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第75話 ダーク・ファンタジー

ー/ー



「ぎ、ひ……」

 鷹守幽(たかもり ゆう)に敗北を喫したバニーハートは、ほうほうのていで朽木市(くちきし)南部の湾岸までたどり着いた。

 あたりには廃工場の大きな倉庫が立ち並んでいる。

「くそ、幽……次こそは絶対に、僕が打ち負かしてやる……」

 ディオティマがあらかじめ用意しておいた逃走経路、そのひとつがここにある。

 彼は重い足取りで、埠頭へと向かった。

「ここ、だ……」

 ふところから端末を取り出し、専用のアプリを起動する。

 海面が静かに揺れ、乗り物のハッチが顔を出した。

「ディオティマさまも、すぐに来るはず……」

「ほう、潜水艇とは予想外だったな。さすがはディオティマ、抜け目がない」

 気配など感じなかった、まるで。

 しかし振り向いたそこには、確かに「あの男」が立っている。

刀隠(とがくし)影司(えいじ)……!」

 刀隠影司、日本を支配する秘密結社・龍影会(りゅうえいかい)の総帥――

 いったいいつの間に、うしろを取った?

 こんななんでもない中年男が……

 バニーハートは突然の出来事にたじろいだ。

「バニーハートくん、ちょっと聞きたいことがあるんだ。少しそのへんまで、デートにつきあってくれないかい? 食事などおごるからさ」

「ぎ……」

 まずい、いま捕まってしまっては、ディオティマさまにとって不利以外の何ものでもない。

 この男の情報については、特にアルトラの能力のことは何も割れてはいないが、やるしかない。

 やらなければ、すなわち……

「どうしたの? 冷汗なんかかいて。大丈夫だよ、何もこわいことなんてしないからさ?」

 よくもぬけぬけと、でまかせを……

 そうだ、龍影会の元締めとはいえ、ちょっと武術ができる程度の体躯にしか見えない。

 戦法を間違えさえしなければ、じゅうぶんにやれるはずだ。

 深手こそ追っているとはいえ、この間合いなら確実にやれる。

 僕はディオプティコンのバニーハートだぞ?

 これまでにどんな修羅場でも乗り越えてきた。

 無敵のアルトラ、エロトマニアだってある。

 自分を信じろ、おまえならできる。

 できる、できる、できる……

「バニーハートくん」

「ぎ?」

「足、震えてるよ?」

「……」

 図星だった。

 しかしその事実に、指摘をされてはじめて気がついたのだ。

 いすくんでいる。

 それはちょうど、勝てないと細胞が判断した敵と対峙したときの生物が取る行動そのものだった。

「はは、理性は本能に負けるのだね。勉強になるよ」

「ぐ……」

 屈辱的な「あおり」を受け、エリート戦闘員は拳を握りしめた。

 この僕が気圧されているだと?

 なめやがって……

 そんなふうに歯がみをした。

「どうする? 時間が経つほど勝率は下がっていくよ?」

 周囲の空間がゆがんでいくように錯覚する。

 いや、勘違いではない。

 刀隠影司はじわじわと、その闘気を解放していっているのだ。

 バニーハートは気合を入れ、ついに決断した。

「え、エロトマニアぁっ――!」

「――っ」

 中年男へ覆いかぶさるように、ウサギのぬいぐるみが「肩車」をした。

 ものすごい勢いで重さがかかっていく。

「ぎひひ、ビビっているフリをして、地面から潜行させていたのに気づかなかったのか? おまえはもう、逃げられないぞ?」

 足もとのコンクリートがメリメリとへこんでいく。

 しかし、当の刀隠影司はビクともしない。

「やれやれ、背中を曲げて歩くほど、わたしはまだ年寄りではないのだが?」

 すました顔でこちらを見つめている。

 バニーハートはその屈強さに驚いた。

 だがこの状況、どう考えても自分に負けはない。

 あとはいつものように、アルトラの力でぬいぐるみを媒介させ、起爆するだけだ。

 勝ちだ、僕の勝利だ――!

「つべこべ抜かしやがって……取った! 爆ぜろ、刀隠影司!」

 彼は能力を発動させる。

「……」

 爆発、しない……

「エロトマニア!」

 やはり、しない。

「ぎひっ、ぎひ……ど、どういうことだ……?」

 バニーハートは焦った。

 なぜだ?

 なぜアルトラの能力が発動しないのだ?

「ふふっ、そのあわて方、まるでピエロだね、バニーハートくん?」

「くそっ、くそ……なんで、なんでだ……!?」

 彼は執拗に発動を試みるが、うんともすんとも言わない。

 あたりには波音と船舶の遠い汽笛が聞こえるばかりである。

「ところでわたしの友人も、ピエロに姿がよく似ていてね」

「ぎ……」

 ぬいぐるみの背後に何かいる。

 影のように伸びる黒いそのシルエットは、まさにサーカスか何かの道化師のような容貌だった。

「紹介しよう、こいつがわたしのアルトラさ。なかなかよいデザインだろう? とても気に入っている。まるでわたしという存在そのものだからだ」

 バニーハートは思った。

 ディオティマさまから聴いたことがある。

 一部の能力者は、アルトラのエネルギーを視覚的に具現化することが可能だと。

 それはすなわち、その使い手の精神力の強さ、ひいては能力の強さに直結する。

「爆弾から『爆発する』という『存在理由』を奪い取った。これがわたしのアルトラ、ダーク・ファンタジーの能力。そして――」

 「ピエロ」がこちらへ、握っていた何かを指で弾き飛ばす。

 コロっと足もとに転がったそれは、そのへんに落ちているコンクリートのかけらだった。

カッ――

 まばゆい閃光とともに、大爆発が起きる。

 バニーハートの体が吹き飛んだ。

「奪った『存在理由』は他の物質に移し替えることもできる」

 燃え盛る火炎の中、ウサギ少年は邂逅した。

 同じだ、あのときと……

 彼の目から一滴の涙が落ちる。

「君が脆いのが悪いんだよ、バニーハートくん? なぜ人間はこんなにも脆いのか? まったく、うんざりする。せっかくのオモチャが台なしだ。いつもすぐに壊れてしまう。わたしはたっぷり遊びたいのに。神なり天なりは残酷な思し召しをなさるねぇ」

 バニーハートの体は、真っ黒い「炭」の塊に成り果てた。

「せっかくデートしたかったのに、手ぐらいつないでおけばよかったかな」

 スーツをひるがえし、刀隠影司は陽炎の中へと消えていく。

 そしてそれを確認すると、もうひとつの「影」が姿を現した。


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「ぎ、ひ……」
 |鷹守幽《たかもり ゆう》に敗北を喫したバニーハートは、ほうほうのていで|朽木市《くちきし》南部の湾岸までたどり着いた。
 あたりには廃工場の大きな倉庫が立ち並んでいる。
「くそ、幽……次こそは絶対に、僕が打ち負かしてやる……」
 ディオティマがあらかじめ用意しておいた逃走経路、そのひとつがここにある。
 彼は重い足取りで、埠頭へと向かった。
「ここ、だ……」
 ふところから端末を取り出し、専用のアプリを起動する。
 海面が静かに揺れ、乗り物のハッチが顔を出した。
「ディオティマさまも、すぐに来るはず……」
「ほう、潜水艇とは予想外だったな。さすがはディオティマ、抜け目がない」
 気配など感じなかった、まるで。
 しかし振り向いたそこには、確かに「あの男」が立っている。
「|刀隠《とがくし》、|影司《えいじ》……!」
 刀隠影司、日本を支配する秘密結社・|龍影会《りゅうえいかい》の総帥――
 いったいいつの間に、うしろを取った?
 こんななんでもない中年男が……
 バニーハートは突然の出来事にたじろいだ。
「バニーハートくん、ちょっと聞きたいことがあるんだ。少しそのへんまで、デートにつきあってくれないかい? 食事などおごるからさ」
「ぎ……」
 まずい、いま捕まってしまっては、ディオティマさまにとって不利以外の何ものでもない。
 この男の情報については、特にアルトラの能力のことは何も割れてはいないが、やるしかない。
 やらなければ、すなわち……
「どうしたの? 冷汗なんかかいて。大丈夫だよ、何もこわいことなんてしないからさ?」
 よくもぬけぬけと、でまかせを……
 そうだ、龍影会の元締めとはいえ、ちょっと武術ができる程度の体躯にしか見えない。
 戦法を間違えさえしなければ、じゅうぶんにやれるはずだ。
 深手こそ追っているとはいえ、この間合いなら確実にやれる。
 僕はディオプティコンのバニーハートだぞ?
 これまでにどんな修羅場でも乗り越えてきた。
 無敵のアルトラ、エロトマニアだってある。
 自分を信じろ、おまえならできる。
 できる、できる、できる……
「バニーハートくん」
「ぎ?」
「足、震えてるよ?」
「……」
 図星だった。
 しかしその事実に、指摘をされてはじめて気がついたのだ。
 いすくんでいる。
 それはちょうど、勝てないと細胞が判断した敵と対峙したときの生物が取る行動そのものだった。
「はは、理性は本能に負けるのだね。勉強になるよ」
「ぐ……」
 屈辱的な「あおり」を受け、エリート戦闘員は拳を握りしめた。
 この僕が気圧されているだと?
 なめやがって……
 そんなふうに歯がみをした。
「どうする? 時間が経つほど勝率は下がっていくよ?」
 周囲の空間がゆがんでいくように錯覚する。
 いや、勘違いではない。
 刀隠影司はじわじわと、その闘気を解放していっているのだ。
 バニーハートは気合を入れ、ついに決断した。
「え、エロトマニアぁっ――!」
「――っ」
 中年男へ覆いかぶさるように、ウサギのぬいぐるみが「肩車」をした。
 ものすごい勢いで重さがかかっていく。
「ぎひひ、ビビっているフリをして、地面から潜行させていたのに気づかなかったのか? おまえはもう、逃げられないぞ?」
 足もとのコンクリートがメリメリとへこんでいく。
 しかし、当の刀隠影司はビクともしない。
「やれやれ、背中を曲げて歩くほど、わたしはまだ年寄りではないのだが?」
 すました顔でこちらを見つめている。
 バニーハートはその屈強さに驚いた。
 だがこの状況、どう考えても自分に負けはない。
 あとはいつものように、アルトラの力でぬいぐるみを媒介させ、起爆するだけだ。
 勝ちだ、僕の勝利だ――!
「つべこべ抜かしやがって……取った! 爆ぜろ、刀隠影司!」
 彼は能力を発動させる。
「……」
 爆発、しない……
「エロトマニア!」
 やはり、しない。
「ぎひっ、ぎひ……ど、どういうことだ……?」
 バニーハートは焦った。
 なぜだ?
 なぜアルトラの能力が発動しないのだ?
「ふふっ、そのあわて方、まるでピエロだね、バニーハートくん?」
「くそっ、くそ……なんで、なんでだ……!?」
 彼は執拗に発動を試みるが、うんともすんとも言わない。
 あたりには波音と船舶の遠い汽笛が聞こえるばかりである。
「ところでわたしの友人も、ピエロに姿がよく似ていてね」
「ぎ……」
 ぬいぐるみの背後に何かいる。
 影のように伸びる黒いそのシルエットは、まさにサーカスか何かの道化師のような容貌だった。
「紹介しよう、こいつがわたしのアルトラさ。なかなかよいデザインだろう? とても気に入っている。まるでわたしという存在そのものだからだ」
 バニーハートは思った。
 ディオティマさまから聴いたことがある。
 一部の能力者は、アルトラのエネルギーを視覚的に具現化することが可能だと。
 それはすなわち、その使い手の精神力の強さ、ひいては能力の強さに直結する。
「爆弾から『爆発する』という『存在理由』を奪い取った。これがわたしのアルトラ、ダーク・ファンタジーの能力。そして――」
 「ピエロ」がこちらへ、握っていた何かを指で弾き飛ばす。
 コロっと足もとに転がったそれは、そのへんに落ちているコンクリートのかけらだった。
カッ――
 まばゆい閃光とともに、大爆発が起きる。
 バニーハートの体が吹き飛んだ。
「奪った『存在理由』は他の物質に移し替えることもできる」
 燃え盛る火炎の中、ウサギ少年は邂逅した。
 同じだ、あのときと……
 彼の目から一滴の涙が落ちる。
「君が脆いのが悪いんだよ、バニーハートくん? なぜ人間はこんなにも脆いのか? まったく、うんざりする。せっかくのオモチャが台なしだ。いつもすぐに壊れてしまう。わたしはたっぷり遊びたいのに。神なり天なりは残酷な思し召しをなさるねぇ」
 バニーハートの体は、真っ黒い「炭」の塊に成り果てた。
「せっかくデートしたかったのに、手ぐらいつないでおけばよかったかな」
 スーツをひるがえし、刀隠影司は陽炎の中へと消えていく。
 そしてそれを確認すると、もうひとつの「影」が姿を現した。