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第一話『出奔』

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 ここは世界の極東に位置する孤島。
 無数の岩礁、激しい潮流、見渡す限りの曇天に覆われた島。
 名を鬼ヶ島――鬼族が代々棲まう地である。

 彼らは力のみを法とし、序列の解とする。
 島を統べるは鬼族最強の存在『鬼神』。
 その地位に立つ者は島から出ることを許されていない。
 絶対的な君主として島を治めることを義務付けられ、一生を島で終えるのである。

 鬼ヶ島の中央に位置する大湖、『月輪湖(がちりんこ)』。
 その中心には鬼神一族の住む朱色の御殿が悠然と佇んでいる。
 この御殿こそ、鬼族を統べる鬼神の象徴。

 当代の鬼神の名は『酒呑(シュテン)』。
 先代鬼神の長子にして、歴代でも指折りの剛力持ちである。
 彼には次代の鬼神と期待される一人娘がいる。

 彼女の名は――修羅(シュラ)
 鬼族特有の赤みを帯びた褐色の肌に紅玉の瞳、銀髪(しろがねかみ)の鬼の姫。

 これは後の世で『史上最強の鬼』と謳われる鬼姫の物語。



 統一暦五八七年、弥生の廿八(にじゅうはち)日。
 夜半過ぎ、世もすっかり更け込んだ頃、シュラは湖面に映る望月と逆さ御殿をじっと見つめていた。
 重々しい金棒を肩にあてがい、風に揺れる髪を払う。

「……童の頃は、も少し大きゅう見えたものだがのぅ」

「今はそうでもないと?」

 従者の問いにからりと笑う。

「改めて、儂が収まるには小さいと思うての」

「左様で……」

「お主もそう思わんか?のう、玉梓」

 玉梓、そう呼ばれた女は片膝のまま浅く頷く。
 シュラはそれを一瞥すると、薄く笑みを浮かべた。

「つまらん奴じゃ」

 シュラは小さく零すと、足元に伸びる己の影に視線を落とした。
 彼女は次代の鬼神、鬼神子(おにみこ)として生を受けた。
 生まれながらにしてその未来に皆々が寄せる期待は、周りも知らぬうちに彼女の小さな双肩に重荷となっていることを知る由もなく。

「来る日も来る日も鍛錬、作法の稽古、手習い……つまらん」

 苛立たし気に呟くと、肩から降ろした金棒を地面に突き立てる。
 小夜の静寂(しじま)をずんと重い音が破り、水面がさざめいた。
 鏡月が淡く揺れ、逆さ御殿の影が揺蕩う。

 くしゃ……くしゃり……

 ふとシュラの耳を枯葉を踏み分ける音が触る。
 振り返るとそこには一本下駄に赤ら顔の翁が錦柄の袋を片手に立っていた。

「おうシュラ、肉持って来たぞ」

「そのひょうきんな喋りをどうにかできんかの、じい様」

 彼は先代鬼神『伊吹(イブキ)』。
 シュラの祖父である。
 傍らには黒子装束の側付きを伴っている。

「嫌じゃ。それに、もはや治せんわぃ」

「さよか、酒狸(さかだぬき)め。」

「ならば主も狸じゃな、ガハハッ」

「そな無理すると顎が外れるぞ、じじい」

「それは困るのぅ、干し肉が食えん様になるわぃ」

 そう言って翁は更に大口開けて笑う。

「相も変わらず口の減らん爺じゃ」

 その時、おもむろ玉梓が口を開く。

「御大、大嬢様。潮時かと存じます、大旦那様もじきに気取られるかと……」

「わかっておる」

「なぁんじゃ、もう行くのか……ならば、コイツを用立てるが良い。ほれ」

 そんな気の抜けた声と共に、手にした錦袋を投げ渡される。
 ズシリと重たい感触が手に伝わった。

「困ったときに開けるとよい、中身は……」

 "探せっ!この辺りのはずだ!"

「おっと、もたもたしすぎたのぅ……適当にごまかすから、さっさと行け」

「……あぁ、そうしよう。行くぞ、玉梓」

「承知」

 下駄を大きく鳴らしながら去っていく孫の姿を眺めて、翁は徳利を傾けた。

「月見酒じゃ、お主もどうじゃ。木通(アケビ)よ」

「……よかったのですか?御大、見過ごすどころか手助けまでしてしまって……」

「……ふん。この間までねしょんべん垂れて泣いておった童が、生意気言うようになったわぃ」

「御大……?」

「儂は孫に甘いからの……したいようにすればよい。それに、若人の巣立ちを老骨が止められる道理はない」

 呵々と笑い盃に酒を注ぐと、木通に手渡す。

「お主と儂はここで月見酒をしていただけ、そうじゃろう?」

「御大……」

「怒られるときはお主も一緒じゃて」

「御大……!!」

 呆れを存分に含んだ声が月輪湖の畔に静かにこだまする。


 
 祖父と別れた鬼姫は月輪湖より北西の端砂山(たんざやま)の麓を抜け、西の船着き場へと出た。
 追手の声はまだしない。

「どうやら、じい様がうまくやってくれたらしいの」

「急ぎませ、大嬢。いつまで保つやも……」

「知っておる、そう急かすな」

 玉梓は桟橋に繋がれた小舟の縄を解きながら主を急かして呼ぶ。
 錦の袋は小舟の上で揺れていた。

「して、如何にするか……」

「まさか何もお考えでなかったのですか……?」

「四半刻で決められるほど出来が良くなくての」

「大嬢様……」

 これ見よがしに深く溜息を吐き、嘆くように天を仰いだ。

「……珍しく考えがあると仰せになるので、期待していたというのに……」

「考えならあった、予定通りに進んどらんだけじゃ」

「…………仕方ありません、少し大周りにはなりますが……」

 玉梓は少し思案する素振りを見せると、懐から地図を取り出し筆を走らせる。

「では、深坂山を迂回し東へと回ります」

「その先はどうする?」

「道中に懇意の籠屋がございます、行商に扮し港へ参りましょう。幸いにして(オボロ)との交易の影響で検問も緩くなっております故」

「ではそのように致せ」

「御意に……して、大嬢様。そろそろ大嬢様も櫂を取っていただけませぬか」

「嫌じゃ」

「……では、追手に気付かれてもよろしいので?」

「……何?」

「わえは大嬢と違い剛力自慢ではありませんので、追いつかれるのも時間の問題かと」

「……チッ、寄越せ」

 無言で差し出された櫂を乱暴に受け取ると、慣れぬ手付きで船を漕ぎ始めた。
 視界の隅で小さく笑う玉梓に"謀られた"と思い切り舌打ちをするのであった。


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 ここは世界の極東に位置する孤島。
 無数の岩礁、激しい潮流、見渡す限りの曇天に覆われた島。
 名を鬼ヶ島――鬼族が代々棲まう地である。
 彼らは力のみを法とし、序列の解とする。
 島を統べるは鬼族最強の存在『鬼神』。
 その地位に立つ者は島から出ることを許されていない。
 絶対的な君主として島を治めることを義務付けられ、一生を島で終えるのである。
 鬼ヶ島の中央に位置する大湖、『|月輪湖《がちりんこ》』。
 その中心には鬼神一族の住む朱色の御殿が悠然と佇んでいる。
 この御殿こそ、鬼族を統べる鬼神の象徴。
 当代の鬼神の名は『|酒呑《シュテン》』。
 先代鬼神の長子にして、歴代でも指折りの剛力持ちである。
 彼には次代の鬼神と期待される一人娘がいる。
 彼女の名は――|修羅《シュラ》。
 鬼族特有の赤みを帯びた褐色の肌に紅玉の瞳、|銀髪《しろがねかみ》の鬼の姫。
 これは後の世で『史上最強の鬼』と謳われる鬼姫の物語。
 統一暦五八七年、弥生の|廿八《にじゅうはち》日。
 夜半過ぎ、世もすっかり更け込んだ頃、シュラは湖面に映る望月と逆さ御殿をじっと見つめていた。
 重々しい金棒を肩にあてがい、風に揺れる髪を払う。
「……童の頃は、も少し大きゅう見えたものだがのぅ」
「今はそうでもないと?」
 従者の問いにからりと笑う。
「改めて、儂が収まるには小さいと思うての」
「左様で……」
「お主もそう思わんか?のう、玉梓」
 玉梓、そう呼ばれた女は片膝のまま浅く頷く。
 シュラはそれを一瞥すると、薄く笑みを浮かべた。
「つまらん奴じゃ」
 シュラは小さく零すと、足元に伸びる己の影に視線を落とした。
 彼女は次代の鬼神、|鬼神子《おにみこ》として生を受けた。
 生まれながらにしてその未来に皆々が寄せる期待は、周りも知らぬうちに彼女の小さな双肩に重荷となっていることを知る由もなく。
「来る日も来る日も鍛錬、作法の稽古、手習い……つまらん」
 苛立たし気に呟くと、肩から降ろした金棒を地面に突き立てる。
 小夜の|静寂《しじま》をずんと重い音が破り、水面がさざめいた。
 鏡月が淡く揺れ、逆さ御殿の影が揺蕩う。
 くしゃ……くしゃり……
 ふとシュラの耳を枯葉を踏み分ける音が触る。
 振り返るとそこには一本下駄に赤ら顔の翁が錦柄の袋を片手に立っていた。
「おうシュラ、肉持って来たぞ」
「そのひょうきんな喋りをどうにかできんかの、じい様」
 彼は先代鬼神『|伊吹《イブキ》』。
 シュラの祖父である。
 傍らには黒子装束の側付きを伴っている。
「嫌じゃ。それに、もはや治せんわぃ」
「さよか、|酒狸《さかだぬき》め。」
「ならば主も狸じゃな、ガハハッ」
「そな無理すると顎が外れるぞ、じじい」
「それは困るのぅ、干し肉が食えん様になるわぃ」
 そう言って翁は更に大口開けて笑う。
「相も変わらず口の減らん爺じゃ」
 その時、おもむろ玉梓が口を開く。
「御大、大嬢様。潮時かと存じます、大旦那様もじきに気取られるかと……」
「わかっておる」
「なぁんじゃ、もう行くのか……ならば、コイツを用立てるが良い。ほれ」
 そんな気の抜けた声と共に、手にした錦袋を投げ渡される。
 ズシリと重たい感触が手に伝わった。
「困ったときに開けるとよい、中身は……」
 "探せっ!この辺りのはずだ!"
「おっと、もたもたしすぎたのぅ……適当にごまかすから、さっさと行け」
「……あぁ、そうしよう。行くぞ、玉梓」
「承知」
 下駄を大きく鳴らしながら去っていく孫の姿を眺めて、翁は徳利を傾けた。
「月見酒じゃ、お主もどうじゃ。|木通《アケビ》よ」
「……よかったのですか?御大、見過ごすどころか手助けまでしてしまって……」
「……ふん。この間までねしょんべん垂れて泣いておった童が、生意気言うようになったわぃ」
「御大……?」
「儂は孫に甘いからの……したいようにすればよい。それに、若人の巣立ちを老骨が止められる道理はない」
 呵々と笑い盃に酒を注ぐと、木通に手渡す。
「お主と儂はここで月見酒をしていただけ、そうじゃろう?」
「御大……」
「怒られるときはお主も一緒じゃて」
「御大……!!」
 呆れを存分に含んだ声が月輪湖の畔に静かにこだまする。
 祖父と別れた鬼姫は月輪湖より北西の|端砂山《たんざやま》の麓を抜け、西の船着き場へと出た。
 追手の声はまだしない。
「どうやら、じい様がうまくやってくれたらしいの」
「急ぎませ、大嬢。いつまで保つやも……」
「知っておる、そう急かすな」
 玉梓は桟橋に繋がれた小舟の縄を解きながら主を急かして呼ぶ。
 錦の袋は小舟の上で揺れていた。
「して、如何にするか……」
「まさか何もお考えでなかったのですか……?」
「四半刻で決められるほど出来が良くなくての」
「大嬢様……」
 これ見よがしに深く溜息を吐き、嘆くように天を仰いだ。
「……珍しく考えがあると仰せになるので、期待していたというのに……」
「考えならあった、予定通りに進んどらんだけじゃ」
「…………仕方ありません、少し大周りにはなりますが……」
 玉梓は少し思案する素振りを見せると、懐から地図を取り出し筆を走らせる。
「では、深坂山を迂回し東へと回ります」
「その先はどうする?」
「道中に懇意の籠屋がございます、行商に扮し港へ参りましょう。幸いにして|曨《オボロ》との交易の影響で検問も緩くなっております故」
「ではそのように致せ」
「御意に……して、大嬢様。そろそろ大嬢様も櫂を取っていただけませぬか」
「嫌じゃ」
「……では、追手に気付かれてもよろしいので?」
「……何?」
「わえは大嬢と違い剛力自慢ではありませんので、追いつかれるのも時間の問題かと」
「……チッ、寄越せ」
 無言で差し出された櫂を乱暴に受け取ると、慣れぬ手付きで船を漕ぎ始めた。
 視界の隅で小さく笑う玉梓に"謀られた"と思い切り舌打ちをするのであった。