信玄は、その引き金を引くことを躊躇っていた。敵である弟を手にかけることに、迷いが生まれていたのだ。
「――躊躇うこたァねえのによ。いくら兄弟とはいえ、相手は多くの人を手にかけた犯罪者だ。情けをかけるほうが、英雄|《ヒーロー》として『らしくねえ』ぜ」
震える銃口、零れる涙。信玄は、信之との誓いを果たせずにいた。『兄弟だろうと、これからは敵同士。情け容赦なく、殺し合う』こと。それをあの日に誓ったはずなのに。
英雄と敵。その直線同士は決して交わることはない。それなのに、信玄の指は、脳は、理性は、殺めることを許してはくれない。
「……んだよ、兄貴。情けねえ……そんなんで、英雄学園二年次最強を名乗っているだとか……笑わせるぜ」
深く傷ついているはずの信之は、信玄を嘲笑う。
覚悟が出来ていないのは、自分だけ。そんな状況に、酷く情けなく感じてしまった。
「いつだって、俺たちは殺し合う。互いの主義主張は、折り合いがつかねえもんだ。折衷案なんてのは、どんな時も妥協案になる。そんなもんが、殺し合う中で罷り通ると思うか? 答えはNOだ。いつだって最高の状態を追い求め合う中で、どちらかが折れるしかねえんだよ」
じれったい状況を見た待田は、信玄の手に念を送り、引き金を無理やり引かせるように動かす。最後は、自分の意志一つあればどうとでもできる、通常であれば最高の御膳立て。しかしこの場においては、最悪の未来すら見える御膳立てであった。
「――ごめんな、信之」
涙ながらに、そう呟いた信玄は、血管が数本ちぎれるほどの全力で、念銃を数発、『上空』に撃ち放つ。待田は力を抜いていたとはいえ、初めて自分の念能力が、純粋な力と同じ念能力で競り負けたことに衝撃を受けた。
数発のエネルギー弾は、地面を強く『振るわせる』ほどの高威力であったと同時に、信号弾ともいえる役割を果たしていた。近くに誰がいる、という訳ではなかったが、遠く離れた大田区でも視認できるほどの莫大なもの。
「――これが、若ェ力ってやつかい」
「それだけじゃあない、俺っちは――――『相棒』を信じただけだ」
そう、信玄の放った銃撃は、強烈な『振動』を生みだした。それ故に、最高の可能性を手繰り寄せたのだ。崖っぷちに立たされた、信玄のド根性。そして信じ抜く心。
「――ナイスタイミングだよ、『ノッブ』!!」
脈動する地中から、土で出来た龍と共に現れたのは、他でもない丙良であった。
敵陣地ど真ん中、人数は実に二人ほど。やれることは限られている。最重要な事柄は信玄を救い出すこと。そしてこの場から逃げ果せること。それと、丙良にとって無視できない事柄を果たすこと。
そこら中の土全てを脈動させ、磔にされた信之を乱暴に掴み、信玄と共に土中に消える。
「――なるほど、実に賢い。若ェのに機を見て襲撃するだなんてよ……猪突猛進じゃあねえのは将来有望だな」
待田はそんな逃げる丙良たちを追うことはせず、そのまま逃がした。不服そうな人間は数名いたものの、異を唱える者はいなかった。
「……しかし、信之まで連れてったのは、正直よく分からねえな。情けでもかけるつもりか? アイツがそれを受け入れるとは……到底思えねえが」
待田の隣で逃げる丙良達を嗤うのは、裏切り者の鍾馗。まるで人を惑わす狐のように目を細め、彼らを嘲笑っていたのだ。
「――実に情けない。ですが……面倒なほどに賢い人間を相手にするのは楽しいです」
「俺が言えたことじゃあねえが……良い性格してるぜお前さん。そして、真に裏切り者となったお前さんだからこそ……信用できるもんだぜ」
待田は丙良達を見失うと同時に、裏切った英雄たちに向き直る。その場に百喰などはいなかったものの、士気は充分であった。
「――手前|《テメェ》ら。俺のために、そして英雄陣営を叩き潰すために……命賭けな」
静かなる宣言は陣地内に響き、一行は雄叫びすら上げずに戦いの時を待つばかり。冷徹な裏切り者たちは、英雄たちを叩き潰すために動き始めるのだった。
現在時刻、朝四時半。英雄陣営で深刻な被害を負った礼安が、最初に起床。未だ寝静まる皆を気遣い、静かに仮設住宅を出る礼安。ここではない遠くの方で、音が聞こえたことに起因する。あとは、新鮮な空気を吸いたかったことも理由としてある。
「――地面が、踊ってるみたい」
ある意味、感知する力は他よりも優れていたため、未だ日が昇らない中で遠くの地面を凝視していた。その礼安の予想は、思ったよりも早く的中する。
大田区内に現る、土で出来た龍に跨り、望まれた帰還を果たしたのは、丙良と信玄。そして、礼安たちにとって一番の予想外たる人物も巻き込んで。
何とか信玄を抱きながら着地する丙良。縛り付けられていた信之は、優しく転がる。
「丙良ししょーと森ししょー!! ……と、森ししょーのそっくりさん?」
「――まあ、兄弟だからねん」
「へ??」
「……まあその反応も無理ないよ。とりあえず……今いる皆を起こしてくれないかな??」
困ったように笑う丙良であったが、礼安は二人の帰還を何より喜んでいた。そして、長いこと会えなかったからこそ、この言葉を何より述べたかったのだろう。子犬のように無邪気に笑いながら、二人の手を握る礼安。
「――お帰りなさい!」
こんなに底なしに良い子を放置してしまったことへ罪悪感が芽生えながら、信玄は丙良と同じように、困ったように笑って見せるのだった。
皆が完全に目覚めるまで、大した時間はいらなかった。丙良、信玄の帰還。それに、まさかのゲストまでやってきたこと。目覚ましには充分であった。
その間にあったことを、丙良と信玄は三倍速で全て説明。何度か礼安の脳味噌がパンクしそうであったが、その度に忠実な側近である院と透、エヴァがかみ砕いて説明。艱難辛苦を乗り越え帰還した二人を褒め称えるのだった。
「……さて、問題はここからだよ。つい出来心で連れてきてしまったキーパーソンだけど……」
説明の合間に、丙良は信之の縄をほどき、『黄金の果実』ライセンスを用いて完全に回復。丙良の間抜けな叫び声が、屋内実習場の空に響き渡った。それにより生まれた変顔の写真を撮ろうとする信玄と、全力で止める丙良。皆、楽しそうに笑っていた。
「――貴方が、茨城支部の支部長さんなんだね」
「……何だよ、瀧本礼安。敵に捕まって、あまつさえ回復の施しまで受けて。俺を間抜けだと嗤うのか」
礼安はその信之の言葉に、首を静かに横に振る。
「……皆を大切にしなかったが故に、皆から見限られて。でもそれは、森ししょーと競い合いたかったんでしょう?」
礼安にとって、学んだもの以外のマイナスの感情はよく分かっていない。しかし、多くの痛みを知っているからこそ、よりポジティブに捉えることができる。
「――お前が俺の何を知っている。恵まれたお前に、俺の何が分かんだよ」
信之は、礼安に対し棘のある態度をとるも、礼安は聖母のような優しい笑みで、信之の手を取る。
「そりゃあ、何も分からないよ。だって、今まで貴方と接したことがないし。分かるはずが無いんだよ。でも、傍に寄り添ってあげることは出来るもん。痛みを共有して、少しくらいは和らげることくらいは出来るもん」
分からないからこそ、傍で支える。痛みの度合いが分からないからこそ、寄り添い続ける。何より分かっていても、分からなくても、礼安は困っている人に手を差し伸べ続ける。
そして、その度に自分の身を犠牲にしながら解決を試みる。見ず知らずの赤の他人であっても、お構いなし。
例えそれが、敵の長であっても。
「――差別って、いつだって駄目なことだと思う。誰かより劣っているだとか、誰かより勝っているだとか。それを明確に態度に出され続けて……深く傷ついたんだよね」
「……俺は、いつだって『持つ者』を恨み続けた。『持たざる者』の代表として、お前ら英雄たちと敵対してきた。殺しだってやってきた」
独白を続けた信之に対し、優しく頬を平手打ちする礼安。しかしその痛みは、実に大したことのないもの。だが信之にとって、どれほどの拷問よりも『響く』痛みであった。
「――それがいけなかった。どんな理由があろうと、誰かを殺めることで優越感に浸った貴方。森ししょーを越えたい、その願い……その欲望を胸に頑張る姿は良かったのに……そこで全てが狂ってしまった。どれだけ主義主張が正しくても……誰かを傷つけ、殺める行為は等しく悪だよ」
初めての、ちゃんとした説教は、信之の心を穿つ。今まで暴力が主体となった、半ば当人のストレス発散行為と化していた『叱る』という行為は、信之にとって何より忌み嫌う行為となっていたのだ。だからこそ、上司から叱責された際、その上司を殺害した。かつて両親から受けた虐待の記憶が、フラッシュバックするためである。
しかし、礼安のそれは信之にとってストレスにはならなかったのだ。それもこれも、虐待している人間ではないため、真の意味で相手を想っているからこそである。
「……んで、そんな英雄様は、俺をどうするつもりだよ。悪いがそう簡単には味方にはならねえぞ。この場で舌を噛み千切って死んでやってもいいんだぜ」
「――大丈夫だ、信之くん。僕たちの目的は、別にある」
夜が明ける、午前五時。礼安をはじめとした、数少ない残留戦力たちは、一堂に会し対『教会』茨城支部の作戦を講じ始めたのだった。
始まりは実に平和なものであった合同演習会も、あと少しで終わりを迎えようとしていた。