変身しちゃって大変!
ー/ーそれは半月くらい前だったかな……
姉貴はその日、残業で外で飯食ったらしく、帰宅するなりそのまま寝ちゃったんで、仕方なく俺も寝る準備をしたん……だけどその日は目が冴えちゃって、全然眠れなかったんだ。
おまけに夜12時をまわったくらいに、心臓が妙にドキドキ言うんだ。血圧が上がってきたって言うのかな、こういう症状。
目をつぶっても、なんか気分がピリピリしちゃって全然ダメ。
なもんで、外の風にでもあたろうかなってことで、外に出たんだ。
身体もなんかほてってきた感じがしたしね。
……そこで、その日の俺の記憶がぷっつり無くなったんだ。
ドア開けて、冷たい外の空気吸って、それからきれいな満月をみた直後だった。
すっげーキレイで、初めて見る大きなお月さまだった。そこまでは覚えてたっけな。
……って、目が覚めたら、なんかもう日が昇ってるし。
しかもすっごく寒い。
あれ? 俺どこで寝てるんだって身体起こそうとしたら、筋肉痛すごくって。それも全身。
やっとのことで起きたら、そこは俺の住んでるアパートの屋上だった。
つーかここ確か立入禁止だったろ、俺一体どーやって入ったんだ!それに寒いと思ってたらシャツの袖口が両方ともどっか行ってるし。俺ノースリーブのシャツなんて着てなかったぞ!
それに履いてたジャージのズボンが泥だらけだし。オマケに姉貴のサンダル履いて外に出たはずだったのに、なぜかいまは裸足のまま。いったいどうなってんだよ!
とにかく俺はアパート屋上のドアまで行って、カギ開いてないかなってドアノブ回したんだ。
案の定カギかかってる、やっべーどうしようって思って、何度も手前に引っ張ったりしてみたら、ドアがベキッと鈍い音してまるごと外れちゃったんだ。
俺、そんなに力いっぱい引っ張った覚えなんてないのに、よく見ると、根元の部分がおもいっきりちぎれてるし。
多分老朽化ってやつで錆びたかなんかしちゃってたんだろってその時は思って、ぺたぺたと階段降りてった。
俺の住んでるアパートの屋上は6階、でもって俺は5階に住んでるんだ。まあ要はすぐの距離なんだけどね。
そしたら偶然にも姉貴が家から出てきてさ、驚いた顔であんた一体どこ行ってたの!って怒ってた。
けどなんかおかしくね?
夜に寝た記憶もなんにもなくって、目覚めたのが立ち入り禁止の屋上。今日が土曜の学校休みで助かった。
姉貴が言うには、朝起きたらあんたの姿がどこにもいなくって探しまわったって。
ちなみにこの時、時計は朝の8時ちょうど。
屋上からバキッと金属音がしたんで目が覚めたって言ってたな。
でもって姉貴、一体どこほっつき歩いてたんだって質問に、俺は分からないとも言えず……結局眠れなかったから散歩してたって答えたんだ。
姉貴のサンダルは……うん、無くしたって言ったらまた叱られそうだし、俺は知らぬ存ぜぬで通した。
やっとのことで布団に入ったら、俺の身体がすっごく熱くなってた。
……風邪引いたっぽい。
その日俺は筋肉痛と風邪で起き上がることもできず、メシ食う気力も起きなくって。
よーやくすっきりとした身体で起きれたのは、月曜日の昼過ぎだった。
ガックリきた……俺、小学一年生から今まで、病気なんて一回もしたことがなかったんだ。だからもちろん毎年皆勤賞もらってた。
担任の先生からは、身体の丈夫さだけしか取り柄がないもんなーって言われたし。いやまぁ確かに。正直体育以外の成績は、その……言わなくても分かるだろ。
大雪降ったりしない限りはほぼ一年中薄着夏服で通しているしね。
だって季節ごとに服をいろいろ買ったりとかしなくていいじゃん、俺だって別にこのくらいで寒い思いしてないし、それに姉貴にもお金の面で迷惑かけたくないしね。
俺なりにいろいろ工面してるんだよ、姉貴とこれからずっと二人で生きていくんだし。
法律が許すんだったら今すぐにでも働きたいと思ってる。俺だって姉貴のワケ分からない仕事の研究とかを支えてあげたいもん。自分へのご褒美にゲームソフト買っちゃうとき以外はね。
もちろんスーパーのタイムサービス狙いでいつも野菜は安く買ってる。
まぁとにかく、皆勤賞がこの小学五年生でストップなのは、俺的にめっちゃショックだった。
姉貴は学校に電話するときに、風邪ひいたって説明してくれたみたい。
そしたら電話の向こうから先生が一斉にどよめいてたよって姉貴は笑ってた。それほどまでに驚きだったんだろうな、俺が学校休んだことって。しかも風邪だなんて。
そうだ、土曜に倒れてから翌日にいたるまで、俺はスポーツドリンク以外、何も口にできなかった。
今までの俺だったら、一食抜くだけでマジで餓死レベルでお腹すいちゃったのに、ここまで減らないのって、自分でもなんかおかしいって思った。
腹が減らないことともう一つ、身体のいろいろな感覚が、その日以来ちょっとおかしくなったってこともあるんだ。
日曜日の夜、姉貴がお粥を作ってくれた。これだったらあんたも食べれるでしょって。
溶き卵入れてくれて、風邪に効くってことで刻んだ青ネギもいっぱい乗っけてくれた。
だけど、それを前にしたとき、急に気持ちが悪くなっちゃってさ。
なんていうか、ネギの匂いがすっごく鼻に来ちゃって。
今まで俺は好き嫌いなんて何もなかったのに……いや、正確に言うとイカとタコ、それに貝類は苦手。要はにゅるりとした食材。
けれど、それ以上にネギの匂いを嗅いだ途端「うぷっ」って言いようもない吐き気に似た感覚が胸の奥から押し寄せてきたんだ。
姉貴は「しょうがないよ、滅多に引くことがなかった風邪なんだし、胃腸もかなり弱ってるのかもね」って言ってた。
そうなのかな? そうでなくたって俺は食えると思うんだ、だけど……あの時はやっぱり自分自身の鼻が妙におかしいって思えた。風邪ひいて体質が変わったのかな?
だけどその反動かは分からないけど、火曜日に学校へ行く前の朝ご飯、姉貴も驚くくらいすっげー食べちゃったし。
いや、自分でもこう「食っても食ってもお腹がいっぱいにならない」って感じで、結局食パン何枚食ったんだろう、マジで思い出せないや。予想外の出費。ヤバい。
でもって学校だーって、胸の中がドキドキしちゃってさ、それに朝日がすっごいまぶしくて気分最高で、俺はカバン持って玄関にいったんだけど……
……臭い。
玄関が、こう……ムっとくるような、湿気てるような、部屋干しした生乾きの洗濯物とか、ツンと酸っぱい汗臭さとか、そういうのが全て混ざった臭いが玄関に集まってるのが分かるんだ。
姉貴に聞いても「全然しないよ、そんな匂いなんて」ってそっけなく返しやがる。つーかなんなんだよこの臭い!
って、まさかと思うけど……俺の鼻が敏感になったのかな。
そう思って俺は、玄関のドアを勢いよく開けた。
バァン!ってすっごい音がして、外の朝の空気が、とても気持ちのいい風の匂いと共に玄関にこもっていたいやな匂いを一瞬にして吹き消してくれた。
……ドアと一緒に。
いや、自分でもなんて言えばいいのか分かんねーんだけど、俺は普通に、ドアを「勢いよく」開けただけなんだぞ!
つまりは、ドアがぶっ壊れちゃった……
この力といい、嗅覚といいマジでなんなんだよ!
さすがの姉貴も驚いてた、だけど年数経って壊れてたんじゃないかってことで一件落着。全然外壁補修すらされてないほどの安いオンボロアパートだしね、って。
けど、ホントはそうじゃないと思うんだよな……屋上のドアをブッ壊した時といい、やっぱなんか変だ。俺自身が。
いつもならここで姉貴と一緒に学校行くんだけど、今日は用事があるとかで遅い出勤みたい。そんなわけで俺は一人で学校へと行った。
正直その方が俺としてもホッとできる。
こう言っちゃなんだけど、姉貴は若いしきれいだしね。だから一緒に行くとき、周りの視線が集まるのが恥ずかしくって。
ここ最近そういう気分ばっか味わってきたから、一人で学校に行けるってなんか新鮮だった。
でもいつもの通学路を歩いてると、やっぱ変だ、俺の感覚が。
周りの音がいつも以上に聞こえちゃって、会社へ行く人が耳に付けてるイヤホンのわずかな音漏れ。
歩きスマホで話してる人の声。
公園の爺さんの独り言。
電線にとまっているカラスの騒ぎ声。
塀の向こうでケンカしているノラ猫の金切り声。
車の音、バイクの音、みんな、みんな……俺の頭の中に一斉に集まって、そしてガンガン響いてくるんだ。
通学路の音と言う音が聞こえてくる、普段聞こえてこないような音でも、否応なしに聞こえてくる。
そしてさっきっから感じている臭い。
すれ違うサラリーマンの吸ってるタバコの煙や、おっさんの中年加齢臭、整髪料、香水、それらのきつい香りが、耳に飛び込んでくるたくさんの音と同じように、鼻の中から頭の中へと駆け込んでくる。
冬の冷たい空気を吸い込んだときに頭の中がツーンと痛くなるあの感覚がさらにパワーアップしたような、そんなガンガンとする痛みが、歩くたびに俺の頭を駆けめぐってた。
落ち着け、落ち着けよ俺……って心の中でひたすら念じながら、俺は片道10分足らずの通学路を、ふらつきながらも倍の時間かかってよーやくたどり着くことができた。
すっげー……気分悪い。
こんな最悪な朝って生まれて初めてかも。
だけどまだ終わらなかった。
校門で先生に挨拶して、下駄箱で自分の靴箱開けた時、あのヤバい臭いがまた俺の鼻にから、さらに頭の中に押し寄せてきたんだ。
けどその時、フッと分かったんだ。
家の玄関の変な匂いの時にも感じたけど、この臭いってもしかして。
つまり、自分でいうのもちょっと恥ずかしいんだけど……これ、俺の靴の臭いなんじゃないかって。
クラスで俺くらいだもんな、上履きも外履きもずーっと買い替えてないのって。
学校でもそのことが理由でクラスの友達にからかわれちゃったんだよね。
そんなことはともかく! 俺はとりあえず息止めて、5階にある教室まで猛ダッシュで階段を駆け上った。
案の定、俺の姿を見て驚く声で、教室の中は沸き返ってた。
でもってその声が耳と頭の中でガンガン響きわたる、マジでうるせーよって怒鳴りたくなるくらいに。
だけどそんなことしたって意味ないことは分かってる、俺は深呼吸して静かに席に座った。
落ち着け落ち着け、俺は風邪でちょっと耳と鼻が過敏になってるだけなんだ……って自分の心に言い聞かせた。
「タケル、机の中に二日分のプリントと問題が入ってるからな、全部目を通しておくんだぞ」
先生が教室に入るなり、容赦ない言葉が飛んできた。
あのなー、俺は病み上がりなんだぞ。月曜日の授業受けてないんだから後でこっそりと教えてくれたっていいじゃないか。
って怒りを抑えつつ、俺は数センチの厚さにまで溜まってたプリントにさっと目を通した。
相変わらず難しそうな算数やら理科のプリントだらけだったけど、一枚だけ保護者用のカラーコピーの紙が挟まってて、俺はそれを先に読んでみることにした。
【金曜深夜の野犬徘徊について】
よく読んでみると、先週の金曜深夜に、野犬と思われる大きな動物が、小学校周辺を1時間ほど走り回っている姿が目撃されました。と書いてある。
遠吠えを発しているところも目撃されたらしいって。
「動物園からオオカミとか逃げ出したのかな、怖いよね」俺の隣の席にいる、友達のトモキがそっと声をかけてきた。
大きな野犬かあ……どっかで飼っている大型犬が逃げ出したのだろうか。
「タケルは遠吠え聞いた? 結構遠くまで聞こえたって話だよ、僕は寝てたから分からなかったけど」
トモキの言葉に、俺は知らねぇと言って首を左右に振った。いつも俺は早寝早起きをモットーにしてるしね。
だけど先生が言うには、職員会議で当分の間、集団下校をすることになったらしい、そのオオカミらしき生き物はおそらく夜行性だから、とりあえず下校時だけはみんなで下校しようと言うことに決まったみたい。
けど金曜か。確か俺、夜は早く寝てたはず……つまりはそんな事態全然知らなかったワケで。
じゃねーよ! その夜は記憶がなかったんだ、すっかり忘れてた!
思い出したとき、俺の背筋にゾゾッと氷のような冷たさが伝っていくのが感じられた。
眠れないから外に出て、気がついたら翌日の朝。しかも俺は泥だらけでシャツも履いてたはずのサンダルもなくなってて、おまけに全身筋肉痛で……
でも、いや、そんなワケないよな。まさか外へ出た直後に、その動物にさらわれて引きずり回されてエサにされそうになったとか。だとしたらちょっと納得がいく、俺がボロボロになっていたワケがね。
けどなんで食われなかったんだろうな。そう考えるとやっぱおかしい。
筋肉痛はさておき、なんで俺はアパートの屋上にいたんだか、食われる寸前だったのを見逃してくれたのかな、そいつ。
考えてて、また背筋がゾワっとした。
とにかく、誰かがそのオオカミを捕獲するか退治してくれない限り、当分の間はまともに外出することもできない、だとしたらこれから夜に出歩くこともできなくなる……
学校から帰るとき、俺はいつも近くのスーパーで夕食の材料を買いによって行く。前にも言ったとおり俺が家の食事を担当してるからね。
だから集団下校となるとそれもできなくなる、困った。
いやそうじゃない、俺がオオカミに襲われたかも知れないことの方が重大だ!
どうしようか、これ先生に相談した方のがいいんだろうか。マジ悩む、めっちゃ悩む。
とりあえずは、家帰って姉貴に相談した方が先決かな。なんて思っているうちに、1時間目の終わりのチャイムが鳴っていた。
「そうだ、しばらくの間は午前授業だって」トモキが俺に話してくれた、やはりオオカミの事件の影響だろう。
そんなこんなで、2時間目の国語、3時間目の社会、そして理科と、トモキの援護もあって、なんとか昨日の遅れは取り戻すことができた。
あとこれも先生が言ってたことだが、俺が一番大好きなグラウンドでの体育も当分の間中止らしい。オオカミが出てきたせいで踏んだり蹴ったりだよ、もう。
それに午前中授業だから、学校で二番目に楽しみな給食も中止だし。余ったパン持って帰ることできないじゃないか!
……まぁ、もらうって言っても一個か二個だけどね、午後はとにかく腹が減るんだもん。だからこっそりと食べてるんだ。
そうしてこの日の授業は何事もなく終了と言いたかったところだが、集団下校だから地区が一緒の人たちと一緒に帰らないといけない、点呼もあるから抜け出すこともできない。ほんと困った。
息を止めて靴を履き、先生たちに引率されて、俺は下校することになった。
周りは年少の生徒ばっかなのでぺちゃくちゃすごくうるさい、また頭がガンガンしてきた……
けどここでうるさいって言うわけにも行かないので、じっと我慢しながら俺の住むアパートによーやく到着した。
「狩野くん、ちょっと」突然、引率してきた3年の先生が俺に話しかけてきた。別に面識あるわけでも過去に担任だったわけでもない、ごく普通の40過ぎのオバさんの先生だ。
「野犬のことなんだけど、どうやらあなたのいるアパートの屋上で、何度も吠える声が聞こえたらしいわよ。だから夜は気をつけてね、じゃ」
え……俺のアパートの屋上!? なんでまたそんな場所で。
なんで野犬がよりによってアパートの屋上に上ったりなんかするんだよ、それって変じゃね?
っていうかやっぱり俺の消えた記憶と関係あるのかな、それ。
いろいろ考えつつ俺は、家に寄らずにスーパーへ買い物に行った。今の時間買い出ししておけば、夜に出歩かなくても済むし。
それに風邪で寝込んで以来、すっごく腹が減るのが早くなった気がする。そして食べる量まで。
あー、めっちゃ肉食いたい。今夜はフンパツして自家製ポテサラと豚肉の生姜焼きにしよっと。
姉貴はその日、残業で外で飯食ったらしく、帰宅するなりそのまま寝ちゃったんで、仕方なく俺も寝る準備をしたん……だけどその日は目が冴えちゃって、全然眠れなかったんだ。
おまけに夜12時をまわったくらいに、心臓が妙にドキドキ言うんだ。血圧が上がってきたって言うのかな、こういう症状。
目をつぶっても、なんか気分がピリピリしちゃって全然ダメ。
なもんで、外の風にでもあたろうかなってことで、外に出たんだ。
身体もなんかほてってきた感じがしたしね。
……そこで、その日の俺の記憶がぷっつり無くなったんだ。
ドア開けて、冷たい外の空気吸って、それからきれいな満月をみた直後だった。
すっげーキレイで、初めて見る大きなお月さまだった。そこまでは覚えてたっけな。
……って、目が覚めたら、なんかもう日が昇ってるし。
しかもすっごく寒い。
あれ? 俺どこで寝てるんだって身体起こそうとしたら、筋肉痛すごくって。それも全身。
やっとのことで起きたら、そこは俺の住んでるアパートの屋上だった。
つーかここ確か立入禁止だったろ、俺一体どーやって入ったんだ!それに寒いと思ってたらシャツの袖口が両方ともどっか行ってるし。俺ノースリーブのシャツなんて着てなかったぞ!
それに履いてたジャージのズボンが泥だらけだし。オマケに姉貴のサンダル履いて外に出たはずだったのに、なぜかいまは裸足のまま。いったいどうなってんだよ!
とにかく俺はアパート屋上のドアまで行って、カギ開いてないかなってドアノブ回したんだ。
案の定カギかかってる、やっべーどうしようって思って、何度も手前に引っ張ったりしてみたら、ドアがベキッと鈍い音してまるごと外れちゃったんだ。
俺、そんなに力いっぱい引っ張った覚えなんてないのに、よく見ると、根元の部分がおもいっきりちぎれてるし。
多分老朽化ってやつで錆びたかなんかしちゃってたんだろってその時は思って、ぺたぺたと階段降りてった。
俺の住んでるアパートの屋上は6階、でもって俺は5階に住んでるんだ。まあ要はすぐの距離なんだけどね。
そしたら偶然にも姉貴が家から出てきてさ、驚いた顔であんた一体どこ行ってたの!って怒ってた。
けどなんかおかしくね?
夜に寝た記憶もなんにもなくって、目覚めたのが立ち入り禁止の屋上。今日が土曜の学校休みで助かった。
姉貴が言うには、朝起きたらあんたの姿がどこにもいなくって探しまわったって。
ちなみにこの時、時計は朝の8時ちょうど。
屋上からバキッと金属音がしたんで目が覚めたって言ってたな。
でもって姉貴、一体どこほっつき歩いてたんだって質問に、俺は分からないとも言えず……結局眠れなかったから散歩してたって答えたんだ。
姉貴のサンダルは……うん、無くしたって言ったらまた叱られそうだし、俺は知らぬ存ぜぬで通した。
やっとのことで布団に入ったら、俺の身体がすっごく熱くなってた。
……風邪引いたっぽい。
その日俺は筋肉痛と風邪で起き上がることもできず、メシ食う気力も起きなくって。
よーやくすっきりとした身体で起きれたのは、月曜日の昼過ぎだった。
ガックリきた……俺、小学一年生から今まで、病気なんて一回もしたことがなかったんだ。だからもちろん毎年皆勤賞もらってた。
担任の先生からは、身体の丈夫さだけしか取り柄がないもんなーって言われたし。いやまぁ確かに。正直体育以外の成績は、その……言わなくても分かるだろ。
大雪降ったりしない限りはほぼ一年中薄着夏服で通しているしね。
だって季節ごとに服をいろいろ買ったりとかしなくていいじゃん、俺だって別にこのくらいで寒い思いしてないし、それに姉貴にもお金の面で迷惑かけたくないしね。
俺なりにいろいろ工面してるんだよ、姉貴とこれからずっと二人で生きていくんだし。
法律が許すんだったら今すぐにでも働きたいと思ってる。俺だって姉貴のワケ分からない仕事の研究とかを支えてあげたいもん。自分へのご褒美にゲームソフト買っちゃうとき以外はね。
もちろんスーパーのタイムサービス狙いでいつも野菜は安く買ってる。
まぁとにかく、皆勤賞がこの小学五年生でストップなのは、俺的にめっちゃショックだった。
姉貴は学校に電話するときに、風邪ひいたって説明してくれたみたい。
そしたら電話の向こうから先生が一斉にどよめいてたよって姉貴は笑ってた。それほどまでに驚きだったんだろうな、俺が学校休んだことって。しかも風邪だなんて。
そうだ、土曜に倒れてから翌日にいたるまで、俺はスポーツドリンク以外、何も口にできなかった。
今までの俺だったら、一食抜くだけでマジで餓死レベルでお腹すいちゃったのに、ここまで減らないのって、自分でもなんかおかしいって思った。
腹が減らないことともう一つ、身体のいろいろな感覚が、その日以来ちょっとおかしくなったってこともあるんだ。
日曜日の夜、姉貴がお粥を作ってくれた。これだったらあんたも食べれるでしょって。
溶き卵入れてくれて、風邪に効くってことで刻んだ青ネギもいっぱい乗っけてくれた。
だけど、それを前にしたとき、急に気持ちが悪くなっちゃってさ。
なんていうか、ネギの匂いがすっごく鼻に来ちゃって。
今まで俺は好き嫌いなんて何もなかったのに……いや、正確に言うとイカとタコ、それに貝類は苦手。要はにゅるりとした食材。
けれど、それ以上にネギの匂いを嗅いだ途端「うぷっ」って言いようもない吐き気に似た感覚が胸の奥から押し寄せてきたんだ。
姉貴は「しょうがないよ、滅多に引くことがなかった風邪なんだし、胃腸もかなり弱ってるのかもね」って言ってた。
そうなのかな? そうでなくたって俺は食えると思うんだ、だけど……あの時はやっぱり自分自身の鼻が妙におかしいって思えた。風邪ひいて体質が変わったのかな?
だけどその反動かは分からないけど、火曜日に学校へ行く前の朝ご飯、姉貴も驚くくらいすっげー食べちゃったし。
いや、自分でもこう「食っても食ってもお腹がいっぱいにならない」って感じで、結局食パン何枚食ったんだろう、マジで思い出せないや。予想外の出費。ヤバい。
でもって学校だーって、胸の中がドキドキしちゃってさ、それに朝日がすっごいまぶしくて気分最高で、俺はカバン持って玄関にいったんだけど……
……臭い。
玄関が、こう……ムっとくるような、湿気てるような、部屋干しした生乾きの洗濯物とか、ツンと酸っぱい汗臭さとか、そういうのが全て混ざった臭いが玄関に集まってるのが分かるんだ。
姉貴に聞いても「全然しないよ、そんな匂いなんて」ってそっけなく返しやがる。つーかなんなんだよこの臭い!
って、まさかと思うけど……俺の鼻が敏感になったのかな。
そう思って俺は、玄関のドアを勢いよく開けた。
バァン!ってすっごい音がして、外の朝の空気が、とても気持ちのいい風の匂いと共に玄関にこもっていたいやな匂いを一瞬にして吹き消してくれた。
……ドアと一緒に。
いや、自分でもなんて言えばいいのか分かんねーんだけど、俺は普通に、ドアを「勢いよく」開けただけなんだぞ!
つまりは、ドアがぶっ壊れちゃった……
この力といい、嗅覚といいマジでなんなんだよ!
さすがの姉貴も驚いてた、だけど年数経って壊れてたんじゃないかってことで一件落着。全然外壁補修すらされてないほどの安いオンボロアパートだしね、って。
けど、ホントはそうじゃないと思うんだよな……屋上のドアをブッ壊した時といい、やっぱなんか変だ。俺自身が。
いつもならここで姉貴と一緒に学校行くんだけど、今日は用事があるとかで遅い出勤みたい。そんなわけで俺は一人で学校へと行った。
正直その方が俺としてもホッとできる。
こう言っちゃなんだけど、姉貴は若いしきれいだしね。だから一緒に行くとき、周りの視線が集まるのが恥ずかしくって。
ここ最近そういう気分ばっか味わってきたから、一人で学校に行けるってなんか新鮮だった。
でもいつもの通学路を歩いてると、やっぱ変だ、俺の感覚が。
周りの音がいつも以上に聞こえちゃって、会社へ行く人が耳に付けてるイヤホンのわずかな音漏れ。
歩きスマホで話してる人の声。
公園の爺さんの独り言。
電線にとまっているカラスの騒ぎ声。
塀の向こうでケンカしているノラ猫の金切り声。
車の音、バイクの音、みんな、みんな……俺の頭の中に一斉に集まって、そしてガンガン響いてくるんだ。
通学路の音と言う音が聞こえてくる、普段聞こえてこないような音でも、否応なしに聞こえてくる。
そしてさっきっから感じている臭い。
すれ違うサラリーマンの吸ってるタバコの煙や、おっさんの中年加齢臭、整髪料、香水、それらのきつい香りが、耳に飛び込んでくるたくさんの音と同じように、鼻の中から頭の中へと駆け込んでくる。
冬の冷たい空気を吸い込んだときに頭の中がツーンと痛くなるあの感覚がさらにパワーアップしたような、そんなガンガンとする痛みが、歩くたびに俺の頭を駆けめぐってた。
落ち着け、落ち着けよ俺……って心の中でひたすら念じながら、俺は片道10分足らずの通学路を、ふらつきながらも倍の時間かかってよーやくたどり着くことができた。
すっげー……気分悪い。
こんな最悪な朝って生まれて初めてかも。
だけどまだ終わらなかった。
校門で先生に挨拶して、下駄箱で自分の靴箱開けた時、あのヤバい臭いがまた俺の鼻にから、さらに頭の中に押し寄せてきたんだ。
けどその時、フッと分かったんだ。
家の玄関の変な匂いの時にも感じたけど、この臭いってもしかして。
つまり、自分でいうのもちょっと恥ずかしいんだけど……これ、俺の靴の臭いなんじゃないかって。
クラスで俺くらいだもんな、上履きも外履きもずーっと買い替えてないのって。
学校でもそのことが理由でクラスの友達にからかわれちゃったんだよね。
そんなことはともかく! 俺はとりあえず息止めて、5階にある教室まで猛ダッシュで階段を駆け上った。
案の定、俺の姿を見て驚く声で、教室の中は沸き返ってた。
でもってその声が耳と頭の中でガンガン響きわたる、マジでうるせーよって怒鳴りたくなるくらいに。
だけどそんなことしたって意味ないことは分かってる、俺は深呼吸して静かに席に座った。
落ち着け落ち着け、俺は風邪でちょっと耳と鼻が過敏になってるだけなんだ……って自分の心に言い聞かせた。
「タケル、机の中に二日分のプリントと問題が入ってるからな、全部目を通しておくんだぞ」
先生が教室に入るなり、容赦ない言葉が飛んできた。
あのなー、俺は病み上がりなんだぞ。月曜日の授業受けてないんだから後でこっそりと教えてくれたっていいじゃないか。
って怒りを抑えつつ、俺は数センチの厚さにまで溜まってたプリントにさっと目を通した。
相変わらず難しそうな算数やら理科のプリントだらけだったけど、一枚だけ保護者用のカラーコピーの紙が挟まってて、俺はそれを先に読んでみることにした。
【金曜深夜の野犬徘徊について】
よく読んでみると、先週の金曜深夜に、野犬と思われる大きな動物が、小学校周辺を1時間ほど走り回っている姿が目撃されました。と書いてある。
遠吠えを発しているところも目撃されたらしいって。
「動物園からオオカミとか逃げ出したのかな、怖いよね」俺の隣の席にいる、友達のトモキがそっと声をかけてきた。
大きな野犬かあ……どっかで飼っている大型犬が逃げ出したのだろうか。
「タケルは遠吠え聞いた? 結構遠くまで聞こえたって話だよ、僕は寝てたから分からなかったけど」
トモキの言葉に、俺は知らねぇと言って首を左右に振った。いつも俺は早寝早起きをモットーにしてるしね。
だけど先生が言うには、職員会議で当分の間、集団下校をすることになったらしい、そのオオカミらしき生き物はおそらく夜行性だから、とりあえず下校時だけはみんなで下校しようと言うことに決まったみたい。
けど金曜か。確か俺、夜は早く寝てたはず……つまりはそんな事態全然知らなかったワケで。
じゃねーよ! その夜は記憶がなかったんだ、すっかり忘れてた!
思い出したとき、俺の背筋にゾゾッと氷のような冷たさが伝っていくのが感じられた。
眠れないから外に出て、気がついたら翌日の朝。しかも俺は泥だらけでシャツも履いてたはずのサンダルもなくなってて、おまけに全身筋肉痛で……
でも、いや、そんなワケないよな。まさか外へ出た直後に、その動物にさらわれて引きずり回されてエサにされそうになったとか。だとしたらちょっと納得がいく、俺がボロボロになっていたワケがね。
けどなんで食われなかったんだろうな。そう考えるとやっぱおかしい。
筋肉痛はさておき、なんで俺はアパートの屋上にいたんだか、食われる寸前だったのを見逃してくれたのかな、そいつ。
考えてて、また背筋がゾワっとした。
とにかく、誰かがそのオオカミを捕獲するか退治してくれない限り、当分の間はまともに外出することもできない、だとしたらこれから夜に出歩くこともできなくなる……
学校から帰るとき、俺はいつも近くのスーパーで夕食の材料を買いによって行く。前にも言ったとおり俺が家の食事を担当してるからね。
だから集団下校となるとそれもできなくなる、困った。
いやそうじゃない、俺がオオカミに襲われたかも知れないことの方が重大だ!
どうしようか、これ先生に相談した方のがいいんだろうか。マジ悩む、めっちゃ悩む。
とりあえずは、家帰って姉貴に相談した方が先決かな。なんて思っているうちに、1時間目の終わりのチャイムが鳴っていた。
「そうだ、しばらくの間は午前授業だって」トモキが俺に話してくれた、やはりオオカミの事件の影響だろう。
そんなこんなで、2時間目の国語、3時間目の社会、そして理科と、トモキの援護もあって、なんとか昨日の遅れは取り戻すことができた。
あとこれも先生が言ってたことだが、俺が一番大好きなグラウンドでの体育も当分の間中止らしい。オオカミが出てきたせいで踏んだり蹴ったりだよ、もう。
それに午前中授業だから、学校で二番目に楽しみな給食も中止だし。余ったパン持って帰ることできないじゃないか!
……まぁ、もらうって言っても一個か二個だけどね、午後はとにかく腹が減るんだもん。だからこっそりと食べてるんだ。
そうしてこの日の授業は何事もなく終了と言いたかったところだが、集団下校だから地区が一緒の人たちと一緒に帰らないといけない、点呼もあるから抜け出すこともできない。ほんと困った。
息を止めて靴を履き、先生たちに引率されて、俺は下校することになった。
周りは年少の生徒ばっかなのでぺちゃくちゃすごくうるさい、また頭がガンガンしてきた……
けどここでうるさいって言うわけにも行かないので、じっと我慢しながら俺の住むアパートによーやく到着した。
「狩野くん、ちょっと」突然、引率してきた3年の先生が俺に話しかけてきた。別に面識あるわけでも過去に担任だったわけでもない、ごく普通の40過ぎのオバさんの先生だ。
「野犬のことなんだけど、どうやらあなたのいるアパートの屋上で、何度も吠える声が聞こえたらしいわよ。だから夜は気をつけてね、じゃ」
え……俺のアパートの屋上!? なんでまたそんな場所で。
なんで野犬がよりによってアパートの屋上に上ったりなんかするんだよ、それって変じゃね?
っていうかやっぱり俺の消えた記憶と関係あるのかな、それ。
いろいろ考えつつ俺は、家に寄らずにスーパーへ買い物に行った。今の時間買い出ししておけば、夜に出歩かなくても済むし。
それに風邪で寝込んで以来、すっごく腹が減るのが早くなった気がする。そして食べる量まで。
あー、めっちゃ肉食いたい。今夜はフンパツして自家製ポテサラと豚肉の生姜焼きにしよっと。
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