着ていた服は処分されていたが、帰りは鬼道を通ったので夜道を全裸で歩くという事案は起こらずに済んだものの、タオル一枚で歩いたことは事実で、羞恥心も鍛えられた夜だった。
夜兄とは温泉でお別れ。結緋さんはまだお休みが残っているので、例の【しけんかんべびー】を親父のところに持っていって一緒に調べるって。俺の部屋に戻ってすぐに別れた。ちょっと名残惜しい気はしているけど、大変なのはきっとこれからだからな、昔と違って、この先また機会もあるだろうし、少しだけ我慢だ。
温泉の癒し効果のせいかはわからないが見事に爆睡して寝坊してしまい、学校には間に合ったものの、ホームルームの後壱弥に軽くお小言を言われたが、
「…秋緋、ちょっと変わったみたいだね?」
「さすが壱弥くん、わかる?」
ふふんと鼻を鳴らした俺にちょっとだけ嬉しそうな顔をした。勘違いしないでほしいが、別に同じ職業を目指しているわけじゃないからな。それでも、ちょっとした変化に気づいてくれたのは嬉しい。
「あ、そうだ。例の転校生なんだけど、藻江島先生の【特選】の授業取ったみたいだよ。」
「そうなのそうなの!そしたらね、名前教えてくれたんだよー!」
名前が今のいままでわからなかったのは何故か?
それは俺に施されていた術で聞こえないようになってたのもあるし、意図的に沙織里や壱弥にも伝わらないように親父や珠ちゃん先生がなにかしらしていたせいもある。もちろん相手にも、だ。『名前』ってのは呪いを使うにあたって重要な意味を持つんだって。相手に対しても、己に対しても、だ。
霊力が強い俺たちはその影響を特に受けやすいし、その呪いの力に俺たちの名前で起きる害があるとしたら―。
「絢倉千樹っていうんだって!…でもなんで今教えてくれたんだろう?」
「たぶん藻江島先生の監視下に直接入ったことと、見学の時に一緒になるから、事前にこちらにだけ認知させて、万が一に備えてわずかでも対応できるようにしたって感じじゃないかな。」
「…俺もう身バレしてんだけどそこは?」
そう、俺は名前関係なくすでに被害を受けている。それは壱弥もわかってるはずなんだけど。
「それは謎過ぎるんだよね。僕も調べてはみたけどまったく、どうやったのかわからない。存在感消されすぎて逆に目立ったとか…」
んなことあるわけないだろ。存在感ないのに目立つってどういうことだよ、そんな力あるならぜひ教えてほしいわ。一般人の友人を作りたいよ。
「今日午前で終わりだし、師匠に話聞きに行かない?秋緋も用事あるだろうし、一緒に見学行くってだけしか僕も聞いてないし。古泉さんも来るよね?」
「あ、私実家に帰らないといけなくてこの後すぐにいかなきゃで…一緒にいけないの、ごめんねあーちゃん壱弥くん。」
こんな変な時期に実家に?沙織里が呼び出されるなんて珍しいこともあるもんだ。一緒に過ごせないのは残念だけど、仕方ないか。
「僕もいるからふたりきりにはならないよ。」
「わかってるわ、いちいち読むなっ」
なんていつも通り過ごし、昼過ぎに授業が終わり、下校の時間になる。せっかくだから昼飯を一緒にと思って売店で菓子パンと飲み物、一応親父にもコーヒーをひとつ、購入して保健室へ壱弥と向かう。
「先生たちは会議があるみたいだけど、師匠は特別らしくてそういう教育の現場にはあんまり招待されないみたいだよ。だから今日も…」
「そりゃあんなバケモノが真面目な先生たちの中に紛れてたら集中できないだろ。」
「あはは!実の父親なのにバケモノって…否定はしないけれど。」
どこか遠い目をしている。親父の仕事をたまに手伝っている壱弥は俺の知らない親父の顔も知っているはずだ。まぁそんな顔になるんだからろくな姿じゃないんだろうな、ドンマイ。
コンコンッ、と一応ノックして入室。そこにはルージュ…じゃない親父がいる。
「お?なんだ?サボりかお前ら。」
「馬鹿言わないでください。今日は午前で終わりですよ師匠。師匠こそなんで男の恰好のコスプレをしてるんですか?」
壱弥、これが本来の親父の姿だ。珍しすぎて動揺したのかしらんが、これが本来の、俺の親父、真砂紅司郎だよ。落ち着いてくれ。
「あ~ん?今日はあっちの仕事はしないからオフなんだ、お肌もたまには休まないと荒れちまうからな。結緋に頼まれたもんもあるし。な、秋緋?」
化学実験でもするような道具がデスクに並べられている。保健室を私物化しているのがわかる。本当の病人来たらどうするつもりなんだ。
親父の言う頼まれもんっていうのは例の【しけんかんべびー】さんだ。デスクにわかりやすく、試験管入れにそいつが置かれているのが見えた。
「これをどうするんですか?浄化…?」
「それだけなら簡単だけどなぁ…こいつから情報を引き出す。腹減ってんだろ?飯食いながらでもいいぞ、せっかくだから見てろ。そっちの用事はその後でな?」
お言葉に甘えて…ってのがあってるかわからないが、折り畳みのイスを近くに並べ、壱弥と俺はそこに座り、菓子パンをもそもそ食べながら親父の様子を見守る。
まさに手作りといった和紙を取り出し、文字と陣をサラサラと筆で書きこんでいく。
「秋緋知ってる?一応妖怪研究の界隈だと結構有名なんだよ師匠。もちろん普通の方。」
「ひょうなのか?もぐもぐ…ん。だから今日はルージュしてねぇの?」
仕事云々とか、妖怪研究がどうのこうのより、ルージュかルージュじゃないかの方が俺には大事だ。菓子パンを牛乳で流し込み、親父の方に目を移す。
和紙の上に試験管を乗せ、そこに向けて両手の人差し指と親指を合わせて三角形の形に。その三角形に呪文を通すようにブツブツと唱えている。
ふうッと大きく息を吹きかけると、キラキラとした粒子がデスクごと試験管を輝かせる。
「…ふうん、なるほど。あー…そうか…うーーーん」
独り言を言う親父。何に対して返事をしているのか、なにか見えていてそれに対してのひとり言なのか。わからないまましばらく時間が流れる。
「秋緋は見えてる?」
「なにが?」
「うーん…やっぱり。キラキラしてる粒の中に妖怪特有の言語が刻まれているんだよ。僕も全部は読み取れないけど、感覚的にそれを感じてるんだ。半分妖怪だからね」
暗号や信号程度のものらしいけど、そういう言語があるらしい。
親父はそれをはっきりと見て、読み取って、理解できてるってことか。妖怪の血が流れてる壱弥ですらすべて理解できないのに…結構やるじゃん。
普通に研究者だけしていれば、まあまあかっこいいんだけどな。
整った筋肉で身長もある、顔はまぁ濃い目だけど堀が深いのがイケオジとか言われそうだし。
なぜルージュと化すのか。
「壱弥、もう少しこっちに来てくれ。ちょっとだけ見てほしい。」
「わかりました。」
壱弥を呼んで、浮かんでくるキラキラのいくつかを指差して何かを説明している。壱弥もいやいやな時もあるだろうけど、いつもこうやって手伝ったりしてるんだなって。真剣に話し合うふたりを見て思う。
「よっし。なんとかわかってきたな。秋緋、結緋ももう少ししたら来る。もうちょっと待っとけ。」
ポイっと。袋からコーヒーを出して親父に投げる。
「了解。…っと…ま、おつかれ親父。」
「気が利くじゃねぇか、さんきゅーな!」
バシバシと俺の頭をたたきながらコーヒーを飲んでくれ、壱弥も黙って戻ってきて、イスに座った。ちょっとだけ難しい顔。
「秋緋、よく生きてたね、無事でよかったよ、ほんとに。」
なにを見たのかはわからないけど…壱弥がそんな風に心配するんだから、対峙した時にもヤバそうだなってのは感じてはいたけど、相当危険だったんだな。もちろん、それを生み出しちゃってる転校生も、だ。