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 桔平くんは鎌倉で生まれて、お母様が本條さんと再婚するまで、そこに住んでいたんだって。私は行ったことがないけれど、鎌倉という土地が桔平くんの肌に合いそうなのは、容易に想像できる。
 
「鎌倉には高いビルもねぇし、海も山も近くてさ。いつも通る路地には、綺麗に手入れされた草花や生垣があった。暖かいところだし、ほとんど雪は降らねぇんだけど。たまに降ったときは、すげぇ綺麗だった。寺とか神社だけじゃなくて、大仏も雪化粧すんの」

 遠くへ視線を向ける桔平くんを見て、なぜか涙がこみ上げてきた。だって、すごく穏やかで優しい表情なんだもん。桔平くんにとって、鎌倉は特別な場所だってことが、よく分かる。

「オレの原風景は、やっぱりあそこだなって思う。小樽に惹かれるのも、同じように海と山が近くて、穏やかな土地だからかな。ガキのころに父さんと散歩したときの景色が、ずっと心に残っているんだよ。歩きながら、いろいろな植物を教えてくれた。帰ったら、今日見た植物を描いてみろって言われて。完璧に再現すると、すげぇ喜ぶの。さすが俺の息子だ! って」

 桔平くんが私の前で、浅尾瑛士さんを「父さん」と呼ぶのは初めてだった。それと、思い出を語るのも。鎌倉が特別だと感じるのは、お父さんと過ごした場所だからなんだね。

「父さんは、オレがやること全部喜んでくれた。早口で訳分かんねぇことを言っても『桔平は頭がいいな、すごいな』ってニコニコしてさ。本当に嬉しそうだった。父さんと一緒にいられたのは5年間だけだったし、記憶にあるのは、もっと短い期間だけど。自分の人生の中で、あのころが一番穏やかだったかもしれねぇな」

 やっぱり桔平くんは、画家としての浅尾瑛士さんを尊敬しているだけじゃない。たったひとりの父親として、恋焦がれている。

 お父さんが大好きで、お父さんに褒められたくて、お父さんに追いつきたくて。画家だからとか関係ない。息子として、大好きなお父さんの背中を追いかけているんだ。

 あ、ダメだ。もう堪えられない。

「……オレの代わりに、泣いてくれてんの?」

 桔平くんが顔を覗き込んで、私の頬を優しく撫でる。
 
「だって、桔平くんが泣かないんだもん」
「これでも男の子だからなぁ。簡単に泣くわけにはいかねぇよ」
「そんなわけないじゃない! 男でも女でも、泣きたいときには泣いていいの!」

 なんだか、胸がいっぱいになってしまった。お父さんに対する、あまりに純粋な愛情が伝わってきて。それにどれだけ思い慕っていても二度と会えない寂しさを、私も知っているから。


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 桔平くんは鎌倉で生まれて、お母様が本條さんと再婚するまで、そこに住んでいたんだって。私は行ったことがないけれど、鎌倉という土地が桔平くんの肌に合いそうなのは、容易に想像できる。
「鎌倉には高いビルもねぇし、海も山も近くてさ。いつも通る路地には、綺麗に手入れされた草花や生垣があった。暖かいところだし、ほとんど雪は降らねぇんだけど。たまに降ったときは、すげぇ綺麗だった。寺とか神社だけじゃなくて、大仏も雪化粧すんの」
 遠くへ視線を向ける桔平くんを見て、なぜか涙がこみ上げてきた。だって、すごく穏やかで優しい表情なんだもん。桔平くんにとって、鎌倉は特別な場所だってことが、よく分かる。
「オレの原風景は、やっぱりあそこだなって思う。小樽に惹かれるのも、同じように海と山が近くて、穏やかな土地だからかな。ガキのころに父さんと散歩したときの景色が、ずっと心に残っているんだよ。歩きながら、いろいろな植物を教えてくれた。帰ったら、今日見た植物を描いてみろって言われて。完璧に再現すると、すげぇ喜ぶの。さすが俺の息子だ! って」
 桔平くんが私の前で、浅尾瑛士さんを「父さん」と呼ぶのは初めてだった。それと、思い出を語るのも。鎌倉が特別だと感じるのは、お父さんと過ごした場所だからなんだね。
「父さんは、オレがやること全部喜んでくれた。早口で訳分かんねぇことを言っても『桔平は頭がいいな、すごいな』ってニコニコしてさ。本当に嬉しそうだった。父さんと一緒にいられたのは5年間だけだったし、記憶にあるのは、もっと短い期間だけど。自分の人生の中で、あのころが一番穏やかだったかもしれねぇな」
 やっぱり桔平くんは、画家としての浅尾瑛士さんを尊敬しているだけじゃない。たったひとりの父親として、恋焦がれている。
 お父さんが大好きで、お父さんに褒められたくて、お父さんに追いつきたくて。画家だからとか関係ない。息子として、大好きなお父さんの背中を追いかけているんだ。
 あ、ダメだ。もう堪えられない。
「……オレの代わりに、泣いてくれてんの?」
 桔平くんが顔を覗き込んで、私の頬を優しく撫でる。
「だって、桔平くんが泣かないんだもん」
「これでも男の子だからなぁ。簡単に泣くわけにはいかねぇよ」
「そんなわけないじゃない! 男でも女でも、泣きたいときには泣いていいの!」
 なんだか、胸がいっぱいになってしまった。お父さんに対する、あまりに純粋な愛情が伝わってきて。それにどれだけ思い慕っていても二度と会えない寂しさを、私も知っているから。