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第13話 新しい暮らし

ー/ー



 その晩は安いビジネスホテルに泊まる凪沙と愛玲奈(あれな)。二人別々のベッドに入ると愛玲奈(あれな)が凪沙を求め、潤んだ瞳と甘えた仕草で両手を広げる。凪沙はため息を吐くと愛玲奈(あれな)のベッドに滑り込んだ。二人は早朝まで激しく愛を交わし合った。
 ブッフェスタイルの朝食をとるとすぐに不動産屋を何軒か回る。車がなくとも何とか生活できて契約時にも色々面倒ごとがなさそうな安い物件を見つけたのですぐに契約した。一階だが今は贅沢は言えない。入居まで五日かかると言うのでその間はレディースルームありのネットカフェ生活だ。
 次に仕事を探す。愛玲奈(あれな)はすぐ朝市の観光者向け海鮮料理屋の仕事を見つけてきた。その積極性は凪紗にとって全く意外なことだった。その凪沙は魚の加工箱詰め作業員の仕事を見つける。

 そしてついにアパートに入居する日になった。凪沙は愛玲奈(あれな)と連れ立って布団を買い日用品を買いアパートに入る。流しに粗末な赤いプラスチックのコップを置いてそこに二人の歯ブラシを入れる。これから新しい生活が始まる実感がわいて、二人は顔を見合わせはにかむように微笑みあう。

 翌朝愛玲奈(あれな)が目覚めると、ちゃぶ台にはもう朝食とお昼のお弁当が用意されていた。朝食は焼き鮭と卵焼きとみそ汁とポテトサラダにミニトマトとわかめと豆腐のみそ汁。愛玲奈(あれな)は手を合わせて感激した。

「わあっ、凪沙お母さんみたい。でなかったら旅館の朝ごはんみたい。すてき」

「はは、母親の真似事を十一からやってたからね。今思えば色々経験しといてよかった」

「明日は私が作るからね」

「えええ」

 凪沙はわざと困惑したような表情を見せる。

「まっ、何そのリアクション」

「ふふっ、じゃあ藤峯家ご息女の腕前見せていただきましょうか」

 翌日作った愛玲奈(あれな)の朝食は、観光客向けのベーカリーで買ってきた高価なクロワッサン、火を通し過ぎて少し硬くなったスクランブルドエッグ、レタスとミニトマトのサラダにバナナ半切れ、グアテマラコーヒーといったものだった。無駄に高価なクロワッサン以外は凪沙の思っていた以上だったので、癖っ毛でくしゃくしゃの頭を撫でると、子猫のように目を細めて喜ぶ愛玲奈(あれな)だった。

 新生活からふた月近くが経った。凪沙や愛玲奈(あれな)にとっては新生活と言うよりも新婚生活と言うのふさわしかったかも知れない。二人にとっては貧しくとも充実した日々だった。休日には二人でどこかに出かけ観光する。愛玲奈(あれな)は早くこの街に溶け込んでこの街と一体化したいと言った。そうしないと死ぬに死ねないから、と。その言葉を思うと凪沙は愛玲奈(あれな)を連れて外に出るのがためらわれた。その愛玲奈(あれな)は体調を崩して倒れることが頻繁で、バイト先にも迷惑をかけている状態だった。だが当の愛玲奈(あれな)はそんなことは気にもとめていない様子だった。凪沙は愛玲奈愛玲奈(あれな)に病院へ検査に行くよう何度も説得を試みたが、全く耳を貸す様子はなかった。

 そしてここ函館で初めて新年を迎えようとする日の夜、二人は初詣に出かける。深夜まで営業する路面電車に揺られ少し遠い神社へ向かった。境内の階段でカップルらしき男女が目の前にいて、同い年くらいで凪沙よりも長い髪のきれいな女性が、酔っているのかウザいくらい大声でけたたましく喋っていた。挙句は滑って階段から転げ落ちそうになって相手の男性に支えてもらい、何がおかしいのかまた大声で笑う。その声が凪沙には耳障りだった(※)。
 カップルらしい男女が騒々しく遠ざかって行ったあと、二人は静かに賽銭箱へ五円玉を投げ入れ鈴を鳴らす。凪沙には願い事がいくつもあった。中古のポンコツでいいから車が買えますように。社員に昇格出来ますように。もっといいアパートで暮らせますように。そして愛玲奈(あれな)の虚弱体質が改善され、どうか愛玲奈(あれな)が死んだりせず、この生活がいつまでも続きますように。
 一方であっさりとお祈りを済ませた愛玲奈(あれな)に凪沙は訊いてみた。

「何お願いした?」

「ん、世界平和」

「はっ?」

 そうしれっと答えた愛玲奈(あれな)に凪沙は開いた口が塞がらない。

「だって世界中のみんなに平和が訪れるんなら私たちにだって平和が訪れるはずでしょう。私、自分たちだけじゃなくてみんなに幸せになって欲しいの」

 満面の笑みを愛玲奈(あれな)は見せる。くしゃくしゃな髪、淡くそばかすの浮いた顔、大きな丸眼鏡、どれをとっても素朴さそのものの顔立ちが天使のように美しく見えるのは、その心根のせいなのかもしれない。凪沙は愛玲奈(あれな)を抱き締めたい衝動に駆られたが手袋をした手を握るにとどめた。
 おみくじを引いて焼き鳥を食べながら内容をあらためる。凪沙は小吉、愛玲奈(あれな)は大吉だった。はしゃいで笑顔が止まらない愛玲奈(あれな)が子供のようで可愛い。一方で凪沙は「思わぬ(いさか)いに心せよ」の文面が心に引っ掛かったままだった。

※ 「境内の階段でカップルらしき男女~何がおかしいのかまた大声で笑う」
拙作「月と影――ジムノペディと夜想曲」第29話「初詣」より。

◆次回 第14話 来訪者


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 その晩は安いビジネスホテルに泊まる凪沙と|愛玲奈《あれな》。二人別々のベッドに入ると|愛玲奈《あれな》が凪沙を求め、潤んだ瞳と甘えた仕草で両手を広げる。凪沙はため息を吐くと|愛玲奈《あれな》のベッドに滑り込んだ。二人は早朝まで激しく愛を交わし合った。
 ブッフェスタイルの朝食をとるとすぐに不動産屋を何軒か回る。車がなくとも何とか生活できて契約時にも色々面倒ごとがなさそうな安い物件を見つけたのですぐに契約した。一階だが今は贅沢は言えない。入居まで五日かかると言うのでその間はレディースルームありのネットカフェ生活だ。
 次に仕事を探す。|愛玲奈《あれな》はすぐ朝市の観光者向け海鮮料理屋の仕事を見つけてきた。その積極性は凪紗にとって全く意外なことだった。その凪沙は魚の加工箱詰め作業員の仕事を見つける。
 そしてついにアパートに入居する日になった。凪沙は|愛玲奈《あれな》と連れ立って布団を買い日用品を買いアパートに入る。流しに粗末な赤いプラスチックのコップを置いてそこに二人の歯ブラシを入れる。これから新しい生活が始まる実感がわいて、二人は顔を見合わせはにかむように微笑みあう。
 翌朝|愛玲奈《あれな》が目覚めると、ちゃぶ台にはもう朝食とお昼のお弁当が用意されていた。朝食は焼き鮭と卵焼きとみそ汁とポテトサラダにミニトマトとわかめと豆腐のみそ汁。|愛玲奈《あれな》は手を合わせて感激した。
「わあっ、凪沙お母さんみたい。でなかったら旅館の朝ごはんみたい。すてき」
「はは、母親の真似事を十一からやってたからね。今思えば色々経験しといてよかった」
「明日は私が作るからね」
「えええ」
 凪沙はわざと困惑したような表情を見せる。
「まっ、何そのリアクション」
「ふふっ、じゃあ藤峯家ご息女の腕前見せていただきましょうか」
 翌日作った|愛玲奈《あれな》の朝食は、観光客向けのベーカリーで買ってきた高価なクロワッサン、火を通し過ぎて少し硬くなったスクランブルドエッグ、レタスとミニトマトのサラダにバナナ半切れ、グアテマラコーヒーといったものだった。無駄に高価なクロワッサン以外は凪沙の思っていた以上だったので、癖っ毛でくしゃくしゃの頭を撫でると、子猫のように目を細めて喜ぶ|愛玲奈《あれな》だった。
 新生活からふた月近くが経った。凪沙や|愛玲奈《あれな》にとっては新生活と言うよりも新婚生活と言うのふさわしかったかも知れない。二人にとっては貧しくとも充実した日々だった。休日には二人でどこかに出かけ観光する。|愛玲奈《あれな》は早くこの街に溶け込んでこの街と一体化したいと言った。そうしないと死ぬに死ねないから、と。その言葉を思うと凪沙は|愛玲奈《あれな》を連れて外に出るのがためらわれた。その|愛玲奈《あれな》は体調を崩して倒れることが頻繁で、バイト先にも迷惑をかけている状態だった。だが当の|愛玲奈《あれな》はそんなことは気にもとめていない様子だった。凪沙は愛玲奈|愛玲奈《あれな》に病院へ検査に行くよう何度も説得を試みたが、全く耳を貸す様子はなかった。
 そしてここ函館で初めて新年を迎えようとする日の夜、二人は初詣に出かける。深夜まで営業する路面電車に揺られ少し遠い神社へ向かった。境内の階段でカップルらしき男女が目の前にいて、同い年くらいで凪沙よりも長い髪のきれいな女性が、酔っているのかウザいくらい大声でけたたましく喋っていた。挙句は滑って階段から転げ落ちそうになって相手の男性に支えてもらい、何がおかしいのかまた大声で笑う。その声が凪沙には耳障りだった(※)。
 カップルらしい男女が騒々しく遠ざかって行ったあと、二人は静かに賽銭箱へ五円玉を投げ入れ鈴を鳴らす。凪沙には願い事がいくつもあった。中古のポンコツでいいから車が買えますように。社員に昇格出来ますように。もっといいアパートで暮らせますように。そして|愛玲奈《あれな》の虚弱体質が改善され、どうか|愛玲奈《あれな》が死んだりせず、この生活がいつまでも続きますように。
 一方であっさりとお祈りを済ませた|愛玲奈《あれな》に凪沙は訊いてみた。
「何お願いした?」
「ん、世界平和」
「はっ?」
 そうしれっと答えた|愛玲奈《あれな》に凪沙は開いた口が塞がらない。
「だって世界中のみんなに平和が訪れるんなら私たちにだって平和が訪れるはずでしょう。私、自分たちだけじゃなくてみんなに幸せになって欲しいの」
 満面の笑みを|愛玲奈《あれな》は見せる。くしゃくしゃな髪、淡くそばかすの浮いた顔、大きな丸眼鏡、どれをとっても素朴さそのものの顔立ちが天使のように美しく見えるのは、その心根のせいなのかもしれない。凪沙は|愛玲奈《あれな》を抱き締めたい衝動に駆られたが手袋をした手を握るにとどめた。
 おみくじを引いて焼き鳥を食べながら内容をあらためる。凪沙は小吉、|愛玲奈《あれな》は大吉だった。はしゃいで笑顔が止まらない|愛玲奈《あれな》が子供のようで可愛い。一方で凪沙は「思わぬ|諍《いさか》いに心せよ」の文面が心に引っ掛かったままだった。
※ 「境内の階段でカップルらしき男女~何がおかしいのかまた大声で笑う」
拙作「月と影――ジムノペディと夜想曲」第29話「初詣」より。
◆次回 第14話 来訪者