「雅~、コーヒー飲みに行かね?」
「カフェテリアなら行く!」
「当然だろ。外行く金なんかねえよ」
郁海が誘うのは、まず例外なく大学構内のラウンジ棟二階にあるカフェテリアだ。広くて窓が大きいため明るく、何より安い。
味も、
コストパフォーマンスとしては十分だ。
同期は何人もいたけれど、一番親しくなったのは郁海だった。
雅は自覚もしているが気が強すぎるというかはっきりしすぎていて、人によって相性の差が大きい。
もちろんサークル運営や公演については別で、合わせるべきところはきちんと考えている。
TPOを弁えずに我を通そうとするほど幼稚ではないつもりでいた。
反面、完全プライベートでは余計な気を遣うのは面倒なのだ。
特に恋愛には一切興味がなかった。
恋人に時間を使うのは勿体無いと感じる時点で向いていない。
自分でも我儘で身勝手なのはわかっている。
ただし友情はまた別だった。
当たり前の話として誰彼構わず喧嘩を売るような真似などはするはずもない。
すべて自分に合わせて欲しいとも思っていないし、何より無理して合わせてもらってまで付き合いたくなかった。
それはもう友情とは呼べないのではないか?
その点でも、美しい容貌に似合わず意外と口が悪くてきっぱりした郁海とは不思議と馬が合った。
彼は誰とでも当たり障りなく接することができる人間だ。
世話焼き体質なのは皆が知るところだが、それ以外は郁海の本質ではない気がした。
それこそ常に仮面を被っているかのように、「人当たりよく気さくな
郁海」を演じているのだろう。
実際には、彼は雅と同じく強気で頑固なところもある。
気心が知れて来ると、郁海は雅を部屋に呼んで趣味の料理を振舞ってくれるようになった。
互いに構える必要はなく、共に過ごして心地のいい相手。
片付けができない彼の生活の場はいつ行っても雑然としているため、雅が食事の礼代わりに一通り掃除して帰るのが恒例だ。
寮は自炊なのでやむを得ずしているものの、別に料理好きでもない雅とはまさにWin-Winの関係だと感じていた。
本当に貴重な友人を得られて、それだけでもこのサークルを選んでよかったと思える。
そして郁海は、もしかしたら雅より演技力があるのでは、と感じることもあった。
ずっと演技メインでやって来た雅より、脚本と演出希望で実際には裏方なら何でもやる彼の方が。
郁海は相当な努力家だ。
そのことは、たぶん誰よりも雅が知っている。ただその努力の内容は、決して演技力向上のためではない。
しかし目的とするところは違っていても、結果的に彼の演技力には磨きが掛かっている、と感じていた。
つまりは天性の能力のなせる業なのだろうか。
脇で舞台に立ったことはあっても、あくまでも例外にして欲しい、と言い切った郁海。
できるし上手なのに、彼は特に「役者」をやりたいわけではないのだ。
──あの劇団の先生の言葉は、「役者としてよりはモデルの方が」って意味でただの事実だったんだよね。
あくまでも雅のことを考えて、貴重な若い時間を無駄にしないようにアドバイスしてくれたのだ、と二十歳を過ぎてようやく理解できた。
直接訊いたことなどはない。向こうが自分から口にしたわけでもなかった。
しかし共有する時間が増えるに従い、打ち明け話などしなくとも言葉を介さずに自然と相手の深い部分にも触れ合うようになって……。
郁海の恋愛対象が男であるらしいことに雅は気づいてしまった。
同時に、彼の『演技』は性指向を隠すためでもあるのではないか、と腑に落ちた気がする。
演劇人は変わり者も多いし、同性愛にしても特に抵抗なく受け止められる下地はある。「『普通じゃないこと』に重きを置く自分カッコいい!」といった価値観など珍しくもなかった。
郁海が素を晒しても、サークルでは別に浮かないだろう。
ただ、彼が怖がるのもわかる。仲間内はともかく、それ以外の大学や社会ではやはり異端として扱われる可能性が高いからだ。
出会って以降、彼は何人かの『男』と付き合っていた、と思う。なんとなく雰囲気が変わるので、雅にはわかってしまった。
部屋に呼ばれることもなくなるため、そちらの側面でも「ああ、『彼氏』ができたんだな」と悟る。
雅が見透かしているのを彼も承知だった筈だ。
しかし、暗黙の了解でどちらも表に出すことはなかった。二人の友情とはまったく別の問題だと互いに見做していたから。
おそらくサークルで、いや大学では雅以外誰も知らなかったのではないか。
誓って断言できるが、『同性愛者』だからといって彼に不快感など覚えたこともなかった。
むしろ雅に恋愛感情を向けて来ないのなら、男でも女でもどうぞご自由に、というのが本音だ。
そういう意味では男の方がありがたいかもしれない。
女の場合、もちろん相手にもよるが「女友達」と付き合うのを制限するケースもありそうな気がするからだ。
郁海は雅のとても大切な友人だから、恋愛沙汰でこの友情が壊れるのが何よりも嫌だった。
演技は、イコール『嘘』ではない。
何もかも残さず曝け出すのが、親愛や信頼の証だとも考えていなかった。