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第13話 血濡れの乙女【後編】

ー/ー



●真視点



 怒りは長く続かなかった。

 大人気ない真之助の変顔に、軽快な笑い声を立てるおいねが楽しそうだったから、湧き起こった一瞬の怒りなど些末なことに感じたのだ。

 達観したとか、悟りの境地に至ったといっても大袈裟ではないかもしれない。

 脳内で真之助の整った顔に拳をぶち込む想像はしたが、たった一発のパンチで勘弁してやったわけだし、弱冠十七歳にしてオレは、数百年間幽霊をやっている真之助よりもすでに精神年齢が大人であることが証明された、はずだ。

 だから、オレは気遣いができる大人の風格を漂わせながら、おいねの笑顔が続くための親切心のつもりで言ったのだ。 

「おいねのお付き人はどこにいるんだ?」

 周囲を見渡すが、それらしい人物は見当たらない。

「守護霊がお付き人の傍を離れることは、掟で禁止されているんだろう? 早く戻ってやらないとヤバいんじゃねえの?」

 すると、それまで楽しそうにしていたおいねがたちまち表情を曇らせた。()の字に結んだ唇が歪んだかと思うと、ワンワンと声を上げて泣き出してしまった。

 どうやら、地雷を踏んでしまったらしい。

 振り返れば、再び街路灯が不気味なリズムでチカチカと点滅を始め、周囲は身の毛がよだつ、これまた気味の悪い空気に包まれていた。

 何がどうしてこうなったのかわからないが、(もと)木阿弥(もくあみ)ではないか。

「ほら、おいね。オレの顔を見てみろよ。面白いぞっ!」

 気の利いた台詞も思い浮かばず、オレは慌てふためいた。懸命に(なだ)ようと試みるのが、台風の雨雲を団扇(うちわ)で吹き飛ばそうとするくらい無意味で骨折り損の作業だった。

 火に油を注いだかのようにおいねは激しく泣き続ける。

「どうにかして、おいねを泣き止ませてくれよ。真之助は意外にも子供慣れしているっぽいから、こういうの得意だろ?」

 凪いだ水面のように落ち着きを払っている真之助に助け舟を求めると、真之助は難しい顔をしたまま、空気の読めない発言をした。

「もしかすると、おいねちゃんのお付き人はもう亡くなっているのかもしれない」

「こんなときまでつまらない冗談を言っている場合か!」

 生まれた時代や死者という立場が影響しているのか、真之助の冗談のセンスには全くもってついていけない。大人を再教育するのは至難の業だと思いつつも、ばあちゃん直伝の説教をお見舞いしてやろうと思ったとき、おいねの悲鳴がオレたちの会話を遮った。

「ぜんぶ、おいねのせいなんだよぉぉ!」

 天を仰いだまま、おいねは大きく肩を上下させた。

「おいね、お馬さんに蹴られて死んぢゃった……から、ずっと車が怖かったの。だから、守護霊のお仕事に就いたときは、一生懸命頑張って車を好きになろうと……したんだよ。でも、好きになれなかった。だから、だから、運命期だったお付き人が……車に撥ねられて……死んぢゃっ……たぁぁぁぁ!」

「お付き人が死んだって?」

 おうむ返しに訊ねたが、返ってくるは舌足らずな涙声ばかりで、意思の疎通が図れそうもない。

 真之助の悪い冗談ではなかったのか。

 おいねの底なし沼のような深い悲しみを前に、どんな慰めの言葉も軽薄に感じられ、オレはそれ以上、声をかけることができなかった。

「おいねちゃんは──」

 むせび泣きがすすり泣きに変わった頃、おいねの頭をぽんぽんと撫でながら、真之助が疑問に応えてくれた。

 おいねが話したように、生前、不運にも暴れ馬に蹴られ命を落としたおいねは、守護霊になってからも死んだときの恐怖からトラウマを抱え込んでいたらしい。

「おいねちゃんは今でいうところの乗り物恐怖症なんだよ。昔から馬は乗り物として利用されてきたから、当然、車だって大の苦手なんだ。その隙を元凶に突かれてしまった」
 
 元凶を引き寄せるお付き人の運命期は、守護霊としての力が試されるときだ。その運命期に乗り物恐怖症が原因で、おいねはお付き人を守りきれず、交通事故で失ってしまったらしい。

 おいねがひとりうずくまって泣いていたのは、お付き人を死なせてしまった己の不甲斐なさと悲しみに暮れていたからなのだ。

「言いにくい話だけど、生前の死因がトラウマとなって、お付き人を死なせてしまう守護霊が多いことも事実なんだ」

「オレたちがおいねの力になってやることはできないのか?」

「そういうことは軽々しく口にするものじゃないよ」

 ペットを欲しがる子供を(さと)すような口調だ。「一時的な可愛いだけの感情で、本当に面倒をみれるのか」と覚悟を問われているようで、「オレだって面倒くらいみれる」と意地を張る。

「どうせお前のことだから、掟に違反するとかでビビってんだろ。乗りかかった舟じゃねえか。ここで退いたら男が(すた)るって。サムライにとって、普通一番大事なものって、義理とか人情じゃねえの?」

「本当に力になってあげるんだね?」

「当たり前、おいねのことを助ける」

「後悔したって知らないよ」

「後悔するわけねえじゃん。このまま、おいねを放っておいた方が後悔するって」

 温かい血が通った人間の感覚ならば、こんな小さな子供を寂寥感漂う孤島のような場所に、ひとり置き去りにして帰れるはずがなかった。

 オレはもう決めていた。おいねを家に連れて帰ると。

 崎山家でおいねを迎え入れれば、お付き人を失った悲しみを紛らわせることができるかもしれない。

 オレと真之助の二人がいれば、おいねの話し相手として不足はないだろうし、ある程度、賑やかな日々を提供できる自信だってある。

 正直、真之助ひとりでも持て余しているところではあるが、兄弟ができた途端に兄の自覚が芽生えるように、おいねが仲間に加わることで真之助がもっと落ち着いた大人に成長するかもしれない。そうなれば今のように振り回されることも少なくなるだろう、とこっそり期待も寄せていた。

「よかったね、おいねちゃん! (まこと)が助けてくれるって」

「ほんとお……?」

「本当だよ。真はこう見えても頼りになるんだ」

 オレはおいねが泣き止んだことで興奮していたのかもしれない。

 幽霊が何人来たところで全員受け入れてやるぜ。もう何でも来い! そんな大船に乗った気がしていた。

 だから、真之助が意地悪く顔を歪めたことに気がついていなかった。何なら、おいねの涙が止まったことに自己陶酔すらしていたくらいだ。

 オレは意気揚々と言った。

「そうと決まれば、おいねを連れて帰ろうぜ」

「連れて帰る? どこに連れて帰るっていうのさ?」

「どこって家に決まってんだろう」

 すると、真之助は「チッチッチ」と人差し指を振り子のように揺らした。

「冗談! おいねちゃんが帰るのは崎山家じゃない。あの世だよ」

「は?」

「ついでに言うと、あの世へ帰るのはもうひとりいる」

「もうひとり?」

「おいねちゃん、お付き人はどこにいるの?」

「あそこ」

 おいねの指差す方を見る。

 二十メートルほど行った幽霊坂の脇道、旧桜並木街道へと続く狭い路地は夜の闇が手伝って一層陰気な臭いがする。

 この路地から招かざる魑魅魍魎(ちみもうりょう)の類がやって来るような気配すらある。

 その一角に目が留まった。

 神社の裏手にあたる駐車場だった。

 薄ぼんやりとした明かりが点っていたのだ。

 最初は灯籠(とうろう)か何かかと思ったが、よく目を凝らすと、徐々に形がくっきりと浮かび上がってくる。

 思わず唾を飲み下した。

 ひとりの女が立ち尽くしていた。

 世の中のすべてに絶望したその顔は真っ赤な血に濡れている。

「おいねちゃんのお付き人が亡くなってからどのくらい経つの?」

「あと一時間でちょうど三年」

「じゃあ、なおさら急がないと。さぁ、真。彼女を成仏させてあげよう。そして、おいねちゃんと一緒にあの世へ送り出してやろう」

「さぁ、夕日に向かって走ろう!」と真之助が昔の青春ドラマにありそうなキラキラと眩しい笑顔を張り付けて笑うから、ここは河川敷だっけと錯覚に陥りそうになる。

 この生き生きとした守護霊は本当に死んでいるのだろうか。

 オレは時々わからなくなる。


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●真視点
 怒りは長く続かなかった。
 大人気ない真之助の変顔に、軽快な笑い声を立てるおいねが楽しそうだったから、湧き起こった一瞬の怒りなど些末なことに感じたのだ。
 達観したとか、悟りの境地に至ったといっても大袈裟ではないかもしれない。
 脳内で真之助の整った顔に拳をぶち込む想像はしたが、たった一発のパンチで勘弁してやったわけだし、弱冠十七歳にしてオレは、数百年間幽霊をやっている真之助よりもすでに精神年齢が大人であることが証明された、はずだ。
 だから、オレは気遣いができる大人の風格を漂わせながら、おいねの笑顔が続くための親切心のつもりで言ったのだ。 
「おいねのお付き人はどこにいるんだ?」
 周囲を見渡すが、それらしい人物は見当たらない。
「守護霊がお付き人の傍を離れることは、掟で禁止されているんだろう? 早く戻ってやらないとヤバいんじゃねえの?」
 すると、それまで楽しそうにしていたおいねがたちまち表情を曇らせた。|へ《・》の字に結んだ唇が歪んだかと思うと、ワンワンと声を上げて泣き出してしまった。
 どうやら、地雷を踏んでしまったらしい。
 振り返れば、再び街路灯が不気味なリズムでチカチカと点滅を始め、周囲は身の毛がよだつ、これまた気味の悪い空気に包まれていた。
 何がどうしてこうなったのかわからないが、|元《もと》の|木阿弥《もくあみ》ではないか。
「ほら、おいね。オレの顔を見てみろよ。面白いぞっ!」
 気の利いた台詞も思い浮かばず、オレは慌てふためいた。懸命に|宥《なだ》ようと試みるのが、台風の雨雲を|団扇《うちわ》で吹き飛ばそうとするくらい無意味で骨折り損の作業だった。
 火に油を注いだかのようにおいねは激しく泣き続ける。
「どうにかして、おいねを泣き止ませてくれよ。真之助は意外にも子供慣れしているっぽいから、こういうの得意だろ?」
 凪いだ水面のように落ち着きを払っている真之助に助け舟を求めると、真之助は難しい顔をしたまま、空気の読めない発言をした。
「もしかすると、おいねちゃんのお付き人はもう亡くなっているのかもしれない」
「こんなときまでつまらない冗談を言っている場合か!」
 生まれた時代や死者という立場が影響しているのか、真之助の冗談のセンスには全くもってついていけない。大人を再教育するのは至難の業だと思いつつも、ばあちゃん直伝の説教をお見舞いしてやろうと思ったとき、おいねの悲鳴がオレたちの会話を遮った。
「ぜんぶ、おいねのせいなんだよぉぉ!」
 天を仰いだまま、おいねは大きく肩を上下させた。
「おいね、お馬さんに蹴られて死んぢゃった……から、ずっと車が怖かったの。だから、守護霊のお仕事に就いたときは、一生懸命頑張って車を好きになろうと……したんだよ。でも、好きになれなかった。だから、だから、運命期だったお付き人が……車に撥ねられて……死んぢゃっ……たぁぁぁぁ!」
「お付き人が死んだって?」
 おうむ返しに訊ねたが、返ってくるは舌足らずな涙声ばかりで、意思の疎通が図れそうもない。
 真之助の悪い冗談ではなかったのか。
 おいねの底なし沼のような深い悲しみを前に、どんな慰めの言葉も軽薄に感じられ、オレはそれ以上、声をかけることができなかった。
「おいねちゃんは──」
 むせび泣きがすすり泣きに変わった頃、おいねの頭をぽんぽんと撫でながら、真之助が疑問に応えてくれた。
 おいねが話したように、生前、不運にも暴れ馬に蹴られ命を落としたおいねは、守護霊になってからも死んだときの恐怖からトラウマを抱え込んでいたらしい。
「おいねちゃんは今でいうところの乗り物恐怖症なんだよ。昔から馬は乗り物として利用されてきたから、当然、車だって大の苦手なんだ。その隙を元凶に突かれてしまった」
 元凶を引き寄せるお付き人の運命期は、守護霊としての力が試されるときだ。その運命期に乗り物恐怖症が原因で、おいねはお付き人を守りきれず、交通事故で失ってしまったらしい。
 おいねがひとりうずくまって泣いていたのは、お付き人を死なせてしまった己の不甲斐なさと悲しみに暮れていたからなのだ。
「言いにくい話だけど、生前の死因がトラウマとなって、お付き人を死なせてしまう守護霊が多いことも事実なんだ」
「オレたちがおいねの力になってやることはできないのか?」
「そういうことは軽々しく口にするものじゃないよ」
 ペットを欲しがる子供を|諭《さと》すような口調だ。「一時的な可愛いだけの感情で、本当に面倒をみれるのか」と覚悟を問われているようで、「オレだって面倒くらいみれる」と意地を張る。
「どうせお前のことだから、掟に違反するとかでビビってんだろ。乗りかかった舟じゃねえか。ここで退いたら男が|廃《すた》るって。サムライにとって、普通一番大事なものって、義理とか人情じゃねえの?」
「本当に力になってあげるんだね?」
「当たり前、おいねのことを助ける」
「後悔したって知らないよ」
「後悔するわけねえじゃん。このまま、おいねを放っておいた方が後悔するって」
 温かい血が通った人間の感覚ならば、こんな小さな子供を寂寥感漂う孤島のような場所に、ひとり置き去りにして帰れるはずがなかった。
 オレはもう決めていた。おいねを家に連れて帰ると。
 崎山家でおいねを迎え入れれば、お付き人を失った悲しみを紛らわせることができるかもしれない。
 オレと真之助の二人がいれば、おいねの話し相手として不足はないだろうし、ある程度、賑やかな日々を提供できる自信だってある。
 正直、真之助ひとりでも持て余しているところではあるが、兄弟ができた途端に兄の自覚が芽生えるように、おいねが仲間に加わることで真之助がもっと落ち着いた大人に成長するかもしれない。そうなれば今のように振り回されることも少なくなるだろう、とこっそり期待も寄せていた。
「よかったね、おいねちゃん! |真《まこと》が助けてくれるって」
「ほんとお……?」
「本当だよ。真はこう見えても頼りになるんだ」
 オレはおいねが泣き止んだことで興奮していたのかもしれない。
 幽霊が何人来たところで全員受け入れてやるぜ。もう何でも来い! そんな大船に乗った気がしていた。
 だから、真之助が意地悪く顔を歪めたことに気がついていなかった。何なら、おいねの涙が止まったことに自己陶酔すらしていたくらいだ。
 オレは意気揚々と言った。
「そうと決まれば、おいねを連れて帰ろうぜ」
「連れて帰る? どこに連れて帰るっていうのさ?」
「どこって家に決まってんだろう」
 すると、真之助は「チッチッチ」と人差し指を振り子のように揺らした。
「冗談! おいねちゃんが帰るのは崎山家じゃない。あの世だよ」
「は?」
「ついでに言うと、あの世へ帰るのはもうひとりいる」
「もうひとり?」
「おいねちゃん、お付き人はどこにいるの?」
「あそこ」
 おいねの指差す方を見る。
 二十メートルほど行った幽霊坂の脇道、旧桜並木街道へと続く狭い路地は夜の闇が手伝って一層陰気な臭いがする。
 この路地から招かざる|魑魅魍魎《ちみもうりょう》の類がやって来るような気配すらある。
 その一角に目が留まった。
 神社の裏手にあたる駐車場だった。
 薄ぼんやりとした明かりが点っていたのだ。
 最初は|灯籠《とうろう》か何かかと思ったが、よく目を凝らすと、徐々に形がくっきりと浮かび上がってくる。
 思わず唾を飲み下した。
 ひとりの女が立ち尽くしていた。
 世の中のすべてに絶望したその顔は真っ赤な血に濡れている。
「おいねちゃんのお付き人が亡くなってからどのくらい経つの?」
「あと一時間でちょうど三年」
「じゃあ、なおさら急がないと。さぁ、真。彼女を成仏させてあげよう。そして、おいねちゃんと一緒にあの世へ送り出してやろう」
「さぁ、夕日に向かって走ろう!」と真之助が昔の青春ドラマにありそうなキラキラと眩しい笑顔を張り付けて笑うから、ここは河川敷だっけと錯覚に陥りそうになる。
 この生き生きとした守護霊は本当に死んでいるのだろうか。
 オレは時々わからなくなる。