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8月下旬。小樽から東京へ戻ってくると、桔平くんは学校のアトリエに行く時間が増えた。
9月頭には藝大の大学祭があるけれど、今回の展示は授業の自由課題で描いたもの。だから桔平くんが今アトリエで制作しているのは、卒業制作の絵。
とは言っても、まだ描き始めてはいない。なにをどんな風に描くのか、あれこれ考えている段階なんだって。
どうやら、パノラマ展望台での出会いが刺激になったみたい。桔平くんが出会った「彩ちゃん」という女の子は、とってもまっすぐな目で「自分にとっての絵の基礎は描きたいという気持ち」と宣言した。それが桔平くんの中でも腑に落ちて、夢中で絵を描いていた子供のころを思い出したらしい。
妬いていないのかって桔平くんに訊かれたときは否定したものの、本当は妬いている。私の本心を察したのか、桔平くんは彩ちゃんに連絡先を訊かれても断ったと言っていたけれど。
妬くに決まっているじゃない。桔平くんがほかの女の子に目移りしたり浮気したりしないってことは、ちゃんと分かっている。愛されている自信はあるもん。だけど私には、絵のことは分からないから。同じように芸術の道を志す人たちの絆というか、通じ合うものがあって羨ましいと思ってしまうの。
そんなこと言われても困っちゃうだろうから、桔平くんには絶対言わないけどね。だって私は、もう大人ですし。
「七海ちゃんとヨネに会うの、今日だったっけ?」
鏡も見ず器用に自分の髪を結びながら、桔平くんが言った。最近、髪は伸ばしっぱなし。また長くなったなぁ。
「うん。3人でランチしてくる。誕生日のお祝いをしてもらうの」
「誕生日なんて、もう3週間も前じゃねぇか」
「だぁって小樽に行っていたから、お祝いしてもらってないもん。あと、ふたりに小樽土産を渡さなきゃだし」
「どこ行くんだっけ?」
「恵比寿。焼肉ランチでーす」
「また肉……」
「翔流くんチョイスの、おすすめのお店なんだって」
「まぁいいけどさ。ヨネたちの奢りなら、たんまり食ってきな」
そうしたいところだけど、実は帰省中に少し太ったんだよね。智美さんの手料理が美味しくて、調子に乗って食べ過ぎちゃったから。
でもまぁせっかくのランチだし、しかも奢りだし。今日もしっかり食べちゃう。そして明日ジムでトレーニングして、なかったことにすればOKよね、きっと……。
「んじゃ、先に出るわ。7時くらいには帰ってくる」
「うん。気をつけていってらっしゃい」
「愛茉も楽しんできなよ」
私の額に軽くキスをして、桔平くんは出かけて行った。今日も学校へ行くらしい。
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とは言っても、まだ描き始めてはいない。なにをどんな風に描くのか、あれこれ考えている段階なんだって。
どうやら、パノラマ展望台での出会いが刺激になったみたい。桔平くんが出会った「彩ちゃん」という女の子は、とってもまっすぐな目で「自分にとっての絵の基礎は描きたいという気持ち」と宣言した。それが桔平くんの中でも腑に落ちて、夢中で絵を描いていた子供のころを思い出したらしい。
妬いていないのかって桔平くんに訊かれたときは否定したものの、本当は妬いている。私の本心を察したのか、桔平くんは彩ちゃんに連絡先を訊かれても断ったと言っていたけれど。
妬くに決まっているじゃない。桔平くんがほかの女の子に目移りしたり浮気したりしないってことは、ちゃんと分かっている。愛されている自信はあるもん。だけど私には、絵のことは分からないから。同じように芸術の道を志す人たちの絆というか、通じ合うものがあって羨ましいと思ってしまうの。
そんなこと言われても困っちゃうだろうから、桔平くんには絶対言わないけどね。だって私は、もう大人ですし。
「七海ちゃんとヨネに会うの、今日だったっけ?」
鏡も見ず器用に自分の髪を結びながら、桔平くんが言った。最近、髪は伸ばしっぱなし。また長くなったなぁ。
「うん。3人でランチしてくる。誕生日のお祝いをしてもらうの」
「誕生日なんて、もう3週間も前じゃねぇか」
「だぁって小樽に行っていたから、お祝いしてもらってないもん。あと、ふたりに小樽土産を渡さなきゃだし」
「どこ行くんだっけ?」
「恵比寿。焼肉ランチでーす」
「また肉……」
「翔流くんチョイスの、おすすめのお店なんだって」
「まぁいいけどさ。ヨネたちの奢りなら、たんまり食ってきな」
そうしたいところだけど、実は帰省中に少し太ったんだよね。智美さんの手料理が美味しくて、調子に乗って食べ過ぎちゃったから。
でもまぁせっかくのランチだし、しかも奢りだし。今日もしっかり食べちゃう。そして明日ジムでトレーニングして、なかったことにすればOKよね、きっと……。
「んじゃ、先に出るわ。7時くらいには帰ってくる」
「うん。気をつけていってらっしゃい」
「愛茉も楽しんできなよ」
私の額に軽くキスをして、桔平くんは出かけて行った。今日も学校へ行くらしい。