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先輩(12)

ー/ー



 酸素を供給する機械の音が虚しく居室を響く。
 全てを話し終えた母親は苦しげに胸を上下させながら天井を見る。
 目尻には涙の跡がくっきりと残っていた。
 看取り人は、表情を変えずじっと母親を見つめる。
「あの子は・・・ちゃんと暮らせてるのかい?」
「はいっ。貴方の妹さんが愛情いっぱいかけてます」
「そうかい・・」
 母親は、切長の目を細める。
「妹にも苦労かけたね」
 母親は、看取り人を見る。
「あんたはあの子の彼氏かなんかかい?」
「違います」
「そこは嘘でもそうですと答えるんだよ。これから死ぬ人間を少しでも安心させな」
「これから死にゆく人だからこそ嘘はつきません」
 看取り人は、澱みなく答える。
 母親は、苦笑する。
「それじゃあ、嘘をつけないあんたに聞くよ。私のことをどう思った?」
 看取り人の三白眼が僅かに揺れる。
「・・・最低だと思ってます」
 パソコンの上に置かれた手を小さく握る。
「どんな理由があろうが、どれだけ先輩のことを愛していると口に出そうが、貴方のやったことは許されることではない。許されちゃいけない。貴方の罪が消えることは決してありません」
 酸素チューブから息が漏れる。
 母親の切長の目が大きく揺れ、悲しげに笑う。
「その通りだ」
 その声は震え、掠れていた。
「だからこそ・・あの子には言わないで。私があの子を愛しているなんて間違っても言わないで」
 母親は、天井に顔を向ける。
 切長の目から涙が溢れ、シーツを濡らす。
「私を嫌って。私を憎んで。私を恨んで。貴方がもらえるはずだった幸せを、愛情を奪った私を・・」
 枯れ木のような腕が敷布から出て空で動く。
 まるで何かを撫でるように。
「あんたにお願いがある」
 母親は、天井を向いたまま言う。
「・・なんでしょう?」
 母親は、優しく優しく空を撫でる。
「一つは・・さっきも言ったように今話したことは絶対に伝えないで」
「・・分かりました」
「もう一つはね・・・」
 母親は、息と涎を飲み込み、口を開く。
 看取り人の目が大きく開く。
「それは・・・」
「私の最後の願いだ」
 母親は、切長の目で看取り人を見る。
 その弱々しい光を放つ目から強い願いが溢れていた。
「頼んだよ」

 先輩は、直ぐに見つかった。
 居室を出ると顔見知りのヘルパーが看取り人に声をかけてきて、金髪の女の子が泣いて動けなくなってるからヘルパールームで休ませていると言う。
 ホスピスという日常よりも死に近い空間で働く人達は誰かが泣いているくらいでは動じない。その時の様子を見て必要な動きを的確に判断する。
 だからこそヘルパーは、直ぐに声を掛けるのではなく、看取り人が出てくるのを待っていてくれたのだろう。
 看取り人は、ヘルパーの配慮に感謝し、頭を下げるとヘルパールームに向かった。
 先輩は、ヘルパールームの簡易的なソファに座って膝を抱えて泣きじゃくりながら震えていた。
 その姿が見たこともない先輩の幼い時と重なる。
 先輩は、言葉にこそ出さないがずっとそうやっていつ帰ってくるか分からない母親を待っていた。
 待っていて・・・裏切られた。
 看取り人は,表情を変えないまま唇を小さく噛む。
「先輩・・」
 看取り人が声をかけると先輩の身体がびくっと震える。
 顔を上げた先輩の顔は涙に濡れ、血の気が引いていた。
 看取り人は、三白眼を顰め、ポケットからハンカチを取り出して先輩に渡す。
 先輩は、ハンカチを切長の右目でじっと見る。
「・・、ママは?」
 先輩は、ハンカチを受け取らないまま顔を上げる。
 目に溜まった涙が器から零れるように頬を伝う。
「・・・・昏睡状態に入りました」
 看取り人の言葉に先輩の右目が震える。
 看取り人は、先輩の隣に座ると手に持ったハンカチで彼女の右目から零れる涙を優しく拭う。
 先輩の目が大きく開き、血の気のなかった頬が少しだけ赤らむ。
「先輩・・僕と一緒にお母さんのところに行きましょう」
 看取り人の言葉に先輩の目が大きく震えた。


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 酸素を供給する機械の音が虚しく居室を響く。
 全てを話し終えた母親は苦しげに胸を上下させながら天井を見る。
 目尻には涙の跡がくっきりと残っていた。
 看取り人は、表情を変えずじっと母親を見つめる。
「あの子は・・・ちゃんと暮らせてるのかい?」
「はいっ。貴方の妹さんが愛情いっぱいかけてます」
「そうかい・・」
 母親は、切長の目を細める。
「妹にも苦労かけたね」
 母親は、看取り人を見る。
「あんたはあの子の彼氏かなんかかい?」
「違います」
「そこは嘘でもそうですと答えるんだよ。これから死ぬ人間を少しでも安心させな」
「これから死にゆく人だからこそ嘘はつきません」
 看取り人は、澱みなく答える。
 母親は、苦笑する。
「それじゃあ、嘘をつけないあんたに聞くよ。私のことをどう思った?」
 看取り人の三白眼が僅かに揺れる。
「・・・最低だと思ってます」
 パソコンの上に置かれた手を小さく握る。
「どんな理由があろうが、どれだけ先輩のことを愛していると口に出そうが、貴方のやったことは許されることではない。許されちゃいけない。貴方の罪が消えることは決してありません」
 酸素チューブから息が漏れる。
 母親の切長の目が大きく揺れ、悲しげに笑う。
「その通りだ」
 その声は震え、掠れていた。
「だからこそ・・あの子には言わないで。私があの子を愛しているなんて間違っても言わないで」
 母親は、天井に顔を向ける。
 切長の目から涙が溢れ、シーツを濡らす。
「私を嫌って。私を憎んで。私を恨んで。貴方がもらえるはずだった幸せを、愛情を奪った私を・・」
 枯れ木のような腕が敷布から出て空で動く。
 まるで何かを撫でるように。
「あんたにお願いがある」
 母親は、天井を向いたまま言う。
「・・なんでしょう?」
 母親は、優しく優しく空を撫でる。
「一つは・・さっきも言ったように今話したことは絶対に伝えないで」
「・・分かりました」
「もう一つはね・・・」
 母親は、息と涎を飲み込み、口を開く。
 看取り人の目が大きく開く。
「それは・・・」
「私の最後の願いだ」
 母親は、切長の目で看取り人を見る。
 その弱々しい光を放つ目から強い願いが溢れていた。
「頼んだよ」
 先輩は、直ぐに見つかった。
 居室を出ると顔見知りのヘルパーが看取り人に声をかけてきて、金髪の女の子が泣いて動けなくなってるからヘルパールームで休ませていると言う。
 ホスピスという日常よりも死に近い空間で働く人達は誰かが泣いているくらいでは動じない。その時の様子を見て必要な動きを的確に判断する。
 だからこそヘルパーは、直ぐに声を掛けるのではなく、看取り人が出てくるのを待っていてくれたのだろう。
 看取り人は、ヘルパーの配慮に感謝し、頭を下げるとヘルパールームに向かった。
 先輩は、ヘルパールームの簡易的なソファに座って膝を抱えて泣きじゃくりながら震えていた。
 その姿が見たこともない先輩の幼い時と重なる。
 先輩は、言葉にこそ出さないがずっとそうやっていつ帰ってくるか分からない母親を待っていた。
 待っていて・・・裏切られた。
 看取り人は,表情を変えないまま唇を小さく噛む。
「先輩・・」
 看取り人が声をかけると先輩の身体がびくっと震える。
 顔を上げた先輩の顔は涙に濡れ、血の気が引いていた。
 看取り人は、三白眼を顰め、ポケットからハンカチを取り出して先輩に渡す。
 先輩は、ハンカチを切長の右目でじっと見る。
「・・、ママは?」
 先輩は、ハンカチを受け取らないまま顔を上げる。
 目に溜まった涙が器から零れるように頬を伝う。
「・・・・昏睡状態に入りました」
 看取り人の言葉に先輩の右目が震える。
 看取り人は、先輩の隣に座ると手に持ったハンカチで彼女の右目から零れる涙を優しく拭う。
 先輩の目が大きく開き、血の気のなかった頬が少しだけ赤らむ。
「先輩・・僕と一緒にお母さんのところに行きましょう」
 看取り人の言葉に先輩の目が大きく震えた。