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猫の手を借りる

ー/ー



 令和日本に似た箱庭世界、幻想怪異発生特別区――通称「特区」。その治安を守る西地区警備署には今日も様々な依頼が降りかかる――。

「うろこ雲の魚を落としちゃってぇ……」

 カウンターから奥を覗き込んで、あのぉーと警備署に来たのは困ったそぶりの『網』だった。魚臭い白いTシャツの上にしょぼくれた『網』の頭が垂れている。

「うろこ雲を、落とした」
「あ、わざとじゃないんですよ! 事故なんです! 事故!」

 遺失物課には毎日届け出が発生する。ランドセルの中で消えたお弁当箱や、胃の中に溶けたコーラの炭酸、昨日倒してしまった祠の行方まで、軽重さまざまの事件を受理して解決するのが遺失物課の仕事である。

 慌てて自身の落ち度を否定し始めた『網頭』が話す状況はこうだ。

 今日はいわし雲が大群で泳いでいたために漁師の『網頭』としても張り切らざるを得なかった。張りきったために獲ったいわし雲が網から溢れ、慌ててそれを拾おうとしたら、今度は底が破れていわし雲が飛び出していってしまったらしい。

 なるほど、確かに『網』の底には大きな穴が開いていた(遺失物課署員には、うなだれていたため見えなかった)。

「秋の雲は多いと言いますけれど、いわし雲で、しかも大群はここ最近いなかったんです。こっちも商売で漁をしているわけですから、無理しちゃったわけですけど……、お願いです! 落ちちゃったいわし雲を探してください!」

 本日の空は快晴。しかし、朝までは薄く雲が空を覆っていたはずだ。そのすべてがいわし雲で、それを特区全域に落としたとあれば、少々西地区警備署には荷が重い。

「わかりました。すぐに、捜索の手配をします」
「できそうですか!?」
「善処します。ただ、今回は猫の手を借りようと思います」
「猫の手を?」
「はい。猫の手です」

 猫の手とは自治会が提携している耳打ちネットワーク。所謂、タレコミ屋だが、その情報網は広く、各地区の警備署の垣根を越えて利用できる組織である。今回は、いわし集めにも協力して頂こう。

 依頼を受けた署員は後輩を連れて、耳打ちネットワークの事務所を訪れた。路地裏のどん詰まりにあるそこでは、複数の猫たちがたむろしている。秋晴れの暖かな太陽の元、昼寝をしているようだ。

「会長なら奥だよ」

 鋭い目つきをした黒猫が、付いてきな、とコンクリートの塀をすり抜けた。どうやら錯覚を利用した防御壁らしい。署員二人もそれに続く。

「いらっしゃい」

 部屋の中にいたのはでっぷりと太った毛の長い猫。周りに積まれている書類は、各地区の猫たちから集めた事件の情報だろう。しかるべき時に、警備署の方に情報提供をするに違いない。

 署員がかくかくしかじかと本日の依頼を説明する。

「なるほど……。大丈夫です。私たち『猫の手』には優秀な人材が集まっています。必ずや、すべてのいわし雲を確保して見せましょう」
「心強いです」

 会長猫が秘書に指示をして電話やチャット端末、魔法陣で各所の猫に連絡を取り始めた。依頼情報を発信するや否や、反対に事務所の受信機が一斉に鳴り響き、いわし雲のありかの情報が流れ込んでくる。

 この速さなら、すぐにいわし雲を依頼人の元に返すことができるに違いなかった。

 結果が出ればまた連絡する。そう約束して猫の手の事務所を後にする警備署員二人。

 その二人とすれ違った猫がいた。なにやらただよう生臭い香り。よく見ると猫は何匹ものつやつやとしたいわしを口に咥えていた。

「いわし……ですね」
「だったわね」

 さらに、警備署に戻る道のりのこと。漂う魚臭の元を辿って見上げると、塀の上を猫が歩いている。魚を咥えているばかりか、猫又のしっぽに二匹ほど魚を抱えて。実に機嫌がよさそうだった。

「いわしですかね」
「……そうかもね」

 幾匹もの魚の臭いがする猫とすれ違い、西地区警備署まで戻ってくると、今度は警備署の署長が猫に囲まれていた。

「今日は猫に縁のある日ね……。署長、どうしたんですか。その猫たちは」

 人の良さそうな壮年の男が屈託なく笑った。

「いやー、家の前で大量のいわしが落ちててさ。奥さんは魚食べないし、こっちまで持って来たんだよ。この辺、耳打ちネットワークの猫が多いだろう。普段お世話になっているから、お礼にね」

***

「特区の猫のネットワークってすごいんですねえ」

 後輩署員が猫の手からの情報をまとめながら呟いた。

「実際に私たちが探すよりも情報が集まってよかったわ」

 ただし、集まったのは情報だけだ。

「この状況を依頼人にどう報告しましょうか」
「それよね……」

 確かに猫の手のネットワークでいわし雲の所在地はわかった。しかし、その会員たちの手によって依頼人のいわし雲の大半は食べられていたのである。

「いいんじゃないですか? もともと、落として失くしたいわし達だったんだから」
「それを言ったら、遺失物課がお取り壊しになるわよ」
「だめか~」

 新たに生まれた難題――猫の手から依頼された「食べられたいわし雲の行方の捜索」に頭を抱えている警備署署員二人であった。


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 令和日本に似た箱庭世界、幻想怪異発生特別区――通称「特区」。その治安を守る西地区警備署には今日も様々な依頼が降りかかる――。
「うろこ雲の魚を落としちゃってぇ……」
 カウンターから奥を覗き込んで、あのぉーと警備署に来たのは困ったそぶりの『網』だった。魚臭い白いTシャツの上にしょぼくれた『網』の頭が垂れている。
「うろこ雲を、落とした」
「あ、わざとじゃないんですよ! 事故なんです! 事故!」
 遺失物課には毎日届け出が発生する。ランドセルの中で消えたお弁当箱や、胃の中に溶けたコーラの炭酸、昨日倒してしまった祠の行方まで、軽重さまざまの事件を受理して解決するのが遺失物課の仕事である。
 慌てて自身の落ち度を否定し始めた『網頭』が話す状況はこうだ。
 今日はいわし雲が大群で泳いでいたために漁師の『網頭』としても張り切らざるを得なかった。張りきったために獲ったいわし雲が網から溢れ、慌ててそれを拾おうとしたら、今度は底が破れていわし雲が飛び出していってしまったらしい。
 なるほど、確かに『網』の底には大きな穴が開いていた(遺失物課署員には、うなだれていたため見えなかった)。
「秋の雲は多いと言いますけれど、いわし雲で、しかも大群はここ最近いなかったんです。こっちも商売で漁をしているわけですから、無理しちゃったわけですけど……、お願いです! 落ちちゃったいわし雲を探してください!」
 本日の空は快晴。しかし、朝までは薄く雲が空を覆っていたはずだ。そのすべてがいわし雲で、それを特区全域に落としたとあれば、少々西地区警備署には荷が重い。
「わかりました。すぐに、捜索の手配をします」
「できそうですか!?」
「善処します。ただ、今回は猫の手を借りようと思います」
「猫の手を?」
「はい。猫の手です」
 猫の手とは自治会が提携している耳打ちネットワーク。所謂、タレコミ屋だが、その情報網は広く、各地区の警備署の垣根を越えて利用できる組織である。今回は、いわし集めにも協力して頂こう。
 依頼を受けた署員は後輩を連れて、耳打ちネットワークの事務所を訪れた。路地裏のどん詰まりにあるそこでは、複数の猫たちがたむろしている。秋晴れの暖かな太陽の元、昼寝をしているようだ。
「会長なら奥だよ」
 鋭い目つきをした黒猫が、付いてきな、とコンクリートの塀をすり抜けた。どうやら錯覚を利用した防御壁らしい。署員二人もそれに続く。
「いらっしゃい」
 部屋の中にいたのはでっぷりと太った毛の長い猫。周りに積まれている書類は、各地区の猫たちから集めた事件の情報だろう。しかるべき時に、警備署の方に情報提供をするに違いない。
 署員がかくかくしかじかと本日の依頼を説明する。
「なるほど……。大丈夫です。私たち『猫の手』には優秀な人材が集まっています。必ずや、すべてのいわし雲を確保して見せましょう」
「心強いです」
 会長猫が秘書に指示をして電話やチャット端末、魔法陣で各所の猫に連絡を取り始めた。依頼情報を発信するや否や、反対に事務所の受信機が一斉に鳴り響き、いわし雲のありかの情報が流れ込んでくる。
 この速さなら、すぐにいわし雲を依頼人の元に返すことができるに違いなかった。
 結果が出ればまた連絡する。そう約束して猫の手の事務所を後にする警備署員二人。
 その二人とすれ違った猫がいた。なにやらただよう生臭い香り。よく見ると猫は何匹ものつやつやとしたいわしを口に咥えていた。
「いわし……ですね」
「だったわね」
 さらに、警備署に戻る道のりのこと。漂う魚臭の元を辿って見上げると、塀の上を猫が歩いている。魚を咥えているばかりか、猫又のしっぽに二匹ほど魚を抱えて。実に機嫌がよさそうだった。
「いわしですかね」
「……そうかもね」
 幾匹もの魚の臭いがする猫とすれ違い、西地区警備署まで戻ってくると、今度は警備署の署長が猫に囲まれていた。
「今日は猫に縁のある日ね……。署長、どうしたんですか。その猫たちは」
 人の良さそうな壮年の男が屈託なく笑った。
「いやー、家の前で大量のいわしが落ちててさ。奥さんは魚食べないし、こっちまで持って来たんだよ。この辺、耳打ちネットワークの猫が多いだろう。普段お世話になっているから、お礼にね」
***
「特区の猫のネットワークってすごいんですねえ」
 後輩署員が猫の手からの情報をまとめながら呟いた。
「実際に私たちが探すよりも情報が集まってよかったわ」
 ただし、集まったのは情報だけだ。
「この状況を依頼人にどう報告しましょうか」
「それよね……」
 確かに猫の手のネットワークでいわし雲の所在地はわかった。しかし、その会員たちの手によって依頼人のいわし雲の大半は食べられていたのである。
「いいんじゃないですか? もともと、落として失くしたいわし達だったんだから」
「それを言ったら、遺失物課がお取り壊しになるわよ」
「だめか~」
 新たに生まれた難題――猫の手から依頼された「食べられたいわし雲の行方の捜索」に頭を抱えている警備署署員二人であった。