第9話 決意
ー/ー
若くて黒いシャツを着た晃がトイレに立っている間、筋肉質で野太い声の桐吾が凪沙に頭を下げる。
「さっきはすみませんでした。本当にありがとうございます」
事情がの呑み込めない愛玲奈に凪沙は簡潔に事情を説明した。
「多分あいつは発作的に死のうとしたんだと思います。今までも五、六回そういうことがありました」
「でもなんで……」
心配そうな愛玲奈の問いに桐吾は少し唇を舐め、凪沙と愛玲奈をちらっと見た。
「それは言えません…… あいつにとってはセンシティブな問題を抱えていましてね」
そこで晃が帰ってきて、みんなに紙カップのドリンクを配った。凪沙と晃の眼が合うと晃は凪沙をひと睨みした。
「今回の旅行は観光なんですか?」
凪沙は軽い口調で桐吾に話しかけたが、桐吾の声はさらに重くなる。
「いえ、旭川の父がもう長くはないようなので死に目に会いに行く途中です」
「それは……」
凪沙は小さく呟く。
「お辛いですね」
愛玲奈も視線を床に落として呟いた。
「いやあ、父とはひどい不仲でしたので今更どうというものでもありません」
と苦笑いをしたあと、桐吾の眼が鈍く光った。大きく息を吐く。
「そしてそこで――」
晃が厳しい顔をして桐吾に何かささやいた。だめだよ、とか何とか言っている。桐吾は視線を床に落として呻くように呟いた。
「大丈夫だ。この人たちは信用できるよ。俺はもう疲れた。それに二人は――」
桐吾は顔を上げ沈痛な、かつ泣きそうな眼で二人を見つめる。
「お二人とも男しか愛せない男をどう思われますか」
ああそういうことか。凪沙には全て合点がいった。桐吾の苦悩も、晃の絶望と死への願望も。凪沙と愛玲奈には判る。凪沙と愛玲奈には誰よりもよく判る。彼女らもまた同じ境遇の身なのだから。凪沙も緊張でつばを飲み込むと答えた。
「それはごく普通にあることで珍しいことではないと思います」
「そうですか……」
桐吾は少し肩の荷が下りたような顔をした。
「私は旭川の家でその自分の性的志向を明らかにしようと思っています。カミングアウトってやつですよ」
桐吾は少し自嘲気味に言った。桐吾たちは正面から自分の運命を切り開こうとしている。だのに、振り返ってみるとわたし達はなんだろう。自らを省みて何か後ろめたいものを感じる凪沙だった。
愛玲奈が少し辛そうにしているので凪沙はその場を辞去し自分たちのスペースに戻る。ゆらりゆらりと船に揺られながら寝る不思議な感覚を覚えながら凪沙と愛玲奈は浅い眠りについた。
ゆっくり微かに揺れる船に違和感があったのだろうか凪沙と愛玲奈はいつもより少し早い時間に目覚める。
「おなか減った……」
珍しく愛玲奈が呟く。一方凪沙は船の揺れのせいか胃が重い。空腹の愛玲奈を連れてレストランへ向かった。そこで食事中二人はまた桐吾と晃に会う。
「おはようございます。同席してよろしいですか」
凪沙は同席を認めた。男性がいると他の厄介な男性が絡んでくることもない。更に桐吾たちは女性にとって安全な男性たちだった。
「苫小牧から車で移動されるんですか?」
凪沙が訊く。
「そうですね」
桐吾は穏やかな表情で答えた。
「お二人はこのあともヒッチハイクで? 気をつけて下さい。時間に余裕があれば俺たちの車にお乗せしても良かったのですが」
そうしてもらいたいのは山々だったがわがままを言う訳にも行くまい。それにあまり二人に甘えたくもなかった。
そのあとはよく眠れたかどうかなどよもやま話をする。するとつい凪沙の口からぽろりと一言、
「お二人はお強いんですね……」
と口を突いて出る。
「いや…… 俺らは強くないです。強くないからこういう生き方しかできない」
そのあと四人はそれぞれの思いを胸に黙って食事を終え、朝食会は散会となった。
一時過ぎには船が入港する。二人は用意を整え船から降りた。桐吾や晃に挨拶できればと思ったがどこの客室にいるのかすらわからないので諦めるしかない。
次に乗せてくれそうな車を探そうと駐車場をうろついていたところ、後ろからクラクションを鳴らされる。振り向いた凪沙たちの眼に入ったのは真っ青なスポーツカーだった。そこから手と顔を出したのは桐吾だ。助手席には晃が、愛想程度に会釈をしている。
「かっこいい車ですね」
と凪沙が褒めると
「ああこいつは晃のでね。実は俺、車持ってないんです」
と桐吾が苦笑いしながら答える。
「もしよかったらすぐそこだけど苫小牧駅まで送りましょう。これも何かの縁です」
笑顔の桐吾の提案に乗った凪沙と愛玲奈。桐吾と晃が車を降り、そこから後部座席に凪沙と愛玲奈が乗り込む。スポーツカーなのに意外と狭くないが圧迫感があって息が詰まる。だが二人が乗った車の中では間違いなく一番いい車だった。
発車するとすぐに和やかに歓談をする四人だったが、ふと桐吾が真剣な顔になったのがミラーからわかる。
「あれは…… 違いますよね。大学の記念旅行って」
「えっ……」
不意を突かれた凪沙は言葉が出ない。
「普通記念旅行は前期試験の終わった夏にやるものです、それでなければ後期試験日程の全て終わった二月辺りとかでしょうか。後期試験の近い今やるものではありません」
「……それで、何をおっしゃりたいのでしょう」
失敗した。凪沙は後悔した。すっかり油断してぎゅうぎゅう詰めの後部シートに詰め込まれてしまったミスに唇を噛む。右腕に力が入る。愛玲奈は成り行きが見えず呆気にとられた顔をしている。
「ああ、いや、すいません。心配しないで下さい。特にどうという事ではないんですよ。ただ、判る人には判ってしまう嘘なので、もっと上手く言った方がいいよ、とでもいいましょうか……」
「そう、ですか……」
凪沙の緊張感は消えない。
「お二人も色々あるんですね」
「ええ、まあ……」
凪沙の警戒心が解けぬまま車は苫小牧駅に着いた。凪沙の不安とは裏腹に桐吾と晃は座席から降り二人をすんなりと下ろした。
「ありがとうございました」
「いいえ、どういたしまして」
緊張のほどけた凪沙に笑顔が浮かぶ。凪沙は桐吾を疑ったことを申し訳なく思った。凪沙はこの二人にメッセージを伝えたかった。
「あの……」
「はい」
凪沙は勇気を振り絞る。
「あの! どうか幸せになって下さい!」
桐吾と晃は笑みを浮かべると桐吾が答えた。
「あなた方も、お幸せに」
二人は車に乗り込むと軽快な音を立てて颯爽と走り去っていった。
「……なろう」
凪沙の呟きに気付く愛玲奈。
「なに?」
「幸せになろう。わたしたちも」
「うんっ」
凪沙の決意に応えて愛玲奈は凪沙の手をきゅっと握った。
◆次回 第10話 産まれざるもの
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若くて黒いシャツを着た|晃《あきら》がトイレに立っている間、筋肉質で野太い声の|桐吾《とうご》が|凪沙《なぎさ》に頭を下げる。
「さっきはすみませんでした。本当にありがとうございます」
事情がの呑み込めない|愛玲奈《あれな》に凪沙は簡潔に事情を説明した。
「多分あいつは発作的に死のうとしたんだと思います。今までも五、六回そういうことがありました」
「でもなんで……」
心配そうな|愛玲奈《あれな》の問いに桐吾は少し唇を舐め、凪沙と|愛玲奈《あれな》をちらっと見た。
「それは言えません…… あいつにとってはセンシティブな問題を抱えていましてね」
そこで晃が帰ってきて、みんなに紙カップのドリンクを配った。凪沙と晃の眼が合うと晃は凪沙をひと睨みした。
「今回の旅行は観光なんですか?」
凪沙は軽い口調で桐吾に話しかけたが、桐吾の声はさらに重くなる。
「いえ、旭川の父がもう長くはないようなので死に目に会いに行く途中です」
「それは……」
凪沙は小さく呟く。
「お辛いですね」
|愛玲奈《あれな》も視線を床に落として呟いた。
「いやあ、父とはひどい不仲でしたので今更どうというものでもありません」
と苦笑いをしたあと、桐吾の眼が鈍く光った。大きく息を吐く。
「そしてそこで――」
晃が厳しい顔をして桐吾に何かささやいた。だめだよ、とか何とか言っている。桐吾は視線を床に落として呻くように呟いた。
「大丈夫だ。この人たちは信用できるよ。俺はもう疲れた。それに二人は――」
桐吾は顔を上げ沈痛な、かつ泣きそうな眼で二人を見つめる。
「お二人とも男しか愛せない男をどう思われますか」
ああそういうことか。凪沙には全て合点がいった。桐吾の苦悩も、晃の絶望と死への願望も。凪沙と|愛玲奈《あれな》には判る。凪沙と|愛玲奈《あれな》には誰よりもよく判る。彼女らもまた同じ境遇の身なのだから。凪沙も緊張でつばを飲み込むと答えた。
「それはごく普通にあることで珍しいことではないと思います」
「そうですか……」
桐吾は少し肩の荷が下りたような顔をした。
「私は旭川の家でその自分の性的志向を明らかにしようと思っています。カミングアウトってやつですよ」
桐吾は少し自嘲気味に言った。桐吾たちは正面から自分の運命を切り開こうとしている。だのに、振り返ってみるとわたし達はなんだろう。自らを省みて何か後ろめたいものを感じる凪沙だった。
|愛玲奈《あれな》が少し辛そうにしているので凪沙はその場を辞去し自分たちのスペースに戻る。ゆらりゆらりと船に揺られながら寝る不思議な感覚を覚えながら凪沙と|愛玲奈《あれな》は浅い眠りについた。
ゆっくり微かに揺れる船に違和感があったのだろうか凪沙と|愛玲奈《あれな》はいつもより少し早い時間に目覚める。
「おなか減った……」
珍しく|愛玲奈《あれな》が呟く。一方凪沙は船の揺れのせいか胃が重い。空腹の|愛玲奈《あれな》を連れてレストランへ向かった。そこで食事中二人はまた桐吾と晃に会う。
「おはようございます。同席してよろしいですか」
凪沙は同席を認めた。男性がいると他の厄介な男性が絡んでくることもない。更に桐吾たちは女性にとって安全な男性たちだった。
「苫小牧から車で移動されるんですか?」
凪沙が訊く。
「そうですね」
桐吾は穏やかな表情で答えた。
「お二人はこのあともヒッチハイクで? 気をつけて下さい。時間に余裕があれば俺たちの車にお乗せしても良かったのですが」
そうしてもらいたいのは山々だったがわがままを言う訳にも行くまい。それにあまり二人に甘えたくもなかった。
そのあとはよく眠れたかどうかなどよもやま話をする。するとつい凪沙の口からぽろりと一言、
「お二人はお強いんですね……」
と口を突いて出る。
「いや…… 俺らは強くないです。強くないからこういう生き方しかできない」
そのあと四人はそれぞれの思いを胸に黙って食事を終え、朝食会は散会となった。
一時過ぎには船が入港する。二人は用意を整え船から降りた。桐吾や晃に挨拶できればと思ったがどこの客室にいるのかすらわからないので諦めるしかない。
次に乗せてくれそうな車を探そうと駐車場をうろついていたところ、後ろからクラクションを鳴らされる。振り向いた凪沙たちの眼に入ったのは真っ青なスポーツカーだった。そこから手と顔を出したのは桐吾だ。助手席には晃が、愛想程度に会釈をしている。
「かっこいい車ですね」
と凪沙が褒めると
「ああこいつは晃のでね。実は俺、車持ってないんです」
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笑顔の桐吾の提案に乗った凪沙と|愛玲奈《あれな》。桐吾と晃が車を降り、そこから後部座席に凪沙と愛玲奈が乗り込む。スポーツカーなのに意外と狭くないが圧迫感があって息が詰まる。だが二人が乗った車の中では間違いなく一番いい車だった。
発車するとすぐに和やかに歓談をする四人だったが、ふと桐吾が真剣な顔になったのがミラーからわかる。
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不意を突かれた凪沙は言葉が出ない。
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「……それで、何をおっしゃりたいのでしょう」
失敗した。凪沙は後悔した。すっかり油断してぎゅうぎゅう詰めの後部シートに詰め込まれてしまったミスに唇を噛む。右腕に力が入る。|愛玲奈《あれな》は成り行きが見えず呆気にとられた顔をしている。
「ああ、いや、すいません。心配しないで下さい。特にどうという事ではないんですよ。ただ、判る人には判ってしまう嘘なので、もっと上手く言った方がいいよ、とでもいいましょうか……」
「そう、ですか……」
凪沙の緊張感は消えない。
「お二人も色々あるんですね」
「ええ、まあ……」
凪沙の警戒心が解けぬまま車は苫小牧駅に着いた。凪沙の不安とは裏腹に桐吾と晃は座席から降り二人をすんなりと下ろした。
「ありがとうございました」
「いいえ、どういたしまして」
緊張のほどけた凪沙に笑顔が浮かぶ。凪沙は桐吾を疑ったことを申し訳なく思った。凪沙はこの二人にメッセージを伝えたかった。
「あの……」
「はい」
凪沙は勇気を振り絞る。
「あの! どうか幸せになって下さい!」
桐吾と晃は笑みを浮かべると桐吾が答えた。
「あなた方も、お幸せに」
二人は車に乗り込むと軽快な音を立てて颯爽と走り去っていった。
「……なろう」
凪沙の呟きに気付く|愛玲奈《あれな》。
「なに?」
「幸せになろう。わたしたちも」
「うんっ」
凪沙の決意に応えて|愛玲奈《あれな》は凪沙の手をきゅっと握った。
◆次回 第10話 産まれざるもの