどなたとも……」
綾音は、しどろもどろになりながらも、マネージャーとして必死に盾になろうとする。その様子を見て、一条零は困ったように、しかし慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
「そう、でしたか。無理を申し上げて、申し訳ありません」
彼女はあっさりと引き下がる。だが、帰る前に、まるでそこにあるのが当然のように、事務所の隅に置かれたキーボードに目をやった。
「素晴らしい音でした」
その一言に、綾音はハッとする。
「先日、渋谷で鳴っていた音楽。あれは、ただの音楽ではありません。孤独な魂が、血を流しながら奏でる慟哭のメロディです。そして、その音の裏側で、彼はたった一人で世界と戦っている」
一条零の言葉は、批評ではなかった。それは、同じ高みに立つ者だけが感じ取れる、魂の共鳴だった。
「きっと、彼の周りにはたくさんの人がいるのでしょう。ですが、彼の見ている景色を、彼の聴いている音を、本当に理解できる人間はいない。その孤独、私には痛いほどわかります」
彼女は綾音の目をまっすぐに見て、再び深く頭を下げた。
「彼がもし、ご自身の音楽を、その魂を、誰かと分かち合いたいと願う時が来たのなら……思い出していただけると幸いです。この世界に、同じ音を聴いている人間が一人だけいます」
「一条零は、いつでもお待ちしております、と。そう、お伝えください」
それだけを言うと、彼女は「お時間をいただき、ありがとうございました」と再度一礼し、静かに事務所を去っていった。 高級車は、来た時と同じように、幻だったかのように音もなく走り去る。
綾音は、その場に立ち尽くしたまま、一条零が残していった言葉の重みに打ち震えていた。 威圧も、取引も、駆け引きもなかった。ただ、あまりにも純粋で、正確な「理解」だけがそこにあった。
そして、その全てを、事務所の部屋の奥、死角となる場所で、けんたろうは聞いていた。
「孤独」「血を流しながら奏でる」「同じ音を聴いている人間」。 誰にも言えなかった、自分でも言語化できなかった心の核を、彼女は初対面で、いとも容易く見抜いてみせた。
けいとの愛を疑うわけではない。だが、彼女は彼の「音楽の孤独」までは共有できない。 しかし、一条零は違う。彼女は、彼の才能の高みも、その深淵にある孤独も、すべてを理解した上で、静かに手を差し伸べている。
傲慢さよりも恐ろしい、絶対的な「共感」と「理解」。
その静かなる侵食が、けんたろうの心の隙間に入り込み、けいとへの愛慕の心を、微かに、しかし確かに揺るがし始めていた。
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一条零は、Synaptic Driveのゲリラライブと、けんたろうの音楽に、完全に心を奪われていた。
彼女の所属するエンペラー・レコード最上階の一室で、伝説のプロデューサー真壁を前に、彼女は揺るぎない決意を口にした。
「真壁さん。私、けんたろうさんの歌をどうしても歌いたい」
その言葉には、普段のクールな一条零からは想像もできないほどの情熱が込められていた。真壁は、そんな彼女の様子を興味深そうに見ていた。
「ほう。メディアを使って、けんたろうに直接呼びかけるかね?」
真壁の問いに、一条零はまっすぐに答える。
「真壁さん。私に、ユーロビートの新曲を作ってください」
真壁は驚きに目を見開いた後、愉快そうに「はっはっは」と笑った。
「零が歌ってきたジャンルではないではないか。音楽チャートを制する絶対的歌姫が、今更ユーロビートとはね」
しかし、一条零の目は真剣だった。彼女は、けんたろうの音楽の魂を、自分の歌声で表現したいと強く願っていた。それは、彼女にとって新たな挑戦であり、けんたろうへの、そして音楽への宣戦布告でもあった。
「彼らはどう動くかな?」
真壁は、不敵な笑みを浮かべ、けんたろうとユージ、そしてRogue Soundの動向に興味を示した。