【1】
ー/ー
「真佐子、これ」
すぐ後ろの席の高橋 澄麗が、声掛けと同時に紙の束を渡して来る。歴史担当の講師である間中 琉偉のプリントの集め方だ。
「高橋。静宮は『名前で呼ばれたくない』って僕に相談して来たんだ。だから馴れ馴れしくするのはやめなさい」
「え!?」
間中の言葉に真佐子が思わず声を漏らすと、澄麗が少しだけ不快感の滲む表情で「まさ、静宮さん、これお願い」と言い直したあと「嫌だなんて知らなかった。ごめんね」と謝って来る。
「あ、あの私……」
「静宮。早く回しなさい」
大学を卒業したばかりで、この四月から非常勤講師として教壇に立っている彼。熱意が空回りするきらいはあったが、それも若さと経験の浅さ故で、「熱心な先生だ」という印象は生徒も持っていたのではないか。
間中に急かされ、結局真佐子は何も告げられないまま授業に戻った。
「今回は三人か四人のグループで……」
生物の授業で、担当の女性教諭はグループ単位の研究発表スタイルを好む。
「せんせー、自由に決めさせて〜」
「お願い!」
「わかりました。ただし! 少しでも揉めたらリセットして先生が決めるからそのつもりで」
教室のあちこちから上がる声に、根来 幸子教諭は承諾しつつも釘を差して来た。学年主任も努めている彼女は、流石にベテランだけあって生徒の目にも余裕と落ち着きがある。
どうしよう、と居心地の悪い思いでいた真佐子は、後ろから軽く肩を叩かれた。
「静宮さん、一緒にやらない?」
「いいの?」
澄麗の明るい誘いに戸惑う真佐子に、彼女はふわっと笑う。
「あたしから呼んでんだから当たり前でしょー。あたしと春菜と静宮さんでちょうど三人。席近いほうがやりやすいし」
彼女のすぐ後ろの寺岡 春菜は澄麗と仲が良い。
というより澄麗は明るくきっぱりした性格でクラスでも常に中心にいた。
平凡で引っ込み思案の真佐子とは正反対だ。
「高橋さん、確か静宮さんのことも名前で読んでなかった?」
根来教諭の疑問に、澄麗が不満そうに返す。
「そうですよ〜。あたし『友達』は下の名前で呼ぶって決めてるんで! でも間中先生に禁止されたから。まああたしも、静宮さんが嫌だったなんて気づかなかったし……」
「──そう」
何やら難しい顔の根来教諭に、真佐子はここで己が発言すべきだとわかっていても勇気が出なかった。
「間中先生ってちょっと変じゃない? 静宮さんを贔屓してるとかそんなんじゃなくて……、うまく言えないけど」
「必死で『先生』やりたがってる感じ。あたしは好きじゃないな」
間中の名が出たからだろう春菜の言葉に、澄麗が平然と返す。
名前の件も、きっと澄麗には悪気などない。
「あたし、変な名前でしょ?」
「そんな……」
いつか澄麗が話していたのが浮かぶ。
「いいって、気ぃ遣わなくても。派手でキラキラ。でもあたしは気に入ってるんだ。親があたしが生まれたの喜んで、一生懸命考えてつけてくれたから。あと『高橋』が多過ぎて被るのもあるかも」
『澄み切って麗しい』という名がよく似合う華やかな少女。その口から出るには似つかわしくないと感じる、真摯な台詞だったからこそ印象に残っていた。
「だからあたし、好きな友達は名前で呼びたいの」
そう続けた際の綺麗な笑顔とともに。
中高一貫教育の女子校であるこのアンジェラ女学園は、高等部編入は例外的で各クラスに一人か二人のみ。八クラスで十人しか募集がないのだ。
中学までは公立で、いきなり友人関係も出来上がっているだろう中に入ることについては受験前にも散々考えた。
しかし小中学校でほとんど友人と呼べる友人もできなかった真佐子は、孤立したらその時だ、と諦め半分で思い切って受験したのだ。
最初から「もともと関係がある子」ばかりの知らない大勢の中なら、「一人でも当然」と自分を納得させられる。
しかしいざ入学してみれば、澄麗を筆頭にみなごく普通の「クラスメイトの一員」として接してくれた。
現にガイダンスで知り合った他クラスの編入生の一人は、なかなか馴染めないようで冗談交じりに「もう学校やめたいと思うことあるよ」と零していた。
つまり真佐子は本当に恵まれた状況にいるのかもしれない。おそらくは澄麗の言動の影響が大きいのだろうこともわかっている。
「私立のお嬢様学校だし、表立った虐めなんかは問題になるからないかもしれないけど、『出来上がった関係』の中に一人で入るのって大変よ?」
母はそう心配していたが、最終的には娘の希望を尊重してくれた。
「出来上がった関係の中で一人」は、小中学校を通じて嫌と言うほど味わって来た。だからこそ、遠くて出身中学校からは他に誰も志望していない、という情報を信じて思い切ったのだ。
幼い頃から、無意識のうちにアンジェラ女学園の校舎のクラシックな雰囲気や、ひと目でわかる他の学校とは変わった制服に憧れていたのかもしれない。
単なる教科担当の間中講師が何かと真佐子を気に掛けてくれようとするのも、「独りぼっち」になる可能性が高い自分を心配してのことだろう。
授業外でもよく声を掛けて来て、「心配ごとはないか」と訊き出そうとする様子には、正直担任でもない一講師が何故? と不審を覚える部分もあったが、おそらく「新しい、完成した環境に一人飛び込む」不安さを分かち合う相手として真佐子を選んだのではないか。
あくまでもちらりと耳にした噂話でしかないものの、大学卒業時に教員採用試験に受からず、決まっていた講師が体調不良を理由に辞退したこの学校にどうにか滑り込んだというのだ。
己の力が足りないことを認めたくなくて、どうにか「先生らしい」ことをするのに、真佐子はうってつけの題材だったのかもしれない。
気遣ってくれているのだろう相手に、そんな風に考えてしまう自分にも正直いい気はしなかった。
せっかく仲良くしてくれようとする子たちに、誤解されたままではいたくない。
しかし、いざとなると必要な声を上げることすらできない臆病な自分に嫌気が差す。
──このままじゃ、ここでも一人になっちゃう。だから勇気出さないと。
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
おすすめ作品を読み込み中です…
この作品と似た作品
似た傾向の作品は見つかりませんでした。
この作品を読んだ人が読んでいる作品
読者の傾向からおすすめできる作品がありませんでした。
おすすめ作品は現在準備中です。
おすすめ作品の取得に失敗しました。時間をおいて再度お試しください。
「|真佐子《まさこ》、これ」
すぐ後ろの席の|高橋《たかはし》 |澄麗《すみれ》が、声掛けと同時に紙の束を渡して来る。歴史担当の講師である|間中《まなか》 |琉偉《るい》のプリントの集め方だ。
「高橋。|静宮《しずみや》は『名前で呼ばれたくない』って僕に相談して来たんだ。だから馴れ馴れしくするのはやめなさい」
「え!?」
間中の言葉に真佐子が思わず声を漏らすと、澄麗が少しだけ不快感の滲む表情で「まさ、静宮さん、これお願い」と言い直したあと「嫌だなんて知らなかった。ごめんね」と謝って来る。
「あ、あの私……」
「静宮。早く回しなさい」
大学を卒業したばかりで、この四月から非常勤講師として教壇に立っている彼。熱意が空回りするきらいはあったが、それも若さと経験の浅さ故で、「熱心な先生だ」という印象は生徒も持っていたのではないか。
間中に急かされ、結局真佐子は何も告げられないまま授業に戻った。
「今回は三人か四人のグループで……」
生物の授業で、担当の女性教諭はグループ単位の研究発表スタイルを好む。
「せんせー、自由に決めさせて〜」
「お願い!」
「わかりました。ただし! 少しでも揉めたらリセットして先生が決めるからそのつもりで」
教室のあちこちから上がる声に、|根来《ねごろ》 |幸子《さちこ》教諭は承諾しつつも釘を差して来た。学年主任も努めている彼女は、流石にベテランだけあって生徒の目にも余裕と落ち着きがある。
どうしよう、と居心地の悪い思いでいた真佐子は、後ろから軽く肩を叩かれた。
「静宮さん、一緒にやらない?」
「いいの?」
澄麗の明るい誘いに戸惑う真佐子に、彼女はふわっと笑う。
「あたしから呼んでんだから当たり前でしょー。あたしと|春菜《はるな》と静宮さんでちょうど三人。席近いほうがやりやすいし」
彼女のすぐ後ろの|寺岡《てらおか》 春菜は澄麗と仲が良い。
というより澄麗は明るくきっぱりした性格でクラスでも常に中心にいた。
平凡で引っ込み思案の真佐子とは正反対だ。
「高橋さん、確か静宮さんのことも名前で読んでなかった?」
根来教諭の疑問に、澄麗が不満そうに返す。
「そうですよ〜。あたし『友達』は下の名前で呼ぶって決めてるんで! でも間中先生に《《禁止》》されたから。まああたしも、静宮さんが嫌だったなんて気づかなかったし……」
「──そう」
何やら難しい顔の根来教諭に、真佐子はここで己が発言すべきだとわかっていても勇気が出なかった。
「間中先生ってちょっと変じゃない? 静宮さんを贔屓してるとかそんなんじゃなくて……、うまく言えないけど」
「必死で『先生』やりたがってる感じ。あたしは好きじゃないな」
間中の名が出たからだろう春菜の言葉に、澄麗が平然と返す。
名前の件も、きっと澄麗には悪気などない。
「あたし、変な名前でしょ?」
「そんな……」
いつか澄麗が話していたのが浮かぶ。
「いいって、気ぃ遣わなくても。派手でキラキラ。でもあたしは気に入ってるんだ。親があたしが生まれたの喜んで、一生懸命考えてつけてくれたから。あと『高橋』が多過ぎて被るのもあるかも」
『澄み切って麗しい』という名がよく似合う華やかな少女。その口から出るには似つかわしくないと感じる、真摯な台詞だったからこそ印象に残っていた。
「だからあたし、《《好きな友達》》は名前で呼びたいの」
そう続けた際の綺麗な笑顔とともに。
中高一貫教育の女子校であるこのアンジェラ女学園は、高等部編入は例外的で各クラスに一人か二人のみ。八クラスで十人しか募集がないのだ。
中学までは公立で、いきなり友人関係も出来上がっているだろう中に入ることについては受験前にも散々考えた。
しかし小中学校でほとんど友人と呼べる友人もできなかった真佐子は、孤立したらその時だ、と諦め半分で思い切って受験したのだ。
最初から「もともと関係がある子」ばかりの知らない大勢の中なら、「一人でも当然」と自分を納得させられる。
しかしいざ入学してみれば、澄麗を筆頭にみなごく普通の「クラスメイトの一員」として接してくれた。
現にガイダンスで知り合った他クラスの編入生の一人は、なかなか馴染めないようで冗談交じりに「もう学校やめたいと思うことあるよ」と零していた。
つまり真佐子は本当に恵まれた状況にいるのかもしれない。おそらくは澄麗の言動の影響が大きいのだろうこともわかっている。
「私立のお嬢様学校だし、表立った虐めなんかは問題になるからないかもしれないけど、『出来上がった関係』の中に一人で入るのって大変よ?」
母はそう心配していたが、最終的には娘の希望を尊重してくれた。
「出来上がった関係の中で一人」は、小中学校を通じて嫌と言うほど味わって来た。だからこそ、遠くて出身中学校からは他に誰も志望していない、という情報を信じて思い切ったのだ。
幼い頃から、無意識のうちに|アンジェラ女学園《この学校》の校舎のクラシックな雰囲気や、ひと目でわかる他の学校とは変わった制服に憧れていたのかもしれない。
単なる教科担当の間中講師が何かと真佐子を気に掛けてくれようとするのも、「独りぼっち」になる可能性が高い自分を心配してのことだろう。
授業外でもよく声を掛けて来て、「心配ごとはないか」と訊き出そうとする様子には、正直担任でもない一講師が何故? と不審を覚える部分もあったが、おそらく「新しい、完成した環境に一人飛び込む」不安さを分かち合う相手として真佐子を選んだのではないか。
あくまでもちらりと耳にした噂話でしかないものの、大学卒業時に教員採用試験に受からず、決まっていた講師が体調不良を理由に辞退したこの学校にどうにか滑り込んだというのだ。
己の力が足りないことを認めたくなくて、どうにか「先生らしい」ことをするのに、真佐子はうってつけの《《題材》》だったのかもしれない。
気遣ってくれているのだろう相手に、そんな風に考えてしまう自分にも正直いい気はしなかった。
せっかく仲良くしてくれようとする子たちに、誤解されたままではいたくない。
しかし、いざとなると必要な声を上げることすらできない臆病な自分に嫌気が差す。
──このままじゃ、ここでも一人になっちゃう。だから勇気出さないと。