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冬の港町で

ー/ー



冷たい風が港を通り抜けるたびに、波止場の柱がわずかに揺れて、打ち寄せる波がごつごつと音を立てる。空は灰色で、雪がちらちらと降り始めた。遥(はるか)は、古びたコートの襟を立てながら、久しぶりに戻ったこの町の空気を吸い込んだ。
「こんな寒い時期に、また戻ってくるなんてなぁ。都会の人は何考えてんだか」耳に届いたのは、老漁師の重蔵(じゅうぞう)の声だ。桟橋の端で網を繕いながら、彼は遥をじろりと見た。
「考えがあって戻ってきたわけじゃありませんよ。ちょっと、整理が必要だっただけです」「整理ねぇ。それ、新聞記者がよく言うやつだな」
彼の言葉に遥は苦笑した。この町を出て十年、東京の新聞社で働いていたが、追い詰められた心を抱えて故郷に逃げ帰った。彼女自身、何を整理したいのか分からないまま、幼い頃の記憶がかすかに残るこの町へ戻ってきたのだった。
「ところでさ、覚えてるか? お前が小さい頃、町外れの小屋に行った話」「小屋?」
遥は眉をひそめた。重蔵が笑みを浮かべる。
「ああ、昔のことだがな。この町には幽霊が出るって噂の小屋があったんだよ。あんた、よくあそこに行って、泣いて帰ってきたって聞いたぞ」「覚えてませんね、そんなこと」「そりゃそうだ。あんたの親父も、あの話はするなって顔してたからな」
遥の胸の奥で何かがざわつく。そのとき、後ろから小さな声が聞こえた。
「幽霊の話なら、僕も知ってるよ」
振り返ると、小学生くらいの少年が立っていた。ニット帽を目深にかぶり、片手には真新しいノートを握っている。
「誰?」「航(わたる)だよ。お母さんから遥お姉ちゃんの話、聞いてた」
その名前に遥ははっとした。航は幼馴染の亜希(あき)の息子だった。
「ねえ、その幽霊の話、知りたい? 一緒に行ってみようよ」
航の目は好奇心で輝いていた。


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冷たい風が港を通り抜けるたびに、波止場の柱がわずかに揺れて、打ち寄せる波がごつごつと音を立てる。空は灰色で、雪がちらちらと降り始めた。遥(はるか)は、古びたコートの襟を立てながら、久しぶりに戻ったこの町の空気を吸い込んだ。
「こんな寒い時期に、また戻ってくるなんてなぁ。都会の人は何考えてんだか」耳に届いたのは、老漁師の重蔵(じゅうぞう)の声だ。桟橋の端で網を繕いながら、彼は遥をじろりと見た。
「考えがあって戻ってきたわけじゃありませんよ。ちょっと、整理が必要だっただけです」「整理ねぇ。それ、新聞記者がよく言うやつだな」
彼の言葉に遥は苦笑した。この町を出て十年、東京の新聞社で働いていたが、追い詰められた心を抱えて故郷に逃げ帰った。彼女自身、何を整理したいのか分からないまま、幼い頃の記憶がかすかに残るこの町へ戻ってきたのだった。
「ところでさ、覚えてるか? お前が小さい頃、町外れの小屋に行った話」「小屋?」
遥は眉をひそめた。重蔵が笑みを浮かべる。
「ああ、昔のことだがな。この町には幽霊が出るって噂の小屋があったんだよ。あんた、よくあそこに行って、泣いて帰ってきたって聞いたぞ」「覚えてませんね、そんなこと」「そりゃそうだ。あんたの親父も、あの話はするなって顔してたからな」
遥の胸の奥で何かがざわつく。そのとき、後ろから小さな声が聞こえた。
「幽霊の話なら、僕も知ってるよ」
振り返ると、小学生くらいの少年が立っていた。ニット帽を目深にかぶり、片手には真新しいノートを握っている。
「誰?」「航(わたる)だよ。お母さんから遥お姉ちゃんの話、聞いてた」
その名前に遥ははっとした。航は幼馴染の亜希(あき)の息子だった。
「ねえ、その幽霊の話、知りたい? 一緒に行ってみようよ」
航の目は好奇心で輝いていた。